よもやま夜語り

ざっと

渡し守

 私の夜は長い。

 日が西に傾きだした頃に起き出して、かまどに火を入れる。火が安定したら、ひえと水を入れた釜を竈にのせ、木蓋でフタをしてしばらく蒸す。

 そうして出来上がったかゆを椀によそい、口の中へ一息にき込む。

 食べ終わったら鍋と椀を難し、仕事着に着替きかえる。帯を締め、最後に菅笠すげがさを被ったら長屋を出る。

 長屋の戸を開けてみれば、日は既に地の中へと顔をうずめていた。視界に映るのは、僅かな茜色が空を覆う群青色にひしとしがみついているだけの、寂寥感のただよう空模様。この時分より、私の仕事が始まるのだ。


   *  *  *  *  *


 桟橋の脇に腰掛けながら、煙管きせるをふかす。以前船に乗せたお客が、酒によって気分を良くしていたのか、この煙管をくれたのだ。

 船をりながら煙を吸えば、咳き込んで危うく船から落ちるところだった。それにもかかわらず、そのお客は、はじめは皆そんなものだとただ笑っているだけだった。私が咳き込む勢いに船が揺れていたというのに何故そんなに悠長にしていられるのかは不思議だったが、その煙管のお客が、何度か吸えばはまること間違いなしだと言った通りになっているのも不思議だった。

 腹の足しにもならない煙だのに、何故こうも美味くて何度も欲しくなるんだか。

 ゆったりと煙を三度ほど吐いた折に、こちらへ近づいてくる足音が聞こえてきた。音の方へ顔を向ければ、真っすぐにこちらへと歩いてくる。渡しを希望のお客だろう。そう思い、慌てて最後の一口を吸って、雁首がんくびからまだ火の残っている煙草たばこを落とし、足でもみ消す。

 煙管を布でくるむ最中にお客が到着し、私に話しかける。

「夜でも船を渡してくれる渡し守は、あなたで相違ないか?」

「ええ、そうです。」

 刀こそいていないが、前髪を剃り、育ちのよさそうな立ち振る舞いの男だった。

「では一つ渡しをお願いしたい。」

「かしこまりました。どちらまでお運びしましょうか?」

 そう言うと、男は真っ暗な川の行方ゆくえ、下流の方を指さして答える。

「彼方の岸まで。」

「承知いたしました。」

 聞く人が聞けば、どういう意味だと首をかしげるだろう。しかし、夜限定で船渡しをする私は、幾度となく聞いてきた注文だ。男から代金を受け取り、船にのせて桟橋を離れる。


 しばらく無言で船を漕いでいると、小縁こべりの前に座る男が、背を向けたまま口を開いた。

「最近、あまり眠れなくてね。」

「はぁ、それは大変ですね。」

「ああ。書を読むにも一晩中となれば油がもったいないし、夜もすがら風にでもあたろうかと思って、近頃は夜道を歩いていたんだ。」

「そうなんですか。でも、夜道ともなれば危ないでしょう。」

「ああ、危ない。辻斬りの噂も絶えないからな。」

「そうですねぇ。」

「だから、あなたの船で、夜の水上散歩でもしようと思ったのだ。」

「それはありがとうございます。」

 当たり障りのない会話。どこでにもある世間話。今までの経験則から言えば、これから“彼方の岸まで”という注文をするに至った自身の経緯を語り始めるであろうか、と思いながら無心でかいを繰っていると、突然男が振り向いた。

「なぁ、何か面白い話はないだろうか?」

「は?」

 突拍子もない要望に、思わず頓狂とんきょうな声をあげてしまった。

「うむ。人から聞いたが、彼方の岸までは長いのだろう?ならば、その道中の暇つぶしに、と思ってな。」

「ああ、そういうことでしたか。」

「どのみち、この時分、月がなければ景色も見えぬ。追加で銭を払う故、何か話してくれないか。」

「えぇと・・・・・・」

 突然のことに、どうしたものかと悩んでいたが、話す物語のないでもない。追加で銭をもらえるのなら、これは思わぬ収入であり、なんともありがたいことではある。

「話という話でもなく、あまり面白い物でもないでしょうが、それでもよければ・・・・・・。」

 自分の記憶にある物語に自信が持てず、言い訳がましい注意を言い添えた。

「ああ、内容は問わない。なにせ、私自身が最も詰まらない人間だからな。それ以外のものの話であれば、なにであれ面白かろうよ。」

「そこまで仰るのであれば・・・・・・。」

 自信はないが、内容は問わない、と言われてしまうと、それもそれでいささか複雑な心境になる。

 しかし、育ちも蓄財も良さそうなこの男が、自分のことを最も詰まらない、と言い切るというのは不思議な気分ではある。斬り捨て御免ごめんの横行する今のご時世に、明確に私よりも身分の高そうなこの男が、虚栄心どころか自尊心すらないもののように扱って言うとは思わなかった。

 つくづく、自分は不思議な人間ばかりを乗せるものだと思いながら、記憶の中にある物語を男に話して聞かせる。

 内容は問わない、と言ったこの男が突如として気分を変えることのないいよう、祈りながら・・・・・・───。

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