現実を噛む
PROJECT:DATE 公式
桜並木の裏側
梨菜「ふぅ。」
息を吐く。
すると、目の前に置かれていた紙が
ぱたぱたと魚のように泳いだ。
飛んで行かないようにと
慌てて両手で押さえる。
ゆっくりと手上げても
いくつかは手にひっついてきて
気持ち悪い思いをした。
多量のレシートを眺めると、
なんだかんだ生きてきたんだなと思う。
紙には、いつどこでどんな出費があったかが
ざっくりとまとめられていた。
…いや、まとめているとは言えないか。
ざっくりとしすぎている。
それこそ、星李に比べれば。
梨菜「星李ってすごいんだなぁ。」
星李と会って、暮らしていく中で
何度思ったことだろう。
星李がいなくなってからさらに
そう思う回数は増えて行った。
私は管理することが苦手なんだと思う。
じゃなかったらこんなふしだらな
生活をしていないか。
料理も家計簿をつけることも
星李に任せていたのだから、
そりゃあ今痛い目を見るのは
当たり前かもしれない。
もう少しがんばろう。
そう思ってレシートと睨めっこする。
朝から何やってるんだろう、
なんて思いつつ朝日の欠片を背に受け
ひたすらペンを握った。
***
梨菜「うわっ、こんな時間!?」
時計を見ると、もう7時半。
準備全く進んでない、まずい。
未だに遅刻しそうになる癖は残っている。
こんな時間になっても
もう誰も注意してくれないことには
とっくに気づいているはずなのに。
家計簿をそのままにペンを放り投げ、
ばたばたと廊下を走って洗面台や
キッチンへと右往左往する。
お弁当はいいや、作ってる時間なんて
もちろんないから。
飲み物も買っていこう。
もしも、まだ星李がいてくれたなら
こんなことも考えなかっただろうな。
焦ってはいるはずなのに、
いつも以上に急いで準備ができない中、
結局家を出れる状態になったのは
8時を回った時だった。
走れば間に合うけれど、
今日くらいはいいや。
朝のホームルームには遅れて行こう。
走りながら、ふと星李の部屋を見る。
星李の部屋は、彼女がいなくなってから
ずっと扉を閉めていた。
けれど、癖なのか1日に1回は扉を開いて
中を確認していた。
いつの間にか帰ってきてるんじゃ
ないかなって無意識のうちに
期待をしてしまう自分がいる。
°°°°°
梨菜「そうだ、星李。映画見ようよ。」
星李「…。」
梨菜「ほら、サブスクリプションのさ、無料期間使うの!」
星李「…。」
梨菜「いい案でしょ?」
星李「…。」
梨菜「もー、ほーら、そんなところで寝てないで!」
°°°°°
梨菜「…おはよ、星李。」
誰もいない、埃のほぼ被っていない部屋に
ひと言だけ呟いて扉を閉じる。
そして玄関に向かっては
サイドテールの調子や
前髪の整い具合を確認する。
いっそのこと遅れようと腹を括ったら
心がとても軽くなっていた。
今ならなんだってできそう。
どこへだっていけそう。
とんとん、とつま先を鳴らす。
春はもうすぐそこだ。
目の前だ。
梨菜「行ってきます!」
元気よく口にする。
この制服を着るのは後1年。
そのうちの1日。
もしも星李がいたのなら、
今頃受験結果が出て高校生になるんだねと、
お祝いしようと盛り上がっていたのかな。
扉を開くと、ぶわっと春の心地が押し寄せる。
そのまま家の中へと
引き摺り込まれるんじゃないかと
思ってしまうくらい。
けど、このまま引き返しちゃだめだ。
どしんと音がなるほど
大きく力強い1歩を踏み出した。
ああ、今日もいい日だ!
満面の笑みを浮かべて
マンションから空を眺めた。
***
意気込んで登校したはいいものの、
途中で違和感に気づいた。
制服を着ている生徒が極端に少ない。
あれ、1時間遅れて
家を出てしまったのかな。
それとも、1日以上眠っていて、
今日は土曜日だった…とか。
とぼとぼ歩いていると、
少し奥の方に見たことのなる影を見つけた。
何年も隣で見てきたのだから
流石に見間違えるなんてことはない。
ゆらゆらと胸下あたりまで伸びた髪を
ひとつにまとめている。
少しぱさぱさとはしているけれど、
それでもある程度は
お手入れされていたっけ。
梨菜「…波流ちゃんだ。」
半年前なら、ここで走って
彼女のもとまで行って
「おはよう」なんて声をかけただろう。
けど今はそんなことしない。
しないし、できない。
できなくなってしまった。
それは、紛れもなく秋口にあった
あの不可解な出来事からだった。
神奈川県にあるとある山奥に行き、
そこに何故か存在していた
ログハウスのようなお屋敷に入る。
そしてれいちゃんと出会う。
再会する。
でも。
梨菜「…嘘つき。」
お屋敷にいたれいちゃんは本物らしいけど、
これまで私が見てきたれいちゃんも
なんなら星李までもが私の頭の中で
補完して生まれたものだった。
わかってた。
…うん。
わかってたんだよね。
自分に延々と嘘をついていたのは
私自身であることも。
波流ちゃんは前を向かせようとしてー
°°°°°
波流「…………梨菜…。」
梨菜「…。」
波流「……。」
梨菜「…。」
波流「私…見たの、見てたの。星李が運ばれるところ。」
梨菜「…。」
波流「…………星李は…いないよ。」
梨菜「…………………。」
°°°°°
前を向かせようとして、ああ言ったことも。
梨菜「あれ。」
よくよく見てみれば、波流ちゃんは
制服を身につけていなかった。
体操着…というより、運動着というか…。
部活に行く時、あの格好をしていたような。
その服装で登校するのは
もちろん学校が休みの日だけ。
もしかして。
そう思うも既に学校は目の前へと
迫っているのだった。
すたすたと校門をくぐる
波流ちゃんを見届けた後、
道端に身を寄せてスマホを取り出す。
調べてみれば、今日は案の定祝日だった。
天皇誕生日と確と刻まれているのを見て
ふう、と息をついた。
学校に置き勉をしていなければ
今日にどんな授業があるかで
休みかどうかわかったかもしれない。
それ以前に、星李がいれば。
梨菜「家を出る前に止めてくれたんだろうな。」
「お姉ちゃん待って!」
「今日お休みだよ?」
「ほら、ニュースでも言ってるじゃん!」
ぷんぷんと怒りながら
私のことを止めるんだろうな。
それから、外に出る元気があるなら
食材買い足してきて、とか言われて、
渋々着替えて外に出るの。
プリンは絶対買ってきて、って言うの。
最後には結局笑顔で
いってらっしゃいって…。
「…梨菜?」
梨菜「ふぇ?」
後ろから声をかけられる。
さっき、波流ちゃんが学校に入っていくのは
確実に見ていたから違う。
じゃあ、誰?
不思議思って振り返ると、
そこには美月ちゃんがいた。
波流ちゃんと同じように
運動着をしていることから、
あぁ、部活なんだろうなと
容易に想像がつく。
美月「どうしたのよ、何か用事?」
梨菜「ううん。間違って学校にきちゃって。」
美月「ええ…そんなギャグみたいなことあるのね。」
梨菜「自分でもびっくりだよ、えへへ。」
美月「じゃあこの後はもう帰るの?」
梨菜「うん!テレビでも見てゆっくりするよー。」
美月「そう。」
美月ちゃんは私よりも年下なのに
やっぱりしっかりとした印象があった。
それは4月から変わらない。
美月ちゃんがラケットの入った鞄を
肩に掛け直すと、からんと音が鳴った。
ああ、この音。
去年度の4月から聞いていたなぁ、
なんて感慨深くなる。
美月「そういえば、波流とはどうなの。」
梨菜「へ?」
美月「半年くらい前からずっと変じゃない。」
梨菜「変って波流ちゃんが?私が?」
美月「両方ね。距離感っていうのかしら。」
梨菜「あははー…まあ、そう思うよね。」
美月「喧嘩したの?」
梨菜「うーん、そんなところ。」
美月「早く仲直りできるといいわね。」
梨菜「そうだね。」
美月「時間が経ったら謝りづらくなるもの。」
梨菜「経験談?」
美月「そうよ。」
美月ちゃんは苦そうに笑ったけれど、
後悔はしてなさそうだった。
美月ちゃんも歩ちゃんと昔
仲が悪かったみたいなことを
どこかで話していた気がする。
それこそ、花奏ちゃんの家に
みんなで上がり込んだ時だろうか。
今ではその蟠りもなくなって
仲良くしているらしい。
梨菜「でも、仲直りも何も少し難しくてさ。」
美月「そうなの?」
梨菜「ちょっとね。」
美月「あまり突っ込みはしないけど、波流も波流でずっと渋い顔してるから気になったの。」
梨菜「…そっかぁ。」
美月「ええ。…じゃあそろそろ。」
梨菜「あ、部活だもんね。」
美月ちゃんはこちらに手を振って、
ゆるりと背を向けようとした。
やっぱり大きく動くから
髪は邪魔なのだろう。
美月ちゃんもひとつに縛っていた。
梨菜「あの、美月ちゃん。」
ふと、体が勝手に動く。
その時、春風がぶわっと吹いた。
そういえば、春一番が吹いたんだっけ。
梨菜「波流ちゃんのこと、よろしくね。」
美月「当たり前よ。ペアだもの。」
彼女はそう言って完全に背を向けた。
絶対部活のペアだけでは
済まないような関係だと思うけれど、
今だけは美月ちゃんの嘘に
付き合ってあげることにしよう。
小さな背中に向かって
少しだけ手を振ってみる。
だ 誰もみていないからか、
寂しさと気楽さが湧いてきた。
再度、春風が吹く。
そういえば今年度が始まる時、
春だねなんて言って話したっけ。
°°°°°
梨菜「春だね。」
波流「ん、私?」
梨菜「あはは、違うよー。」
°°°°°
ずっと一緒にいたから
そろそろうんざりしてるんじゃないかって
自分でも思っていたけれど、
なんだかんだで楽しかったんだな。
梨菜「あーあ。」
今日の予定が予期せずまるまる無くなった。
ラッキーだけど、なんだか暇だな。
そうだ。
せっかくなら家に帰って、
ぱぱっと着替えてカフェでも行こう。
1人になってからお金を使うことが
思った以上に減ったし、
たまにはいいよね。
1人になったらもっとお金遣いが荒くなって
もっと星李にきゃんきゃんと
叱られるものだとばかり思ってた。
梨菜「全部予想外。」
うんと背伸びをして、
すっからかんの鞄を肩に
帰路を辿ったのだった。
***
家に帰るとすぐ着替えて
少しだけのんびりしてから再度出た。
何年も同じ場所に住んでいると、
新たな発見も無くなってくるというもので、
今日も見たことのある街を歩いていた。
ここにはいつも金曜日の映画の日に
お菓子を買い込むスーパー、
ここは波流ちゃんと出会った公園、
ここは年賀状を出す時
いつも葉書を買う郵便局。
あそこのお家には小学生になる男の子がいて、
そのお姉さんはもう家を出たんだっけ。
小さい頃にお世話になった気がするけど、
あんまり覚えてないもんだな。
それからあそこにはいつも
テレビの音量が大きくて
外に漏れ出てるお家がある。
去年か一昨年にお孫さんができたって言って
喜んでたのを覚えてる。
私が直接聞いたわけじゃないけど、
近所の方が言ってたような。
そりゃあ数年も住んでたら
自然と顔見知りになるよね。
梨菜「思い出ばっかり。」
ほら、あそこの駄菓子屋さん。
もう潰れちゃったけど、
よく星李と行ったっけ。
今も金銭的に支援してもらってる
あの夫婦と一緒にきた気がする。
中学生になっても
可愛いねなんて言ってくれて
駄菓子をまけてもらったの。
あそこには新しくできたコロッケ屋さん。
新しくとはいえど去年くらいだっけ。
できて早々星李と並んで
買い食いした記憶がある。
たまにはこういうのも
いいよねなんて言いながら。
あ、あそこのお肉屋さん。
安いからよく行ってたんだよね。
星李がいなくなってから
あまり自炊しなくなって
ほとんど行かなくなったけど、
また行きたいな。
星李の作る生姜焼き、好きだったな。
梨菜「あ、あった!」
歩き続けると、
個人経営のカフェが見えてくる。
ここではひとつ大切な思い出がある。
私たち姉妹が、とはいえ主に星李が
プリンを好きになったきっかけがあった。
からん、とドアの上についたベルが鳴る。
何も考えることなく自然と
カフェの扉を開いていたんだと
その時にわかった。
「いらっしゃいませ。」
店員さんはここに来ない間に
知らない人ばかりになっていた。
私が知っているのは、
真っ白な髭が生えたおじいさんと
若い女性がやっているカフェ。
アンティークで落ち着いた雰囲気と
そのおじいさんの作る料理が
絶妙にマッチしていて好きだった。
中学生になってからだろうか、
いつからか全く顔を出さなくなった。
それこそ、初めてここにきた時の
1回きりかもしれない。
適当に席を決めてから注文しにいく。
メニューを見ていると、
飲み物がずらりと並べられて目に入る。
けれど、今日のお目当てはそれじゃない。
フードの方を見ていると、
隅の方にプリンとあった。
梨菜「プリンひとつお願いします。」
今時1人でカフェに入るのは
不思議なことではないと思う。
けれど、なんとなく緊張するのは
思い出に触れているからかな。
それとも1人だからかな。
ドリンクはいらないのかと聞かれたけれど、
丁重にお断りして隅による。
そしてプリンがひとつ
ちょこんと乗せられた
トレーを受け取り席に戻った。
こうして改めてプリンを見ていると
色々思い出すことがある。
確か初めてここにきたのは
もう親とは離れてしばらくしてた。
それこそ今お世話になってる
夫婦に引き取られて以降…。
私は中学生で、星李はもしかしたら
小学生だったかもしれない。
その時まで星李はプリンのことを
ケーキだと間違えて覚えていたんだっけ。
あの時は確か2人きりだったな。
夫婦の視線をかいくぐったのか、
それとも了承を得て言ったのかまでは
流石に覚えていない。
メニューを見た時、プリンって名前で
プリンのイラストが横についていたものだから
ものすごく不思議そうな顔をしてたっけ。
これ、ケーキじゃないの?って。
結局プリンをひとつ頼んで、
わけっこすることにした。
カフェのおじいさんがいい人で、
1人1メニュー頼まなきゃいけないみたい
ルールがあるはずなのに、
それを許してくれたの。
そして。
°°°°°
「お会計500円です」
星李「お姉ちゃんお姉ちゃん。」
梨菜「ん、なあに?」
星李「ここ、私がお金出すよ。」
梨菜「え?星李はお金持ってきてないでしょ。」
星李「持ってきてるよ、お小遣い貯めたの!」
°°°°°
そう言って取り出したのは
沢山の10円玉と少しの50円玉。
多分夫婦のお手伝いをして
お金を少しずつ貯めていたんだと思う。
中学生になると月1500円、
小学生の時はお手伝いするたびに
何円か、だった気がする。
星李はお金を払って
確かこう言ってたっけ。
梨菜「…いつもありがとう、か。」
とんでもなく嬉しかったのを覚えてる。
それに、今となってはお会計の時に
硬貨をばらばらとたくさん出すのは
よくないとされているのに、
その時の店員さんには感謝しかない。
その時のおじいさんも
若い店員さんもいないけれど、
このお店が残り続けているということは
魅力が絶えずあるということなのだろう。
プリンをひと口食べてみる。
梨菜「うーん、美味しい。」
美味しい。
やっぱりスーパーで買うのよりも美味しい。
もちろんスーパーのも
美味しくはあるけれど、
思い出が乗っかっているのもあって
特段美味しく感じた。
けど。
うーん。
あの日を超える美味しさも嬉しさも
ないだろうな、なんて。
°°°°°
梨菜「星李…星李。」
星李「おねーちゃんおなかすいたー。」
梨菜「そうだよね、待っててね。」
星李「やだ、おねーちゃんもどっかいくのやだ!」
梨菜「…。」
星李「いーやーだ!やだやだやだ」
梨菜「うん、うん。分かったから。じゃあ一緒にいようね。」
---
暑い夏。
つかない冷房。
息絶えた冷蔵庫。
窓を閉めても煩い蝉。
鬱陶しい蜘蛛の巣。
蒸した井草の匂い。
そして甘ったるい香水の匂い。
---
手にびっとりと何かに触れたことがわかった。
液体のようだが、微々ながら
粘っこいような気がする。
刹那、陽の光が差してきた。
曇りだったのに、
たった今、一瞬だけ晴れたらしい。
ふと自分の掌を見やった。
…。
すっと差し入る光は
まるで天使の眼差しのよう。
見守られているみたい。
掌には燦然と輝く夏のような赤が
綺麗に綺麗に咲いていた。
°°°°°
梨菜「私たち、よく頑張ってたよね。」
ぱくり。
贅沢に大きくひと口頬張った。
***
しばらくカフェで過ごしても
あの時のおじいさんに会うことは叶わず
そのまま退店した。
そして家に帰る。
食材の買い出しは…いいや。
まだ何かしらが残ってたはず。
そのほとんどが出来合いのものや
カップラーメンだった気はするけれど。
暇だなと思ってテレビをつける。
すると、今日は暖かいですよと
天気予報が流れて出した。
梨菜「確かに暖かかったなあ。」
近くの桜並木もぽつりぽつりと
開花してきてはいるようだった。
けれど、いくらそこへと向かっても
全く何も起こらなかった。
°°°°°
一叶「もしも“れい”に会いたくなったら、春に桜の下でも通るんだよ。」
梨菜「…!」
°°°°°
梨菜「れいちゃんに、かぁ。」
冷蔵庫からお茶を取り出して
赤いマグカップに注ぐ。
マグカップに冷たいお茶は
あんまり似合わないななんて思いながら
ぐいっと一気に飲み干した。
それからソファに寝転がって
Twitterを開いてみる。
ぼうっと情報の海を眺める。
意味もなくスクロールを続けて、
そして意味もなく時間を潰す。
しばらくそうしていると、
不意に通知のマークが光る。
梨菜「いいねか何かされたのかな。」
なんとなく口に出してみながら
そのアイコンを押した。
すると、桜が咲いているという
文字がふと目に入る。
よくよくタイムラインを見ていると、
真帆路ちゃんが「桜が咲いてる」なんて
ツイートをしていたのだった。
どくん、と心臓が跳ねる音がする。
あ、もしかして。
あの日、あの大阪に行った日、
真帆路ちゃんも一緒にいたんだもの。
その真帆路ちゃんが
見たものなら、もしかして。
どくん。
もしかしたら。
もしかしたら、本当にれいちゃんに、
星李に会えるんじゃないの?
寝転がっているのも落ち着かず、
がばっと上半身を起こして
スマホと睨めっこをする。
震える手で文字を打ち、
真帆路ちゃんに慌てて連絡を取った。
梨菜『桜ってどこで咲いてたの?』
お願い、早く。
早く教えて。
そう思っていても、
もちろん10秒やそこらでは返事は来ない。
早く早くと願ったけれど、
返事が来たのはそれから
1時間ほど経った頃のことだった。
***
梨菜「はっ、はっ…っ!」
気がつけば走っていた。
時間なんて流れているのか
止まっているのかすらわからない。
真帆路ちゃんに桜の咲いていた
地名を教えてもらってから
すぐさま家を後にした。
場所は幸いにも神奈川県内。
写真を見るに桜並木のようだし、
なんと言ってもほぼ満開と言っても
過言ではないだろうというくらい
桜が咲いていた。
そこに辿り着くまでは
電車を数回乗り換えなきゃいけない。
それでもそんなの、苦じゃなかった。
また、会えるなら。
半年ほど前、お屋敷で
れいちゃんにあって以降
1回も出会うことはできなかった。
何回かあのトンネルにも行った。
それでもいなかった。
お屋敷すらなかった。
朝顔すら咲いていなかった。
梨菜「ひぅ、ふっ、はっ…っ。」
走って最寄駅まで辿り着く。
すると、幸運なことに
ちょうど到着したばかりの電車があり、
それに飛び乗る。
息切れしながら車内を見回すと
休日の昼間だけあって相当混んでいる。
座れるような場所はなく、
私自身も汗をかいていて気が引けたので、
ドアの近くにそっと肩を寄せた。
吐息が、体が
嫌になるほど暑かった。
電車に揺られる間に
どんどんと熱は冷めていき、
むしろ寒いとすら思うほどにまでなった。
車内ではほぼ暖房は付いていないのか
これ以上どっと
汗をかくことがなくて安心する。
梨菜「…ふぅ。」
ひとつ息を吐いても、
周りの人は誰1人として
こちらを見ることはなかった。
桜、楽しみだな。
それと、少し怖い。
だって、もしこれでだめだったら
本当に希望なんてないかもしれないって
思っちゃうだろうから。
まだまだ3月にすらなっていないというのに、
今日が最後だとすら思った。
何故か確信していたのかもしれない。
今日が最後になるって。
***
真帆路ちゃんに教えてもらった場所の
最寄駅で地に足をつけた。
すると、鼻をくすぐる春の心地。
夕方だけれど、まだ日が高かった。
冬に比べるといつの間にか
随分と日の出る時間が
長くなったように思う。
梨菜「本当、あっという間だなぁ。」
また独り言を呟きながら
1歩を踏み出した。
私、こんなにおしゃべりだったっけなんて
不意に思ったけれど、
これまでは隣に星李も波流ちゃんも
いたことを思い出す。
そりゃあ独り言が多くなって仕方ないだろう。
同じ量を話していても、
聞いてくれる人がいなくなったのだから。
と、と。
僅かな足音を鳴らして近くの
桜並木まで向かう。
どきどきしてる。
まだ遠くに見える花々が、
桃色がどんどんと近づいてくる。
そして、ふと思った時には
頭上には夕陽に照らされた
綺麗な、それはそれは綺麗な
桜並木がそこにはあった。
人がたくさんいる。
みんな、この景色を見に来ているのだろう。
みんな、この桜を。
春を待っていたに違いない。
息が止まる。
自然と、止めていた。
息を呑んで、そして、
数秒してから僅かに息を吐き
浅く息を吸った。
こんなに鮮やかなピンク色の桜、
果たして見たことがあっただろうか。
花びら1枚1枚が
光り輝いているように見えた。
その葉や花の影が人々に落ちる。
同時に春風によって花びらも
数枚ひらひらと落ちていく。
それを、笑って子供が拾っていた。
°°°°°
星李「お姉ちゃん、見て見て!お花キャッチした!」
°°°°°
どうしよう。
どうしよう。
梨菜「お願いします。」
どうか。
…どうか……っ…。
自然のうちに手を組んで、
自然のうちに目を閉じる。
周囲からは人の声がまだするというのに、
危険だからこんなことやめなきゃと
自分でもわかっているというのに。
でも、何故か。
何故かそうしなきゃと思った。
刹那、突如音が全て
止んだような気がした。
気のせいかもしれない。
それでも、なんでもいいから。
梨菜「妹を返してください。」
私、ずっと思ってた。
星李のことが1番だって。
私、思うようになった。
星李がいなきゃ生きていけないなって。
唯一の家族だから。
たった1人の、大切なー。
その瞬間、瞼の奥で
何かが猛烈に光り出したような
明るさを感じ取った。
恐る恐る瞼を開く。
何があるのか、気になって仕方がなかった。
そこに星李がいると信じて、
星李がいると信じたくて仕方なかったから。
すると。
梨菜「…っ!」
桜並木は、ただでさえ鮮やかで
眩しいくらいだったのに、
それ以上に光を纏っていた。
それこそ、本当に1枚1枚が
光源になっているような明るさだった。
辺りは真っ暗になっていて、
空にはいくつもの流れ星が停止していた。
足元も暗くなく、
人々は安心して歩けるくらいだろう。
行燈が置いてあるわけでもないのに、
どこも明るく、寂しくなかった。
まるで人に包まれているような、
このまま眠ってしまいたくなるような。
そんな離れ難い何かがあった。
1歩、進んでみる。
この景色は見たことがないはずなのに、
異常なほどに暖かさを感じた。
それから、懐かしさが滲んでいった。
かつ。
足を踏み出した時だった。
その一瞬でふわっと
夢は弾けてしまったようで
元いた場所に突っ立っているだけだった。
ぱち、と何かが破れるような音すらなく、
唐突に人の話し声や
車の騒音が耳に響いてくる。
梨菜「わわっ…。」
どん、と肩がぶつかる。
後ろから追い越されたようだった。
そりゃあ道の真ん中で突っ立っていたら
邪魔になるか、なんて思いながら、
またそのまんま上を見上げた。
すると、まだ綺麗なままの桜が咲いており、
そのうちのひとつの花と
目があったような気がした。
梨菜「さっきの…。」
なんだったんだろう。
そう思いながら、写真を撮ろうと考えたのか
鞄からスマホを取り出す。
すると、Twitterの通知が目に入った。
写真を撮ろうとしたはずなのに、
意識は最も簡単に逸れて
アプリを開いてしまう。
梨菜「…っ?」
あれ。
おかしい。
普段目にしないものが目に入る。
奇妙なものが混ざり込んでいる。
…いや。
これまでが奇妙だったのだ。
ならばこれはきっと。
梨菜「………元に、戻ってる…?」
Twitterのアカウントが元に戻っていた。
名前も、アイコンも、4月に全てが
変わってしまう前の状態になっている。
梨菜「えっ…?」
とりあえずツイートをしてみる。
けれど、フォロワーは0人になっていて
誰も見ていないだろうと
簡単に予想がつく。
みんなは?
みんなのアカウントは?
そう思っても、確認のしようがなかった。
けれど。
梨菜「…あっ!」
プロフィールの欄に、
波流ちゃんのアカウントの
ユーザー名が載っていた。
そうだ。
そうだった。
私、波流ちゃんに勧められて
Twitter始めたんだっけ。
そのプロフィールからリンクを押すと、
これはまた私と同じように
全てが元に戻っているアカウントがあった。
梨菜「戻って…る。」
波流ちゃんも戻っているということは、
きっと他のみんなも戻っているに違いない。
変化する前のユーザー名も
アカウントの名前も知らないものだから
見つけることはできないけれど、
でも、みんなの学校も学年もわかる。
人によっては家だってわかる。
コンタクトを取る方法は
いくらだってあるのだ。
念の為、この前私が
ツイートしていたようなことを
つらつらと並べてツイートしてみる。
こうしていれば、もしかしたら誰かが
見つけてくれるかもしれない。
この不可解なことが原因で
出会うことになったみんなと、
リアルもネットも関係なく、
関わった人たちとまた会えるようにと願って。
けど、もしかしたら
見つけてもらえないかもなんて
少し諦めながら。
梨菜「すごい、これで。」
これで。
…全てが終わったのだろうか。
…終わった。
終わったんだろうな。
なんだか、とってもあっけない。
けれど、終わりってなんだかんだで
そういうものかもしれない。
そっとスマホを鞄の中にしまった。
改めて周りを見回す。
れいちゃんらしき影はひとつもなく、
日は徐々に暮れていくばかり。
梨菜「………やっぱり、嘘…かな。」
期待しすぎたのかも。
これまで不思議なことが
幾度となく起こったから、
私ももしかしたら、って。
けど、夢は叶うことはなかった。
やっぱりれいちゃんとも
星李とも会えないんだ。
***
しょぼしょぼとしながら
また帰路を辿っていた。
今日だけでなんと3回も
この道を通っている。
学校から帰る時、
カフェから帰る時。
そして、今。
梨菜「何してるんだろう。」
あはは、と渇いた笑いが漏れる。
大切な休みを一体どうしたら
こんな無駄に使えるのだろう。
でも、ある人から見れば
充実した1日かもしれない。
だって、午後からカフェに行って
美味しいプリンを食べ、
気が向いたからと桜並木を
見に行ったといえば聞こえはいいから。
そろそろ足が重たくなってきた頃、
ようやく家の前に辿り着いた。
鍵を取り出して、差し込む。
今日は暖かかったからか、
ドアノブまで温まっているような
そんな錯覚を覚える。
かちり。
鍵を回すと、家の中から何故か
美味しそうな匂いが溢れてきた。
梨菜「…?ただいまー。」
お世話になっている夫婦のうち、
おばさんの方が家に上がっているのだろうか。
でも、鍵は渡していなかった気がする。
2人の家だからとか、
遊びに行く時は連絡するからとか
なんとか言っていたような。
梨菜「…?」
ふと玄関を見ると、
仕舞っていたはずの靴が
いくつか出されたままになっている。
それは、使わなくなったはずのものだった。
だから仕舞っていたというのに。
あれ。
…あれ?
…。
なんだか、おかしいな。
おかしい。
だって。
だって…っ。
星李「あ、お姉ちゃんお帰りー。」
そこには、エプロンをつけたままの星李が
ドアからこちらを覗いていたから。
星李「どうしたの?いつもインターホン鳴らすのに、自分で鍵開けちゃったりして。」
火は止めていたのかな。
わからないけれど、エプロン姿のまま
玄関先まで足を運んでくれた。
星李「…?どうしたの、お姉ちゃん。」
星李はいつの間にか俯いていたらしい
私の顔を覗くように腰を屈めていた。
この声も、この料理の匂いも全部、
全部が懐かしくってたまらない。
星李。
星李、私、辛かった。
星李「えっ、何、泣いてる?」
梨菜「……ぅ…せ……っ…星李ぃ…っ。」
星李「わあ、もう…どうしたの?」
ぼろぼろと、水滴が頬を伝う。
涙が止まらなかった。
私の背を撫でてくれるその手も、
その温もりも全て
愛おしくてたまらない。
星李。
帰ってきてくれて、ありがとう。
梨菜「たぅ……た、だいまぁ…っ。」
星李「うん、うん…お帰りなさい。」
星李は、私が泣き止むまでずっと
理由も聞かずに背を撫でてくれた。
ずっと欲していたものが
そこにはあったんだ。
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