第49話 伝染する覚悟

 僕と八木さんは屋上に繋がる階段の隅で何かあった時のために待機していた。


 ドアの向こう側から三浦の弱弱しい声と、桃谷のもう泣き崩れそうな声が聞こえてくる。胸が締め付けられて、気づかぬうちに奥歯を食いしばっていて……。


 しばらくの無言の後、ドアが開いて桃谷が出てくる。僕と八木さんは向こうから見えなくなっているから気付かれない。


 ドアを閉めるともう誰もいないと思ったのか一気に嗚咽を漏らしてむせび泣く桃谷。何度も目を手のひらで拭い、速足で階段を降りていった。


 僕は直視できずに、床の模様を見ていた。


 上手くいった安堵感と大切なものを失った喪失感が同時に襲ってきてどんな顔をしていいのか分からなかった。八木さんと顔を合わせないように視線を下にやった。


 少し経って三浦が出てくる。


「終わった」


 そう言って三浦は笑い損ねたようで力なく片頬だけ吊り上げる。


「……よく頑張ったな」


 手放しでは喜べない状況。そんな中でも八木さんはどこかほっとした様子が見て取れる……。


 そう声をかけられた三浦の目元に皺が寄って、瞳が一気に潤う。それを隠すように三浦は下を向いてCAREを取り外し、八木に渡す。


「いや……。余計に桃谷を傷つけただけかもしれない……」


 そう言う三浦の声は少し涙声で……。


「そうか……」


 そう言って八木さんは三浦からCAREを預かる。これ以上何も言わなくてもいいと判断したのか、そのまま僕のデータの入力を始める。


 特別な状況だっただけに、三浦にCAREを渡したが、僕はまだ監視中の身でありすぐにCAREをつけないといけないのだ。更に同時にさっきインストールした現実が見えるシステムも抜くことになる。その様子を見ながら思った。また拡張現実に覆われた世界に戻るのだと……。


 沙織が嘘で覆われる世界へ……。また沙織のことを考え出してしまう。そんなことを不意に思ってしまった。


 そんなことを考えている場ではないのに……。


 まだ三浦は苦しみから解放されたわけでもない。でもどうしても頭の隅に引っかかってしまって……。


 そんな僕を傍に八木さんは三浦に言った。


「でも一歩進めたじゃないか……俺よりはすげぇよ」


 そう笑いかける八木さん。


「もう自己満足でしかないです。桃谷のことを考えると多分、機械に適当な嘘をついた方がまだ納得できたと思う。俺の自己満のために余計桃谷を傷つけただけなのかもしれない。桃谷は本当に悪いことをしたよ……」


 三浦は切なげな顔を浮かべ……。そう自分で自分を貶す三浦に僕は心配を覚えた。


 桃谷との話し合いで更に自分を卑下するようになったのかと……。


 そんな考えが僕の目から読み取れたのだろう。三浦は切なさの中に少し笑顔を混ぜたような顔をした。


「でも、言わなきゃいけないことは言えたよ。これも自分勝手だけどさ、お陰で少し覚悟ができたんだよ。俺にも出来るんだって……。それにさ、何よりも少しでも伝えれてよかった。これがなきゃ多分ずっと進めなかった……気がする。本当に自分勝手な話なんだけどさ……」


「そうか……」


 そう言う八木さんの声には深くてこってりとした感情が表れていた。


「それとさ……三浦はもういいや」


 三浦はまるで何気ない会話中かのようにポツリと言った。僕と八木さんは目を見開いて三浦の顔を覗き込む。あっさりと言うには全く不釣り合いで……。


 三浦は切なさが残るものの澄んだ目で笑った。


「気づいたんだ。桃谷ってあれだけいいやつだったんだって。ずっと自分に夢中で気づいてなかった…………。一人で生きていく覚悟ができたんじゃないんだけどさ……。素の俺で……金城として向き合いたいと思ったんだ。それで、好きになってほしい」


「三浦……」


「それで次は俺から言おうと思う。ちゃんと自分の力で……」


 まぁ、どうするかは全く決めてないんだけどさ、と三浦は最後に苦笑しながら付け加えた。


 その一言でその場の緊張感は一気にほどけて。少し羨ましく感じている自分が意外だった。もちろん嬉しさがある。でも……羨ましかった。


 その羨ましさが僕の奥にあるまだ言葉にも落とし込めてないものを焚きつけてくる。『少しでも伝えれて良かった』とさっき三浦が放った言葉が耳から離れない。


…………沙織。


「八木さん、僕のデータあとどれくらいでインストールされますか?」


 押さえつけられなかった。押さえつけたくなかった。


「あと五分くらいだが、どうした?」 


 ちらりと僕の顔を見て八木さんは察したようだ。


「……所詮、上層部が見るのはCAREの位置情報程度だ。俺が言わなきゃバレない」


 そう言って笑った。


「……ありがとうございます」


 僕はそう言って立ち上がった。

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