第36話 幸せ
僕と沙織は学校の創立記念日を利用して京都観光に来ていた。
その道中、沙織に見せたいものがあると案内された清水寺で僕は驚愕の事実を目にした。
「……こ、ここ何処だ…?」
僕はあたりを見渡しながら言う。
さっきまで清水の舞台にいたはずなのに……。
今僕の周りには陽光に照らされ鈍く光る銀色の無機物で覆われていた。足元も、陽光を妨げる屋根も、それを支える柱も、柵も……。
「…………まさか、清水寺か?」
「ピンポン」
沙織は柵に腕を置き、景色を眺めたままそう答えた。
僕はもう一度周りに目をやる。さっきまでの薄黒い茶色の太い木材で組み立てられた、無骨な頼もしさや仰々しさ壮大さを感じさせる寺はそこにはなかった。
全て銀色の素材で寺と思えないようにシンプルに組み立てられている。東京の街並みにある建物と差異はなかった。
「どうして……?」
僕は由緒正しく風情がある造形物を、鈍い銀色の人工物で作られた安っぽい造形物に様変わりさせたことが理解できなかった。
「もちろん、拡張現実が主流になったことが一番の理由だよ。見た目はCAREで好きなように設定できるからね。あとは人間の触覚を騙すことができればそれでいいもん。それに人間は見るものがすべて真実だと思い込むきらいがあるから、多少似た触り心地を作ればそれで充分、人間は騙せちゃうんだよね」
そう言って手すりの表面を撫でる沙織、僕も撫でる。確かに木材の触り心地がする。注意深く手すりを撫でないと無機物としての固さと冷たさに気づけなかった。
「他にも時代の流れがあるよ」
沙織の説明によると四十年ほど前、安く、軽く、丈夫で、加工しやすさを兼ね備えた材質を人間が開発したそうだ。
そこから木造建築が一気に廃れ、木を伐採する企業が軒並みに倒産したらしい。それに伴って木材の価格が高騰した。そのため寺の修繕に木材を使うのが厳しくなったそうだ。
元から木材は耐久面に問題があったらしく、その材質に変わるのは自然な流れだったらしい。そんな中、ある企業が触り心地が木に近くなるという塗料を開発し、一気に取り替わったらしい。
「それってさ……他の木造建築物も同じ感じなのか…?」
沙織は何も言わずうなずいた。
つまりついさっきまで見てきた京都の街並みも……。
その事実は僕の中にある感情が芽生えさせた。
それはよく分からない感情だった。
悲しいようで、悔しいようで、でもどうでもいいような気がして、怒りがこみ上げてくるような気がしたがすぐにしぼんで、残ったものは結局、虚しさだけだった。
僕は手すりにひじを置き、体重を預ける。
「寺って人工物の材質で作っていいものなのか? 自然の物の木材じゃないとダメなのかと思ってた」
「木造じゃなきゃダメってことじゃないよ。一番大事なのは人の敬う心。寺はその気持ちを集まる場所だから」
諭すように言う沙織。だが、僕は未だ心にストンと落ちるところがなく、どこにも落とし込めることのできないモヤモヤとしたものを胸に抱えていた。
あまりにも理路整然としているせいで余計にモヤモヤするのだ。
まだ少し違和感のある理由のほうがまだ納得できる気がする。だが、あまりにも合理的過ぎて、その合理性を寺に適用するのがなんだか妙な気分になった。
「まぁ、分かってても変な感じだよね」
僕の気持ちに気付いたのか沙織がそうフォローしてくれる。
そのまま僕らはただ景色を眺め続けていた。景色は建物が鈍く光る銀色で簡素的な建物になっている以外はほとんど変わっていない。
その中で沙織はカメラを構える。ニ十分ほどカメラを構えて、そしてシャッターを切った。
「さっき言ってた見せたいものまでもうちょっとだから、ちょっとついてきて」
カメラをカバンに直すと、沙織がそう言って僕の手を引いた。てっきりこの変わり果てた清水寺のことかと思っていた僕は驚く。
僕たちはそのまま本殿を止まることなく進んでいき、下り坂を進んで、休憩所を抜け、さっきまでいた清水の舞台の下にたどり着いた。
下から見ると東京の街のビル達と何ら変わりなかった。ビルの小型バージョンといえばいいか、清水の舞台はそのビルの屋上という表現がぴたりと当てはまる。
「私の見てほしいものはこれ」
そう言って機器のスイッチをオフにする。フイッと目の前の景色が変わり、拡張現実の世界に戻る。目の前には複雑に木材が入り組まれた建造物が現れた。
「この技術ってすごいと思わない?」
すごいと思う。相当精密な計算のもと建てられているのだろうと素人目でも分かる。だからこそ……。
「すごいけどさ、これも嘘だ。本当の姿はそこら辺の街にあるビルと何ら変わりない」
余計、失望感が募る。沙織はもう一度スイッチをオンにする。
小型のビルが目の前に現れる。
「さっき言った話の続きになるんだけど、材質を作ることがメインになって建築技術が衰退していったんだ。これには相当な技術力がいる。だけどそれができる業者が立て続けに倒産していってそれも理由でこう言った形になるほかなかったんだ」
沙織が口惜しそうに言う。
「……CAREによって今まであった技術が消されて行ってるんだな」
もちろん昔あった技術は新たな技術で必要なくなるのかもしれない。だけど、拡張現実によって消されていくのは何か違う気がする。
「……そうだね。同感だよ。今の世界って新しいものを生み出そうとしすぎなんだよ。振り返ってみたら驚かされる技術や発見がある。素晴らしい先人たちの足跡がある。今の世界はそれすら拡張現実で覆ってる」
沙織は小さい声で「もう新しいものを作り出そうのするのはこりごり」といった。
「修一をここに連れてきたのは私の夢を言おうと思って……」
沙織は清水の舞台をにらみつけ、
「私はCAREの台頭によって薄れていく、薄れていった技術を存続させたい、復活させたい。そして、その技術を世の中に知らしめるの。これだけ素晴らしい技術が昔にはあったんだよって。それが私の夢」
舞台を見上げながら言う沙織の目には強い決意のようなものが浮かんでいる。夢を語る人の顔がこれまでに希望に満ち溢れていて眩しくて、羨ましく感じることを初めて知った。
「沙織は凄いな……」
気づくとそう呟いてた。
不意に沙織がこちらに振り向く。真っすぐ僕の目を見つめ口を開いた。
「修一は夢があるの?」
「………………」
僕は無言で首を横に振った。
夢なんて考えたことがない。
それ以前に未来のことを考えることがほとんどなかった。僕が見ているものは今かほんの数日先のことまでで、それもほとんどが拡張現実に対する不満ばかりで……。どうせ、未来のことを考えても余計苦しむだけだから考えたこともなかった。
「こんな世界に夢なんて見つけられない?」
そんな僕の心を読んだように沙織が尋ねてくる。
「うん。そうだね」
僕は素直に答えた。
すると、僕ら二人の間に少しの間、無言の時間があって、その後、沙織はぽつりと言った。
「だからこそ余計に探さない?」
「うん?」
「夢っていう大層なものじゃなくてもいい。将来したいこととか幸せとかさ……。見つかりにくいって分かってるんなら、諦めるんじゃなくて、余計に探さない? 結局生きていくんだから、あった方が楽しいでしょ」
「だから……僕には……」
「わかるよ。修一に夢とか幸せとかさ見つかりにくいって。それを諦める理由にするんじゃなくてさ、余計に探す理由にしない? 気持ち的にもそっちの方が楽しくない?」
ポツリと沙織は言った。
「気持ちは分かるよ。辛ければ辛いほど自分の夢とか幸せとか後回しにしようとするのは……」
沙織は目の前に佇む清水の舞台よりももっと遠くの方を見る目で、
「多分、そういう面では修一は運が悪いんだと思う。でもさ、結局生きていくんだからさ……。諦めるより、探そうとする方が気持ち的にも楽じゃない。それに、幸せもやりたいこともないよりはあったほうがいいじゃん」
ここで沙織はすうっと息を吸って、
「だからさ、余計にやりたいこととか幸せとかさ……。探さない?」
どこか沙織は言いにくそうに話す。なんだか、後ろめたい様子で。どうしてだろう。
「……なんだか深いな」
僕はそう答える。僕は心の奥まで響くほどではなかったが、理屈は納得出来るのでそう答えた。
「まぁ、誰も助けてくれないし。誰も自分を助けられないし。自分がやるしかないんだよ」
そう言って、沙織はどこかぎこちなく笑いかける。
「そうかな? 僕は沙織のお陰で……」
「私はきっかけに過ぎないよ……」
そう意味ありげに僕の言葉の途中に割り込んできた沙織。その表情はどこか悲しそうに、諦めたように顔を歪んでいた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「お~い、急に止まってどうしたの?」
桃谷が僕の目の前で手を振っている。慌てて僕はそれに答える。
「ごめんっ、ぼぉっとしてた」
「なにぃ~、沙織ちゃんとの思い出にでも浸ってたのぉ〜?」
完璧に当てられ、恥ずかしさが込み上がる。すると、それを察した桃谷が高らかに笑う。
僕は恥ずかし紛れにすぐに口を開いた。
「……思い出したよ。沙織は前を向いてる。嫌なことを嫌なことで終わらさないんだ。絶対に一度は向き合おうとする」
そうだよな……。
僕と本当は話したくなかったはずだ。僕が強い反発心を示すことは分かっていたはずだ。それを自分に向けられる可能性も。それでも沙織は向き合おうとしてくれた。
それがどれだけ難しいか今身に染みて感じている。
それに今だったら分かる。夢を聞いてきたとき、沙織は僕に気付かせようとしていたんだろう。そのまま進んでも何もない。未来をもっと見ないとって……。
他にも、以前から向き合おうとしてくれたのだろう。
僕が気付いていないだけで……。
「それに、ものすごく優しいな……」
そう言い切ると、桃谷は笑みを強くした。
「どうしたの……?」
「えっ、いや。修一に何があったか分からないけどさ、沙織ちゃんのこと好きでしょ。多分だけど。聞いてた感じそうだよ」
僕は目を丸めた。驚くほどその言葉がすんなりと頭に入ってきたのだ。
「……ありがとう」
気付くとその言葉が口から出ていた。
「力になれたなら良かったよ」
桃谷が笑みを強くした。
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