第29話 沙織の心中
修一の気持ちの上澄み部分くらいは理解できた。何しろ自分のことに置き換えれるほど、当時の記憶を鮮明に覚えてなかったからだ。
だから、俺は追いかけようとしなかった。ただ、あいつに尋ねた。もう会えなくなるかもしれないぞと。それで逃げたのならもう戻そうとしても結局同じようなことになると思った。
修一がいなくなった場は異様なほど冷えた空気に支配されていて……。
「沙織ちゃん……」
佐伯が堪らず沙織に声をかけた。
「いや、上手くいくとは思ってなかったんで大丈夫です。それに私が悪いですから……」
そう言って笑顔を浮かべる沙織の顔は無理に作っていることが分かりやすく表れていて、胸を抉られる思いになる。かと言ってどう声をかけていいか分からない。
体全体の皮膚の裏からチクチクと刺されるようなじれったさを覚える。
「沙織ちゃんがそこまで気に病む必要はないと思うよ」
佐伯はなんとか元気づけようとするも、沙織は顔を変えずに、首を振るだけ。
それどころか、俺の方を向いて、
「すいません。修一をお願いします」
と殊勝な態度で頭を下げる。まだ若い子がそう頭を下げる姿には喉の奥がむず痒くなるようなもどかしさがあって、何とかしたいと強く思わさせられた。同時に気になった。
「そこまで引け目に感じる必要あるか?」
言った後すぐに言葉足らずだと気付いた俺は慌てて付け加える。
「いや、俺もそこまで気に病むことはないと思ってるんだ。どちらかと言うと傍から見ると修一も十分理由があるというか……」
沙織は少し間を開けて……
「……いえ……。私の不用意が原因だからです。少し考えていればやめるべきだと分かるのに……。私は拡張現実を抜け出すのがどこか当たり前のように感じていて。捕まるわけないと思っていて……話すきっかけが欲しくて……」
沙織は手をぎゅっと強く握った。
「修一の現実へののめり込み方はおかしくて……。そんなのでこれから生きていけないって心配になって……この拡張現実が当たり前の世界で現実世界を生きがいにしてしまったんです……」
その沙織の悲痛な顔を見て、俺はやるせない気持ちになった。聞いてもないのに、自ら沙織は話し始めて……。
おそらくそう言って自分を攻めてないと、自分の心を守れないんだろう。
気づくと俺はガラにもなく熱く語っていた。
「でもどの道、修一はCAREのシステムに漠然とした不満を持ってたことも確かだ。修一のそういう考え方があったからこそ、生きがいになったんだ。余り全てを自分の責任にしすぎるな」
ついつい偉そうに話してしまった。当の俺は修一に何もしてやれてないくせに。あまりにも森沙織が不憫に感じてしまった。なんとか、少しでも心を和らげたい。
森沙織の浮かべる顔にはまだ柔らかさは増えたが、まだ深く影が残っていて、首を横に振る。その姿は胸に来る。
「現実世界にのめり込ませたきっかけも、よりのめり込まさせた理由も私なんです。すぐに修一を止めればよかった、自分の意見を言えばよかった。でも自分のことを一番に考えて合わせてしまったんです。そうじゃないと修一が離れていくと思って……」
顔一面が悲しさで覆われながらも笑う森沙織。そんな沙織の顔を見ながら無力感を募らせる。俺は修一にも沙織にもなにも出来てない、何も声をかけられない自分に苛立ちすら覚え始めていて……。
「何より私許せなかったことがあったんです」
沙織は悔し気に唇をかんで、
「警察に連れていかれて修一が捕まったって聞いて、しばらく修一と会うことを禁止されて……。私、ほっとしたんです。これで私が何も言わなくても、警察が捕まえてくれて修一を現実世界から遠ざけることができるって……。私が引き込んだのに、私がのめり込ませて……。私が何とかしないといけないのに……。その癖に……他人に任せて安心してた」
ここで沙織は少しの間、言葉に詰まった。
「俯瞰して自分を見た時、悔しくて……。私なんて最低なんだろうって腹が立って」
沙織は目を赤くして体が小刻みに震えていた。
まだ若いこんな子がこんな萎れた顔で自分を責め続けている。まだ純粋な瞳にうっすら涙を浮かべる姿は、濁った大人の瞳には応えた。
でも、一番重要なかけるべき言葉が見つからなかった。
「だからです。向き合わないといけない当然のことなんですよ。私が引き込んだんです。その責任から逃げたら駄目で……。それに私自身の贖罪の意味を含めて……。上手くいくなんて思ってなかったです。でも、これをしないと私が苦しくて……」
一気に自分の気持ちを押し出すように沙織は話して、
「結局私のためにまた修一を傷つけて……。最低ですね私……」
少し後にポツリと言った。その時の沙織の表情が俺の心のある部分を一気に焚きつけて、
「そ、それでも!」
しんみりしていた空気だったのに、場違いに声を張り上げた。当然、沙織と佐伯は目を見開いた。すぐに俺は気持ちを落ち着けて普段通りを意識して口を開いた。
「あいつは今、全部から目を背けて逃げてる状況だ。目を向ける機会を作ってくれてあいつにとってもいいと思う」
「そうですか……」
これが正しい言葉だったのか分からない。でも、そう言った後、森沙織はずっときつく結んでいた唇を少し緩めた。
その後少しの時間、佐伯と沙織だけで喋っていて、沙織も気分が落ち着いてきたのだろう。
「あの…いろいろすいません。急に来ただけでなく色々話を聞いてもらって」
沙織は席から立ちあがりぺこりと頭を下げた。それに倣って佐伯も頭を下げた。
「いやいや、気にしないでくれ」
俺は慌ててそう答える。
「ご迷惑をおかけし申し訳ありません」
そう言って、頭を下げ、部屋を出ていこうとしたときに、
「私に手伝えることがあるなら何でも手伝います。修一をよろしくお願いします」
そう深く頭を下げて沙織は出て行った。
その言葉は今まで修一に踏み込み切れてなかった自分に最も効く言葉だった。
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