君が夢だというなら

Rn-Dr

第1話 君が夢だというなら 前編


 初めて彼女ができた。

 それが中学二年生の時。


 きっかけは職業訓練実習で、同じ花屋にいったからだった。

 正直、僕は花がめちゃめちゃ好きって訳ではなくて、ただ花屋なら楽なんじゃないかと思ったから。


 だけど彼女は花が好きで、見ているだけでもいいけれどせっかくならそれを人生の中に取り込んでいきたいと、花を見ながら微笑み彼女に僕の心が動いてしまった。


 彼女はどちらかと言えば人見知りで、訓練実習も花の取り扱いを覚えるというよりは知らない人と話すことに注力していた。


「こ、こちらの花は秋までに数回に分けて咲くんですっ」

「へぇ……、今は蕾みたいだけど、何色の花なのかしら?」

「白だったと思いますっ」


 何とも抽象的な接客だ。

 たぶん、目の前にいるお客さんは色だけ聞いてはいるけど、栽培方法や手入れなども気になるはずだと思う。

 それに彼女がお客さんに進めている花は……そうそう、月下美人だ。


 僕はスマホで検索しながら、彼女の花について調べてみる。


 なになに、匂いが強く、その匂いだけで開花が分かるほど……と。

 それに夜にだけ咲くから月下美人と言う名前なのか。


 ……っと、それはアパートと科で室内での栽培には適していないのでは?

 僕は花について分からないけど。分からないけど、そんな必死な彼女の横顔から目が離せなかったんだ。


 そんな彼女だから、告白したときには鼻を渡した。

 もちろん、その時にお客さんに進めていた月下美人。

 この花が一年に三回程度しか開花しないことを知った時の僕の動揺は計り知れなかったけれども。


 だって僕はこの花が咲いたとき、その花をもって告白しに行こうと決めてしまったのだから。


 ただそれだけの心労のかいあって、彼女は照れながらにも首を縦に振ってくれた。

 月下美人、お前の仕事は完了だ。立派に職務を全うしたことは誉めて遣わそう。


 彼女と花屋で知り合ってから半年後に告白し、そして初めてのデート。

 それは付き合ってから一年後だった。


 だって同じ学校で、隣のクラス。

 デートと言うよりも帰り道を一緒に帰るくらいで、お小遣いも潤沢にない僕たち中学生がそう簡単にデートなんて出来るはずないじゃないか。

 それにデートがしたいなんて、そんなことよりもすれ違う度に見せてくれる照れ隠しの笑顔。一緒に隣り合って座る昼休憩。今日一日の些細なことを報告しあう帰り道。


 それだけで、それさえあれば僕は幸せだったから。


 だけど周りがそれを許さないのも一つある。


「はっ? お前たちまだキスもしてねーの?」

「いや、キスなんてまだ早いだろ? したくない訳じゃないけど………」

「だってよ、あいつなんかもう進むとこまで進んでるらしいぜ?」

「………まじ?」

「まじまじ、最近自慢話ばっかりでイラつくったらありゃしない」


 そういうと、隣の席に座る友人が教室の対角線上にいる男を見ながら僕へと言う。


 そうだ。僕だってそういう話に興味はある。

 ───が、しかし。

 僕はむっつりなのかもしれない。彼女とそういうことになったと想像して、その想像の中ですら冷静でいられるはずもない。

 それを周りの友人に言うことはおろか、彼女に「キス、してもいい?」なんて、そんなドラマみたいなセリフを言える気がしない。


「そうなんだ………」

「だからお前もさ、デートでもしていい雰囲気になったらキスの一つもしちゃえよ」


 だから僕がそういう決意を決めるのにかかった月日が一年。そういうわけだ。


 初めてのデート。

 場所は迷いに迷って、僕は夏のある日を選んだ。


 それは学生の僕からしたらとても遠い場所で、バスと電車を乗り継がなければ辿り着けない場所にある。

 もし、彼女をデートに誘って遠いことを理由に断られたら?

 そんなことは織り込み済みで、僕は事前に両親の手伝いを普段の3倍を達成し、その代わりにとお小遣いをいつもより多めに貰った。二人分の交通費などなんのその。


 確認であるけど、僕の初デートの目標は初めてのキスだ。

 つまり雰囲気が大事なそのシチュエーションを狙うなら、夜であり、ライトアップであり、そして花火。

 夏満載のそのイベントを唯一行う場所が、家から遠く、電車とバスを乗り継がなければいけない場所にあるフラワーパークだった。


 デート当日。

 朝から緊張と吐き気とおなかの痛みを感じながら、僕は出会うコンビニすべてのトイレと挨拶し、辿り着いた待ち合わせ場所。


「えっと……っ、その、に、似合うかな?」


 そうだ。僕は学校指定の制服かジャージ。それしか知らなかったのだ。

 だから待ち合わせ場所に来ている彼女に気付くのが遅れたし、そのせいで彼女は今着ている私服に対して質問を投げかけているのだろう。

 僕はそう考えた。


 けれど、すぐには言葉は吐き出せない。

 だって、それは、反則だと。僕の心が叫んでいたから。


 いや、僕はただ、初めて言葉が詰まるという感覚を体験して、目の前の花に、僕は愛でる以外の対応が思いつかなかっただけだ。


 そのせいで、移動している間、彼女の落ち込む姿を何とかしようと必死だったのは、今でも本当に申し訳なく思っている。僕が今ほど口が回るのであれば、「君と出会えた幸運に感謝を」なんてセリフだって言えたかもしれない。

 いや、ごめん。たぶん言えない気がする。


 そうして僕らは初めてのデートを始めた。

 フラワーパークと言うだけあって、四季折々の花が今まさにと咲き誇っている。正直、僕が彼女を元気づけるよりも早く、そして確実に。花を見た彼女はいい笑顔をした。

 ちょっと嫉妬してしまう。


 それでも、彼女の笑顔を花という背景の中で映る彼女を。

 僕はずっと見ていたいと思った。


「ねぇ、初めて出会ったときのこと覚えてる?」

「うん。月下美人」


 僕の言葉に、はにかむ彼女がまぶしい。できることならすぐにでも彼女の手を握りしめたい。少しでも、今よりも、彼女を近くに感じていたい。


 だがそれは、あともう少し。

 夕方を過ぎ、ライトアップが始まると開始まで1時間の合図。

 そして、時間が来れば。


 ───ドーーーーーーッン!!


 大きな音と、耳をつんざくような爆発音。

 それを、僕はパーク内の一番端で、彼女と見上げている。


 花火会場から離れていく僕を、不思議な目で見てきた彼女だけど、その理由が「キスがしたいから」なんて言えない。


 フラワーパークが広いのか狭いのか。ただ打ち上げ場所が近いせいで、どんな花火大会よりも音と光がすごい。こんなに近くにいても、彼女に僕の言葉は聞こえないし、花火の明暗のせいで、若干眼もチカチカする。


 だからだろう。僕の勇気全部を振り絞って延ばした手に、彼女は俯きながらも手を伸ばしてくれた。

 だから僕は、そのまま彼女の手を一度、そして二度ぎゅっと強く握りしめると、彼女は顔を上げた。

 そして視線が合う。

 彼女は首を傾けた。

 だから、僕はそのまま、唇を彼女の唇へと押し付ける。


 息を止めたまま、数秒。


 僕は離れると、自分の口に指を運んでいた。

 初めてのキスは柔らかくて、暖かくて、お昼に食べた焼きそばの味がした。


 それがきっかけだったのか。

 僕と彼女の下校時の習慣が増えた。

 自然に、導かれるようにしてつながる彼女の体温は、いつも暖かくて、僕を包んでくれる。


 僕は学んだんだ。確かに思春期だし男の子だし。けれどそれは本質じゃないって。

 繋いだ手が体温を共有して、触れ合った唇からは彼女の息遣いを感じて。確かにその先の事を考えてしまうと恥ずかしいけど、けれど、それらは心を温める儀式みたいなものだ。

 だからこんなにも嬉しく楽しくて、そして幸せなんだ。

 僕はこの時、おはようのキスの意味を知ったのだ。


 とはいえ、だ。

 僕たちはこの時、中学三年生。


 ひとしきり味わった幸福とは別に、僕たちに待ち受けているイベント。

 それは進学だろう。


 僕は地元の公立高校。

 彼女は地元の私立高校。

 更に言えば、学校があるのは僕たちの中学からは正反対の方向にある。


 なんとも、なんとも悲劇か。


「働きたい花屋さんがそっちの方なの………」


 どこか寂しそうに聞こえた彼女の声に、僕は頷く以外どんな行動をとればよかっただろうか?


 彼女の夢は花屋さんで、花と一緒に暮らして、花と一緒に生きること。


 突然ではあるけれど、僕の両親がよく言う口癖がある。


『仕事ってのは、生き方だ。どんな道に進んで、どんなことに打ち込むのか。目の前に置かれた仕事に適当に対応するのか、一生懸命対応するのか。待遇に文句を言うのか、経験を宝にするのか。お前はその時、何を選ぶ?』


 小学生高学年上がったころに始まって、今でも聞かされる言葉だ。

 僕は今もまだ実感できないけど、花屋は彼女の夢で、そして生き方なら、僕は彼女を応援したいし、その生活の一部になりたい。それが僕の夢で、そして生き方だ。


 だけど僕の両親は公立高校以外を認めてくれなかった。

 彼女の隣にいて、その中で選択できる仕事をこなし、そして彼女のぇ画を見ていたいという僕の生き方は、簡単にお金に覆されたのだ。


 だがしかし、母と父が僕を産む1年前に愛し合い、そして僕を授かったという驚異のタイミング。

 つまり、僕の両親が愛しあった前後半年。その間に愛し合った家族の子供たちがこうして同級生として集まっているのだ。何とも運命的な出会いだろうか。

 そして、その運命的な出会いの中で、僕はさらに運命と出会った。


 これ以上の事を家族に望むのは失礼なことだ。


 そして進学した僕たちは、下校が一人になった。


 僕はもちろん、彼女の花屋に通うため、昼は学業、夕方から時には夜までアルバイト生活。

 電車の定期兼では彼女の元へとたどり着けないのだ。


 ある程度の将来設計もかねて、貯金はするけれども、それ以外は彼女と一緒にいる為に使いたい。そう思っていた。


「ここって月下美人おいてないの?」

「たまに置かせてもらってる……けど、大体2~3カ月に一株くらいかな?」

「そうなんだ……。じゃあ今日はお勧めの一輪をお願いします」

「ふふふ、すぐに準備するね」


 流石に来るたびに一株とか買うと、僕の家はアマゾンと化してしまう。

 だから一輪。彼女のおすすめと言う響きがいい。僕の為に選んでくれる花もあれば、彼女の好きな花もある。そんな些細なことが、高校時代の僕にとって一番幸せな時間だっただろう。


 だが時に、僕を不幸にする出来事もあったりなかったり。


「へぇ~こんなとこでバイトしてんだ?」

「う、うん」

「結構いい香りするんだな?」

「う、うん。これなんか男性にも人気だよ?」


 何回目か、数えるのも億劫になった日。

 彼女の働く店ある道路の反対側。僕はその光景を目にした。


 僕の彼女と話す男性は見慣れない学生服で、傍目に見えてもイケメンである。


「あれ? 君……同じクラスの?」

「はい。ここでアルバイトしてます」


 僕の初めての嫉妬だったのだろう。

 僕はこの日、花屋を前に、たたらを踏んだ。


 さてさて、もちろん彼女が笑ってくれる時間が多い方がいい。

 そして 彼女の好きなものを誰かが褒めてくれるのもいい。


 では何が嫌で僕はこんなにもむしゃくしゃしてしまったのだろうか。


 独占欲……なのだろうか。

 どこかで僕は、彼女が僕の物だと、そう考えていたのだろうか?

 そう思うと、情けなくなる。


 僕と彼女の絆は、僕のどこにあるのだろうか。

 僕と彼女の気持ちは、どこでつながているのだろうか。


 思えば中学時代、おとなしかった彼女が同性の友人といるところ以外見たことがない。だから僕は気付かなかったのだ。

 僕の醜い気持ちに。


 高校入学から初めてのデート。

 今度はアルバイトだ。家の手伝いではないので、それなりの金額をもらっている。


 けど、僕がデートに選んだのはまたもフラワーパーク。


 醜い自分に気付いたこの頃、更に気付いたことがある。

 それは彼女の事を知らないということだ。

 もう約二年も付き合っているのに、僕が彼女について知っているのは───。


 花が好き、彼氏は僕。夢は花屋。


 くらいなモノだった。

 好きな食べ物は? 嫌いな食べ物は?

 普段は何をしている? 彼女に兄弟は?


 またまた思えば、彼女とは下校ばかりが一緒で、その日あった友人たちの話や花の話。そしてその日の最後には唇を重ねる。


 僕はもっと彼女の事を知らなければいけないのだろうか?

 いや、そもそも、彼女の事を一番知っているのは彼女の家族だろう。

 僕が一番知っていたら、それはそれでおかしくないだろうか?


 そんな考えのもと、またまた気付いたことがある。

 そう、彼女……と言うより、人は人に見せたいものだけ見せて過ごしているのだ。

 考えれば当たり前のことで、だけど僕はそれに気づいたのが高校一年生の夏とな。


 だから僕は彼女が見せたい彼女になれる場所。

 そう、フラワーパークだ。


 不安でいても、嫉妬しても、何も知らなくても、僕は彼女を愛している。ああ、愛しているんだ。


 ただ僕たちも高校生。

 これからは少しだけわがままを増やそうと、僕は彼女の手を握ってフラワーパークへと入っていった。

 もちろん、その日の帰りには久しぶりの唇を重ねて、照れて頬を赤くしている彼女に、僕は自分を抑えるので手一杯だった。


 高校生活、バイト生活。

 そのどれもが、新しい世界となって僕の周りを彩っていた。


 新しい友人、新しい知識、そんな新しい環境の中で、やはり皆が中学時代よりも色恋沙汰にざわめき、そして話もどんどんアダルトになっていく。

 中には、不良染みた同級生もいて………本当に怖いけれども。


 そして学校の行事も中学とは規模が違ったりもするものだ。


 修学旅行。

 高校生にとって一番のイベント言っても過言ではないだろう。


「なぁ、女子部屋に行こうぜ?」

「ぼ、ぼくは遠慮しておくよ」


 誰が行くものか。


 修学旅行当日。

 新幹線で向かったのは京都のにある山。

 本来であれば北海道や沖縄から生徒たちの投票で場所を決めるらしいのだけど、少し前にあった運動部のタバコ事件をきっかけに、修学旅行ならぬ修業旅行となってしまったのだ。だから向かう先にあるのは寺で、一日目は座禅を中心に。二日目は他企業を中心に。三日目はお経を読み上げるのを中心と、自由時間もほぼない日々が待っている。

 一体僕たちが何をしたというのだろうか?

 ちなみに、もちろんだが男女別行動だ。他の男子たちの嘆きは僕の比じゃないのでそっと距離を保つことにした。


 そして彼女はというと、ハワイだそうです。

 これが公立高校と私立高校の違いとは。金額の違いしか知らなかった自分が恥ずかしい。


 そんな修行の様な修学旅行。

 なぜみんな木刀を買うのか、それだけが疑問だったけど、無事に終わった。

 ただただ、僕にとっての修学旅行が問題だったのは座禅でも滝行やお経を読み上げることでも無くて……。


「いらっしゃいませ」


 慣れてきた接客業。お客さんに頭を下げる姿は流暢りゅうちょうに見える。


「へぇ~、ほんとに花屋でバイトしてんだ」


 そして、彼女を取り囲むように立つ、彼女と同じデザインの制服姿の男子たち。前回も似たような光景を見て、僕は学んだんだ。………学んだよな?


 と、相も変わらず疑問を抱く僕。

 考えてみれば、結構単純なことに気付いた。


 前回は花を見に来て偶然出会ったという感じだった気がする。

 だけど今回は聞こえてくる声を参考に考えれば、今僕の彼女を囲んでいる男子生徒達は花が目的じゃなくて彼女が目的だ。

 彼女が話してくれるまで聞くことはできないけど、おそらくは修学旅行で普段会話しないような人たちとも話をしたことが目の前のことにつながっているのだろうけれども。


 相も変わらず、僕は信号機を挟んでそれを眺める……だけで終わりにしていいものか。


 僕はお土産に買ってきた八つ橋を入れた袋を握りしめて、僕は決める。

 彼女がどんな時でも僕を選んでくれるように、僕から離れないように、僕自身が成長し、彼女の求める姿になることを………って、僕は似たようなことを昔、思ったこともある気がする。

 だけど中学生から高校生になって、身長が一気に伸びた人や高校デビューを果たした人など。何より中学生ではできなかった経験や知識が目まぐるしく人を変えていく時期。


 そうなると、一体何を僕は成長させていけばいいのだろうか?


 僕は家に帰ってA4の紙を広げてペンを持つ。

 考え出すと思いつくもので、僕はペンを軽快に動かす。


【彼女を想い、行動に移すこと】


 髪の中央に大きく書いたそれを見ながら、僕は頷く。


 中学生の時、僕にお金があった訳ではない。イケメンだなんてことは………今後もない。ではなんで彼女の心を射止めることができたのか。そう考えると思いつくのはたった一つくらいだ。

 彼女を思って育てた月下美人くらいなモノだ。


 そんな未来に思いを馳せていると、どんどんと路線はズレることもあって将来───結婚してからの事なんかも考えちゃったりする。


 結婚はスタート。

 だとすれば、最終目標は彼女と死ぬまで一緒に過ごせること……ってちょっと重い目標な気がしてしまうけど。


 ふと、ひいじいちゃんが死んだときのことを思い出した。

 僕の両親はその家族とも仲が良かった。だから亡くなった時、父も母も泣いていたのを知っている。僕の両親が結婚するとき、してからもいろいろと心を砕いてくれたらしく、その感謝は涙となってひいじいちゃんに届くことになった訳だ。


 僕のわがままとして言えば、彼女の涙は見たくない。つまり彼女よりも長生きをしなくてはいけない。


 つまり僕は健康に気にしながら、彼女の為にできることをその時々でピックアップして行動に移していくことだろう。


 中学生から高校生と環境が変わったことで、日々気付くことやダメな自分に嫌気がさすばかりだけど、それは今になっても変わらない。


 見せたい自分、大切にし行動すること。

 これが僕が中学高校と学んだ出来事だ。


 他にもさまざまにいろいろとあったが、目下としてガンバならなければいけないこと。それは就活だ。

 さきに言うと、彼女も就職だ。


 もちろん将来の為に大学や専門学校に行くことも考えたけど、どうにも僕は彼女以外のことがどうでもいいらしい。身が入らないのだ。

 だから就職しながら最低限に他の職でも腐らない業種。


「えー、なんで営業を希望したのかな?」


 営業にした。


「一番の理由は様々な人や店というつながりの中で自分ができる提案を模索したいと考えたからです」


 そんな誰もが言いそうな言葉を並べ(嘘)、そして採用となった。

 本音を言ってしまえば、彼女が花屋を自分で始められたとき、営業の知識が役に立つのではと考えたからだけど、そんなことを面接で言ったらほんとギャンブルになりそうな気がしたからだ。日本人は無難を選ぶ。これ、ほんと最強。


 そして彼女はと言うと、アルバイトで働いていた花屋さんの紹介で契約社員で一年は花問屋。その後は新しく花屋を紹介してくれる流れとなっているらしい。

 今更だけど、普段はおとなしく照れ屋な彼女で、出会ったときなんかは人と話すだけでもおどおどとしていた彼女。それが気付けば花屋の店主に相談して自分で道を開いていくほど、彼女は成長しているのだ。僕もうかうかしていられない。


 車を買った。

 これは両親からの就職祝いとしてだ。

 僕は車に詳しくないから4WDの車とだけ伝えておいたのだが、それなりに大きな車を購入してくれたようで、頭が上がらない。大切に乗らなければ。


 そして就職の間までに、僕は運転の練習だ。

 営業となれば車を使うことも多くなるだろうし、彼女を乗せるためにも余裕は身につけたい。

 つまり、就職までにデートをしたい一心で……とは、車を買ってくれた両親にも言えなかったけど。


 就職すれば、変化する日々が待っている……という建前で、久しぶりのデートに漕ぎ着けた僕は、卒業後から就職までの短い時間を使って旅行へと行くことにした。


 彼女と話していて、天然のサンカヨウが見れれば……という話があったけれど、流石に開花時期はずらせないので、今回の旅行場所は静岡に。


 初めて訪れた静岡県の感想は山と海がめちゃめちゃ近い。そして自然がいっぱい。ちょっと走れば漁港、そして富士山。なかなかにゆっくりできそうだ。


 旅館に辿り着いてすぐ、荷物を預けた僕たちが向かったのはもちろん桜のある場所。一応は自分たちで調べてはいたものの、地元の方に聞くといいのでは? と思い訪ねてみれば、やはりあった。


 観光客目当ての場所ではなく、桜の木自体は少ないけれどしっかりと整備されていてゆっくりできるとのこと。


 カーナビで目的地を設定、隣に乗せた彼女は頬が緩んでいる。僕はにやけている。何せ今日の為に彼女が作った弁当を持っている。桜を見ながら彼女のお弁当……。なんと幸せな日だろうか。


 辿り着いた場所は、効いたとおりに桜の木が少ないように思えた。ただ地元の方が掃除などをしてるのだろう。近くにある複数のベンチや桜たちを囲む花壇は綺麗に手入れされているのが一目で分かる。


 ベンチに座り、桜を眺めて弁当の蓋を開ける。

 花を描いたような巻きずしに始まり、菜の花や桜色のシュウマイなどなど。実に彼女らしいと頬がにやけ顔が戻らなくなりそうだ。


 美味しくいただいた弁当に感謝を込めながら片付けていると、ふと彼女の手と僕の手が触れた。

 デートのように意識して触れたのならよかったのだけど、不意だったせいだろうか、触れた手とぶつかった視線がそのまま。


 慌てて体を戻して数秒、僕と彼女の間にあった弁当箱が無くなったから……だと思う。いつもより、距離が近く思える。いや、思えるだけで今日はずっと車で移動だったから。たぶんそれだ。


 桜を満喫して旅館へ。

 温泉入って地魚を使った造り食べて………そしてちょっとだけいけないことをする。

 年齢的にまだまだ早いが、旅館に戻る途中に買ったお酒をバックの中から取り出す。

 これから営業として働くとなるからお酒を飲むことも増えるのかなぁ? などと話をした時に、練習がてらにと共犯になってくれると彼女から。

 そんな話をするまで僕は知らなかったけど、花を使ったお酒もあるらしく、彼女も少しは気になっていたらしい。


 辛い、ピリピリ、苦い。

 大人のほろ苦さがこれなら、僕は大人になることを躊躇った。

 ────と言いながら、僕はこの日、大人の階段を上ろうとした。


 いつもは帰り際のキスだけど、今日はお休みのキス。

 そして───。


「子供は……欲しい?」


 雰囲気に任せて手を伸ばした僕に、彼女からの質問だ。

 僕が答えを言えずにいると、彼女は膝を抱えて俯いてしまった。


 ………何を間違えたのだろうか。


 それから僕たちは、会う回数が減っていた。


 ただそれは、社会人なりたてで、覚えることが山のようにあったことが原因だと思う。

 営業利益? 粗利? 純利? 依頼書? 注文書。

 学校を出たばかりの僕は……いや、同期の子なのに僕よりもはるかに詳しく、目覚ましい子がいる。だからいい訳だ。

 それに僕は、いつか彼女が開くであろう花屋の為に営業を選んで………それだけだった。自業自得だ。


 会う回数が減ったとはいえ、週に数回、必ず電話をしている。

 彼女も僕と同じで、今までアルバイトだったらか知れなかった数字達と出会い、物流や仕入れを知り、今までの中で一番生き生きしているように思える。

 だから余計に彼女の言葉が気になってしまうのだ。


 そして気付けばお盆休み。

 接客業だと忙しい日々が待ち受けているが、僕は営業で取引先が休みだし、彼女も今はまだ問屋勤めなので休み。

 それほど遠くない距離に住む僕と彼女が、半年と少しぶりに会う約束をした。


 ただ今回は遠出ではなくて、僕たちが初めて唇を重ねたあのフラワーパークだ。

 そして今回も彼女お手製のお弁当を手に、僕の車で向かう。


 着いてすぐ、僕たちは色彩鮮やかなお出迎えを受けた。

 彼女も合わないうちに花の知識が増えていて、進むごとに彼女が教えてくれる。

 その笑顔がまぶしくて、花に目がいかないのはごめんね?


 途中で彼女お手製の弁当を広げ、一周もすれば自然と売店へと向かう足。二人でチェロスを買って近くのベンチで頬張る。彼女らしい弁当の後に甘さの強いチェロスはなかなかに中毒性がある。できることなら毎日この組み合わせでもいいかもしれない。


 それを全部胃の中に収めた僕と彼女。

 彼女が空を仰いで眩しそうに目を細める。

 僕は彼女を見て、口を開く。


「子供が欲しい……って言ったら、どうしてた?」


 あれからずっと考えていた。

 最初は覚悟とかを問われているのかなって。そう思っていたけど……よくよく考えれば彼女の夢は花屋を開くことで、今もその夢に向かって進んでいるところだ。

 だから今すぐじゃなくても、彼女にとって子供ができることは足枷になってしまうのではないだろうか?


 さんざん考えて出した僕の結論。あとは答え合わせだった。


「別れてた………と思う」


 やっぱり───そう思った僕に、彼女は言葉を続けた。


「でもっ……欲しい………と思う」


 空を仰ぎ見ながら、僕の反対側へと顔をそむける彼女。おいおい、隠せてないぞ……と言ってやりたいけど、そんな彼女がやっぱり愛おしく思える。


 それから彼女が落ち着いたころを見計らって理由を聞いてみた。

 彼女は彼女で、様々なことに悩んでいたようだった。


 花屋のこともそう。将来の不安も。子供への不安も。

 だけど、一番の理由は母子家庭だったことらしい。


 国の制度が良くなって昔よりは負担は減ったと……どこかのニュースで耳にしたことがある。けど、彼女の話を聞いていると、その負担はやはり大きいように思える。

 何より、彼女は優しい。

 だから母の負担になることは極力避けていたらしい。


 だから、もし自分がそうなったとき………。


 その考えが抜けないのだと。

 確かに苦労するのは母親だけではなく子供も。

 そして驚くのは、その事実を交際を始めて5年経って初めて知ったという事実。


 5年越しの彼女の本音。

 僕はそれを聞いて、笑みを浮かべてしまった。


 彼女は僕に、見せたい自分の中に、心の内側が入ったから。



「────おいっ、この書類間違っているぞ」

「すいませんっ、すぐに直します」


 それからというもの、僕のやる気はうなぎのぼりだ。

 迷うことはない。仕事を通して出来るだけ学んで、そして彼女と一緒に暮らして………。

 子供は欲しいと言ってくれた。彼女のことだから花の名前を入れるのだろうか。そんなまだ見えない将来について語り合い、20歳を過ぎるころにはお酒を一緒に飲み………って、飲めるかな?


 そんな将来に思いを馳せるだけで、世界はとても色鮮やかだ……なんて僕らしくもなくドラマにも出てきそうなセリフをチョイスする。


 お互い忙しい日々が続き、フラワーパークを訪れてから3年。

 僕たちは入籍した。


 彼女は問屋で知り合った花屋に社員として入社。

 僕はいくつかの取引先を任されるようになって、お互いの生活が安定してきたと言えるだろう。

 だから僕は彼女にプロポーズをした。

 中でも僕のファインプレーとしては、デートの途中に四葉のクローバーで作った彼女の薬指のサイズを測ったことだ。それは指輪を渡すときにパウチして一緒に渡した。ついで……と言う訳ではないけど、僕たちの始まりの花でもある月下美人も一緒に添えて。


 同棲期間のなかった僕たちの始まりはてんてこ舞いだった。

 ご飯を食べたい時間が違う。

 見たいテレビが違う。

 お風呂に入りたい時間が違う。


 ………思ったより、生活って全然違うんだね。

 当たり前だからこそ、気付けないこと。そんなことばかりに気付かされて、そのたびに彼女と僕は頬を膨らませて、そしてそれを見かけた方が頬を指でつつく。

 不思議なことに、それが一番僕たちにとって自然な流れだった。


 あわただしくも幸せな毎日……だったと思う。


 けどそれは突然。


「おい、右目赤いけど大丈夫か?」

「えっ、本当ですか?」


 上司に言われた一言で、僕は洗面台の鏡の前に立つ。

 まあ確かに右目だけが赤かった。

 とりあえずは眼科に……と足を運んでみると。どうせ結膜炎だろうけれど。


「これは………光彩炎こうさいえんですね」


 苦虫をかみつぶしたような医師の表情に、僕は首を傾けた。

 小難しい説明を長々と聞きながら、自分の中でかみ砕いていくと、要は眼球の内側で炎症が起きてしまったらしい。炎症を起こした場所で呼び方が違うのだとか。

 さらに言えば、症状を引き起こす原因が多すぎ原因が判別できないんだとか。咳をしただけでも症状が出る人もいるとのこと。

 とても運が悪い……くらいしか言いようが無いな。


 とりあえず薬を貰って、その日は帰宅したのだけど……。


 夜、目が痛くて寝れない。

 それこそベッドの上で体を丸めて、動けないほどに。

 彼女が心配しておろおろと。僕の背中を無意味にさする姿に思わず笑いそうになってしまったけど、痛みがそれを邪魔する。


 そんな彼女に救急車を呼んでもらい、僕はその日、総合病院へと運ばれた。


 結果として、僕の右目は見えなくなった。

 炎症がかなり酷かったらしい。


 そして分かったこと。

 片目だと物が見づらい。それは想像以上に。

 車の運転は視野角が規定内だったので問題なし。もちろん今までよりも注意深く運転しなければいけないけれど。

 それに関連して……でもあるけれど、距離感は想像以上に慣れが必要だった。

 仕事の書類を手に取るとき、車でバックをするとき、名刺交換をするとき……ほかにも山ほど。

 まあ、僕よりも生きづらい人なんて山ほどいるだろう。だから僕も負けないように先人たちを見習って生きていこうと思う。


 入籍してから、初めての彼女の誕生日。

 幸いなことに、僕も彼女の務める会社も誕生日は有給推奨日とされていた。だから一緒に過ごすことへの躊躇いは全く心配いらない。


 問題はプレゼントだった。

 彼女に花を贈ろうと思ったけれど、それは彼女の職場に先を越された。誕生日前日に花を持って帰ってきた彼女。小さなステラを背中で隠し、冷や汗を流さなければいけなかった。

 僕は残された時間で誕生日プレゼントを準備しなくてはいけなくなった。


 ただ結婚や同棲をしている人なら分かる通り、「プレゼント買いに行ってくるね?」なんて言えるわけがないだろう。しかも仕事終わりなので時間は夜の八時。普段なら、僕は仕事か家でのんびりだ。家を出る理由を作る方が大変だ。


 彼女が寝息を立てた頃、僕はひっそりと寒空の下へ繰り出す。

 買いに行くことが難しいなら見繕うしかない。狙い目は花で作る指輪、ないしは花冠だ。………こんな寒空の下にあるのかは知らないけれど。


 運の巡りあわせだけはいいようで、少しだけあった花をその場でさっさと指輪を作って持って帰る。


 静かに扉を開けて……僕は声を漏らす。


「あっ………」

「どこ、行ってたの?」


 目尻に貯めた涙を隠すことなく、コートを羽織った彼女が玄関に立っていた。

 コートの下から見える寝間着。少しだけ跳ねた髪。

 やってしまった。そう思っても、もう遅い。


「心配かけてごめん」


 僕にできるのは、誠意を込めて頭を下げることだけだった。


「戻ってきてくれたならいいから……」


 その声に僕が頭を上げると、飛びつくように抱き着いてきた彼女の熱が冷え切った僕の体に染みていくようだ。彼女の頭が乗っかている方の肩が濡れている気がして、僕は彼女を安心させられるように、強く抱きしめ返す。


 前はこんなことはなかった。

 一緒にいる時に見る笑顔、照れてる時の表情、接客をしている時の彼女の生き生きとした表情、家にいる時の気の抜けた表情。


 僕は知らないうちに、彼女を不安にさせてしまったのだろうか?

【彼女を想い、行動に移すこと】

 高校の時に決めた僕の決意は、結局足りていなかったようだった。


 彼女が落ち着いてきたころ、謝りながら家を出た理由を彼女に説明した。

 ぎこちなく笑う彼女を見て、今後このような誕生日プレゼントはやめておこうと誓った。誓ったはずなのに。


「眼圧が上がっていますね……」

「はぁ……?」


 片目を失明して以来、2カ月に一度眼下に通うことを余儀なくされた僕は、今月のノルマをクリアするために出向いている。そして言われたのはいいが……眼圧とは。前々から思っていたことだけど、もう少し説明を分かりやすくお願いしたい。


 その日、初めて眼球のレントゲンなるものを体験した僕はしばらくして、両目を失った。

 目の神経は眉間の奥辺りでつながっているのだと、医者は言った。だから危険視はしていたけれど、今回も眼圧が上がってきて息つく間もなかったとのこと。

 ………不幸だ。そんな言葉ではこの気持ちを説明しきれない。

 生き辛いことじゃない。

 仕事ができないことじゃない。


 僕は二度と彼女を見れない。

 僕は、二度と彼女の笑顔を見れない。

 僕は……二度と、彼女を幸せにできない。


「……離婚、しないか?」

「いやだ……」


 彼女の荷物になりたくない。

 彼女を夢を奪うのが、彼女を好きである僕であってはいけない。

 彼女を応援するはずだった自分が、彼女に支えられるだけの人生は嫌だ。


 でも彼女はまだ僕の横にいる。




















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