ししょうせつ

磯崎愛

 死人を甦らせたので、今の自分はこんなに弱っているに違いない。わりと真面目にそうおもってる。ほら、反魂術ってだいたい禁忌でしょ。いやべつにわたし呪術者じゃないけどね。これ、いちおう「私小説」のつもりだからね!  

 つまりそれくらい大変だった、ていう例え話しが自分でも腑に落ちるというか。なにしろこの文章のほとんどは音声入力で打ちこんでいる。手がろくに使えないのだ。給付金がなくなるほどの検査をして、七人もお医者さんに診てもらって、皮膚にも血液にも骨にも異常があって、筋肉や関節に痛みの症状があるのにも関わらず病名がつかない。けっこう弱ってる。なんかでも、献体するひとの気持ちがちょっとだけわかったかも。いましてるの人体実験みたいなものなので。薬が効くかどうかわかりません生体検査結果がわかっても病名がつくとは限りません今後どうなっていくかわかりませんって言われ続けるとめげるので、わたしの人生だれかの役に立ってほしい。

 二〇一九年一月最終日曜日深更、伴侶が心肺停止で救急車に乗った。彼が布団に入り、わたしがベッドに横になってすぐだ。異様な鼾が聞こえて名前を呼んだ。返事がない。119番をかけるまで、たぶん十秒かそこらだ。住所とか名前とか、ちゃんと言えた。変な鼾をして意識がないこと、脳溢血かもしれないとおもったのでそう言った。電話を切ったときには鼾はもう聞こえなくなって、喘ぐような、間の空いた変な呼吸をした。そのときは知らなかったけど死戦期呼吸というのだそうだ。大声で何度も呼びかけても何の反応もなくて。それから息が止まった。もう一度、119番を押した。息してなくて心臓止まってるとおもいますと伝えたら、心臓マッサージをしてくださいと言われた。やったことありますかと聞かれて、ないですとこたえたら説明してくれた。無我夢中で生まれて初めて心臓マッサージした。真夜中だったせいか救急車も本当にすぐ来てくれた。AED一回で心臓が動いた。口から泡を吹いた彼の傍らで、わたしはパジャマの上にコートを羽織って、いつも渋滞してる道を運ばれていった。この世で一番大切なひとが自分の顎の下で息しなくなるの、ものすごく怖かった。

 今回そのときのこと、つまり人間が息をしなくなるとどんなふうに見えるのかとか、それを見た自分の感情とか、そういう色々を表現し得るとはおもえなくとも、少なくとも描写を試みることができるかなって期待して。浅ましさ全開で告白しちゃうけど滅多にない経験だもの、書いておきたいじゃん。でも思い出すだけで心臓がきゅーってなるし喉のあたりが狭くなる。わたしはいまだに彼が眠ってからじゃないと寝付けない。

 あわてて言い添えると、彼は元気です。

 心筋梗塞をおこしてお医者さんに命の保証はありません目を覚ますかもわかりません意識が戻っても日常生活に戻れるか不明ですと説明を受けたけど無事目を覚まして冠動脈バイパス手術して、それから除細動器埋め込み手術を終えて、その年の三月に退院し、今も元気で画廊主をやっている。懸命に心臓マッサージをしたおかげか脳にダメージもなくて心臓の機能は49%まで回復した。ねえ知ってる? 心臓って日常生活送るには二割とか三割で大丈夫なんだって。とにもかくにも彼はむちゃくちゃ運がよかったありがとう――いや、こういう言葉はなんかやっぱりお客さんに言うみたいで駄目だ。まだ全然距離を取れていない。ただそれがわかっただけでもわたしにはこれを書いた意味はある。

 その年の四月、彼が退院して日常生活に戻りはじめた頃にわたしは馘になった。さらに悪いことに椎間板ヘルニアと頸椎変形の診断がおりた。痛いし眩暈がして吐くし、ともかく座れなくて、働くなんてとても無理で。

 それでもだいぶよくなってこの調子なら秋には働けるかもしれないとほっとした今年六月、手首肘肩股関節膝足首の痛みに襲われた。血液検査を五回レントゲン二回 MRI 二回カウンセリングは何回だったかな、投薬をして、痛みで寝たきり状態からようやく牛乳パックの蓋が開けられるまで回復した。そのかわり薬のせいで常に眠くて頭が働かないし痛みでずっと奥歯を噛みしめている。

 いますぐ命に別状がないとわかったのは七月も半ばをすぎてからだ。予後はわからない。だって病名ついてないからデータも何もない。お手上げだ。

  

 

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