第ニ章 〜Memories of summer grass〜
第1-1話 アルバム①
新緑の季節が過ぎ、若葉が日に日に濃さを増すこの時期、梅雨入りを前に穏やかな天候が続いていた。最高気温は25度前後、湿度が低いために不快感は少ない。
放課後、特に予定もなかった私は、いつものように高校の最寄駅である二ツ谷駅から自宅の最寄駅である河澄駅を走る電車に揺られていた。車窓から覗く空の色は夕方だというのに突き抜けるような青色をしている。
一つ小さな溜息をつく。死にたくなるほど綺麗な青空という形容はこういうときに用いるのだろうか。なぜこのような感情を抱くのかはわからない。何者でもない自分を責め立てるように、或いは自身のちっぽけさを浮き彫りにするように、この窓の向こうにはただただ無垢な青色が広がっている。
「河澄駅、河澄駅。2番線ホーム、降り口は左側です。お忘れ物ないようご注意ください」
車内アナウンスが駅への到着を告げ、思案の世界にいた私を現実へと引き戻す。辺りを見渡すと、同じ車両の乗客数人が降り口へ近づいているのが見えた。その乗客は私の顔見知りではなかったが、その気になればどこの家の誰かを特定するのにそれほど労力は要しないだろう。そう思えるくらいにはこの河澄町の人間関係は狭かった。
いや、もしかしたら彼らの中には私のことを一方的に知っている者がいるかもしれない。私は彼らから少し距離を置いて降り口へと向かった。
2番線ホームへ降り立つと、ほかの車両からもパラパラと同じくらいの人数の乗客が降りて来るのが見えた。
ここからだと、地下通路を通って駅正面にまわるよりも裏口から出た方が少しだけ私の家に近い。裏口から駅舎の外へ出ると、まだ高い位置にある太陽からの日差しと、コンクリートからの照り返しがいつもよりやけに眩しく感じた。裏口に面した公園では、小学校低学年くらいの児童数人が遊具で遊んでいるのが見えた。私はその公園の前を横切り自宅の方向へ向かう。
「あれ? もしかして翠?」
聞き覚えのある声が私を呼び止める。振り返ってみると、そこにいたのは中学時代の同級生、神田七海だった。中学時代はその長身を活かしバレー部のエースを務めていた彼女だったが、今はそれもすっかりなりを潜めたようで、部活動のために短かくしていたややくせっ毛の髪は、ストレートパーマをかけたのか真っ直ぐに肩のラインまで伸びていた。
七海は亮介達のように私に明確な敵意を向けて来るタイプではなかった。だが、徐々にクラスのコミュニティの輪から外れ、中学を卒業する頃には誰とも交友を持たなくなった私からしたら、中学の同級生とは基本的に会わないに越したことはないと思っていた。
「ああ、久しぶり」
我ながらなんの発展性もない、気の利かない返事をする。会話とさえ言えないような挨拶の交換でその場の会話は終わると思った。
「ねぇねぇ、なんか雰囲気変わったね。垢抜けたっていうか……」
「そう?︎ 七海も結構変わったと思うけど……髪伸びたし」
「もう、そういうことじゃなくて! もっと……なんていうかこう、根本的なさ」
そういえば、いつだったか妹の杏からも似たようなことを言われたような気がした。あれはたしか、ルナの格好をするようになって聡子らと遊び始めた頃だったか。
「そっかぁ……ふーん……やっぱり……」
七海はなにやらブツブツ言いながら、一人で自問しては納得している様子だ。あまり良い予感はしない。『柊野翠が高校生になって調子に乗っていた』とSNSで槍玉に挙げられる未来は容易に想像できる。
「そうだ! 真綾にもこのこと教えてあげよっと、それじゃ」
彼女はその独り言に結論を見出すと、挨拶もそこそこに去って行ってしまった。
小柴真綾。先程七海が“真綾”と口にした人物で、中学時代は七海と同じバレー部に所属していた生徒だ。真綾も七海も、ルックスに秀でていたこともあり、当時のスクールカーストとして上位にいると認識してはいたが、普段の学校生活において二人が同じグループで行動している様子はあまり見たことがなかった。それでも、ああしてすぐに名前が出てくる程度にはバレー部OG同士での繋がりというものがあるのだろう。
私と真綾は、小学校に入学してから中学一年までずっと同じクラスだった。とはいえ、特別仲が良いというわけではなく、かといって取り立てて仲違いするというようなこともなく、単純にクラスメイトの一人という認識だった。
その後はクラスが分かれたため、彼女とは疎遠になった。というより、その頃になると私は同級生の中で孤立し始め、他人との間に壁を作っていたせいか、真綾に限らずほかの生徒らとコミュニケーションをとっていた記憶がまるでなかった。
そのようなことを考えているうちに、いつの間にか自宅の前にまで到着していた。中学以前の人間関係は卒業と同時に中学校に置いてきたと、いつもならここで考えることを終わらせていただろう。だが、その日の私はなにが気になったのか、キャビネットに仕舞われているアルバムを取り出して記憶の旅へ出航した。
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