放課後☆ルナティック〜居残り〜

茶渋

第一章 〜Cursed cherry blossoms〜

第1-1話 新学期 -side F- ①

 まだ少し肌寒い風が身体を突き抜けた。先程からその風に吹かれ続けた雲は覆い隠していた太陽を顕にし、柔らかな日差しを地表に届ける。色濃く投影された私の影はまたすぐに淡い灰色に変わり、やがて地面に溶け込んだ。駅を降りて学校までの道を歩いている間、もう十回近くは同じことを繰り返している。風は強く気圧は低く、一見穏やかに見える陽光はその実強い紫外線を降り注ぐ。この時期に特有のこの気候は、私の心象を代弁するかのように不安定だ。

 今日は私の通う二ツ谷高校の今年度最初の登校日だ。新しいクラス、新しい人間関係の構築が待ち受けていると思うと、億劫な気持ちを隠しきれない。コミュニケーション能力に難を抱える私は、昨年度のクラスメイトとは、友達と呼べるほどの関係をついぞ築くことができなかった。それより悪くなることはないと前向きに捉えることもできようが、それでも億劫なものは億劫なのだ。


 “柊野くきの すい”と印字された真新しいラベルの貼られた、半月前とは違う位置の下駄箱で靴を履き替え、半月前とは違う階にある教室に入る。教室自体が意志を持ってよそよそしさを醸し出しているかのように、馴染みのない空気が私の身体を包み込んでは五感に訴える。自席で所在なさげに座っている生徒、知り合いと雑談を交わしている生徒、既にグループを形成しクラス内での立ち位置を盤石に固めている生徒。私が入室した時点で、半数ほどの生徒が教室を埋めていた。私は黒板に座席表が貼り出されているのを見つけ、それを確認しに教室の前方に向かおうとすると、近くの席で盛んにお喋りに勤しんでいる女子グループの一人に話しかけられた。


「あ、柊野くん、おはよ! また同じクラスだね!」


 声をかけてきたのは、肩まで伸びたダークブラウンの髪をハーフアップに纏めた女子生徒、有坂聡子だ。一年生の頃からのクラスメイトでもある彼女は、私と違ってコミュニケーション能力が高く、また成績も優秀だが、姦しいのが玉に瑕の『お転婆優等生』だ。私は白々しさを隠して彼女に返事をする。


「おはよう有坂さん。今日はハーフアップにしてるんだ? 珍しいね」


「あ、そうなの! 結構綺麗にできてるでしょ?」


 聡子はそう言ってその場で一回転してみせると、ヘアゴムについた小さなストーンが、まだ蛍光灯が消灯したままの薄暗い教室で控えめに輝いた。


「なに聡子、知り合い? ミョーに仲良くね?」


「一年のとき同じクラスだったんだっけ? えーと……」


 私と聡子が話していると、同じ女子グループの何人かが聡子に私のことを尋ねた。中には困ったことに邪推に妄想逞しくしている者もいる。私は一年生のクラスメイトとは友達関係を築けなかったと前述したが、では彼女と私はどういう関係なのか。聡子が彼女らに私を紹介する。


「彼は柊野翠くん。一年の頃同じクラスで……柊野くんの彼女と私が友達なの」


 そう言うと、女子グループから各々感想が溢れ出る。


「あー……そういうコト? え、彼女ってニ高生だったり?」


「はぁーーっ、なんだ彼女持ちかよぉ」


 今の聡子の言葉に偽りはないが、手放しで真実とも言えない。だが、聡子の中ではその設定こそが真実なのだ。話すと長くなるが、簡単に説明するとこういうことだ。


 ことの始まりは去年の11月。ある日の学校帰りに私は、中学時代に特に険悪な関係だった同級生、道川亮介と偶然居合わせる。私に精神的マウントをとることを生きがいとしていた彼は、クリスマス前という時期も手伝って、私にお互いの彼女を紹介しあおうと提案してきた。今も当時も恋人などいなかった私だったが、つい見栄を張ってしまいその口車に乗ってしまった。恋人役を頼める異性の友達など当然おらず、悩み抜いた末に私は、自分自身が彼女のフリをすれば良いのではないかという、狂気に満ちた結論に行き着いてしまう。そうして生まれたのが、私が自分の理想を詰め込んで女装した姿であり、私の彼女という設定の『白中ルナ』である。そうしてルナの格好をして亮介に会った私は、なんとかその場をやり過ごしたものの、その後、その格好をしたまま聡子と知り合ってしまったのだ。


「彼女、気になるんだけど。そうだ、写真見せてよ!」


 女子グループの一人の言葉に私は憔悴する。この展開を見越していたかのように、聡子はにんまりと笑って携帯電話の画像フォルダを物色している。


「……ちょっと待っ────────!」


 私の制止も虚しく、彼女たちの前に差し出されたプリクラ画像には、聡子と、ギャルメイクを施してミルクティーブラウンのウェーブがかったミディアムヘアーのウィッグを着けた私の姿が写っていた。


「ウソー! かわいい……っていうかめっちゃギャルじゃん! 意外とこういうコがタイプなんだ? ウケるー!」


「え、ハーフみたいじゃない? なんかモデルとかやってんの?」


 思い思いの感想を口々に告げる彼女らの反応に、聡子はこちらに顔を翻して言う。


「だってさ? 言われてるよ、あんたの彼女」


「ははは……恐縮です」


 どういった反応をするのが正解か分からず、よくわからない返答をする。それでも、私が女装した姿だとバレていないのであれば、とりあえずはそれで良い。


 このとおり、聡子はあくまでも私とルナを別人として扱っている。聡子は私とルナが同一人物だということを知ってはいるが、聡子に正体がバレるまでルナとして接し続けたせいで、聡子の中では、“自身が友達になったのはルナであり、柊野翠ではない”という分別をしているようだった。私はこの春休みの間に何度か聡子と遊ぶ日があったのだが、それらはいずれもルナとして会っている。今この瞬間、半月ぶりに会ったような顔をして会話しているが、私からしてみればつい二、三日ぶりでしかないのだ。


「ところで、こっちの美人は誰?」


 グループの一人が、三人で写っている別の画像を見て言った。彼女の指は私と聡子の横でポーズをとる、アッシュブラウンのセミロングヘアをした少女を指す。


「ああ、そいつは麻美あさみって中学からの友達」


 聡子が説明する。彼女の名は葉山麻美。アイドル顔負けの端正な顔立ちとクールビューティな佇まいから男女ともに人気がある。聡子と同じ二ツ谷南中学校の出身で、現在は女子校である聖蘭高校に通っている。私がルナとして初めて聡子と出会った際、麻美もその場に居合わせたことから、そのまま彼女とも友達関係となった。

 常に同級生らの輪の中心におり、自身もその人気者のキャラクター像を損わないように振る舞い続けてきた彼女だったが、それが自身の性格に合わず、ストレスを溜め込む要因となっていた。そしてそれとは正反対の、他人と一定の距離を置いて自由に生きるルナの価値観に触れ、そのライフスタイルに強い憧れを抱き、ルナを一人の友達以上に特別視するようになった。

 その後、麻美にもルナの正体を明かすことになったのだが、私のことを異性として見ることはできないのでこれからもルナでいてくれと言われ、やはり彼女にもルナとして接し続けている。


「それじゃあ、こっちの素朴な感じのコは? 柊野くんの彼女とだいぶタイプ違う感じだけど……」


 その女子生徒はさらに別の、四人の女子高生が写っている画像を見て言った。正確には女子高生三人と男子高校生一人だが。彼女が指し示していたのは重い黒髪の外ハネしたミディアムヘアーの少女で、たしかに他の三人に比べると素朴というか、おとなしそうな印象を受けるのは否めない。


「そのコは柊野くんの彼女ルナの友達で、その麻美ってやつの幼馴染なの。私は最近知り合ったんだけどさ、小動物みたいでかわいいんだよねー」


 その少女の名は松橋千景ちかげ。聡子と麻美と遊んだいつかの帰り道、二人と別れた後に彼女がストーカー被害に遭っていたところにたまたま出くわし、助け舟を出したのが私と千景の出会いだ。

 千景はストーカー被害を受けていただけでなく、中学の頃に受けた虐めがトラウマになっており、人間不信に陥った挙句、高校も休みがちになっていた。千景は麻美と同じ聖蘭高校の生徒だが、幼馴染である二人が再会したのは、千景が小学生の頃に家族の都合で転校して以来だった。麻美が久しぶりに見た千景の姿は、他人という他人に怯え、あらゆる対話を避け、痛ましいまでに精神を摩耗した様子だった。出席日数は危うく、授業に出ていないため成績も芳しくない。このままでは留年確実だと危惧した麻美が、なんとか千景と対話を図ろうと試みたのだが、その頃の千景にはかつての幼馴染である麻美さえも受け入れられるキャパシティはなく、むしろ麻美が学年でも中心的な人物だったためか、却って距離を置かれてしまっていたのだった。

 そんな中、私は千景に偶然再会する。ちょうど麻美から千景のことで相談を受けており事情を知っていた私は、彼女を説得し、週に一度彼女に勉強教えるという奇妙な間柄となった。講師としてではあったが、対話を重ねるうちに徐々に人間不信も影を顰め、やがて麻美と交友も取り戻した。そして、今では聡子も含め四人で集まって遊ぶようにまでなったのだ。聡子の携帯電話に表示されているこの画像は、四人で遊ぶようになって初めて撮ったプリクラだった。


 そうして聡子たちの会話に付き合わされていると、いつの間にか着席を促す予鈴が教室に鳴り響く時間になっていた。

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