プロローグ
首都ルフトキンダー。
フリーゲル最大の都市は、敗戦の面影は最早残されていない。
かつての芸術文化に満ちた町並みへと姿を取り戻していった。
アルフレッド・ティンダーはルフトキンダーの発展に目を回していた。
十代から二十代前半は青年運動に参加し、隣国で出版社に就職して記者となったが、今手元にはその名刺はない。自分の好きな物を書くため、各地を取材して執筆活動に残りの人生を捧げようと考えていたため、退職届を提出してきたのである。
港まで繋がる路面電車、ガス灯、車、勤勉に働く若者たち。
前に進もうとしている町の姿は実に壮観だった。
戦後、改装されたという大劇場はルフトキンダーに足を運んだのなら、絶対に訪れた方がいいと聞く。オーケストラやオペラの鑑賞だけではなく、その中は古典のデザインでありながら現代の技術を取り入れた見事な構造になっているのだと言う。
しかしアルフレッドの目的はルフトキンダーの目白押しの観光地巡りにはない。
駅から出ているバスを更に乗り継いだが、最後のバスが停留所に止まるまで二時間も待たされる。駅前でサンドウィッチを買っておいて正解だ。トランクを椅子替わりにして座り込み、一服した。
「こりゃ大変だ」
ようやく到着したバスに乗り、そこからは徒歩で向かうしかない。ルフトキンダーはなだらかな坂道に入り組んだ路地が多く、大きな丘がいくつもある。
早朝に到着したにも関わらず、目的地に辿り着いた頃は、夕方近くになっていた。手帳に挟んだ手紙をもう一度広げて道を確認する。
「あった」
都会の喧騒からは切り離された丘の上にある一軒家を見つけ、アルフレッドは疲れと不安が吹っ飛んだ気がした。
海と山が両方望める丘の上の家は屋根が白く、壁は青いペンキで塗られた、一昔前のリゾート地のようだった。門から家まで、人が訪れても気が付かない程離れていた。門の前にある大きなトウカエデの木がアルフレッドを迎え、それはどこか懐かしさをかき立てた。
四季折々の花々が植えられ、家に着くまで目で楽しむことができ、アルフレッドは家の中が楽しみだと心躍った。
ドアベルを鳴らすと、奥からドタバタと足音がした。アルフレッドはネクタイをもう一度締め直し、声が上ずらないように調子を整えた。
扉が少し開き、こちらをチラリと伺っている可愛らしい亜麻色の髪の少女がそこにいた。金色の目はまるで警戒する猫のようだ。五歳か六歳くらいだろうか。
「どなたですか?」
「初めまして。アルフレッド・ティンダーと言います」
アルフレッドはハットを取り、少女の目線までかがんだ。
「カテリナ・コーネリアスさんを訪ねて来ました。いらっしゃいますか?」
少女は「お待ちになって」とませた口調で扉を閉めた。
「おばあ様、お客様がいらっしゃったわ!」
その声は嬉々としていて、アルフレッドは安堵のため息を漏らした。第一関門は突破した。
扉は再び開かれ、細い体の老女が招き入れた。
彼女が若い頃はさぞ男性に人気があったに違いない。今年で七十を迎えるらしいが、足腰はしゃんとしていて、品のある立ち振る舞いに、アルフレッドは今になって緊張してしまった。
「いらっしゃい。さあ、どうぞ中へ」
カテリナ・コーネリアス。
数年前までフリーゲル国立病院にて看護婦として勤務。その後看護医療の発展のために、フリーゲル最大の学園、エバーラスティング学園に医療看護科の設立に大きく貢献。
今年の春、女性で初めて名誉ある国民栄誉賞を受賞し、多額の賞金さえも難病で苦しむ人々のために寄付したという。
「遠くから大変だったでしょう。さあ、お茶を用意していますから」
「どうも」
アルフレッドは土産にと持ってきたハーブティーを少女に渡したが、子どもにはお菓子が良かったのではと気を揉んだ。
しかし少女は包み紙を丁寧に剥がして中身が何か分かると、「わあ」と感嘆の声を漏らして目を輝かせた。
「国の名産のハーブティーです。お口に合えばと」
「まあまあ、お気遣い頂いて。フィオナ、今朝作ったクッキーを持ってきて頂戴」
カテリナはキッチンでお湯を沸かし始めた。
木のぬくもりを感じる壁と床。白と青を基調にしたキッチンとリビングは統一感がある。
どうやら、今この家はカテリナと少女フィオナだけが住んでいるらしいが、二人で暮らすには広すぎるように見える。
どうぞ、とフィオナは先ほどと違い愛嬌を振りまきながら、ダイニングテーブルの上に大皿いっぱいのクッキーを差し出した。お土産の効果があったようだ。
香ばしいバターの香りが空腹を刺激し、カテリナがポットにお湯を注ぐ頃には、思わず手を伸ばしてしまった。
「お気に召したようで良かったわ。道中何もないんで、大変だったでしょ? 私もたまに買い物に降りるんだけれど、本当に一日がかりなの」
「すみません。まさかこんな所にお住まいとは思わず。あ、いえ! もちろん、ステキな場所なんですけれど」
アルフレッドは弁明し、その慌てぶりにカテリナはふふ、と顔をほころばせた。
「安心して。本当のことを言われても、ここまで来たお客様を無下に追い返したりしませんとも」
カテリナはアルフレッドの向かいの椅子に座ったところで、アルフレッドは改めて自己紹介をした。
「改めまして、私はアルフレッド・ティンダーと言います」
「初めまして。カテリナ・コーネリアスです」
「この度は取材を受けて頂いてありがとうございます。まさかお返事を頂けるとは思ってもみなかったもので」
「うふふ、そうね。色んな方が取材を申し込んできたけれど、あなたの文面に感銘を受けてね。ステキな文章をお書きになるのね?」
隠遁生活を贈っていると耳にしたのだが、人と話すことが好きな女性のようだ。
ごゆっくり、と少女フィオナは絵本を抱えてリビングを出て行った。
ハーブティーの香りを楽しむカテリナは、どこか懐かしむ表情に変わった。
「いい香りだわ」
「それは、良かったです」
「それで、聞きたいのはあの二人のことなのでしょう?」
アルフレッドは懐から取材用の手帳を開いた。
「ええ。私の父は幼少の頃、アーサー・アイスガーデンと暮らしていて、その時に会ったことがあると聞いたものですから」
カテリナは立ち上がり、リビングの棚に飾ってある写真立てを見せた。
「このお二人が………」
この家の前で並んで立っている二人の男女。顔が全く同じで、衣服が見えなければ男女だと分からなかっただろう。
「ええ、髪を伸ばしているからどちらか分からないでしょう? 大人になっても見わけを付かなくする遊びをしていたのよ、この二人は」
数十年前は写真がまだ多くは普及されておらず、モノクロの時代だった。髪や服装の色が分からないが、鮮やかな髪色と利発な目だということは分かった。
「私が知っているのは彼らの極一部なの。聞いた話にもなるのだけれど、それでもいいかしら?」
「ええ、お願いします。そのために遠路はるばる来たんですから」
奇跡とは偶然に起こるものではなく、起こすもの。
誰かの願いが繋ぎ、誰かの手で起こしたとしても、それはきっと「奇跡」なのだ。
あの日、雪のように白い花で埋め尽くされた高原で私が見たあの景色は、彼らが繋いだ確かな「奇跡」だった。
これは私が知る「奇跡」の物語。
彼らは同じ日に生まれ、同じ日に死んだ。
最期まで、一緒に生きた二人の話。
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