ショートショート集

北見 羊

怒りの国

「その国の人間はわけもなく怒り狂っている。とても正気ではない。」と、隣国の人々は言う。しかしながら、わけもなく、というのはいささか見当違いである。その国では、「本音を人前にさらけ出す」ことが奨励された結果、ほとんどの人々が、怒りという感情のストッパーを外してしまったのだ。要するに、思ったことを口に出すようになったらみんな何かに怒っていた、というのが正解である。いつしか誰に対しても、内に秘めた怒りをぶつけることが日常になった。そして、とても正気ではない、というのはまさにその通りだと思う。




 「どこ見て歩いてるんだババア!轢き殺されてえのかこの馬鹿!」


 タクシーの運転手が、道端を歩いていた中年の女性に怒鳴る。


 「こんな路地裏でスピード出す方がおかしいだろ!とっとと辞めちまえヘタクソドライバー!」


 中年女性も負けじと言い返す。


 家を出れば、ものの数秒でこのような光景に出くわす。もっとも、今回の例はただ短気な2人の言い争いにしか見えない分、かなりまともである。




 授業中の教室などはもう、見るに堪えない。


 坊主頭の男子生徒が「先生!眠い!授業長いしうざい!」とどうしようもないことを口走り、「黙れクズ!お前みたいなのは生徒でもなんでもない帰れ!」と明らかに怒りすぎな先生に、「教師がクズとか言うのキモ」と三つ編みの女子生徒がボソッと呟く。


 「今俺にキモって言ったの真紀ちゃん?もう1回言ってもらっていいかな」


 こんな馬鹿馬鹿しい本音のやり取りの中、授業が進行していく。




 誰にも聞こえないよう慎重に、フッとため息を吐く。ため息など聞かれてしまえば、怒りの火種になり得ることが容易に想像できた。ここで言うため息とは「何の気なしに発した言葉」と同義である。臆病な私は、この1か月間ほとんど誰とも会話をしていなかった。本音、もとい怒りの矛先が自分に向くことに怯え、嘆き、暮らしているのが私で、この国の現状を本気で憂いていた。見知らぬタクシードライバーも中年女性も、クラスメイトも先生も、みんな、毎日顔をぐしゃぐしゃにして怒っている。どうしてこんな世の中になってしまったのか。私は、まだ自分だけが正気を保っていると信じていた。




 私の隣の席には、先ほど発言した三つ編みの女子生徒が座っている。彼女はゆっくりと顔をこちらに向け、私の目をまっすぐ見て話しかけてくる。


「ねえ三島くん。今日もずっと黙ってるんだね。三島くんってなんだか、いつも怒ってるみたいで気持ち悪いね。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る