(20) 彼女たちの友情

 待ち合わせの時間。

 鳴亜梨ちゃんはちゃんと待っていてくれた。


 相変わらずの個性的なファッションで、校舎の壁にもたれかかりながら、所在無げに地面に視線を投げている。鳴亜梨ちゃんは今、どんな心境でそうしているのだろう。その表情からはなにも読み取ることができなかった。


「鳴亜梨ちゃん」

「……柚花?」


 わたしの呼びかけに顔をあげた鳴亜梨ちゃんは、わたしの横にある顔を認めると、一瞬にして表情を強張らせた。このみちゃんはわたしの背中に隠れるように一歩後ずさった。


「ねえ、鳴亜梨ちゃん」

「…………あたし、メアリーだから。人違いじゃないの? じゃ、もう産まれそうだから、あたしはこれで」


 鳴亜梨ちゃんは早口でそれだけ言って、逃げるように背を向けた。繋いだ手が痛いほど強く締めつけられる。このみちゃんの心の痛みが伝わる。


「鳴亜梨ちゃん!」

「……っ」


 わたしの渾身の叫びに、鳴亜梨ちゃんは駆け出しかけていた足を止めてくれた。わたしは言葉を続ける。


「このみちゃんは、仲直りしたいって。わたしもふたりの友達として、ふたりに仲直りしてほしい。だから、ちゃんと話し合おう、ね?」

「……」

「昔、なにがあったの? このみちゃんからは聞いた。鳴亜梨ちゃんからも聞かせて? そうすれば、きっと――」


 両方の視点から知ることができれば、歯車は噛み合い、きっと元通り動きだす。ぜんぶ元に戻るし、それ以上にだってなれるはずなんだ。なのに。

 鳴亜梨ちゃんは背を向けたまま、言った。


「そんなこと、柚花には関係ないよ」


 それは、あのときスーパーで悠斗に言われたのと同じ、突き放すような台詞。立ち入ることを拒絶する言葉。だけどわたしたちはあのときとは違う。あのときより、わたしたちは少しだけ前に進んだのだ。みんなで助けあい、支えあうと決めた。


「関係なくないよ。わたしたちは仲間だから」


 鳴亜梨ちゃんは、どこか自嘲的で、それでいて今にも泣き出しそうな、複雑な顔をした。


「……ほんとかなあ」

「え?」

「あたしたち、本当に仲間なのかな?」


 鳴亜梨ちゃんの言っていることが、よくわからない。


「どういうこと?」

「だって、柚花はなにも知らないから」

「だから、それを知るために、わたしは――」

「そうじゃないよ」


 力強いけど抑揚に乏しい、感情を抑えているような語調だった。


「そうじゃない。そういうことじゃない」

「たとえどんなことがあっても。わたしたちはずっと仲間だよ」

「そうなの? あたしは柚花のことをずっと騙してたのに? それでも?」


 …………え?


「騙して……?」

「そ。正確には、利用してた、かな。柚花、あたしが女子会を創った理由、覚えてる?」


 わたしは混乱する頭の中から、なんとか五日前の記憶を掘り起こした。


「えっと……たしか、女子力向上プログラムの一環?」

「正解。でも、実はね? 女子会を立ちあげようと思った、本当の理由は別にあるの」


 ふっとため息をついて、鳴亜梨ちゃんは続ける。


「もっと自己中心的で身勝手な理由で、柚花を利用した」

「さっきからそればっかり。利用ってなに。どういう意味?」

「わからない? ヒントは、あたしが柚花をリーダーに抜擢した理由」


 わたしは再び記憶を遡る。


「……わたしにしかできない仕事がどうとかっていう?」

「うん。そう」


『でも、なんでわたしなの?』、そう訊いたとき。『これは柚花にしかできない仕事だから』――鳴亜梨ちゃんはそう言った。


 つまり、わたしにしかできない仕事をさせるために、鳴亜梨ちゃんは女子会を創って、わたしを利用した……そういうことだろうか。

 けど、わたしにしかできない仕事って……?


「わからないの? 正直、自分の口からはあんまり言いたくなかったけど……しょうがないよね」


 そう前置きして。言葉通りとても言いづらそうに、無理やり絞り出すように言った。


「……ある人と、仲直りするためだよ」


 ぴくり、とこのみちゃんが反応したのがわかった。


「……それって」

「そうだよ。あたしが女子会を創った理由は、このみとまたやり直そうと思ったから。そのために、あたしとこのみの唯一の共通の友達だった柚花を利用した。あたしとこのみの問題に巻きこんだ。……どう? 怒った?」


 顔色を窺うように、上目遣いで問いかけてくる。その様子はまるで親に叱られる前の子どもだ。


「怒らないの? それとも、怒る気もなくすほど見損なった?」

「……よかった」


 そんな鳴亜梨ちゃんの意に反して、わたしは心の底から安堵していた。騙してたとか言うから、何事かと思えば。


「え……?」

「ふたりとも、ずっとお互いを求めあってたんだ……」


 ただすれ違っていただけで。かたちは違えど、お互いに歩み寄ろうとしていたんだ。その事実に、わたしはたまらなくうれしくなった。


「なんで、笑ってるの……あたしは、柚花を」

「だって、ふたりとも仲直りする気満々ってことじゃん! これが喜ばずにいられますかって!」

「でも……!」

「それに。ふたりを繋ぐ大事な役割を、鳴亜梨ちゃんはわたしに託してくれた……頼ってくれた。仲間として、こんなにうれしいことはないよ」

「そ、それはっ、適任が柚花しかいなかっただけでっ……」

「知ってる。わたしら友達少ないもんね。それでも、言わせて。――鳴亜梨ちゃん、わたしを頼ってくれて、どうもありがとう」


 しばらくのあいだ、鳴亜梨ちゃんはじっと俯いていた。久しぶりに発した声は、少し震えていた。


「……ごめん、柚花。あたしのほうこそ、ありがとう。柚花があいだに入ってくれたおかげで、たくさんこのみと話せた。お試し期間みたいな短い時間だったけど、昔に戻れた。昔以上に楽しい時間を過ごすことができた」


 昔。

 昔、鳴亜梨ちゃんの中でどんな変化があったのだろう。どうしてこのみちゃんを拒絶するに至ったのだろう。

 そして、なぜ仲直りしようと思い直したのだろう。


「……お試し期間で、わたしたちの関係はおしまい、なのかな?」


 わたしの耳元で、このみちゃんが囁くように言った。はじめて発せられた声は嗚咽混じりで、鳴亜梨ちゃん以上に震えていた。


 それでも、このみちゃんはわたしの手をほどいて、一歩を踏み出す。目を逸らす鳴亜梨ちゃんに真正面から迫る。


「鳴亜梨、あのときのこと、まだ怒ってる? わたしのこと、嫌い?」

「……あんなの、ただのよくある子どもの喧嘩じゃん。怒るも怒らないもないよ。それに、元はといえばあたしがこのみを拒絶したのが悪いんだから」

「……怒って、ないの? なら、どうして。どうして、鳴亜梨はわたしから離れていったの!? ねえっ、どうして!」


 鳴亜梨ちゃんは、まっすぐにこのみちゃんの目を見返した。その表情はやはり弱々しいものだったけれど。


「わからなくなっちゃったの」

「……わからない、って?」

「あたしに、このみの隣にいる資格があるのかって、思って。一度そう思っちゃったら、その考えは簡単には消えてくれなかった」

「どういう、意味?」

「あたし、幼稚園のころからなにも変わってなかった。ずっと、このみの後ろをついていくばっかりで。このみに手を差し伸べてもらうばっかりで。それで、思ったの。そんな一方的な関係を、友達と呼べるのかなって」


 言葉を選ぶようにしながら、鳴亜梨ちゃんは今日まで抱えていた思いを吐露していく。


「いつからかな? 『このみはあたしに付き合ってくれてるんじゃないか』って、考えるようになった。このみに引け目を感じるようになった。あたし以外の子と楽しそうに話してるこのみの姿を見ると、余計にそんな思いが強くなっていった。

 ――そんなある日のこと。いつものように差し伸ばされた手を、あたしは取らなかった。決めたから。このみの隣に堂々と立てるようになるって。それまでは、ちゃんと一人でも立てるようになるまでは、このみに寄りかかることはしない、って」


「……なにそれ。そんなの、勝手だよ! そんなのっ……!」

「うん、あたしもそう思う。だけどそのときは、自分を変えることでいっぱいいっぱいだった。このみと釣り合うことだけを考えてた。

 でも、それももうおしまい。あたしはもうあのときのあたしとは違う。あたし――変わったから。このみの力を借りなくても、友達だって作れた」


 鳴亜梨ちゃんは、このみちゃんの目を真っ向から、力強く見返した。


「もう、このみの後ろをついていくだけのあたしじゃない――」

「うん、そうだね。鳴亜梨は変わったよ」


 その言葉に、鳴亜梨ちゃんの口元がかすかに綻んだ。

 けれど、それも一瞬のこと。


「変わっちゃった。鳴亜梨はもう、わたしの知ってる鳴亜梨じゃない」

「……このみ?」

「だって鳴亜梨はそんなこと言わないもん。鳴亜梨は、わたしの知ってる鳴亜梨は……!」


「鳴亜梨ちゃんだよ」


 わたしは、このみちゃんの背中に声をかけた。


「え……」

「変わっても、変わらなくても。鳴亜梨ちゃんは鳴亜梨ちゃんだよ」


 ここまで来てなお、このみちゃんを縛りつける『基準』。

 超えてほしかった。


「柚花ちゃんには、わからないよ……」


 認めてほしかった。

 すぐ目の前にいる、酒本鳴亜梨という存在を。


「うん。わからないよ。このみちゃんの言ってること、ぜんぜんまったくわからない」


 わたしはキッパリと言った。

 このみちゃんはショックを受けたように、一歩後ずさる。


「だって、わたしはこのみちゃんのこと、友達だって思ってるのに」

「……え?」

「変わっちゃったこのみちゃんと、今もこうして友達でいられてる。それどころか、出会ったころよりもっと仲良くなれたと思ってる」

「……わたしが、変わった……?」

「そりゃね。出会ったころのこのみちゃんは、もっと消極的だった。今考えると、仲良くなることを怖がってたのかな。けど、クラスに女の子の友達がいなかったわたしは、負けじと積極的に話しかけた。そしたら、友達になれた。

 かなり一方的だったけど、ちゃんと友達になれたよ? このみちゃんが、振り向いてくれたからだよ」

「あ……」


 聞けば、モモちゃんがこのみちゃんと仲良くなった経緯もわたしと同じような感じらしい。モモちゃんの場合は去年だけど。


「それだけじゃない。今回のことだって、わたしはわたしの知らないこのみちゃんの一面をたくさん知った。きっとわたしも同じ。このみちゃんと交流を重ねるなかで、どんどん変わっていってる。だからこそ、こうしてどんどん仲良くなっていってる」

「……」

「きっと、変わることは前よりもっと仲良くなるためのきっかけに過ぎないと思うから。だから、心配しなくても大丈夫。鳴亜梨ちゃんが変わっても、鳴亜梨ちゃんと友達だってことは変わらない。ふたりが、お互いのことを想い続けてる限りね」


 しばらくのあいだ、このみちゃんは考えこむようにじっと俯いていた。

 やがて。


「……柚花ちゃん、わたし」


 顔をあげたこのみちゃんは、大きな声で叫んだ。


「わたし、柚花ちゃんのこと……! 友達だって思ってるよっ!」

「ありがと。両思いだね?」

「うん!」


 このみちゃんは、そして。

 鳴亜梨ちゃんに向き直った。

 自分の言葉で、鳴亜梨ちゃんに語りかける。


「鳴亜梨は、わたしのこと友達だって思ってくれる?」

「……このみは、あたしの友達だった。このみの隣に立って、同じ景色が見える今だからこう思える。あたしたちはたしかに、友達だった。柚花が少し前のこのみを友達だと思っていたように、このみがあのときのあたしを友達だと思ってくれていたのも――今ならわかるよ。

 このみは、わたしの大切な友達だよ。それにこれからは、もっともっといい関係に――親友になれそうな気がしてるの」


 不器用で、普通の人より時間はかかったかもしれないけど。それでもちゃんと、たどり着けた。


「……わたしもっ、鳴亜梨のことっ……! 友達だって! 親友だって思ってるからっ!」


 このみちゃんは目の前の胸に飛びこんだ。鳴亜梨ちゃんもしっかりと受け止めた。

 お互いがお互いの肩に顔を埋めて、言葉にならない声をあげていた。


 ――ともあれ。このみちゃんは『今の鳴亜梨ちゃん』を受け入れた。

『基準』を乗り越えることに成功した。


 ふむふむ。これでわたしの役目は果たした。

 わたしは空気を読んで立ち去ろうと、二人に背を向けた。

 女子たるもの、空気を読めねば。KYとみなされたら最後、たちどころにグループからハブにされてしまう。


 本当はちょっとだけ、寂しいような気もするけど。

 まあ、『気もする』ってことは確定じゃないし、きっと気のせいだ。わたしはなにも寂しくなんかないんだ。


 そう自分に言い聞かせながら。

 さてさて帰ろう、とわたしは一歩踏み出して。


 両手を、掴まれた。


 わたしたち三人の手首には、お揃いオソロのシュシュが巻かれていた。

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