(11) 彼とカレーと華麗なるわたしたち -C part-
「うわー、居間同様せまーい! あはは、こんな満足に脚も伸ばせなさそうな浴槽じゃろくにリラックスもできないだろうねっ! あ、ところどころカビも生えてるんだあ! すごいすごい、模様みたい!」
一歩足を踏み入れた瞬間、鳴亜梨ちゃんのはしゃぎ声が狭い浴室に反響する。
「なんか、ごめんなさい……」
うなだれる麻由ちゃん。
「気にしないでいいよ。鳴亜梨ちゃんはただ正直なだけだから」
「うう……ごめんなさい。せめて、次からにいちゃんに言ってお風呂掃除やらせてもらおう……」
フォローしたつもりが、余計落ちこんでしまった。
わたしはシャワーの蛇口を捻って、風呂椅子に腰かける。
「さあ麻由ちゃん、わたしの膝にお座り」
「いいの?」
「あたぼうよ」
「じゃ、失礼しま〜す」
太ももに、控えめな重みとともに柔らかなお尻の感触が伝わってくる。
「じゃああたしは先に湯船に浸かってるね」
急だったので湯が張られているわけはなかったが、鳴亜梨ちゃんは気にしたふうもなく浴槽に入って、体育座りした。
「そういえば鳴亜梨ちゃん、いま進化してるね。念願かなってよかったね」
麻由ちゃんの頭を洗う用のシャンプーを手になじませながら、鳴亜梨ちゃんを心から祝福する。
「え? 柚花、なに言ってるの? あたしが進化? ただ裸になってるだけじゃない。あはは、変な柚花」
「鳴亜梨ちゃんには負けるよ」
そういえば、結局肉を触った手を洗っていなかったことを思い出し、せっかく泡立てたシャンプーを一旦流す。もう一度なじませる。
「……あの。鳴亜梨さんて、にいちゃん……兄とも仲が良いんですか?」
「お嬢ちゃん。あたしのことは遠慮なく、めあちゃん、と呼んでくれていいんだからね?」
「いえ、別にいいです。それで……」
わたしは間違えてコンディショナーをなじませていたことに気づき、お湯で一旦流す。どうりであんまり泡立たないわけだ。
「広見悠斗とは、クラスメイト歴一か月半だよ。五年になってはじめて同じクラスになった」
「そう、ですか。じゃあ、そんなに仲良しってわけでもないんですね……」
「うーん、それはどうかな? なにせ、友情の深さは時間では決まらないからね」
なにやら得意げな顔でもっともらしいことをのたまっている。
「そう……なんですか?」
けれどまだ若い麻由ちゃんにとって、それは新鮮な価値観だったのかもしれない。
「時にまゆまゆ。あたしと柚花の関係って、まゆまゆの目からはどう見える?」
「どうって……すごく、仲良しに見えますけど。なんていうか、昔からの親友って感じで」
「うむ。そんなあたしたち、実はまだ出会って一か月半。あたしと広見悠斗の付き合いと同じね」
「うそっ……」
「ほんとっ……」
「……こんなに仲良しさんなのにですか?」
「そこで、さっきの鳴亜梨語録に戻るわけだ。――友情の深さは、時間では、決まらない」
鳴亜梨ちゃんが深くてよさげな話をしていたそのころ、わたしは一心不乱に麻由ちゃんのそのなめらかな髪を洗っていた。いい加減脂も落ちただろう。証拠隠滅完了、っと。
「……わかりました」
「わかればよろしい」
ほとんど聞き流していたわたしにはなにがなんだかわからない。
「じゃあ、あたしはお先に上がらせてもらうね。茹でダコになっちゃう」
鳴亜梨ちゃんは空っぽの浴槽から這い出して、そのまま浴室の扉をあけた。
「あの……」
麻由ちゃんが呼び止める。
「このたびは、その、ためになるお話とか……いろいろ、ありがとうございました――めあちゃん」
「うむ」
扉が閉まる。浴室にはふたりきりだ。
「それじゃ流すよ。目瞑って」
「はぁい」
汚れがわたしの罪もろとも流れ落ちた。もう目的は達成したので、このまま上がってもいいんだけど。ついでだし、身体も洗って差し上げよう。そしてせっかくなのでいやらしい手つきで触りまくろう。
あえてスポンジは使わず、手のひらにボディーソープをなじませる。
そしてその手を、そのまま脇腹に滑りこませる!
「ひゃっ!?」
敏感に反応した麻由ちゃんが身をくねらせて抵抗する。
「ゆ、ゆかちゃ……っ、あ、そこはっ、だめっ……くすぐったいよぉ……!」
「ほれほれー」
わたしは構わずおっぱいを揉もうとした。が、さすがに小学二年生、まだ膨らんでいない。僅差でわたしの勝ちだった。
「はぁ、はぁっ……もう、ゆかちゃんの変質者」
それは鳴亜梨ちゃんのかつての異名だ。
楽しかっただけで特に興奮もしなかったし。
「さて」
身体に付着した泡という泡をしっかり流してあげてから、シャワーを止めた。
「そろそろ上がろっか」
「……ちょっと待って」
さっきまでより少しだけ硬い、どこか不安のにじんだ声。
「ゆかちゃんに、聞いてほしいことがあるの。……今、だめかな?」
「いいよ。なんでも聞いちゃう」
「……うん。ありがと」
シャワーは止めてしまったので、麻由ちゃんが風邪を引かないよう、後ろからそっと腕を回して軽く抱きしめる格好になる。
「にいちゃんの、ことなんだけど」
「悠斗のこと?」
「うん……にいちゃんね、頑張りすぎなんだ」
わたしはじっと話に耳を傾ける。
「とうさんとかあさんが離婚してから、家事全般を全部ひとりでやるようになって……にいちゃん、わたしには全然やらせてくれないし頼ってもくれない。麻由はなにも心配しなくていいからって。わたしはにいちゃんのことがいちばん心配なのに……。
そりゃあたしかに、この前朝ごはんを作ろうとしてトーストと目玉焼き両方焦がしちゃったし、洗濯物取りこもうとしてベランダから下に落としちゃったし、アイロン掛けしようとして洋服とアイロン台両方焦がしちゃったりしたけど……」
見事なまでの家事オンチだ……。
「にいちゃんも見ていられないだろうけど、わたしだってこれ以上見ていられないよ……」
自分がなにもできないのがもどかしい、と麻由ちゃんは消え入るような声で言った。
「でね、今日、女子会のみなさんを見てて思った。風邪を引いたにいちゃんの代わりにごはん作ってて……。ゆかちゃんたちになら、にいちゃんも安心して任せられるんだなって。――それでね、ゆかちゃんに、一生のお願いがあります」
麻由ちゃんは首を回して、まっすぐにわたしの目を見つめた。
「にいちゃんを、助けてください。少しでもいいから、支えてあげてほしい……にいちゃんの負担をできるだけ減らしてあげたい。だからめあちゃんやほかのみなさんにも、にいちゃんと仲が良いみたいだったら、協力してもらえたらって思って……。今日だけじゃなくて、今日みたいに、たまにでいいからごはんを作りに来てくれて……それで、みんなで食べられたらいいなって――」
「麻由ちゃん、君はいい子だね……お姉さん感動しちゃったよ」
わたしはきれいになった頭をきれいになった両手で、毛根を削ぎ落とさんばかりの勢いでガシガシ撫でた。
「ひゃぁ……ゆかちゃん?」
「でも君は勘違いをしている。君は悠斗が風邪を引いたからわたしたちが代行を引き受けたと思っているようだが、悠斗が風邪を引いてなくても、我々女子会はカレーを作っていただろう」
「……それって?」
「もう計画は進行している。君の願いはすでに決定事項なのだよ。だから一生のお願いは、まだ大事にとっておきなさい」
「うわわ。気づいたらなにからなにまでゆかちゃんにやらせちゃってた……。申し訳ないです……」
「楽しかったからよし……っと。はい、おしまい」
絹のような繊細さを損なわないよう、マイナスイオンドライヤーでじっくり丁寧に乾かした。
「どうも……あ、カレーの匂いだ」
カレーの匂いには人一倍敏感な麻由ちゃんの鼻が反応する。敏感なのはどうやら鼻だけじゃないようだけどね、ウヒヒヒ。
お風呂場をあとにしたその足で台所へ向かうと、このみちゃんがカレーを煮込んでいた。結局ほとんどこのみちゃん一人に作らせてしまった。次からは気をつけよう。
「悪いな、全部やらせちまって」
悠斗が頭に寝癖をつけてのそのそと現れた。
「にいちゃん、もう起きて大丈夫なの?」
「ああ、別にもともとたいしたことないって。久々に熟睡した気がする……みんな、今日はありがとな。助かったよ」
「礼なんて要らんよ」
「いや、でも」
「困ったときは助けあうのがわたしたちだって、さっき確認したばっかりでしょ? それに、これから毎日お礼言ってたらキリがないじゃん」
「は?」
悠斗が不審がる一方で、麻由ちゃんはうれしそうにわたしたちのやりとりを見ていた。
「えー、こほん。注目!」
このみちゃん、真緒くん、メガネ、鳴亜梨ちゃん、それに広見兄妹。全員分の視線を浴びながら、わたしは意気揚々と宣言した。
「本日より、ここ広見家を――女子会の活動拠点とします!」
「な、なんだって!?」
驚いたのは悠斗だけだった。
「細かい部分は追々煮詰めていくとして、基本は当番制で、調理組と買い出し組に分かれて行動しよう。メンバーの組み合わせもローテーションで変えていく感じで」
「おいおい、なんだよそれ」
「これは決定事項だから。変更はしません」
「ちょっと待て、なに勝手に他人の家秘密基地みたいにしてんだよ」
「おじさん遅いんならいいでしょ」
「いやいや。だいたい毎日居座られたりしたら、麻由だって大迷惑だろ」
「大歓迎だけど?」
「というように、麻由ちゃんから許可はもらってます」
「にいちゃん、なんならとうさんからも許可もらおうか? にいちゃんが大変な思いしてるのはとうさんだって知ってるから、きっと賛同してくれると思うよ」
「……っ」
しばし俯いて沈黙していた悠斗だったが、ようやく観念したように、
「わかったよ。でも、だったら。これだけははっきり言わせてもらう」
なにかが吹っ切れたような顔で。
「みんな。本当に、ありがとう」
……なぜかみんなで晩ごはんをご馳走になる運びとなった。もちろん今日限定で。さすがに遠慮しようと思ったけど、麻由ちゃんの希望でもあったから。
三日分のカレーは予定より早く底を突いてしまうだろうけど、なくなったらまた作ればいい。
「おかわり!」
「はいはい」
二杯目を平らげた鳴亜梨ちゃんの皿を取って、このみちゃんが盛りつける。
なんだかちょっとした大家族みたいだ。みんなでテーブルを囲んで、おしゃべりして。普段は二人で食べることがほとんどみたいだけど、今日は七人といつになく賑やかだ。食卓に響く笑い声と、それに呼応するようにはじける麻由ちゃんの笑顔が印象的だった。
…………ん? 七人?
「あ!」
わたしは大変なことに思い至り、テーブルを叩いて立ちあがった。
「なんだ、食事中に急に立ちあがったりして。マナーがなっていない。親の顔が見てみたいよ」
メガネがテーブルの上であぐらをかきながら言ったが、わたしは無視して思考をめぐらせる。
この場にいるのは男子三人、そして女子が四人!
つまり麻由ちゃんを引き入れることができれば、女子会は正式に女子会として認められる!!
女子会がより女子会らしくなれる!!!
「麻由ちゃん、一生のお願い!」
わたしはスプーンを握ったまま麻由ちゃんの手をがっちり掴んだ。
「な、なに……ゆかちゃん?」
「女子会に入って! 今ならお菓子もつけるから!」「入る!」
光の速さで反応した真緒くんのことは無視して、麻由ちゃんの返事を待つ。
「えっ……いいの?」
周りを気にしながら、誰にともなく言う。
「リーダー権限で許可する!」
こちらの思惑が男子勢にバレて多数決に持ちこまれでもしたら面倒だ。また真緒くんを女装させることになりかねない。
「女子会……はじめて聞いたときから、ほんとはわたし、すごく仲間に入ってみたいなって思ってたんだけど……同学年の集まりを邪魔するのも悪いと思って、空気読んで我慢してたの。……その、入れてくれるなら、うれしいです」
「やったー! 決定!」
「まじかよ」
沸き起こる拍手の中、悠斗だけが呆れたようにため息をついた。
「ねえみんな、せっかくだから麻由ちゃんの歓迎会も兼ねて、このまま二次会へと流れこまない?」
このみちゃんの粋な提案は満場一致で可決された。
とはいえ、夜もだいぶ更けてきたし、まだ帰らないとなればこのままお泊りコース一直線になりそうだ。そうなると親の同意だって必要になる。
夕飯をご馳走になるくらいなら許可は下りても、外泊ともなれば話は変わってくるだろう。
それに明日も学校がある。一度帰宅して身支度を整え登校……早起きすればなんとか間に合うとは思うが、そんなものは子どもの勝手な言い分でしかない。大人に通用するかはわからない。
そう簡単に許可が下りるものだろうか?
それが最大の難関になるであろうことは間違いなかった。
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