神社

甲斐 林介

神社

人は私に好きな事を好きなだけ言ってみせる。そこに失礼や友好故の懸念はなく、まるで傀儡でも手繰るかのような、そのような様相が人々には浮かぶのである。彼らには心がないのか。問いたくなる。「可哀想」や「幸あれ」のような言葉にも嘲笑のインスピレーションが過ぎるのが常だ。人を嫌いになってみせる日も近いような気がする。しかしそのような時に人を嫌わなくなる繋ぎ留めのような事象が起こるのも、また私の人生の妙なのである。

私の魂はいずれ神社に還る。土踏まずにフィットする石畳、見上げると思わず畏れてしまう神木、怒る顔相の祀られ神。そして何を言わせても、言うに及ばない程の激しい無音感が私の心を蠕動させる。その無音感につき、私の理性と本能が神社を欲しているのである。それが魂の作用のような気がする。そう思うと幾らか安心出来るのである。言葉数にすると足りないが、そのような全うな関心が私の心を渦巻く。

春の寒さというのはやかましい。温かさに忍ぶ氷柱の棘は、私の表皮を不快にする。広くもなく、主張もしない。春の寒さというものはその平身低頭を以て私を不快にさせるのだ。そのような寒さが渦巻く日。羽織ったカーディガンの袖先から入り込む外気に唇を噛んで耐える。石段を登ると向かうは境内。行く手には何も無い。香る緑。満天。青々の続く途に山の鉄塔が見える。威厳と慈愛のハーモニー。近付くものは焼かれてしまうほどの烈しい熱気が包む私の鼻先。また立ち上る無音感に、いつもの如く高揚を覚える。見える猫は、春の似合わない生意気そうな猫だった。毛並みの整って、肉付きの潤しい猫。猫の生意気は人に感動をもたらす。私もまた、その観客の一人だった。私の前で寝転がって肌を晒す。その様は淫売のようなハレンチではなく、看護婦のような高潔でもない。猫を通して見る事象は、その猫そのままの現実。その無二感に任せて、撫でてやる。この猫はいつになると気が済むのか分からないが、時間などの及ばぬ限り、撫でる。太陽は西へ動く。私の手は首から腰へ動く。私が腰へ手を伸ばした時ふと立ち上がった猫は、私を見つめる。こいつ、何を望んでいるか分からない。伸ばした首に天を見つめる瞳に、予測すると頭を撫でて欲しいよう。要望通り頭を撫でてやる。頭を撫でると満足そうにする。猫一匹に動く私の意思と手に、いじったい快を感じる。この猫が感じた衝撃が私の衝撃でもあるような一体感。その刻と刻に、野暮に感じる人の視線は何だろう。神社の神主だ。私服だ。露、老込んで見えるが、何と潔白な視線だろう。猫と戯れる私は傍から見てとても稚拙だったように思えるが、神主は一端として侮辱していないように見えた。ふとして見えた他人の存在に興が醒めて賽銭箱に近付こうとすると、また猫の姿が見えて、一種辛くなってしまう。もう一度屈んで乱暴に頭をわしゃっと撫でて、そのまま感を殺すように賽銭箱の近くまで来た。もう慣れたもので、作法は大体熟練している。

一礼。十五円を滑らせる。二礼。二拍手。私の合掌姿はきっと他と比べても美しいだろうという自負と共に、見えぬ神に祈祷。将来への安寧と我が身の安寧を願った。答えてもらえる気が、ほんの少し漂った。暖かい風が私の自尊を運んでくる。一礼。

帰り道を辿ると、もう猫は見えなかった。物憂い。深い空の青が、私の気分を投影するスクリーンのようだ。石畳の先に、先程私を見たご老人がいる。時節はもうすぐ正月を迎えるため、初詣の飾り付けをしているようだ。脚立に乗って電球をいじっている。老体につき骨を折る仕事だろうが、その仕事をこなす様からは精悍な若さを感じる事が出来た。衣服の背中のシミがそのご老人の威厳を示している。神社に行くと気分が晴れ、人嫌いも断続的に落ち着くため、躊躇一端なくご老人に話しかける。

「手伝いましょうか。」

普段苦手な笑顔も、悪くない気分で出来る。自分を卒業できる。神社の法力を感じると、一つ殻が破けたような気がしてとても良い。私の声色はその成熟した外気によって上振れる。

「よかです。」

ご老人からの返事。私が聞いてから一拍、笑顔、そして一拍、返事。虚空にかぶりつくようなモーションの発声だった。私はしまったと思った。私の格好はとても手伝うには向かない次第の物で、手伝わせるにも向こうが気が引けると存じる。その晴顔は私の邪推に対する制裁のような笑顔だと認識した。「そうですか。すみません、失礼します。」と少々安い返事と一礼をして、一度始めた笑顔は崩さないように立ち去る。石段を降りながら、私は振り返ることが出来なかった。あのご老人を前に、私は自分が情けなくなったような気がした。潔白なる神主に威厳の掌底をされて、私は蟻ん子のような気持ちになった。そのような惜念につき、石段を降り切る少し前で私はつまずいた。少し踏み外しそうになり、がっと上体が前に出る。素早く次の一歩を踏みなんとか姿勢のリカバリーが出来て大事は起こらなかったが、反射的に振り返る。一端の不安のような作用で振り返る。そしたら神主がその様を見ていた。

「気つけなよ。」

また向けられたあの笑顔は、その掠れた声すら印象の濃い物とする。一時は制裁だと思われた笑顔だったが、そこには確かに光があった。光明。「はい。」と私はそれをきっちり受け取って、そのご老人の温情を確と感じた。気持ちの良い物だった。恥じるべくは私の先程の笑顔に対する考察だと絞った。しかし、それを恥じるもなく、素直にそのご老人の温情が身に沁みて、春の寒気も不快ではない物だった。石段を抜けて見える歯医者の看板に映る子供の笑うイラストに、涙がほろり、私に浮かんだ。

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