私は魔法と食事の為に腕を振るう

蒼月梨琴

1章

 自分がちっぽけな存在なのだとは理解している。周りに比べて何かが秀でているわけもなく、逆に周りよりも不器用で皆の足を引っ張ってばかり。

 そのせいで状況は悪い方向へしか進むことができず、後戻りができなくなってしまうまでどうすることもできなかった。

 ——その結果がこれだ。

 少女は深い森の中で意識が朦朧とさせながらうつ伏せに倒れていた。身に着けていた鎧はあちこちが泥にまみれて汚れており、滑らかな肌のあちこちには血が滲んでいる。

 「うっ」

 全身に力が入らないのかそれとも起き上がるだけの力がもう残っていないのか少女は僅かに体を身じろぎするだけでその場から動こうとはしない。

 そんな彼女に何かが近づいてきた。うつ伏せになった少女の全身に地響きが伝わってきており、徐々に大きくなってきている。


 ——パキッ


 「っ!」

 木々のざわめきだけが聞こえる中、倒れたままの少女の頭上で小枝が折れた音がした。

聞こえた音は決して大きくなかったが、静かな状況だとその小さな音もやけにはっきり聞こえる。音が聞こえた瞬間、少女はあまりの恐怖に息が止まった。少女は一人で森に入ったのだ。だからこの場に誰かが来ることは無い。

 つまりこの音は誰かが少女を助けに来たわけではない。もっと別のナニかだ。

 ゆっくりと少女は頭だけを動かして音のした方に視線を向けて視界に入ったものを見た瞬間——顔が引き攣った。

 地響きの正体はすぐ近くにいた。距離にして二メートルぐらいの距離でサーリャを見下ろす存在がいた。

 全身は紫がかった色をしており、外見は狼に近い。ただし狼と明らかに違うのは四肢から伸びている鋭い爪と大きく裂けた口から見える異様に多い牙がただの狼ではないと如実に示している。

 唸り声を発しながら真っ直ぐ少女を見ており、いつ飛び掛かってきてもおかしくない。一体だけならまだしも同じような存在が周囲に何体も控えている。

 飛び掛かられてしまえば満身創痍である少女が命を落とすのは避けられない。

 必死に逃げようとするが先程から体を起こすことすらできない。一歩一歩ゆっくりと距離を詰めてくるが不意に立ち止まって姿勢を低くした。その様子を少女は目が離せないでいた。

 姿勢を低くしていた獣はまるでバネで弾かれるように飛び出しこちらに迫ってきた。その様子を少女は最後まで見続けるしかできなかった。



 「どういうことですか!」

 雲一つない澄み切った青空が広がっているルイリアス王国。その中心にある王都リンガルに存在する建物の一つから信じられないと言った少女の声が響いた。

 王国内で唯一の騎士養成学校。その教室の一つから少女の声は響いている。

 「このままだと退校処分ってどうしてそんなことになるのですか⁉」

 先程から目の前にいる男性に食って掛かる少女——サーリャ・ブロリアスは今の状況を何とかしようと必死だった。

 今年十七歳となった彼女は白を基調とした騎士学校の制服に身を包み、目の前にいる男性へと迫った際に煌めく銀色の髪が揺れる。部屋の外から何人もの話し声や騒ぎ声が聞こえてくるが、誰もサーリャの大声を咎める者はいない。

 この部屋には現在サーリャと男性の二人だけで他には誰もいない。もしこの部屋の中に誰かがいたならば、サーリャの大声に眉を顰めていただろう。

 そんな中、サーリャに詰め寄られている騎士学校の教員であるヘルト・オズモンドは彼女の必死さとは逆に冷静に状況を把握していた。ヘルトは今年六十歳を迎えようとしているが、かつて騎士として長年国を守り続け騎士としての役目を引退してからはこの騎士学校で未来の騎士を育てている。

 引退しても日々のトレーニングは欠かしておらず引き締まった筋肉は服越しでもはっきりとわかる。

 「どうしてってね、言わなくてもわかるでしょうブロリアス嬢。あなたの実力ではこのまま騎士の称号を与えて卒業させるわけにはいきません。いつまでも卒業の見込みがない者を在籍させるわけにもいきませんし、そんな生徒の面倒を見続けるほど我々は暇ではありません」

 「なぜ実力が足りないのですか?私は毎日剣の鍛錬を欠かしたことはありません。周りよりも鍛錬の時間は多いと自負しています」

 サーリャは放課後時間の許す限り訓練場で剣の鍛錬をしており、いつも訓練場を最後に出るのはサーリャだ。素振りも剣技の型も覚えたことはすべて実践するようにしている。剣を握り続けてきたせいで手のひらはマメだらけになってしまい、他の女性騎士よりも手が荒れている。

 そんな努力を続けているのにもかかわらず実力不足と言われるのはサーリャのこれまでの努力を否定するにも等しい言葉だ。自然とヘルトへの言葉にも不機嫌さが混じってくる。

 それでもヘルトの表情は全く変わる気配がない。

 「鍛錬の時間の長さがが問題ではないのですよ。いくら剣の腕が上がったとしても魔法が使えなければ騎士資格は与えられません」

 「つ、使えないわけではありません。落ち着いて詠唱すれば発動はできます」

 「発動はできる……ですか。それならば聞かせてもらいますがこれまでの模擬戦で魔法はいったい何回発動しましたか?」

 「それは……」

 ヘルトからの問いにサーリャは思わず口ごもる。

 ルイリアス王国での騎士とは剣を振るうだけではない。いくら剣の腕があったとしてもそれだけではどうしようもできない理由があるからだ。

 魔法——人の力ではできないことを代わりに実現させることのできる神秘の力。術者の体内にある魔力・あるいは空間に漂っている魔力をかき集めて詠唱を唱えることで発動することができる。

 用途は多岐にわたり、日々の生活を便利にする魔法もあれば戦闘に使用される殺傷性の高い魔法も存在する。

 「いいですかブロリアス嬢。我々騎士は魔獣の脅威から市民を守るという重要な使命があります。魔獣はその辺のイノシシやクマなどとは違い穢れた魔力を身に纏い、通常の武器では致命傷を与えることは困難です。だからこそ魔法による攻撃で纏っている魔力を吹き飛ばし、そのうえで攻撃を与えていかなければなりません。私が知る限り、ブロリアス嬢はこれまで一度も魔法の発動が成功したことがありませんが私の記憶違いでしょうか?」

 この世界には魔獣と呼ばれる生物が存在している。魔獣とは何らかの影響で体内にある魔力が変質し、生物自体にも影響を与えて体の構造から変質してしまった存在のことを指しているので魔獣と言っても種類は様々だ。

 魔獣は通常の生物とは比較にならないほどの力と凶暴性を持っており、家畜や市民に被害をもたらしているため各国の共通で討伐認定されている。そんな時に国の命令を受けて動く存在が、魔法と武器の両方を使用することのできる魔法騎士だ。

 魔法騎士は前衛後衛の両方を担当することができ、前衛では使用する武器に魔力を帯びさせ相手の魔力を突破して本体にダメージを与えていき、後衛では遠距離魔法で魔獣を攻撃するのでまさに相手との距離に合わせて柔軟な対応ができる存在だ。

 ただし魔獣は誰もが楽に討伐できるほど簡単な存在ではない。新米騎士が数人で倒すことのできる簡単な魔獣もいれば、ベテランの騎士団複数の力を合わせなければ討伐できないほどの存在もいる。

 だからこそ騎士となる者は武器の扱いだけでなく魔法も扱えることが前提条件になるのだが、サーリャはその魔法の発動に問題があった。別に魔法が全く使えないわけではない。練習の時は発動できるが、いざ模擬戦となると一度も発動ができないのである。

 人一倍努力しているサーリャはもちろん魔法に関しても力を入れている。詠唱も一字一句頭の中に入っており練習の時には問題なく発動できるのは確認している。ただ、模擬戦は練習とは違って常に状況が変化している。相手からの攻撃を避けながら一定の距離を保ち、詠唱をするにはかなりの集中力が必要となる。

 魔法は詠唱を行うことで発動時のイメージを明確にし、そのイメージをもとに魔法が発現する。込める魔力量とイメージがはっきりとしていれば強力な魔法を使用することもできるが、逆にイメージがあいまいであればいくら魔力を込めても魔法が発現することは無い。

 サーリャの場合は相手からの攻撃を避けることに必死になり詠唱が詰まったり中断してしまうことばかりで不発に終わり、一度も発動したことが無いのである。

 「それでも、魔法が使えなくても剣技だけでも対抗することはできます」

 「あなたはこれまで何を学んできたのですか。魔力を帯びさせていない武器で魔獣を攻撃することはできますが、代わりに魔獣の魔力があなたの持つ武器に移ってしまうのですよ?相手の魔力は徐々に武器を侵食していき最後は武器として使い物にならなくなってしまいます。長期戦も予想される戦場で何本も使い捨ての武器を持つなどどう考えても足手まといにしかならないでしょう」

 ヘルトの言い分は正しい。実際魔力を帯びさせていない武器は相手の魔力の浸食を徐々に受けていき、最後は簡単な衝撃にも耐えきれず破壊されてしまうのだ。これは剣や槍などの武器は当然のことながら鎧にも同じことが言える。

 武器への浸食があるというのならばそれを持つ使用者自身にも浸食が起こってしまうのではないかという問題もあったのだが、これは心配ない。魔力での浸食は装備だけにとどまり体内への浸食は無いからだ。

 これは人が体内に魔力を宿しているということが大きく影響している。武器に魔力を帯びさせれば浸食されないのと同じように、人という器は生まれた時から魔力を宿した存在と同じ扱いになる。たとえ魔獣からの攻撃をその体で受けたとしても互いの魔力は水と油のように反発し合い決して混じり合うことは無い。

 もはや呆れ果てているヘルトの表情を見ながらサーリャは悔しげに拳を握りしめた。ヘルトから言われなくてもわかっている。それでもここで認めてしまえばサーリャは退校処分を受けてしまう。だからこそ少しでも可能性のある手段に賭けるしかないのだ。

 「ブロリアス嬢。あなたがどう頑張っても戦場で魔法が使えなければ役に立つことはありません。模擬戦とはいえ殺意の無い戦いでまともに魔法を発動できないのであれば本物の戦場で魔法を使うことなんて不可能です。実践とは模擬戦とは違い命の奪い合いをする場なので精神的摩耗は今とは比べ物になりません。あなたの事情は理解していますがそろそろ現実を見るべきなのではないですか?」

 サーリャは黙ってヘルトの言葉を聞いていたが、内心は叫びだしたい衝動を必死にこらえていた。ヘルトの言い分は正しいのかもしれないが、その言葉の裏では早くサーシャを退校処分にしたいという意思があるのは明白だった。

 そもそも、ヘルトは一見サーリャのことをこれまでしっかりと見守ってきたような口ぶりだが、サーリャがヘルトとこうして一対一で話すことなどこれまで無かった。

 ヘルトは常に将来有望な生徒の指導ばかりしており、サーリャの指導で話しかけてくることは無かった。誰も教えてくれないからこそ、サーリャは一人で鍛錬を繰り返すしかなかった。

 他の教員も初めは他の生徒と同じようにサーリャへの指導もしてくれていたが、魔法がまともに使えないことを知ると徐々に距離ができ始め、最後は誰もいなくなってしまった。

 「——すよね」

 「はい?」

 俯いたままだったサーリャは顔を上げキッとヘルトを睨みつける。

 「魔法が戦場で使えなくたって魔獣を討伐できれば騎士として認めてもらえるんですよね!」

 ヘルトがサーリャを退校処分にしたいのはサーリャが魔法を使えないという部分に注目しているからだ。ならば、魔法が使えなくても魔獣討伐の功績があればヘルトの言い分を覆すことは可能なはず。

 「……何を考えているのか予想はできますがそれは止めておきなさい。できもしないことの為に命を賭けるなんてどう考えても無謀としか言いようがありません」

 「やってみないとわからないじゃないですか!」

 小馬鹿にしたように鼻で笑うヘルトにサーリャはすぐさま言い返す。ヘルトの中では結果は見えているようだが、実際やってみなければわからない。

 全く意思を変えるつもりがないサーリャの姿にヘルトは「ふむ」と顎に手をやり何かを考え始める。その様子をサーリャはじっと黙ったまま見ている。

 やがて考えがまとまったのかヘルトは顎から手を放して口を開いた。

 「そこまで言うのならブロリアス嬢には特別課題を与えましょう。それをクリアしたのならあなたの退校処分を見直してあげましょう」

 「……特別課題とはいったい何ですか」

 サーリャは警戒心を解くことなく課題内容を尋ねる。退校処分を撤回させるほどの課題だ。決して簡単なものではないだろう。

 「あなたにはルクドの大森林でこちらが指定する魔獣を討伐していただきます。期間は一か月。単独で討伐し、討伐の証である魔石を持ち帰ってくることが条件となっています。討伐目標はそうですね……ハイロウウルフでお願いします」

 「ハイロウウルフ⁉」

 討伐目標を聞いたサーリャは思わず目を見開き信じられないといった声を上げた。

 ハイロウウルフは狼のような姿で主に森を縄張りとしている魔獣だ。魔獣側から魔法を用いた攻撃をすることは無く脅威としてはそこまで高くはないが、その代わりに身体能力が魔力によって底上げされている厄介な相手だ。持ち前のスピードで相手をかく乱し、僅かな隙を見つけたら鋭い牙と爪で相手を切り裂くことを得意としているのでなかなか近づくことのできない相手である。

 サーリャも魔獣の生態や討伐方法などはしっかりと頭に叩き込んではいるが、ハイロウウルフの場合はとにかく相手の動きを魔法で止め、足が止まった隙をついて接近して討ち取るというのが基本とされている。

 魔法行使のできないサーリャにとっては厄介な相手と言わざるを得ない。

 「そうです。本来であれば魔法行使が基本であり、油断さえしなければさして脅威にはなりえない相手です。そんな相手に魔法がまともに行使できないブロリアス嬢が単独で討伐できるのであれば確かに魔法の存在が無くても市民を守る騎士として立派に務めを果たせるでしょう」

 「それでもどうしてルクドの大森林なのですか⁉」

 ヘルトの言い分はもっともだ。それでもサーリャが問題視しているのは討伐相手だけではなくその場所が問題だった。

 ルクドの大森林——そこはルイリアス王国の西に位置する場所にある広大な森で、王国内でも有数の魔獣生息区域である。大森林の中は他よりも魔力濃度が高く突然変異を起こした魔獣が何種類もおり、独自の生態系を形成している場所だ。魔力濃度が高いせいで一般的な魔獣よりも力が強く複数体の魔獣と接触したのならば戦闘は避け、撤退することが推奨されるほどだ。もちろん騎士見習いのサーリャは知識として大森林の存在は知っているが実際に足を踏み入れたことのない未知の土地だ。

 そんな場所で騎士見習いのサーリャが単独で魔獣討伐など不可能にも近い内容だ。

 「別に無理して受ける必要はありませんよ。大森林に生息するハイロウウルフです。変に意地になって命を落とされても困りますからね」

 未知の土地で難易度の高い魔獣の単独討伐。本来ならば無理に受ける必要もない課題だ。だが、今回は事情が事情だ。だからこそサーリャの答えは決まっていた。

 「やります。やらせてください」


 ヘルトとの話が終わり部屋を後にしたサーリャは足早に廊下を進んでいく。

 「まずは装備の確認ね。メンテナンスは怠っていないから大丈夫として、傷薬の補充と各種解毒薬も買い揃えないといけないわね。大森林内で寝泊まりするわけにもいかないから近くの宿屋を調べておくとして携帯食はある程度揃えておこうかしら。あとは……」

 「これはこれは。誰かと思えばブロリアス嬢ではないか」

 ぶつぶつとこれからのことを考えていたサーリャだったが、不意に自分のことを呼ぶ声が聞こえ、いったん思考を中断することになった。

 その声の持ち主が誰か分かった瞬間サーリャは不愉快そうに顔を歪めた。思考を巡らせて自然と俯いていた顔を上げると前方に一人の男性が立っていた。

 サーリャと同じく騎士学校の制服を着ており、しっかりと整えられた金髪が窓から差し込む光に反射して輝いているように見える。

 端正な顔立ちも相まって女子からの人気は高いのだが、サーリャからすれば目の前の男性は好意を抱くどころか逆に嫌悪の方が強い。

 「これはキリアン・オルランド様。私に声をかけてくださりありがとうございます」

 サーリャは歩みを止め軽く頭を下げてキリアンに挨拶を返す。キリアンに対しての言葉にあまり感情が乗っていないのはこの際仕方ない。

 一方のキリアンはそんなサーリャの内心を知っているのか知らないのかわからないが特に気分を害した様子もなく、笑顔を崩すことなく話しかけてくる。

 「そんな堅苦しい挨拶なんて必要ないよ。俺たちは同じ騎士学校に通う仲間じゃないか。貴族社会の身分はこの学校にいるうちは忘れようじゃないか」

 「これは失礼しました。——では、私に何か用でしょうかキリアン」

 サーリャは下げていた頭を戻し表情を変えることなく真っ直ぐとキリアンを見る。キリアンは相変わらずニコニコと笑顔のままだ。この場には現在サーリャとキリアンの二人しかいない。もしこの場に誰かがいてこのやり取りを見ていたならばキリアンの言動は身分にとらわれない器の大きい人間だと評価されていただろう。

 実際、彼の振る舞いは一定の評価を集めており彼に付き従っている者も何人かは存在する。

 キリアン・オルランド。オルランド伯爵の息子であり次期当主として期待を寄せられている人物である。オルランド家は代々当主となる者はこの騎士学校で騎士の資格を授与されることが前提条件となっており、有事の際は当主自ら戦場に出るためだったといつだったか耳にした気がする。

 彼の父であるオルランド当主は領民のために日々生活環境の改善を実行しており、その成果もあって領民からの信頼は厚い。

 しかし、父が素晴らしい人格者だったとしてもその息子が彼と同じような人間だとは必ずしも言えない。

 口にこそしないがサーリャは気づいてはいた。声をかけられた時から常に笑顔を絶やさない彼だが、その笑顔も本当の表情を隠すための仮面でしかないことに。表情とは裏腹にその目が全く笑っていないことにも。

 「何か用とは残念だな。俺は一人悩んでいる君が気になって声をかけただけだよ。何か気になることでもあるのかな?」

 「別に。あくまでも個人的なことなんでキリアンが気にするようなことではないですよ。用が無いならこれで失礼します。少しやるべきことが残っているので」

 「おやおや。ずいぶんと冷たいじゃないか。もう少し君との会話を楽しませてくれよ」

 「……失礼します」

 これ以上彼と無駄話をするのは御免だ。そう言って彼の横を通り過ぎたところでサーリャの背後から再びキリアンの声が聞こえてきた。

 「そういえば噂で聞いたのだけれど、ブロリアス嬢はどうやら近々この学校を去るようだね」

 ピタリとサーリャの足が止まる。

 「同じ学び舎で過ごした仲だから非常に残念だとは思うが騎士という資格は選ばれた人間だけが持つべきものだ。選ばれる資格がない者をいつまでも学び舎に居させるわけにもいかない学校の方針には私も同意せざるを得ない」

 ゆっくりと背後にいるキリアンに振り返ってみれば言葉を交わした時と同じ場所から一歩も動かずにサーリャを見ている。しかし、その顔にあるのはさっきまでの優しげな仮面ではなく、こちらを見下すような彼本来の表情がそこにはあった。

 「私はこの学校を去るつもりはありません。無事に卒業し、騎士の資格を手にするんです」

 「はっ!魔法をまともに使えない人間が何を偉そうに言っている。騎士の資格は努力だけしていれば無条件でもらえるようなものじゃない。魔法と剣技、その両方を使えて初めて魔獣を倒すことができるんだ。貴様のような存在は我々騎士を目指す者からすればとんだ恥晒しだ。おとなしくこの学校から去るがいい」

 「騎士を目指すのに選ばれた人間かそうでないかは関係ない。騎士は本人の意思があれば誰でも目指すことができるし、それを周りから否定されるつもりはありません」

 実際サーリャの在籍している騎士学校への入学にはそれほど大きな制約は課されていない。剣・槍・メイスなどの武器を問題なく振るうことのできる腕力と最低基準の体力があれば家柄に囚われず、貴族平民も関係ない。

 その代わりに騎士という人々を守るという役割を与えられる以上訓練は厳しいものが待っており、意志の弱い者は自分から学校を去っていく。

 つまり強い意志があるならば厳しい訓練も耐え抜き騎士になれることができるのだ。

 サーリャが言い返すとキリアンの表情が固まった。そして薄ら笑いを浮かべていた表情が徐々に怒りに歪んでいく。

 「お前はどうやら自分の立場が分かっていないらしいな。どれだけ強がっても結果は変わらんぞ」

 もはや取り繕う必要もないのか言葉遣いも本来のものに戻っている。それでもサーリャは引くことはしない。騎士になるというのは幼い頃から憧れていたことで必ずなると心に決めているのだから。

 「あなたから何を言われても私の決意は変わらない。必ず課題をクリアして騎士として認めてもらうのよ」

 毅然とした態度でキリアンにそう宣言したサーリャは返答も聞かずに歩き始めた。これ以上の彼とのやり取りは時間の無駄だ。

 「貴様は騎士にはなれない!次に顔を合わせる時は貴様の退校処分が決まって惨めに去るのを見届けてやるからな」

 キリアンの声が背後から追ってきたがサーリャは特に反応することもなく真っ直ぐその場から歩き去った。彼と会う前とは違いこれまで以上に決意をその心に抱いて。



 その日の夕方、サーリャはとある店のドアを開けた。

 「こんにちは。ゴルトさんいますか?」

 あまり大きくない建物の中に入ったサーリャはカウンターまで近づき奥の部屋に向かって声をかけた。奥の様子は壁で遮られて見ることはできないが、わずかに金属音が聞こえてくるから留守というわけではなさそうだ。

 周りの壁には様々な武器が陳列されており種類も豊富だ。槍、メイス、剣、弓。他にも見たことも無い様々な武器が種類ごとにまとめてあるので利用者に優しい並べ方だ。

 「ゴルトさ~ん。聞こえてますか~」

 「うるせぇ!行くからもう少しだけ待ってろ!」

 いつまで経っても店の主が現れないので仕方なくサーリャは奥に向かって声をかけてみると今度はすぐさま返事が返ってきた。どうやら作業の途中だったようだ。

 しばらくすると奥の部屋から一人の男性が現れた。頭にタオルを巻いて髪が隠れており、両手には厚めの手袋をしている。目は鋭くいかにも頑固おやじという言葉が似合いそうな人物だ。

 「やっと出てきた。遅いですよゴルトさん」

 「知るか。こっちは俺が丹精込めた武器の仕上げをしていたんだ。途中で放り出すなんてそんなふざけた真似なんかできねぇだろ」

 「だったら最初に声をかけた時に返事くらいしてくださいよ。無視されてるのか聞こえていないのかと思ったじゃないですか」

 全く悪びれる様子もないゴルトにサーリャは口を尖らせるが、本人は全く反省する気配はない。

 「物作りはどんな時も全力で挑まないといかないんだ。別のことに気を取られてなんかいられるか」

 「さっきは私の声に反応していたじゃないですか」

 「さっきはちょうど区切りがついたところだったから返事をしたんだ。まだ槌を振るっているところなら返事なんぞせんわ」

 「ちょっ⁉仮にもお客相手にそれは酷い!」

 ゴルトの発言はまさに職人気質の典型的なものだろう。商売よりもより良い武器を作ることの方に重要性を見出すなど他の店ではまず見られない光景だ。だからこそ信頼できる相手でもある。儲けより常に最高の品を提供する店には一切の妥協が無いので余計な心配をする必要もない。

 ここはゴルトが経営する鍛冶屋。鍛冶屋を営んでいるとはいえ、本人の性格がコレだから無茶なお願いや妥協案などは一切受け付けず、常にゴルトの裁量で取引がされているのであまり人入りは多くはない。しかし最高の品しか置いていないのでその善し悪しが分かる一部の騎士からは絶対の信頼がおかれ、彼に装備メンテナンスの依頼を出すリピーターもいる。

 ちなみにサーリャも常連客の一人で何度も訪れている。

 「それで?今回はいったい何の用だ。ついこの間装備のメンテナンスはしたばかりだから他の用事なんだろ?」

 「そうそう忘れるところだった。ゴルトさん私でも扱えるような短剣ってあるかな?切るとかではなくて、こう投げるみたいなの」

 サーリャはそれっぽい仕草をゴルトに見せながら説明する。

 「ああ?投擲用の短剣なんて何に使うつもりなんだ。お前にはその立派な剣があるだろう」

 「それがね、近々ルクドの大森林に単独討伐をしに行くことになって、それ用の武器を揃えに来たんだよ」

 「は?騎士見習いのお前がどうしてあんな場所に一人で向かうんだよ。どう考えても力不足だろ。死にに行くようなもんだぞ」

 サーリャの説明にゴルトは信じられないといったように驚いた表情で固まった。やはりゴルトでも同じような感想しか出ないようだ。情けない話だが、サーリャが逆の立場であっても同じ反応をするだろう。

 「どうしても大森林で魔獣を一体狩らないといけないの。そのためには離れた距離でも攻撃できる短剣が必要不可欠だから何本か買いたいの」

 「魔法はまだ使えないのか?」

 「うん。実際戦闘になったら最後まで詠唱しきれる自信が無いから確実な手段を取りたいの。なんとかならない?」

 サーリャのお願いにゴルトは頭をかきながら「どうすっかな~」と悩み顔になった。ゴルトもサーリャが魔法をうまく使えないことを知る人物の一人である。きっかけは当時使っていた長剣が使い物にならなくなり、ゴルトの店で見繕ってもらった時だった。

 ゴルトは相手のスタイルに合わせて細かな調整をしてくれるのだが、その際に「お前さんは剣にどんな魔法を付与させているんだ?」と聞かれたことが始まりだった。

 嘘をついて誤魔化そうとしていたサーリャだったがゴルトが真剣にサーリャの為にと剣を選んでくれている姿に良心が痛み、魔法が使えないと正直に話したのだった。

 ゴルトは初め驚いた様子だったが、すぐさま立ち直り陳列している数多くの剣の中から一振りを選んで戻ってきて、


 ——これならお前さんに合うだろう。耐久性を重視したやつで切れ味は俺が保証する


 それ以来ゴルトの鍛冶屋でお世話になることが決まったのである。

 ゴルトはサーリャの剣を選んでくれた時と同じように短剣がまとめられている棚に近寄って真剣な表情で一本ずつ手に取りながら選んでくれている。サーリャはその姿を見ながら何も言わずただ黙ってゴルトが決めてくれるのを待っていた。

 なんだかんだ言いながらも最後はしっかり相手のことを考えてくれるのが彼の不器用な優しさだ。本人は否定していたが。

 「とりあえずこの三本の中から選んでみても構わないか。実際使うのはお前さんだ。手に馴染むのを最後は自分の判断で決めてくれ」

 そう言ってゴルトが持ってきたのは三種類の短剣だった。一本目はサーリャがよく知る一般的な投擲用の短剣で、刀身も長くなく無駄な装飾もされていない。

 二本目は一本目の短剣と似たようなデザインで、違いがあるとすれば先程のよりも少し刀身が長く先端部分が針のように尖っており、小さな隙間にも難なく入り込み相手を刺すことに向いてそうだ。

 三本目に関しては他の二本と違って少しデザインが変わっている。刀身の長さは一本目と二本目の中間ぐらいだろう。先の二本は直剣的なデザインだったが、この短剣は刀身自体が軽く湾曲している。湾曲しているので直線的に投げてもうまく刺さるかがわからない。書物で見たことはあるが、おそらくこれは刀身自体を回転させながら投げて刺さると同時に湾曲した刃がさらに奥にまで刺さるように設計されたものなのだろう。

 サーリャは一本一本手に取り重さや握りやすさ長さなどを一つずつ真剣に確認していく。自分の命を助けてくれるかもしれない道具だ。不安が残るような選び方はしてはならない。

 「う~ん。私ならこれが一番しっくりしたかな」

 一つずつ、時には二本持ちながら比較をしたりしながらサーリャが選んだのは一本目の一般的な短剣だ。

 今回サーリャが相手にするのはハイロウウルフだ。狼と身体特徴が似ているので小さな狙いに絞る必要がないため先が針のように細い短剣は今回の目的とは合わないし、湾曲した刀身の短剣はそもそもサーリャ自身まだ一度も使ったことが無い。扱ったことのない武器を実践で使っていくには危険すぎる。

 よって消去法の結果残ったのがこの短剣というわけになった。

 「ゴルトさんありがとうございます」

 「ちょっと待ちな」

 「ん?」

 短剣用のホルダーも一緒に買っておき麻袋の中に詰め込んだサーリャは次の店に向かうためドアに手をかけたところで背後から呼び止められた。

 ゴルトはカウンター越しに立っており、腰に手を当てながらサーリャを見ている。

 「俺が作った物はどれも俺が真剣に向き合った武器だからその質は保証する。だから生きるために捨てたり壊れたりするのは構わねぇ。だがな、無茶をした結果その場に放置され人知れず朽ち果てるような使い方をされるのだけは許さん。ボロボロになってもまたここに持ってこい。見違えるほどに修理してやる」

 「あっ……」

 ゴルトの言葉にサーリャは何も言えなかった。いつものように気楽な言葉を返そうとしたが、口がパクパクと動かすばかりで肝心の声が出てこない。

 ゴルトは気づいているのだろう。だからこそどんな結果になってもこの店で彼女の帰りを待ち続けていると。こんな自分を待っていてくれる人がいてくれることがサーリャにとっては何よりも嬉しかった。

 そんな人を悲しませるわけにはいかない。サーリャは目を閉じ一度深呼吸をして再び目を開けるといつものように彼に言った。

 「わかっているわ。一か月後また戻ってくるからその時はよろしくね」



 数日後、サーリャは予定通りリンガルを出発しルクドの大森林に一番近い町で宿をとっていた。リンガルからルクドの大森林までは徒歩だと数日はかかるが、運よく乗合馬車を捕まえることができたので予定より早く町に着くことができた。

 一か月以内にハイロウウルフを討伐し王都に戻らないといけないので帰りのことも考えるとあまりのんびりとはしていられないのだが、焦ればやられるのは自分だ。町に到着したその日は森には向かわず宿で持ち物の再確認をしたり情報を集めたりと移動の疲れを残さないように過ごしていた。

 その日の夜、サーリャは宿の一階にある食堂で夕食をとっていた。野菜のスープを飲みながらもサーリャは内心緊張と不安でいっぱいだった。

 (明日からとうとう大森林に入るのね)

 ここに来るまでにサーリャは考えられるすべての対策を怠らなかった。装備は万全。治療に必要な薬の類も不足が無いように揃えてあるし携帯食も水も忘れないようにしてある。

 あとは目的の相手を狩ることができれば課題は達成だ。ただそれだけなのだが、どうしても不安は残る。

 せめて食事の時間だけでも明日のことは忘れようとしたところで店の扉が開いて数人の屈強な男たちが入ってきた。

 「女将~。今日のおすすめの料理は何だぁ?」

 「あんたたちかい。今日は今朝仕入れたばかりの乳を使ったグラタンがおすすめだね。いつも食べてる肉も用意できるけどどうするんだい?」

 「じゃあ女将の言葉を信用してそのグラタンをくれ。五人分でビールも付けてくれよな」

 「はいはい。用意するからちょっと待ってな」

 男たちはこの店の常連なのだろう厨房にいる女将と他愛のない会話をしていることからもそれは分かる。この店は町に着いた際、門番に安心できる宿を聞くと教えてくれた場所で、どうやら評判の高い店だったようだ。

 実際サーリャの手元にも野菜スープと一緒に熱々のグラタンが置かれている。

 そんな中、サーリャの耳に聞き逃せない話が聞こえてきた。

 「しっかし最近魔獣の様子が変だよな。いつもより変異種が多くないか?」

 「ああ。それは俺も思った。変異種もそうだが、通常個体も普段より気性が荒くなっているな。フォレストボアなんてあんな浅い場所にいるはずないだろ」

 「今までの情報が役に立たないのが厄介ですね。私個人の感想で言うなら魔獣たちは何かに反応して騒いでいるように見えましたね。大森林の中で何かが起こっているのかそうでないのかもわからない状態では不安が残ります」

 さっきまで女将と会話をしていた男たちの話の中に、明日からサーリャが足を踏み入れる予定の情報が混ざっていることに気が付きサーリャはグラタンを食べつつ彼らの話を聞き逃すまいと意識を集中させていた。

 (このタイミングで大森林に異変⁉冗談じゃないわ。こっちは将来がかかっているというのに)

 サーリャの中に暗雲が立ち込める中、男たちの会話は止まらない。

 「明日騎士本部に行って事情を伝えておくか?」

 「よせよせ。あのルクドの大森林だぞ。説明したところであの大森林だからと相手にされないのが目に見えてるよ。前にも似たようなことで言いに行ったことがあったのを忘れたのか?」

 「まぁそうなんだけどさ。最近のはいつもとなんだか様子が違っているように見えたんだよな」

 リーダー格の男が眉を寄せながらどうするかと悩む中、周りの仲間は気にした様子もなく話している。リーダーも違和感があるのだが、それが何なのかうまく説明できないようでしばらく悩み続けていたが最後は「まぁ、いっか」と自分なりに納得してしまい運ばれてきた料理に意識が変わってしまった。

 サーリャは声に出さないよう溜息をついた。もう少し聞きたいところではあるが、魔獣が普段と違った動きを見せているという情報を得ることができたのは僥倖だ。

 サーリャは再びグラタンを口に運んだ。変わらず美味しいグラタンであるが、サーリャの表情は先程までとは違って少し暗い影を落としていた。



 翌朝サーリャは泊まっている部屋で身支度を整えていた。

 「これで良し。何も問題はないわね」

 部屋に備え付けられている鏡で自分の姿確認したサーリャは問題がないことを確認した後頷いた。

 サーリャは昨日までの移動に使っていた衣装とは違い、武器や鎧を装備した完全武装の姿になっている。

 胸当てを付け、手足には金属のプレートが付けられているがプレートで保護されている部分は少ない。代わりに露出している部分を革製のレザーアーマーで覆うようにして万が一の攻撃にも対応できるようになっている。全身を鎧で覆ってしまうとあまりの重さに動けなくなっているので必要最低限の部分だけは金属で保護する形になっている。

 腰には包帯や傷薬が詰められているポーチを付け、ベルトのように付けられたホルダーにはゴルトが作った短剣が左右に四本ずつ。合計八本が付けられている。

 左の腰にはこれもまたゴルトに選んでもらった彼女の直剣が鞘ごと括り付けられており準備は万全だ。

 髪は邪魔になるので後ろでまとめて支障が出ないようにしてあり、さすがに完全武装したこの格好は目立つので上から移動に使っていたローブを纏っている。これ以上の荷物はさすがに持てないので残りの備品は麻袋の中に詰め込んでいる。万が一足りなくなったら安全な場所で補充することはできる。

 改めてサーリャは鏡に映った自分の姿を見た。どこにもおかしなところは無い。今日までに十分な対策も取り全てが万全の状態なのだ。それでも鏡に映る表情は心なしかぎこちなく不安が顔に出ている。

 「こんな顔じゃ駄目ね。もう少ししっかりしなさいサーリャ・ブロリアス。あなたはこれからあの大森林に行くのよ」

 気持ちを切り替えるように自分の顔をぴしゃりと両手で叩いたサーリャは真剣な面持ちで宿を出るために歩き出した。


 「ここがあの大森林なのね」

 サーリャは目の前に広がる森を見上げて思わず呟かずにはいられなかった。目の前に広がっているのは目的地であった大森林だ。

 見上げるほどに成長した木々は高濃度の魔力を常に浴びていた影響なのか土地柄なのかわからないが、幹が通常の木よりも以上に太く一本一本が三十m近くもあるので陽の光が遮られて少し中は薄暗くなっている。

 ここからは少しの油断が命取りとなる。常に全方位に注意を払いながら森の中を進み、草木の中に残っている課題目標の手がかりを見つけていかないといけない。

 「よし!それじゃあ行きますか」

 無意識に腰に吊るしていた剣の柄を触ったサーリャはルクドの大森林に足を踏み入れた。



 ルクドの大森林は生態系が独特で慎重に慎重を重ねなければならない。それは王都にいる時から嫌と言うほど聞かされていた事実でその教えは忘れたことは無い。広大な森なのだからいきなり本命と遭遇することは無いとわかっていたのだが、探索を初めてすでに四日目。まったくハイロウウルフの痕跡を見つけることができないことにサーリャは少し焦りを感じ始めていた。

 「この辺りにもいないわね。どこにいるのかしら」

 サーリャは何度目になるかわからない感想が思わずこぼれた。サーリャはポーチの中から小さな手帳を取り出し情報を書き込んでいく。

 手帳に書かれているのはサーリャがこの四日間で知りえた情報が詰まっている。サーリャがこれまで進んだ範囲のマッピング情報と、その中でハイロウウルフの痕跡があったかどうかの情報が追記されている。手帳の中には痕跡が見つからなかったことを閉める×印がいくつも書き込まれている。

 (流石にここまでいないとなるともう少し奥に入らないと見つからないわね)

 サーリャは近くの倒木に腰を下ろし、手帳の情報を見ながら今後の方針を見直していた。

 これまでサーリャが遭遇したのは比較的小型で脅威になりにくい魔獣ばかりで対処も簡単だった。簡単だった半面、目的の相手の痕跡が全く見つからず貴重な時間をただ消費するだけになっていた。

 そしてサーリャがマッピングしたのは大森林の中でも比較的浅いエリアで深部にまで入っていない。なので書き込んでいる地図も外周部分が多く、まるで中心がくり抜かれたパンのようになっている。

 この状態になっているのはサーリャ自身の実力不足も当然あるが、安全を第一に行動してきた結果とも言える。もともと薄暗い森の中での行動なのでどれくらいの時間が経ったのか把握しにくい。

 暗くなって見通しが悪い中での戦闘は避けているので、まだ比較的早い時間であっても暗くなってきたと判断するとその日の探索は早めにきり上げるようにしているのも時間がかかっている理由の一つかもしれない。

 もしかしたら臆病者と周囲からは言われるのかもしれない。それでも自分の命を簡単に天秤に乗せるようなことをサーリャは決してしない。命あっての騎士資格だ。騎士になる前に命を落としたのでは本末転倒もいい所だ。

 しかし、自分の身の安全ばかりを気にしていてはいつまで経ってもハイロウウルフに出会うことができないのもまた事実。楽に討伐できることはここでは不可能。ある程度の危険は覚悟する必要がある。

 「とりあえずこのまま奥に行ってみようかな」

 森からの出口は少し町から遠ざかっているが、わざわざ別の場所に移動してから奥に入るよりも今いる場所から入った方が時間の短縮にはなる。

 サーリャはそう判断し、装備の再確認を済ませてから立ち上がった。そしてそのまま森の奥へと続いている方向に歩き始める。

 周囲を警戒しながら奥へと進んでいたサーリャだったが、無視できない音が聞こえてきて慌ててその場にしゃがみこんだ。音の正体はまだ目にしていないが、少し先の茂みの向こうから小枝が折れる音と呼吸音が聞こえてくる。

 サーリャはしゃがんだままの姿勢で息を殺しながらゆっくりと茂みに近寄っていく。音を立てないようにゆっくりと目の前の茂みに手を入れ僅かな隙間を作る。隙間の向こう側には一体の魔獣がいた。

 (あれはフォレストボアね。資料で見ていたよりも大きいわね)

 フォレストボアは猪型の魔獣で大森林以外の場所でも目にすることのできる珍しくもない存在だ。

 猪という生物の特性上、相手に突進していき自慢の牙で相手を傷つけるという攻撃方法だ。今目の前にいるフォレストボアもおそらく同じだと思うが、その姿にサーリャは困惑を隠せなかった。

 フォレストボアの平均的な大きさは大体一メートル前後。目の前にいるフォレストボアは恐らくその倍はあるのではないだろうか。そして一番目を引くのがその巨体を支える足。

 体のバランスから考えると不自然なくらいに発達した足はまるで巨大な柱のように太い。あの脚力から生まれる突進力は並大抵ではないだろう。

 しかし、いかに脚部が発達していようと所詮は猪。相手の突進に注意を払えていれば対処は可能だ。そしてフォレストボアは今こちらに背を向けて足元に生えている草に鼻先を突っ込んでいる。

 サーリャは音を立てないように静かに後ろへ下がり腰に下げていた剣を抜いた。

 「我が内に宿りし力よ、鋭き刃を纏い我を助けよ」

 刀身に手をかざし、間違えないようゆっくりと詠唱を始めるサーリャ。戦闘中の詠唱はできないが全く魔法が使えないわけではない。こうして戦闘を始める前に準備をしておけば魔獣との戦闘は行える。

 詠唱が終わるとサーリャの持つ剣の刀身が淡い青色の膜に覆われた。膜はサーリャの持つ剣の刀身全体を覆うように包まれており刃の形になっている。無事に魔力を武器に帯びさせることができたようだ。

 剣を手に先程サーリャがのぞき込んでいた茂みから再び顔を出すとフォレストボアは移動もせずその場にいたままだ。このまま背後から奇襲をかけることができる。

 今回サーリャが討伐するべき相手はハイロウウルフだけなのだが、ハイロウウルフ以外を全く相手にしないというわけではない。もちろん避けられない戦闘は対処するが、それ以外でも討伐できそうな相手がいる場合は極力討伐してしまいたいというのがサーリャの方針で理由は二つある。

 一つは討伐した魔獣が残す魔核を回収しておきたいという理由がある。魔獣は討伐されると魔核と呼ばれるものを残す。魔核は魔獣の体の大きさによってその大きさは変動するが、すべての魔核は共通して紫色の丸い形となっている。この魔核を騎士本部の受付に持って行けば討伐証明として報酬が貰える形となる。

 討伐した魔獣の種類によって報酬額は変動するがその額は決して少なくない。防具の修繕や武器の新調など何かと出費が重なる生活では貴重な収入源となる。

 もう一つの理由が功績を少しでも残しておくためだ。

 ハイロウウルフの討伐が最優先目標だが、この広大な森の中で期間内に討伐目標と出会えるかどうかは正直運任せな部分がある。遭遇することができれば気にすることは無いが、万が一出会えなかった場合手ぶらで帰ってしまっては本当に何もできない人物だと評価されることは明らかだ。その評価を少しでも避けるために功績を残して評価点を稼ごうという思惑があるためだ。

 ありふれた存在であるフォレストボアでは大した功績にはならないだろうが何もしないよりかはましだ。

 茂みから立ち上がったサーリャは音を立てないようにゆっくりと背後から近づいていく。

 やるなら一撃。近づきながら剣を上段に構えていつでも振り下ろせる状態にしておく。緊張から剣を握った手の内側が少し汗ばんできた。

 (ここまで来たらあとは踏み込みからの振り下ろしの方がいいわね)

 フォレストボアがすぐ目の前で背中を見せている。あと一歩踏み込めば届くがこれ以上はさすがに気が付かれるだろう。

 しっかりと剣を握り直し、踏み込みと同時にサーリャは勢いを乗せた斬撃を放った。

 「っ!」

 サーリャは驚きのあまり目を見開いた。

背後からの完璧な不意打ち。確実に致命傷を与えることができたと確信していたサーリャの斬撃はサーリャが思い描いていた結果を残さなかった。

 振り抜いた場所にはさっきまでいたフォレストボアの姿は無く代わりにその場には小規模の爆撃魔法が着弾したのではないかと思うような掘り返された地面がある。そして刀身はサーリャが魔力を帯びさせたままの青い光だけしか付いていない。

 サーリャは素早く剣を戻し周囲に視線を巡らせた。

 (そんな⁉あのタイミングから躱されるなんて)

 攻撃のタイミングも状況も完璧だった。普通なら躱されることのない状況にも拘らず仕留めきれなかったのは言葉にすれば至極簡単。


——相手が普通ではなかったからだ。


 斬撃が届く瞬間、フォレストボアはこちらを見ることなく前に飛び出したのだ。おそらく剣を振るう時の風切り音を耳にしたのか気配を察知したのだろう。

 気配に気づかれたことは悔しいが、それよりも驚愕するべきことが他にあった。

 (あのレベルの速さを初速から出せるなんて恐ろしいくらいの脚力ね)

 フォレストボアは前に飛び出す際、まるで砲弾を打ち出したのかと思うほどの加速を見せたのだ。剣を振り抜いた後に地面が掘り起こされたような跡があったのはフォレストボアがその強靭な足で地面を踏み出した際の影響だ。

 それほどの加速を正面から受ければ命に関わる。しかし、サーリャは警戒すべき相手を今見失っている。

 フォレストボアが踏み出した瞬間、掘り返された土が舞い上がってサーリャに飛んできたからだ。

 咄嗟に顔を背けて正面から土を受けることは無かったが、その間にフォレストボアは森の中に入ってしまった。

 姿は見えなくなったがサーリャは警戒を解かない。サーリャの周辺では巨体が走り回る足音と細い木々をなぎ倒す音が聞こえ続けている。

 サーリャはその場から移動はせず剣を構え直して冷静に音の発生個所を聴力で追いかけていく。

 周囲を見渡しても木々が邪魔でフォレストボアを見つけてもまた木々の陰に隠れてしまうのですぐに見失ってしまう。

 「ギイイイイイイイィ!」

 「っ!」

 サーリャの右斜め後ろ。木々をなぎ倒しながらフォレストボアがサーリャに向かって突進してきた。鋭い牙がサーリャを突き刺そうと物凄い速度で迫ってくる。

 サーリャは体を捻りながらフォレストボアが飛び出してきたのとは逆の左に下がる。サーリャの体程度なら簡単に跳ね飛ばしそうな巨体がすぐ傍を駆け抜けていく。

 傍を駆け抜けていく巨体に切りかかろうとしたがすでにその姿は木々の中に消え去っており、サーリャの攻撃は届かない。

 さっきまでは様子見だったのか、それともギリギリで突進を躱したサーリャを自分よりも格下と判断したのかフォレストボアは走り回りながら自分の姿を隠そうとはしなくなった。

何度もこちらに向かってくるようになりそれを躱すということが多くなったおかげで相手の動きにもある程度なれてきたが、状況は相変わらずサーリャに不利なままだ。突進を躱した後で剣を振り下ろしてもすでに相手はその場から離れた後で遅すぎる。かといって自分の命をそう簡単に危険な賭けに使うつもりはない。

 (動きを止めるために足を狙うべき?……いえ。あの太さの足を切るにはさすがに危険が大きすぎる)

 サーリャは現状を打開するため必死に考えを巡らせていた。確かにあの突進を何とかするのならばその鍵となっている足を狙うのが最善だろう。しかし『足を狙う』ということはそう簡単なことではない。

 あの巨体を驚異的な速度にまで加速させることができるだけの脚力を有しているのだ。当然その筋肉量も相当でありサーリャの斬撃で歩けなくさせるだけの深い傷をつけられるか不安が残る。

 そしてあの驚異的な速度で迫ってくる相手の足を切りつけた際に刀身が耐えられるのかもわからない。ゴルトの鍛えた剣だから他の鍛冶師が鍛えた剣よりも丈夫なはずだが限度がある。丸太のように刀身が太いならともかく剣というのは簡単に言えば金属の板。構造上、弱い部分である側面に大きな負荷がかかれば曲がるか折れてしまうだろう。踏まれでもすれば結果は明らかだ。

 ならば今サーリャがやれることは一つだ。

 「……ふ~。」

 突進を避けた後に生まれる僅かな時間の中でサーリャは気持ちを落ち着かせるように深呼吸をする。そして両手で柄をしっかりと握り直して相手の動きを待つ。

 サーリャの構え方は先程までとほぼ変わらないが、変わっているところもある。肘を少し曲げる程度まで伸ばしていた腕をより肘を曲げて自分の体に近づけるようにし、剣を持つ高さも低くなっている。

 この場に戦いを眺めることができる第三者がいたならばサーリャの行動に疑問を持っただろう。身体に密着させるような構えでは最低限の動きしかできず十分な力を乗せて振り下ろすことができない。

 不可解な行動をするサーリャはその構えのままフォレストボアがいるである方向に常に体を向け、正面から迎え撃てる状態のまま相手を待つ。

 その時はすぐにやってきた。正面から致命の一撃を与えるためにフォレストボアが速度を全く緩めずに向かってくる。サーリャはギリギリまでその場から動かずフォレストボアが迫ってくるのを見る。そしてタイミングを見計らったサーリャは突進を躱すために右に下がりフォレストボアはサーリャの左側を通り抜けようとする。しかし動かすのは足だけで構えは解かない。

 フォレストボアの側面に向き合ったサーリャはついに動く。

 「シッ‼」

 狙うは相手の首。サーリャは剣を振り下ろすのではなく下から切り上げる形で剣を振るう。切り上げも真上ではなく刃先をフォレストボアが向かってくる右に傾けておく。

 サーリャの狙い通り振るった剣はフォレストボアの首を横から深く傷つけることに成功した。そしてフォレストボアが目の前を通り過ぎていくほど傷口は広がっていく。

 無理に振り切らなくても相手から傷を広げてくれるのでサーリャは剣が弾かれないようにその場でしっかりと固定しておけばいい。相手の突進力を利用した作戦は無事に成功した。

 「ギイイイイイイイイイイイイイィィィ‼」

 辺りにフォレストボアの断末魔の悲鳴が響き渡る。傷口からは血が勢いよく噴き出しており致命傷を与えたのは確実だ。フォレストボアは徐々に速度を落とし最後は立ち止まってサーリャの方に向き直った。

 サーリャは油断せず血が滴る切っ先を相手に向ける。

 (油断しては駄目。気を抜くのは相手が死んだのをしっかりと確認してから)

 どんな生き物でも最後の足掻きというものは恐ろしい。最後でなくても命の危機に直面した時には普段からは考えもつかないほどの力を発揮できたりするのである。それが命のやり取りをする場となると、時としてこちらの想像を遥かに超える力を発揮し相手に一矢報いようとするのだ。いったいどこにそれほどの力を残しているのかわからないが、それがつまり生きるということなのだろう。

 現にフォレストボアの瞳にはまだ力があり、生きることを諦めたようには見えない。よろよろとこちらに近寄ってくるが、フォレストボアが近寄ってきた分サーリャもその分だけ後ろへ下がり距離を保つ。

 しばらくサーリャに向かって歩いていたが、それから数歩進んだところでついにその巨体はぐらりと傾き力尽きたように倒れた。

 倒れた後もしばらく動かずにその様子を見守る。じっとサーリャが見つめる先でその巨体がもう動くことが無いとわかるとゆっくりと構えていた剣を下ろした。

 「ぷはぁ。はぁはぁ」

 知らない内に息を止めていたようだ。サーリャは一気に息を吐き出し何度も大きく呼吸を繰り返す。

 「はぁ、上手くいって良かったー。やっぱりゴルトさんの剣じゃないと安心できないわね」

 王都にいるゴルトに心の中で感謝しながらサーリャは軽く地面に向かって一閃し、刀身に付いた血を飛ばす。刀身から離れたフォレストボアの血が地面に緩やかな弧を描いた。

 「それにしても、思っていたより変質していたわね。ここだと当たり前なのかな?それとも変異種?」

 サーリャはちらりと横目で倒したばかりの存在に目を向けた。

 フォレストボアは特に珍しくもない魔獣の一種だったはず。王都周辺の村では被害は出ているが農作物を食い荒らされたり柵を壊されたりするぐらいで人的被害が出ているとはあまり聞かない。しかし、すぐ傍で倒れているフォレストボアは別格だ。そんな存在が村や王都に入り込んだなら相当な被害を出すだろう。農作物を食い荒らされるだけでは済まない。

 変異種は通常の個体よりも変異が大きく、姿形が変わるだけでなく本来なら持ちえないような能力を有していたりしており、本来なら苦戦するようなことでもない相手であっても十分警戒しなければならないほどである。

 変異種はその個体ごとに違いがあり全てが同じ変異をするわけではない。同じ種族であっても一方は腕力が強くなった個体で、もう一方は魔力の扱いが以上に長けた個体がいたりする。だからこそ事前の準備がしにくく遭遇してからの対策が求められてしまうことになる。

 もしかしたらこのフォレストボアも変異種の一体かもしれない。

 「まぁいっか。変異種なら評価も高くなるはずだしさっさと魔核を回収しちゃいましょうか」

 サーリャは歩きながら纏わせていた魔力を解き剣を鞘に戻した。代わりにポーチの中から解体用の短剣を取り出す。死んだ魔獣なら魔力を纏わせなくても通常の刃物で解体は可能だ。魔力の残量にはまだまだ余裕はあるが節約するには越したことがない。

 「魔核はどれくらいの大きさなのかな~。少しでも大きかったらいいな~」

 初めての討伐で浮かれているサーリャの顔には笑みが浮かんでいる。魔核の質に期待を膨らませながら解体しようとしゃがもうとしたサーリャは——


 グルルルル


 全力で横に向かって身を投げ出した。

 状況を正確に把握していたわけではない。今しがた背後から聞こえてきた唸り声の正体も正確な位置もわかってはいない。それでもこれまでの経験とサーリャ自身の勘が大きく警告を発したのだ。——全力で回避しろ、と。

 実際にその行動は正しかったようで、背後からガキンと何かが嚙み合わさる音が聞こえた。

 サーリャは短刀を投げ捨て、慌てて立ち上がりながら鞘に戻したばかりの剣を抜き放った。音の正体に目を向けると、サーリャがしゃがもうとしていた場所に一体の魔獣が立っていた。

 体長は二メートルはあるだろう。全身を覆う体毛は野生でありながらも流れるように整っており、毛皮として使われれば一級品となるのは間違いない。しかしその美しさは相手の顔を見れば簡単に吹き飛んでしまうであろう。

 まるで相手を射殺さんと言わんばかりの鋭い眼差し。そして口元から覗く牙は鋭く、漏れ出る唸り声は友好的な接触は不可能だとわからされるには十分なほどの迫力を持っている。

 そして一見すると大型の犬のように見えるが実際は違う。自分が強者だという絶対的な自負と威厳がある佇まいを持つ存在の正体をサーリャは知っている。自然とその名前を口にした。

 「……ハイロウウルフ」

 ずっと探し求めていた存在。この森でサーリャが討伐しなければならない存在が今、目の前でサーリャと早退した瞬間だった。


 お互いその場から動かずにただ相手の様子を観察する。周囲から聞こえるのは風に揺られて聞こえてくる木々のざわめきだけだ。

 ハイロウウルフを目の前にサーリャはその場から動けないでいた。

 予想外のタイミングで待ち望んでいた相手と出くわしてしまったことで状況整理をしようと把握することに必死でこれからどうするべきなのか思考がまとまっていなかったのと、もう一つ別の理由がある。

 (あれがハイロウウルフ?たぶん合っているはずだけれど、ちょっと私の知っているハイロウウルフと姿が違いすぎないかしら?それともルクドの大森林だとあの姿が一般的なのかしら)

 サーリャは表情が顔に出ないように努めながら、困惑した気持ちで目の前にいる存在を見た。

 ハイロウウルフ討伐のためにリンガルを出発する前、念のためにとそれぞれの魔獣の身体的特徴や対処方法が書かれている資料にサーリャは目を通している。一般的なハイロウウルフは背中の部分が灰色っぽい色をしており、それ以外の足や腹の部分は薄い茶色となっている。

 しかし目の前にいるハイロウウルフは明るい色の体毛ではなく、全体的に黒っぽく若干紫がかっている部分もあるので不気味さがあり、前足から伸びる爪はまるで小さな短刀が付いているのではと思えるぐらいに鋭く長い。

 明らかに事前に調べていた内容と合わない部分がある。そして極めつけなのが……。

 (あの揺らめいている魔力。迂闊に触るのは危険そうね)

 全身から漏れ出し蜃気楼のように揺らめいている魔力だった。

 薄い紫色の魔力は常にハイロウウルフから漏れ出しており、その量は全身を包み込むほどだ。

 (魔力を纏わせている?いえ。それにしては魔力の形が不安定すぎる。何かの攻撃に使うには向いていないわね)

 似ているものとすればサーリャが刀身に魔力を纏わせている状態が一番近いが、ハイロウウルフの魔力は決められた形を作っているわけではなく揺らめいているので形が安定していない。あれでは動くたびに形が変わるので攻撃という面で使われるという可能性は低いはず。

 あの魔力は余剰魔力が漏れ出しているだけなのかそれとも別の理由があるのかわからないが、あまりいい結果にはならないだろう。

 (それにしても本当に最悪!よりによってなんで魔力を解いた後に来るのよ)

 今後の動きを検討しながらもサーリャは内心悪態をつく。おそらくフォレストボアが散々走り回って木々をなぎ倒していた音と、そのあとに風に乗って流れてきた血の匂いに気づいてハイロウウルフはこの場にやって来たのだろう。

 相手を責めるのは間違いなのかもしれないが魔核を回収するつもりだったせいもあり、サーリャは持っていた剣に纏わせていた魔力を一度解いてしまっている。

 こうして再び戦闘状態となったのならもう一度剣に魔力を纏わせなければならないが、時間をかけて詠唱をする余裕など相手は与えてくれないだろう。そもそも相手の攻撃を避けながらの詠唱すらサーリャには荷が重すぎる。

 だからと言ってこのまま何もしないわけにはいかない。

 (とりあえずは相手の動きを観察。敵の動きを読んで攻撃の隙を狙ってまずは打ち込む。少しでも大きな隙ができたならその隙に魔力を纏わせる)

 大まかな流れを決めたところでずっと相手の様子見をしていたハイロウウルフが痺れを切らしたのか鋭い牙でサーリャを噛み殺そうと飛び掛かってくる。

 サーリャは難無く迫ってくるハイロウウルフを横に移動して躱し次の攻撃に備える。

 魔獣化した影響なのか驚異的な速度で迫ってきたがフォレストボアほどの爆発的加速ではないので躱すのは容易かった。

 あっさり躱されたハイロウウルフだが、攻撃はまだ終わっておらずサーリャの後方に着地すると右前脚を浮かせ下から掬い上げるように振るってくる。

 まともに受ければ体が真っ二つにされそうな爪が迫ってくるがこれも予想していた動き。

 爪が当たらないギリギリ位置まで後ろに下がり爪が目の前を通り過ぎるとサーリャはすぐさま反撃に出る。

「はあっ‼」

 腕を振りぬき無防備な体勢になったハイロウウルフに向かってサーリャは全力で剣を振り下ろした。魔力を纏わせてはいないが全力で打ち込むのだ。威力は落ちるがダメージは確実に与えられるだろうとサーリャは思っていた。

 しかし、その期待は次の瞬間呆気なく裏切られた。

 「なっ⁉」

 サーリャは目の前で起こったことが信じられず、目を見開き思わず声を上げた。

 振り下ろした剣はハイロウウルフに当たってはいる。当たってはいるのだが、刃先があともう少しで皮膚に届くというところで止まっている。相手の揺らめいている魔力の部分で止められたのだ。

 それに——

 (なにこの感触。まるで水でも切ったみたいに勢いが殺された⁉)

 ハイロウウルフを包み込む魔力の層はそれほど厚くはない。それでも相手の魔力に剣が触れた瞬間、急激にサーリャの振り下ろす勢いが落ちたのだ。水のようだと感じたが、もしかしたら泥のようだと言い換えるべきなのかもしれない。

 目の前で起きたことが信じられず、僅かな時間サーリャはその場で固まってしまった。その僅かな時間をハイロウウルフは見逃さない。先程振るったのとは逆の足。左前脚の爪がギラリと光った。


 ——まずい‼


サーリャは大きく体を後ろに仰け反らせた。風切り音が目の前で鳴り、ほぼ同時にとてつもないほどの速さで何かが通り過ぎた。

 煌めく銀色の髪が目の前で何本か散っていく。

 相手の攻撃を避けることができたサーリャはすぐさま後方に飛び下がり距離をとる。

 ハイロウウルフは距離をとったサーリャをすぐさま追撃してくることは無かった。代わりにサーリャを討ち取れなかったことに対して納得していないのか苛立たしげに唸り声をあげる。

 それに対してサーリャはギリギリの状況を回避しながらも、まったくそれを喜ぶ余裕は無かった。

 (あと少し動くのが遅れていたら命は無かった)

 改めて思い知らされる事実に、嫌な汗が服の下で流れていくのが分かる。実際サーリャの前髪がいくらか間に合わずに散ってしまったことから本当にギリギリのタイミングだったのだろう。

 相手を視界に収めながらチラリとサーリャは自分の持つ剣に目を向けた。

 (剣は今のところ特に問題なし。引き抜く際に抵抗は無かったからあの魔力は動きを封じるための拘束系統ではないわね。向かってくる攻撃にだけ反応するのなら衝撃の吸収・緩和系かしら)

 サーリャは先程の行動から得られた情報を素早く整理していく。有効な対抗手段を見つけなければこのままだとジリ貧だ。

 (魔力が揺らめいているということは安定していない?ならば魔力の薄い所を狙えばこちらの攻撃が通るかもしれないわね。問題は薄い部分が変化していることね)

 サーリャは大きくため息を吐きたい気持ちになるがぐっと我慢する。そこが一番の問題だった。絶えず変化しているということは、あらかじめ切り込む場所を決めることができない。どこに攻撃を仕掛けるかの見極めはその時に判断するしかない。

 つまり相手の攻撃をギリギリで躱し、そのあとに生まれる僅かな隙を狙ってその時に魔力の薄い部分に斬り込まなければならない。あまりにも無茶な条件で、たとえ実現可能なぐらいの実力を持っていたとしても進んでやりたいとは思わない。

 常にギリギリの状況下にいなければならず、少しでも見極めや動きにミスが生じてしまえば死が待っている。

 そんな綱渡りの状況を続けていれば先に疲弊するのがどちらかなんてわかりきっている。

 「ま、これしか方法は無いわね」

 サーリャは自分自身を納得させるように呟いた。たとえ無茶でもやらなければならないのだ。それが今の自分にできる打開策なのだから。


 いったいどれだけの時間が過ぎたのだろう。

 「はぁはぁはぁ……」

 肩で大きく息をしながらサーリャは目の前にいる存在を睨む。ハイロウウルフは出会った時と変わらず余裕のある佇まいでこちらを見ている。

 何度もこちらに襲い掛かり激しい動きをしているにもかかわらずサーリャのように疲れた様子はない。

 (いったいどれだけタフなのよこいつは。このままじゃ先に動けなくなるのはこっちだけど……)

 そんなことはサーリャ自身が一番わかっている。だが、現状をどうすれば打開できるのかサーリャは思いつかないでいた。

 襲い掛かってくるハイロウウルフに何度も剣を振るい、何度も切りつけることはできたが結果は芳しくない。首、背中、腰。有効打になりえそうな部分はすべて試してきた。しかし毎回サーリャの剣は相手の体に当たる前に魔力の層で止められ、一度も相手を傷つけることはできていない。

 そして何度も繰り返してきたことで否応なく思い知らされたことがある。


 無理だ。


 サーリャでは目の前の存在を倒すことはできない。突きつけられた現実に思わず悔しげに表情を歪ませた。

 剣の腕が未熟なわけではない。こちらの攻撃がすべて避けられているわけでもなく、何度もこちらの攻撃は当てることができている。

 ならば原因は明らかだ。

 (魔力を纏わすことさえできれば……)

 もう一度魔力を纏わせることができれば現状を打開することはできる。しかし模擬戦中に一度も魔法が成功したことのないサーリャがいきなり実戦で成功できるとは思えない。

 (一度退いて体勢を立て直すべき?それともイチかバチか試してみる?)

 退くか留まるか。そのどちらを選ぶべきなのか考えている最中に状況が動いた。

 ハイロウウルフを包み込むような形で全身から溢れ出ていた魔力の量が突如として増えた。

 「な、なに⁉」

 相手の変化に気づいたサーリャは一旦思考を中断し、困惑した表情で相手の動きを観察する。ハイロウウルフから溢れ出る魔力は全身を覆うことなく頭上に集まっていく。最初は一つの大きな塊だったが、途中で三つに分かれゆっくりと形を形成していく。

 「……まさか」

 ある可能性が頭の中に浮かび上がりサーリャの表情が引き攣っていく。……まだ可能性の段階だ。思い込みで動くにはまだ早すぎる。

 ハイロウウルフの頭上で三つに分かれていた魔力がすべて同じ形に変わっていく。最初は球体だったが、それが今は細長く先端が尖り始めてきた。——もはや確定だ。

 サーリャはすぐさま近くの木々の中に入り込み、姿を隠しながらさらに相手との距離をとる。そしてすぐさま辺りに雷でも落ちたかのような轟音が鳴り響いた。

 土埃が舞う中サーリャはゆっくりと轟音が鳴り響いたすぐ隣の木に目を向け、そして目を見開いた。さっきまでサーリャの姿を隠す役目をしていた木はまるで砲弾の直撃でも受けたかのように幹が半ばから吹き飛んでいる。そしてその後方では大きくくり抜かれた地面がある。

 「ちょっと、冗談じゃないわよ!」

 サーリャは感情を抑えきれず思わず大声で叫んだ。

 ハイロウウルフの変異種——それも魔力操作に長けた個体だ。サーリャはすぐさまその場から全力で逃げだした。

 (よりにもよってなんで変異種ばかり遭遇するのよ‼しかも魔力特化型なんてハズレを引くにしても限度があるでしょ!)

 サーリャは走りながら自分の運の悪さに思わず悪態を吐く。魔力特化型の存在はサーリャにとって相性の悪すぎる相手だ。

 これまでサーリャが善戦できていたのは、相手がサーリャと同じ土俵である近接戦闘をしていたからだ。だからこそサーリャも持ちえる技術を遺憾なく発揮することができていた。しかし相手がサーリャの間合いの外、中・遠距離から攻撃を仕掛けてくるのなら対処できなくなる。

 目標から逃げなければならないのは悔しいが今は逃げることが優先だ。


 グルルルルオオオオオオォォォォ‼


 背後から今まで聞かなかった恐怖を掻き立てるような咆哮が聞こえてきたがサーリャは振り返ることなく走り続ける。あの咆哮にどんな意味があるのかはわからないが、確実にサーリャにとっていい結果には繋がらないだろう。

 走り続けていたサーリャだったが、背後で急激に魔力の気配が強まったのを感じ、今まで真っ直ぐに走っていたのを急に曲がって進路を変える。

 次の瞬間、先程木を吹き飛ばした魔力の槍がついさっきまでサーリャが走っていた場所に突き刺さり地面を掘り返す。

 着弾が聞こえた後サーリャはすぐさまさっき避けたのとは逆の方向に向かって走り再び進路を変える。間髪入れずに次弾が着弾するがサーリャには当たらない。

 サーリャは何度も走る方向を急に変え、ジグザグに走りながら逃げ続ける。ジグザグに走ることと木々が時折サーリャの姿を隠すことで狙いがうまくつけられず、背後から飛んでくる攻撃は一度も当たらない。

 サーリャは走りながらチラリと背後を振り返り、目にしたものを理解した瞬間振り返らなければよかったと後悔した。

 変異種であるハイロウウルフはまだ追いかけてきている。そしてその変異種に付き従うように一回り小型のハイロウウルフが見ただけでも二頭はいる。


 グルルルルオオオオォォォォ‼

 ギャアギャア!


 ハイロウウルフが咆哮を発すると森全体がより騒がしくなり、あちこちから獣の鳴き声が聞こえる。

 (……最悪。こんな場所でトレインを引き起こすなんて)

 サーリャは悪くなるばかりの状況に泣きたい気持ちになった。

 トレイン——別名連鎖暴走とも言われ魔獣が生息する場所で決して引き起こしてはならないとされる最悪の行為だ。

 戦闘が拡大、もしくは逃げる最中に本来相手をする必要もなかった魔獣を呼び寄せてしまい時間が経つにつれてどんどん敵の規模が大きくなってしまうことを指す。

 トレインが発生してしまう一番の要因として挙げられるのが逃げている内に次々と魔獣の縄張りに足を踏み入れてしまうことが圧倒的に多い。

 たとえ戦闘音を聞きつけられたとしても自分から他の縄張りに足を踏み入れる魔獣は少ない。だからこそ逃げる際には別の縄張りに安易に入り込んでトレインを引き起こさないよう注意を払わなければならない。

 トレインは規模が大きくなれば大きくなるほど事態の鎮静化は困難となり、規模が大きくなりすぎると優秀な騎士団でも対処できなくなる可能性がある。それをサーリャはよりにもよってこのルクドの大森林で、しかも単独で引き起こしてしまった。誰かに助けを求めることのできない状況の中では最悪と言っていい。

 走り続けるサーリャの側面から兎型の魔獣であるイーターラビットが喉笛を嚙み千切ろうとその可愛らしい外見から想像もできないような凶悪さを持って飛び掛かってくる。

 サーリャはイーターラビットを走りながら持っている剣で斬り払う。斬られたイーターラビットは簡単に弾き飛ばされ地面に落下すると無様に転がっていく。しかしすぐさま起き上がると再びサーリャを追いかけ始める。

 魔力を纏わせていないので相手の命を絶つことはできないが、こうして脅威を一時的とはいえ振り払うことは可能だ。

 その間にもサーリャは必死に逃げ切れる場所を探す。このままでは先に体力が尽きるのはこちらだ。しかし、いくら走っても見えるのは起伏の少ない平坦な地面が続いているのと遮蔽物代わりに使っている木々だけ。逃げ切れるような場所も身を隠す場所もない。

 サーリャを追いかける集団はもはや対処が不可能なレベルまで膨れ上がっていた。両側にイーターラビットが並走し、背後からは変異種だけでなく通常個体であるハイロウウルフが追いかけてきている。ついさっきその集団の中に近くにいたフォレストボアも数体合流してしまった。

 徐々に背後から迫ってくる死の気配が嫌でも実感できてしまう。それでもサーリャは必死に走り続ける。走りすぎて心臓が痛いぐらいに暴れている。

 (どこか、どこか逃げられる場所は無いの!せめて少しでも数を減らさないと)

 恐怖と焦りから注意力が散漫になっていたことで気づくのが遅れてしまった。サーリャの左側を並走するイーターラビットの目の前を横切る形で何かがこちらに迫ってきていることに。

 「っ!」

 気づいた時にはもはや遅すぎた。慌てて避けようと身を捩るが動くのが遅かった為、たいした効果もなく一体のフォレストボアがサーリャの脇腹に一切勢いを緩めずに突っ込んだ。

 「ぐふっ」

 横からの衝撃に思わず吸い込んでいた息を吐き出し、サーリャはフォレストボアが突っ込んできた勢いのまま横に飛ばされた。

 わずかな滞空の後、ゴロゴロと地面を何度か転がったところでようやく止まった。

 「ゴホッゴホッ。あ、あぁ……」

 止まったところで遅れるように痛みがやってきて、そのあまりの痛さにサーリャは苦悶の表情を浮かべながらその場で悶えた。

 幸いにも牙はレザーアーマーで防がれていたようで致命傷にはなっていない。致命傷にはなっていないがその代わりに死ぬかもしれないのではと思えるほどの痛みは感じている。

 痛みに苦しみながらフォレストボアが出てきた方に頭だけ動かすと魔力で作られた槍がこちらに飛んでくるのが見えた。

 「きゃあ‼」

 立ち上がることができなかったサーリャはごろごろと転がり少しでもその場から離れようとする。それでも大した距離を稼ぐことができなかったためすぐ近くに槍が着弾し、サーリャは周りの地面と一緒に爆発で吹き飛ばされた。

 吹き飛ばされたサーリャは受け身をとることすらできず地面に叩きつけられる。爆発の影響も追加されて動けず、土にまみれながらうつ伏せに倒れているサーリャはゆっくりと前を見た。

 (……あぁ。これはもうダメだ)

 視線の先にはこれまでずっとサーリャの命を狙い続けてきた魔獣達が集まっていた。振り返った時よりも数が増えているようで、見える範囲で魔獣がいない空間はどこにも無い。

 よくもこれだけ規模を大きくしたものだとサーリャはまるで他人事のように思い、小さく笑う。

 ダメージはまだ回復しておらずまともに動くことはできない。持っていたはずの剣も吹き飛ばされた時に放してしまい今は何も持ってはいない。この状況から生き延びることは不可能だ。

 変異種であるハイロウウルフが「ウォン」と短く一鳴きするとすぐ傍にいたハイロウウルフが前に進み出る。

 (うわぁ。あのハイロウウルフって他の個体を統率できるほど強かったんだ。どうりで勝てないはずだわ)

 おそらく前に進み出てきたハイロウウルフがとどめを刺すのだろう。通常個体でさえその強さは驚異的なのに、それらを統率できるほどの強さを持っているのならばあの戦いの結果も納得できる。

 それでも——

 (そう簡単に私の命をあげるつもりはないわよ)

 右手をゆっくりと動かし腰に付けられている投擲用の短剣を一本外してうつ伏せのまま握りしめる。せめて一体だけでも道連れにしてやる。

 変異種を殺せないのは心残りだが仕方ない。死がサーリャの命を奪い去るまでの僅かな時間、これまでの日々が走馬灯のように流れていく。

 騎士に憧れてこれまで頑張ってきた。周りからバカにされても騎士になれれば見返せると思い諦めず訓練に励み、がむしゃらに生きてきた。それでも結果はどうだ。結局、目指していた騎士にもなれず広大な森の中で一人命を落とすことになる。

 (これまで必死に頑張って来たのに結局は無駄だったのね。私は何にもなれないし何も得ることができないなんて……)

 そんなことを考えているとついにハイロウウルフの一体がサーリャに飛び掛かってきた。命を刈り取るための牙が、爪が迫ってくるのがゆっくりと感じられあと少しで届くというところで——ハイロウウルフが真っ二つになった。

 「ガヒュ!」

 「えっ⁉」

 ハイロウウルフも何が起こったのかわからなかったのだろう。真っ二つになったハイロウウルフは大量の血をまき散らしながらサーリャの近くに落下する。落下した衝撃で血が飛び散り、サーリャの頬を赤く染める。

 別のハイロウウルフが再びサーリャに飛び掛かってくるが、こちらも先程と同じように何もない場所でいきなり首が飛び胴から離れる。

 (いったい何が起こっているというの)

 状況が全く掴めずサーリャはその場で倒れたまま混乱するばかりだ。その時サーリャは気づいた。

目の前に集まっている魔獣達はずっとサーリャを見ている。——違う。魔獣達が見ているのはその先。サーリャの後ろだ。


 サクッサクッ


 草木を踏みしめる音。何かがサーリャの後ろから近寄ってきている。一定のリズムを刻みながら音がどんどん近寄ってくる。さっきまでサーリャを威嚇していた唸り声も知らぬ内に聞こえなくなっており静かになっている。

 そしてサーリャは信じられないものを見た。

 音が近くなってくると今度は魔獣達がじりじりとサーリャから離れていく。サーリャの後ろから近寄ってくる何かから目を離さず音をできる限り立てないようにゆっくりと。

 (魔獣達が怯えている⁉後ろから何が来ているの?)

 怖い。サーリャが最初に感じたのは恐怖だ。近づいてくる存在は足音以外まったく音を出さず唸り声も咆哮も出さない。だからこそ正体がわからない。わからないからこそ恐怖が更に大きくなる。

 動けないはずの身体が小刻みに震え始めてくる。

 (怖い!怖い!怖い!早く、早く終わらせて!)

 身体が震える中、サーリャは必死にそれだけを祈っていた。さっきまで道連れにすると意気込んでいたが、もはや最後の抵抗などする気も起らずサーリャの心は完全に折れていた。

 こんな恐怖を感じるくらいならひと思いに楽になりたい。

 涙が溢れてきて滲んだ視界の中、魔獣達がとうとうこちらに背を向けて逃げ出した。一人取り残されてしまうことが恐ろしくて「行かないで!」と叫びたくなるが、声が出てこず口をパクパクとさせることしかできない。

 各々が四方に散り、残っている魔獣はいない。この場に残っているのは傷つき倒れたままのサーリャと近寄ってくるナニかだ。

 とうとう足音が止まった。見えなくても気配で分かる。止まったにも拘らずナニかは何も音を発さない。ただ近くにいるだけだ。

 小刻みと言えないほど大きく震えていたサーリャだったが、不意に意識が遠のいていくのに気が付いた。魔獣達がいなくなったことからの安堵かそれとも恐怖で心が限界を迎えたのか……。

 それでもサーリャは意識が遠のいていく中、安堵した。

 

 (良かった。これで楽になれる)


 意識を失った後はどうなるのかわからない。この場で無残にも殺されてしまうのか、食料代わりに食べられてしまうのか。それともボロボロになるまで玩具として使われるのかはわからない。

 それでも今感じている恐怖から逃げられることに違いは無い。サーリャは抵抗することなく受け入れ、闇の中に意識を沈めた。



 「お母さま。私、大きくなったら騎士様になりたい!」

 幼い少女がベッドに腰かけている女性に将来の夢を楽しそうに話している。その顔には将来の自分に希望を抱き、憧れの眼差しを持ちながら笑っている。

 「あらあら。サーリャはずいぶんと頼もしいことを言うのね。これもお父様の影響かしら」

 一方、母親は娘が生傷の絶えない道を目指すことに落胆や悲しみの表情は浮かべず、思い留まらせようと説得するわけでもなくただニコニコと微笑みを浮かべながら聞いていた。

 「むぅ、本当だもん。絶対騎士様になってみせるもん」

 それでも幼いサーリャは母の反応が真面目に聞いていないと感じて頬を膨らませる。

 「ええ。わかっていますよ。サーリャは頑張り屋さんだからきっとなれるわ。サーリャは騎士になった何をしたいの?」

 「もちろんたくさんの人を助ける騎士様になるわ。毎日たくさんの人を助けていればみんな笑顔でいられるもん!」

 「まぁ!毎日だなんて大変ね。そうね、みんなが笑顔でいられるならそれが一番ね。それでもサーリャ。時にはねどちらが正しいのかわからなくなる時もあるわ」

 これまで優しげな表情で聞いていた母は表情を崩さず、少し真剣な口調でサーリャに話しかけた。

 「わからない?」

 サーリャは母の言っていることが分からず、可愛らしく首を傾げた。

 「ええそうよ。例えばサーリャに新しいお友達ができたとしましょう。そのお友達とは仲良くなるのだけど、他の人からそのお友達は悪い人だから仲良くしちゃいけませんって言われるの。でもそのお友達はサーリャからすると悪い人には見えないの。みんなの言うこととサーリャが思ったこと、どちらが正しいのかわからない。……そんな時はどうするの?どんな騎士にサーリャはなりたいの」

 母からの問いにサーリャは難しい顔をしながら「う~ん」と唸りながら考える。

 小を切り捨てるか大を切り捨てるのか。片方を選べば必ずもう一方が悲しむことになる。みんなを笑顔にしたいと思っているサーリャの願いを否定するような質問だ。

 どちらかの犠牲を強いるような質問は大人でもどう答えるべきなのか悩むだろう。命の重さとは比べるものではなくすべて同じものだ。そこに優劣などなく平等に見なければならないのだが、実際には平等でないのが現実だ。

 裕福な者、貧しい者。力のある強者と力の無い弱者。そこには必ず優劣が存在し全てを平等に見ることなどできるわけがない。誰もが助ける際には必ず見返りを期待しており、その期待に応えられる者から救われていく。

 だからこそすべての者を平等に救うというのはただの夢物語として一蹴されてしまうだろう。

 母に見守られながらしばらく考えていたサーリャだったが、考えがまとまったのか顔を上げ母の顔を真っ直ぐ見ながら口を開いた。

 「私は———」

 ……あの時、幼い自分は何と言ったのだろう。



 ゆっくりと瞼を開けたサーリャの瞳に最初に映ったのは見知らぬ天井だった。

 目だけを動かし周囲を見渡す。見えるのは木の壁や天井で、隅に取り付けられている窓から日差しが入り込んでいる。どうやらどこかの部屋のベッドで寝かされているらしい。

 「……生きてる」

 サーリャはポツリと思ったことを口にした。こうして今寝かされているのだからそのことは間違いないのだが、なんだか実感が無い。あの絶体絶命の状況からどうやって生き延びたのだろう。思い出そうとしても途中で意識を失ってしまったので、当然サーリャは覚えていない。

 それでも誰かがあの場からサーリャを運び出してくれたのだろう。もぞもぞと掛けられた布団から右手を出して眺める。目の前に掲げられた自分の右手はどこにも欠損は無く、布団の中で左手や両足の指を動かしてみるが感覚もあるし動く。

 いろいろと疑問は残っているが、まだ頭がぼーっとしており起き上がれない。サーリャはしばらく身体を包み込む感触に身を委ねた。

 柔らかい。柔らか過ぎもせず堅過ぎもしない絶妙な弾力が横になっているサーリャの全身から疲れを取ってくれるようだ。大森林の近くに取った宿のベッドとは雲泥の差だ。

 どれだけその気持ちよさを堪能していたのかわからない。あともう少しと思いながら随分と長く横になっていたように思える。もしかしたら少し眠っていたのかもしれない。

 名残惜しいがいつまでもベッドで寝ているわけにもいかない。

 ゆっくりとサーリャは身を起こし始める。やけに体が重く感じるが起き上がることはできた。身体に掛かっていた布団が起き上がると同時に少しずつずれ始め、最後は上半身から離れた。

 布団の下から現れた自分の身体を見たサーリャはピタリと固まった。

 「えっ?」

 何故。どうして。サーリャは目の前のことが理解できず頭の中は疑問で埋め尽くされた。別に自分の身体が無くなっていたとか醜いほど大きな傷ができていたとかそんな理由からではない。

 視線の先には見慣れた自分の身体がある。ただ、肌を晒している面積が圧倒的に多くなっているというだけで……。

 「きゃあー‼な、なんで私ブラだけしか付けていないの⁉」

 そう。サーリャは下着しか身に着けていないあられもない姿で寝ていたのだ。自分が下着姿になっていることをようやく理解したサーリャは顔を真っ赤にさせながら先程ずり落ちた布団を慌てて引き寄せ自分の身体を隠す。隠すと言っても胸元に引き寄せただけで背中は全く隠せておらず、綺麗な肌が晒されたままだ。

 誰にも見られることは無いという理由で可愛らしいフリルの付いたサーリャ好みの淡いピンクの下着が布団で隠される。

 (な、なんで下着姿になっているの⁉知らない内に脱いでいた?いやいやいやそんなわけない!だったらここまで運んでくれた人が脱がしたの⁉)

 予想外の状況にサーリャの思考はパニック状態。茹でだこのように顔を真っ赤にしたままキョロキョロと忙しなく頭が動く。幸いにもこの部屋には今サーリャしかおらず他には誰もいない。

 おそらくベッドまでサーリャを運び、寝かせた人物が服を脱がせたのだろう。しかしわざわざ服を脱がせる理由が分からない。

 自分の身体をよく見れば左腕や脇腹部分に包帯が巻かれており手当てをした形跡がある。だが、治療だけならば服を捲るだけで済むことで、わざわざ脱がせる必要は無い。

 だとすると別の理由があるはずで……。

 (まさか私、何かされたんじゃ!)

 サーリャの顔から一気に血の気が引き、慌てて自分の身体を隠している布団を剝ぎ取った。

 「……あれっ?」

 サーリャは気の抜けたような声を出した。

 剥ぎ取った布団の下にあるのは自分の身体の下半分。見えたのはブラと合わせるように選んだ下着ではなく、サーリャが最後に見た姿である動きやすさ重視で選んだズボンだった。

 あちこち触りながら確認してみるが、投擲用の短剣を付けていたホルダーが外されているくらいで、特に乱れていたり履き直されたりはしていない。相手が男なのかわからないが、とりあえず純潔を奪われてはいないようなのでサーリャはほっと胸を撫で下ろした。

 「と、とりあえず服を……」

 安心したとはいえこのまま下着姿でいるわけにもいかない。周りを見渡すとベッド脇に置いてあるテーブルの上に置いてあるカゴの中にサーリャが着ていた服が(なんだか少し雑に畳まれて)入っており、カゴの外には鎧一式と外されていたホルダーや手放してしまっていた剣が鞘に収められて置かれていた。


 ギィッ


 閉まっていた部屋の扉がゆっくりと開き、隙間から辺りを窺うように人の頭がひょっこりと出てくる。廊下に誰もいないことを確認したサーリャは静かに部屋を出た。

 廊下に出たサーリャは脱がされていた服だけを身に着けている。簡素なシャツ姿で前は開いているにもかかわらずボタンが無い。このままではその下にある下着が見えてしまうがそれを胸元にある紐で留めて見えないようにしている。鎧は部屋に残したままだ。そして手には一本の短剣が握られている。さすがに丸腰で動き回るわけにもいかないのでホルダーから抜き取ってきたものだ。

 出てきた部屋の扉の前でサーリャは左右を確認する。左を見れば扉は閉じられているが部屋が二つほど続いており、その先は行き止まりになっている。右は少し先で突き当りになっており、その先に何かがあるのだろう。

 迷わずサーリャは右に向かってできる限り足音を立てないよう静かに歩き出した。扉が閉まっていたとはいえ部屋の中で下着姿のサーリャが騒いでも誰も来なかった。ならばすぐ近くには誰もいないということになる。

 (静かね)

 廊下を歩いていても聞こえるのは完全に消しきれないサーシャの足音のみ。それ以外の物音はせず静寂だけが辺りには満ちている。もしかしたらこの家の家主は不在なのかもしれない。

 そんなことを考えながら突き当りまでたどり着き、曲がろうとしたところで角の奥からギシッとわずかな物音がサーリャの耳に届き、慌てて壁に寄った。

 この先に誰かいる。サーリャの中で緊張が高まる。男なのか女なのか、ここまで運んだ自分をどうするつもりなのか。

 相手に気づかれないように角からゆっくりと顔をのぞかせてこの先にいるであろう誰かを探す。角の先は広いリビングが広がっていた。中央にはテーブルが置かれ傍には二人が並んで座れるくらいのソファーが置かれており、テーブルを挟んだ反対側には一人掛けのソファーが間隔を空けて二つ並べられている。

 そして物音を発したであろう人物は一人掛けのソファーに座っており、男だった。

 年はサーリャよりも少し上、二十歳ぐらいだろう。端正な顔立ちは遠目に見ているサーリャでもわかるほどで、短く切り揃えられている黒髪が似合っている。少し大きめのゆったりとした服を着て静かに足を組み、辞書かと思えるほどの分厚い本を広げて読んでいる。

 サーリャの視線の先ではすべての時間から切り離されたかのような穏やかな空間が形成されていた。時折ページをめくる音と男性が身じろぎした時に生じる僅かな音しか生まれない。

 じっと動かない時はまるで一枚の絵画のようで、サーリャはそれまでの緊張感も忘れて思わずその光景に見惚れてしまった。

 相手のことをもう少しよく見ようと一歩を踏み出したサーリャだったが、床を踏んだ瞬間「ギイイイィ」っと床が軋んでしまった。

 それほど大きな音ではなかったが、静かな空間でその音はやけにはっきりと聞こえてしまった。まずいと思ったがすでに手遅れで、男もその音に気が付いたのか顔を上げ音の発生源であるサーリャの方を見た。

 半身が出ているだけだったが、ばっちりとサーリャの姿を見られてしまいその場で固まってしまう。

 男は何も言わずじっとサーリャのことを見ており、サーリャもどうすればいいのかわからず男性のことをじっと見る。

 お互い何も言葉を発さず無言で見つめ合う時間が続いたが、とうとう男の方が口を開いた。

 「ようやく目覚めたのか。そんなところで一体何をしている」

 「あっ。えっと、その……」

 「そんなところにいたらまともに話もできん。さっさとこっちに来い。そこのソファーに座って構わん」

 しどろもどろになっているサーリャを全く意に介さず男は目の前にある二人掛けのソファーを指さしている。仕方なくサーリャはゆっくりと角から姿を現しゆっくりとソファーに近づいていく。

 サーリャがソファーに近づいてきても男は何の反応も示さない。手に持っている短剣には気づいているはずだが特に気にした様子もなくサーリャを見ているだけだ。

 ソファーに腰を下ろし緊張した面持ちで男性を見た。遠くからでは見えなかったが、蒼い瞳がサーリャをとらえている。

 「さて、お前はどうして一人であんな場所でトレインなんかを引き起こしていたんだ?」

 「それじゃあ、あの時私を助けてくれたのはあなたなんですか?」

 「助けた……と言っていいのかどうかわからんが、魔獣の餌になりかかっていたお前を見つけたのは俺だ。たまたま近くを歩いていたら爆発音が何度も聞こえて向かってみたらお前がいたわけだ」

 淡々と話す男にサーリャは深く頭を下げた。

 「助けていただいてありがとうございます。私はサーリャ・ブロリアス。ルイリアス王国の騎士見習いです」

 「騎士見習い?ということはお前は騎士学校の生徒というわけか。ならば尚更どうしてこの森に一人でいる?」

 騎士。その言葉を聞いた男はピクリと眉を動かし目を細めてサーリャを見る。そして先程までの淡々とした口調に少し警戒感を滲ませ、少し問い詰めるような形で聞いてくる。まるで尋問でも受けているかのような気持ちになりながらもサーリャは正直に話す。

 「えっとこのままだと私退校処分になるので、そうならないためにこのルクドの大森林でハイロウウルフを単独で狩ってこいと言われました」

 「は?あんな所、ある程度の剣術と魔法が使えていれば勝手に騎士になれるだろう。それなのにお前はそこまでの実力が無いにも関わらずこの場所でハイロウウルフを狩ろうとしていたのか?」

 「……はい」

 男は信じられないような表情でサーリャを見ており、その視線を正面から受け止めきれずサーリャは俯いてしまう。「よく入ることができたな」と呟く男の声を聞きながらサーリャは恥ずかしさで身を縮こませる。

 やはり特別課題を出されること自体が異例であって珍しいことなのだろう。自らの恥を晒していることにサーリャは情けなくなってしまう。

 「お前を見つけたのは昨日だ。それから今までずっと眠ったままだったが、まぁ無事に目覚めたのなら問題はなさそうだな」

 一日も意識を失っていた。その事実にサーリャは驚きを隠せなかったがそれよりも気になっていることがある。

 「あの、ここはいったいどこなのでしょう?私は大森林の中にいたと思うのですけど、近くの村ですか?」

 「村なんて行くわけないだろう」

 「はい?」

 村には行かないの?

 「なんでわざわざ遠い所までお前を連れて行かなければならん。無駄な労力を使うぐらいなら俺の家に運んだ方が早い」

 「それなら大森林の外にあなたの家があるのですか?でも大森林の近くにそんな家なんて無かったはずだけど……」

 「何を言っている」

 「えっ?」

 さっきから男との会話がうまくかみ合わない。お互い特に変なことを言っているわけでもないのに何かズレている。まるで前提自体が間違っているかのような……。

 「お前は大森林からまだ一歩も出てはいない。ここは大森林の中にある俺の家だ」

 言っていることが理解できない。大森林の中に家?凶悪な魔獣が生息し独自の生態系を築いている環境の中に生活できる空間がある?

 「えっと冗談ですよね。大森林の中でこんなのんびりと過ごせるわけないじゃないですか」

 「なんでお前にそんな冗談を言わなければならん。どう言われようともここがルクドの大森林の中だという事実は変わらんぞ」

 「そんなわけあるわけないでしょ!大森林の中で人が住めるわけないじゃない!」

 サーリャは思わず大声で叫んだ。ここまで馬鹿にされると流石に怒りたくもなる。それでも男はサーリャの怒りなど気にも留めていないようで相変わらず無表情のままこちらを見ている。

 「そこまで言うならそこの窓から外を見てみろ。言ってわからないなら直接見た方が早い」

 男は面倒そうに近くの窓を指さし行けと指示する。サーリャは立ち上がりずんずんと大股で歩いていき窓へと向かう。歩くたびに脇腹が痛むが、怒りで興奮している今はその痛みさえも気にならない。

 カーテンを思いっきり開け外を見てみると目に飛び込んできたのは広大な庭だった。いや、果たしてこれを庭と言っていいのかも怪しい。騎士学校の訓練場が丸ごと入ってしまいそうなほどの開けた土地に申し訳程度にテーブルと椅子が置かれているが、どう考えても場違いだ。

 これだけの土地を持つとするならば、そこそこ力のある貴族か大商人ぐらいだろう。

 「やっぱり森なんてどこにも無いじゃない。私を騙すのがそんなに楽しい?」

 「いちいち喚くな。ちゃんと周りをよく見ろ」

 男はもはやサーリャの話を真面目に聞くつもりが無いのか一度閉じていた分厚い本を広げている。自分のことは眼中にないと言わんばかりの態度が更にサーリャを苛立たせる。

 言われた通り周囲をよく見ると、遠くに森が広がっているのが見える。しかし、あくまでも遠くに見えるというだけでここが大森林だという証明にはならない。そんなことを言ってしまえば、窓から森が見える場所はすべて大森林と言うことができる。

 「ほら!やっぱり大森林なんかじゃ——」

 森をずっと眺めていたサーリャは見てしまった。木々の切れ間から何かがこちらを見ている。赤い二つの光が影の中で一際目立っている。そんな光が不意に消えた。消えた代わりにこれまで聞いたことの無いような獣の叫び声が聞こえ、木々が倒される音とわずかな振動が伝わってくる。

 しばらくその光景を凝視していたサーリャだったが、背後から声がかけられた。

 「一つ聞きたいのだが、最近はこんな近くで魔獣同士の縄張り争いが見られるほど人間の生活圏は拡大したのか?それならば確かにこの光景も日常茶飯事の部類に入ってしまうな」

 「……」

 「それならばお前が信じないのもよくわかる。これは俺の認識不足だったな。しかし困ったな。他にも証明する手段はあるにはあるが、そうなると外に出ることになってちょっと面倒——」

 「信じます。信じますから!ここは確かにルクドの大森林です!」

 サーリャは男の言葉を遮るように慌てて自分が間違っていたことを伝える。あんな激しい縄張り争いが近くで起こることなどありえない。何より他の証明手段と言う言葉に不穏なものを感じたのは決して気のせいではないはずだ。

 ふらふらとソファーまで戻ってきたサーリャは力が抜けたように座り込む。ソファーの弾力でサーリャの身体が僅かに跳ねたが、すぐに身体はソファーに沈みこんだ。

 「理解したようだな」と男が本から目を離さず言ってくるが、サーリャはただ頷くことしかできない。

 「それでも信じられません。人が、しかもこのルクドの大森林の中で一人暮らしているなんて。いつ魔獣が家の中に入ってくるかわからないじゃないですか」

 「そこは問題ない。入ってこられないよう術式を組んでいるからあいつらはこちらを眺めることしかできん。……それよりもお前はルイリアス王国の人間だな?」

 「はい、そうですけどそれがどうしたんですか?」

 「決まっているだろう。お前を送り帰すためだ。いつまでもこの家に居られるのは迷惑だ」

 帰る。その言葉にサーリャはすぐさま反応した。

 「待ってください。私はまだこの森でやることがあるんです。せめてそれが終わるまではいさせてください」

 「助けてもらった人間がいきなり図々しいな。俺はあくまでもたまたまその場に居合わせただけで、お前の課題とやらを手助けするために助けたわけじゃないぞ」

 男の言葉は正しい。見ず知らずの人間がいきなり自分の家を活動拠点にさせてほしいなどどう考えても受け入れることのできない相談だ。サーリャの言っていることはただの我儘であり、それに協力する必要などどこにも無い。

 それでも、それでもサーリャは恩知らずだと恥知らずだと罵られてもここで引き下がるわけにはいかなかった。

 「そもそもだ。戦闘を直接見ていたわけではないが、どう見ても今のお前は実力不足だ。そんな奴が再び森の中に入っても犬死するだけだ。俺は自殺志願者を送り出すようなことはせんぞ。……ちなみに対象はハイロウウルフだったな」

 「……はい」

 素直に答えるサーリャだったが、意気消沈してしまい最後の方は声が小さくなってしまった。それでも男には聞こえていたようで答えはすぐに返ってきた。

 「諦めろ」

 「なっ⁉」

 男は淡々と事実だけと口にする。

 「諦めろと言ったんだ。ハイロウウルフは単独で行動する場合もあるが大抵は格下の存在を引き連れている。仮に他の魔獣とは接触せずにハイロウウルフを見つけたとしても結局は数の力で押し切られるだけだ。昨日のようにまた無様に地面の上を転がることになるぞ」

 「昨日は不運が重なっただけです!昨日のようなことは二回も——」

 「はっ!実力不足にもかかわらず大森林に単独で足を踏み入れ、トレインを引き起こしている奴が何を言う。トレインの回避は最低条件に位置付けられており、それすら守ることができない時点で実力などたかが知れている」

 サーリャの言葉を嘲笑うかのように厳しい言葉を言い放ってくる男にサーリャは何も言い返せず唇を嚙んだ。

 (やっぱり、私には無理なの?)

 「そもそもだ。どうしてお前がそこまで騎士になることにこだわる。そんなことをしなくてもお前の身分ならある程度楽に生きられるだろう」

 男の言葉にサーリャは驚愕した。どうして、どうしてそれを知っている。

 「下々の者達の暮らしを知るということは無駄ではない。そこから得られる情報は貴重で飾らない言葉こそ真実味がある。ただし、不相応な道にこだわり続けるというのは感心しないと思うがな」

 呼吸をすることも忘れ、ただ男の言葉を聞くだけになっているサーリャは男が喋り続けるのを止められない。そして男はとうとうサーリャが危惧していたことを口にした。


 「そう思わないか。サーリャ・ブロリアス男爵令嬢殿?」


 二人しかいないこの家の中で、サーリャの正体が男に知られた瞬間であった。



 サーリャは自分の正体を言い当てられたことへの驚きで固まったまま動けず、男はそんなサーリャの反応を見て楽しんでいるかのように笑っている。

 「……私を知っているのですか?」

 硬直から抜け出し、探るようにサーリャは問いかける。少なくともサーリャは目の前の男と面識はないはず。しかし相手がこちらを知っているということは、どこかで会っているはず。

 「名前を知っているだけだ」

 「どこかの家の社交界の場で見たのですか?」

 「いや。お前とはここで会うのが初めてだな」

 「それならどうして私のことを知っているのですか?」

 サーリャの問いに男は最低限の言葉だけですぐさま返してくるが納得できない。言っていることが矛盾している。今日まで会ったこともない人物が名前だけでなく身分まで言い当ててくるなどありえない。

 (うまくはぐらかされている)

 サーリャの中でますます目の前の男が怪しく見えてきて、警戒心がさらに上がる。この男の目的はいったい何なのだ。

 「なぜ俺がお前のことを知っているか知りたそうだから答えてやるが、簡単なことだ。それはお前をここに運んできた時に調べたからだ」

 「……どうやって?」

 「悪いが荷物を調べさせてもらった」

 そこまで言われてサーリャはハッとし、腰元に手を動かす。今は外されているが、医薬品を入れていたポーチの中にはサーリャの身分証が入っている。当然そこにはサーリャの名前だけでなく貴族としての身分もしっかり記載されている。

 「……女性の荷物を漁るなんて随分と失礼な方なのね。紳士なら淑女の持ち物は触りませんよ」

 サーリャはできる限り余裕のある風を装って男に言葉を返す。会話を始めてからずっと男のペースで話が進んでしまっている。ここで少しでも話の主導権を取り戻さなくてはサーリャも欲しい情報が得られない。

 しかしながら、現実は思い描いたシナリオ通りには進まないのが常である。

 「何を言っている。この大森林で実力不足の人間がトレインを引き起こしながら俺の近くに現れたんだぞ?警戒するのは当たり前で、少しでも相手のことを知ろうとするのは自然な流れだろう。お前は素性もわからない奴を警戒もせずに家に入れるのか?」

 「ぐっ!」

 間髪入れずに正論が返ってきて何も言い返せずサーリャは言葉に詰まる。まったくもって男の言うことは正しい。

 「それで?話を戻すが、男爵令嬢殿がどうして騎士にこだわる。人が足りていないわけでもあるまいし、お前が騎士を目指す理由などないはずだ」

 「確かに私は貴族です。しかし貴族と言っても名誉貴族と言うだけで、領地を持っているわけではありません」

 「ほう、名誉貴族か。ならばおおかた父上殿が功績をあげたことで貴族になったということか」

 珍しそうな男の言葉にサーリャは黙って頷く。


 名誉貴族とは王国で使われている貴族制度の一種だ。国の一大事の際、目覚ましい戦果を挙げた者や、国に素晴らしいほどの利益をもたらした人物を身分に関係なく貴族へと昇格させることができる。

 「それで?今のいい生活を続けたいからお前は騎士になりたいのか?」

 「違います!たとえ貴族でなくても私は多くの人を守る騎士になると決めていました」

 男の言葉をサーリャはすぐさま否定する。そんな気持ちでこれまで騎士を目指していたわけではない。

 「お前がどう思っていようが、どちらにせよ今の実力では不可能だ。特別課題を出されない程度になってから出直すことだな」

 これ以上の会話は不要なのだろう。男は再び本に視線を落とし何も言わなくなった。

 「……はい」

 サーリャはただ頷くしかない。もはやサーリャには男に訴えかけられるものを何一つ持ち合わせていないのだから。部屋にある自分の荷物をまとめようとゆっくりと立ち上がり、戻ろうとしたところで背後から声がかかった。

 「お前を王都に帰すのは明日だ。部屋は今使っているところで構わないから今日はもう泊まっていけ」

 「泊めてくれるのですか?」

 男の提案をサーリャは意外だなと感じた。てっきり有無を言わせず帰されると思っていたのに、まさか泊めてくれるとは。

 「俺を何だと思っているんだ。意識が戻ったばかりの怪我人を放り出すことなどするわけないだろう。治ったわけじゃないから今日は一日安静にしていろ」

 「ありがとうございます」

 サーリャは気遣ってくれる男に向き直って深く頭を下げ、再び部屋に戻ろうとしたところであることを思い出した。今まですっかり頭から抜け落ちていたことを思い出したサーリャは慌てて振り返った。

 「あ、あの!」

 「どうした?」

 「え~っと。その、一つ聞きたいことが……」

 何を聞かれるのか見当がつかず首を傾げたままの男を前にサーリャはどう切り出そうか悩んでいた。言いたいことはあるがなかなかその言葉が口から出てこない。聞くことが恥ずかしくて顔が熱くなっていくのが嫌でもわかってしまう。それでも聞いておかなければ気になって仕方がない。

 「えっと、私って目を覚ました時、その、服を着ていなかったと思うのですけど。もしかしてあれって……」

 もじもじとしながら聞きたいことをようやく口にすると、男の方もサーリャが何を言いたいのか察しがついたようだ。

 「あぁ。治療の邪魔だったから服は俺が脱がした。なんだ?何か不味かったか?」

 「っ!わざわざ脱がせた理由を聞いても?」

 見知らぬ男性に肌を見られてしまった!しかも自分が意識を失っている最中に。その時のことを想像してしまいサーリャの顔は真っ赤だ。

 部屋まで運ばれベッドに寝かされたサーリャ。男が自分の服に手をかけ胸元の紐をゆっくりとほどいていく。胸元の紐が解かれ、あらわになる下着。脱がせるということは少なからずサーリャの身体に触れたということ。

 もしかしたらどさくさに紛れて胸を触られたかもしれない。男の手が豊かな双丘に伸びていき……。

 「~~~~~~~~~~っ‼」

 もう限界だった。サーリャはその場にしゃがみこみ両手で顔を覆った。もはや顔だけでなく首元まで赤くなっている。

 「捲っただけでは怪我がよく見えんだろう。服で隠れている部分も負傷していたら見過ごすことなどできん……ってお前は何をやっているんだ?」

 「気にしないでください」

 男の訝しげな声が聞こえてくるが今のサーリャはそれどころではない。蚊が鳴くような声を発した後、しばらくしゃがんだまま動けずにいた。ようやく落ち着きを取り戻し始めたサーリャは気を取り直すかのように勢い良く立ち上がった。それでも顔の赤みが引いたわけではなく、今も赤いままだ。

 「もう大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 「そう言うがまだ顔が赤いぞ?」

 「気のせいです‼」

 サーリャは畳みかけるように主張する。これ以上この話題を続けたくない。

 「そうはいっても、いきなりしゃがんだかと思えば顔を赤くして立ち上がったり、いったいお前は——。あぁ、なるほど」

 不意に言葉を途切れさせた男は何かに気づいたようだ。納得したように呟いた後サーリャを見てニヤニヤしている。何か嫌な予感がする。

 「な、なんですか」

 「いや、たいしたことじゃない。男爵令嬢殿は思っていたよりも〝そっち〟の知識が豊富なんだなと思っただけだ。安心しろ。治療以外でお前の身体には触っていない」

 「なっ!」

 ようやく引き始めていたのに、男に指摘されて再びサーリャの顔が赤くなってくる。からかわれたことからの怒りなのか、それとも真っ先に〝そっち〟のことを想像し、自爆したことからの羞恥心からなのか。

 「もう部屋に戻ります‼」

 「ああ。しっかり休め」

 笑いを堪えているのか肩を震わせている男を見ていられなくなり、サーリャは早足でリビングから出ていく。まさかこんなことでからかわれるなんて思いもしなかった。

 「言っておきますけど!」

 「ん?」

 リビングから出ていき、角を曲がろうとしたところでサーリャは振り返った。

 「私にはサーリャ・ブロリアスと言う名前があるんです。お前なんて言われ続ける理由はありません。そもそも私はあなたの名前すら知らないのだから、せめて名前くらいは教えてください」

 よく考えれば自分の名前も自ら名乗ったわけではなく、身分証を見られたことで知られただけだ。男はサーリャのことを知っていてもサーリャは男のことを何一つ知らない。

 「……」

 しばらく男は顎に手をやり何かを考え始めた。まさか名乗るべきかどうか考えているのでは⁉明日には別れるのだから言わなくても別に構わないのではと考えているのかもしれない。

 しばらく躊躇っていた男だったが、最後は結局自分の名前を口にした。

 「……ルインだ」



 部屋に戻ったサーリャは特にすることもないので言われた通りベッドで横になって安静にしていた。

 「暇だな……」

 私物があるわけでもなく、部屋に時間を潰せる何かがあるわけでもないのでサーリャは暇を持て余していた。怪我人なのだから休むことは当然なのだが、ただ何もせず長時間寝ているだけというのもこれはこれで辛いものがある。一度は眠ってしまったが、今はもう目が覚めて眠気もまったく無い。

 窓から差し込む日差しも赤く染まってから随分と経ち、暗くなり始めている。

 外の暗さにつられるように部屋の中も次第に暗くなってくるが、部屋に備え付けられたランプが自然と明かりを灯しだし、部屋の中を適度に明るくする。

 ランプの中では明かりが揺らめいているがそれは火の光ではなく、魔力で作られた球体が宙に浮きながら光を放っている。ただのランプではなく魔力ランプだ。

 「何かできることを探してみようかな」

 しばらく魔力ランプの光を眺めていたサーリャはベッドから身を起こして部屋の外へ出る。最後に見たあのニヤニヤとサーリャを見る顔は今でも腹が立つが、あれでも命の恩人だ。少しは恩返しをしたい。

 リビングに顔を出すと最後に見た時と変わらずルインはソファーで本を広げたままだった。一度は席を立ったのか、テーブルに置かれた本の数が多くなっている。

 「あなたまだ本を読んでいたの?」

 「そうだが何か用か?喉が渇いたのなら冷蔵庫に飲み物ぐらいは入っているはずだから好きに飲んでくれ」

 本から目を離すことの無いルインをサーリャは半ば呆れながら横目で眺めながらキッチンへと歩いていく。からかわれたことに対する意趣返しのつもりで敬語を止めて普段の口調に戻してみたが、ルインは特に気にした風でもないのでこのままでも構わないだろう。

 森で意識を失ってこの家で目覚めてから今まで何も口にしていなかったので喉が渇いていたのは事実だ。喉を潤してからルインにどうお礼をすればいいか考えようと思っていたサーリャは冷蔵庫を開け、その中を見て固まってしまった。

 「……ねぇルイン」

 「どうした」

 「あなたってずっとここに住んでいるのよね?」

 「当然だ。そもそもここ以外に家は持っていないからな」

 冷蔵庫の中の惨状に唖然としているサーリャを相手にルインは平常運転。冷蔵庫の中にはルインが言った通り作り置きしていたのか飲み物が入ったボトルが何本かあった。


 ——それだけだ。


 冷やしておかなければならない肉や野菜、卵などは一切入っておらず、何も入っていないほぼ新品の空間だけが目の前にはある。

 「ルインって実は何も食べなくても生きられる化け物とかじゃないわよね?」

 「お前は何か失礼なことを言わなければ気が済まんのか?俺とて食事はするぞ」

 「だったら普段何を食べているのよ!探してもどこにも……って本当に何もないじゃない」

 キッチンの引き出しを手当たり次第開けていくが、少しばかりの調理器具はあっても食材の類は見つからない。食材どころか調味料の類まで一つも無い。

 こいつはやっぱり化け物なんじゃないか?——サーリャが再び失礼なことを思い始めたころでルインが口を開いた。

 「足元だ」

 「足元?」

 「シンクの下の棚に乾麺の入ったボトルがあるはずだ。それが食事だ」

 「……うわっ。本当に入ってる。それにしてもこの量は……」

 棚を開ければ確かに乾麺が入ったボトルがあった。しかしそのボトルの大きさが予想以上で、両手で持たなければならないほどだ。これだけの量を一人で食べるとなるといったい何日かかるのかわかったものではない。

 「ちょっと待ちなさい。ルイン、昨日は何を食べたの?」

 「パスタだな」

 「一昨日は?」

 「無論パスタだ」

 サーリャはこめかみに手を当てる。これは、もしかすると……。

 「……一応聞くけど、明日は何を食べるつもりなの?」

 「同じことを何度も言わせるな。パスタに決まって——」

 「ちょっと待てーー‼」

 とうとう我慢できなくなりサーリャは叫びながら立ち上がった、両手には話題の中心となっている乾麺のボトルがある。

 「毎日毎日パスタって何を考えているの!少しはパスタ以外のものを食べなさいよ!」

 「何がそこまで気に入らないんだ。時間と手間をかけることの方が非現実的だ。他の料理とは違って茹でればすぐに食べられるんだぞ。さっさと食事を済ませて研究に戻れるのならこれほど効率的なものはないだろう。そもそも食事など空腹感を無くすための作業でしかない」

 ルインの主張にサーリャは足元で何かが崩れ去っていくような気がして思わずよろめき、キッチンに手をついた。

 食事が作業?この男の価値観はサーリャには理解し難いものだ。サーリャにとって食事とは毎日の楽しみの一つでもある。美味しいものを食べ、幸せを感じることで日々のストレスを忘れることができる。いわば心の栄養補充だ。

 しかしこの家の主にはその素晴らしさが理解できないようだ。毎日の食事に何かを求めているわけでもなく、ただ作業の一つとしてこなしていく。だからこそ多少味を変えていると思うが、毎日パスタでも構わないのだろう。

 「……作るわ」

 「何をだ?」

 サーリャはガバリと顔を上げる。

 「私が今日の夕食を作るわ!私の前でそんな偏った食事をするのは見ていられないわ」

 いきなりルインに向かって宣言したサーリャをルインは目を丸くして見返してきている。サーリャがなぜここまでやる気になっているのか本気で分からないようだ。

 「なんだ?お前料理なんかできるのか?食べる側じゃなくて?」

 「お前じゃなくてサーリャ‼バカにしないで。騎士を目指す以上自分の食事くらいは自分で作れるわ」

 相変わらずの反応にサーリャはその場で地団太を踏みたくなるがグッと堪える。本当にこの男は口を開けばこちらを怒らせることしか言わない。

 「それで?他の食材はどこにあるの?まさかとは思うけど本当に食材がこれだけなんて言わないわよね?」

 サーリャはボトルに片手を置きながらルインに問い詰める。いくら何でも麵だけということは無いはずだ。少しは別の食材もあるはず。無かった場合は本当にどうしようもなくなるのでその時は今度こそ膝から崩れ落ちることになってしまう。

 「食糧庫はサーリャの左にある扉の先だ。特にたいしたものは無いが、使えるものはあるはずだから好きに使ってくれて構わんぞ」

 ルインの言った通りキッチンの奥に部屋が一つ繋がっている。扉は開閉しやすいようにスライド式になっていて料理をする者からすると大変ありがたい設計になっている。まぁ、そんな新設設計もこの男の前では無用の長物になり果てているのだが……。

 (とりあえずは何が残っているのか確認しないといけないわね。食材に余裕があるなら問題は無いけれど、そうでないなら炒め物かしら?)

 献立を考えながら食糧庫へと続く扉に進んでいく。しかし、連日パスタで済ませてしまうような男だ。きっとろくなものは残っていないだろう。

 (そういえばルインってずっとここに住んでいるのよね。どうやって食料品を補充しているのかしら?)

 ふと思い浮かんだ疑問を抱えたまま扉に手をかけ、開け放った。

 「……はっ?」

 いったいこの家で何度目になるのだろう。気の抜けたような声がサーリャの口から出てくる。ふらふらと中に足を踏み入れ左右に陳列されたものを見ていくサーリャの背後でゆっくりと扉が閉まっていく。

 肉・野菜・各種調味料。サーリャが求めている物がすべて揃っている。揃っているどころではない。おおよそ一人暮らしをするうえで保管するにしてはあまりにも膨大な量がこの部屋の中に詰め込まれていた。

 しかもただ無造作に置かれているわけではなく、食材の種類ごとに場所が分けられ、どこに何があるのかわかりやすいようになっている。

 しかし問題はフルコースを作れるほどに備蓄されている食材の量ではない。おもむろに近くにあった調味料の一つを手に取ってラベルに印字されている物を見た瞬間、サーリャは全身の毛が逆立ったように感じた。

 「ルイン。ルイン!ルイン!ルイーーーーーン‼」

 壊れるのではないかと思うぐらいの勢いで扉を開け放ち、ルインがどこにいるのかわかっていながらも大声で名前を呼びながらサーリャは食糧庫から出てきて彼のもとへ向かう。

 「……どうやらお前には大人しくしているということができないようだな。サーリャ・ブロリアス」

 サーリャが何度も騒ぎ立てるのでルインのこめかみには青筋が立ち、ぎろりとサーリャを睨んでくるがそんなことはどうでもいい。

 「ちょっと!これはいったい何なのよ!」

 サーリャは食糧庫から持ち出してきた調味料をテーブルにドンッと勢いよく置き、その影響で大きな音が出る。

 「なにって、ケチャップだが?」

 「中身を聞いているんじゃないわよ!私が聞いているのはここ!」

 サーリャが指さしたのは容器に貼られたラベル。そこには商品の名前が記載されているのだが、それとは別に特徴的なイラストがスタンプされている。皿の上に野菜や果物が載っており、皿の外にはフォークとナイフが並べられている。

 「そのスタンプがどうかしたのか?」

 「どうかしたのかって本気で言っているの?これってブルリンド商会のマークじゃない」

 「ブルリンド商会?」

 首を傾げるルインにサーリャは呆れるしかない。

 「なんで持っている本人が知らないのよ。いい?ブルリンド商会は王都で知らない人はいないって言うぐらいの大商会よ」


 ブルリンド商会は数年前に突如として誕生した新規の商会だ。もともとは王都で料理屋を開いていたのだが、量がありながら大味で終わらせず美味しさを追求し続けるという少し珍しい方針を掲げていた。

 一流の店と比べてしまうと劣ってしまうが、それでもそれに追従するような美味しさを提供している。それでありながら一般庶民でも手の届きやすい価格設定なため店を訪れる人は後を絶たず、すぐさま王都中に評判は広がった。特に食べる量の多い男達や騎士達の間で好評だった。

 店はそこで立ち止まらず常に客のことを考えたメニューを考案し続け、増え始めた女性騎士も利用しやすいように店内のレイアウトを大きく変えるだけでなく野菜を中心としたヘルシーなメニューも次々発表したことでますます人気を高めた。

 今では料理を提供するだけでなく、独自の流通ルートを築いて独自に管理。さらには保存食や調味料などを販売し始めたことで独自のブランドを手に入れることになるまでに成長した。その際に目印として使われたのが、料理屋として営業を始めた時から使っているマークだ。

 「へぇ。今はそんなことになっているんだな」

 「知っていて買ったんじゃないの?」

 ブルリンド商会の扱う食材はどれも高品質で一流のレストランがブルリンド商会から食材を仕入れているぐらいだ。

 とりあえず怒りを引っ込めサーリャの説明を聞いていたルインの反応は実に淡白だ。もう少し驚いてくれた方がこちらも説明した甲斐があるというものだ。

 (まぁ、ルインがそこまで大きなリアクションをするとは思っていなかったけどね)

 もしも「なにぃ!そうだったのか!」などとルインが言おうものなら確実に「誰だこいつ」と自分が言ってしまうのは容易に想像できてしまう。

 「……ルインって実はかなり偉い人だったりするの?」

 「なんだ突然」

 「いえ。何となくそう思っただけで特に深い意味は無いわ。あれだけの食材を仕入れているのだからもしかしたらどこかの大貴族かと思っただけよ」

 「何か勘違いしているようだから言っておくが、俺は貴族ではない。静かに暮らしたいだけのただの平民だ」

 「ただの平民がルクドの大森林内に家なんか持たないし、あんな広い食糧庫も持たないわよ」

 「そうか。なら〝少し〟他とは違う平民だ。そのケチャップも含めて食糧庫にあるものはすべて数年前に本人から譲り受けたものだ」

 「あれが少し……」

 あれだけの規模で少しと誰が納得するのだ。さらりとルインの情報を集めようと思ったが逆に謎が深まってしまった。これ以上は何も得られるものは無いだろうと判断してケチャップを手に取り食糧庫に戻り始める。

 それにしても、とサーリャは手に持ったケチャップのラベルにあるブルリンド商会のマークを見た。

 (たしか会長のルジー・ブルリンドって普段は〝王宮〟としか取引していないわよね。その人が無償で譲ってくれた?)

 また一つルインの謎が増えたのは気のせいではないだろう。



 「さて。何を作ろうかしら」

 再び食糧庫に一人戻ってきたサーリャは腰に手を当て、目の前に広がる食材の数々を見た。まさかここまでそろっているとは思わなかったが、これはいい意味で予想外だ。

 料理をしないくせに食材は無駄に豊富で、キッチンにいた時にも気づいたのだが道具も一通り揃っているがどれも使われた形跡がなくほぼ新品の状態だった。

 いわゆる揃えたところで満足してしまい、その先までは進むことは無かったのだろう。

 「とりあえず、野菜はしっかり食べてもらおうかしらね」

 パスタばかり食べているような人だ。きっと野菜などほとんど食べていないだろう。サーリャは野菜が置かれている棚に向かい、使う予定の野菜を手に取った。



 「ルイン、作り終えたから夕食にしましょう。今からでも大丈夫よね?」

 「……ああ。大丈夫だ」

 サーリャがキッチン越しから声をかけるとルインの声が返ってくる。しかし、一人掛けのソファーには誰もいない。代わりにサーリャが座っていた二人掛けのソファーから声が聞こえてきてゆっくりとルインが身体を起こす。

 どうやら何か行き詰っているようで、サーリャが料理をしている最中に移動してそのまま横になってしまったのだ。

 それでも寝ていたわけではなくこちらに向かってくるルインの表情には寝ぼけているような感じは無い。

 サーリャが皿に盛り付け終わるとルインが料理を運んでいき、空いたスペースに次の皿を用意する。二人分の料理しかないのと、テキパキと準備が整えられていくためすぐに食事の準備が整う。

 ソファーのある場所ではさすがに食事がしづらいので、キッチンの傍に置かれているテーブルでの食事となる。

 「なかなかに豪勢だな」

「そう?時間のかかりそうなものはさすがに避けたけど、豪勢と言われるほどのものじゃないわよ。まぁ、毎日パスタしか食べていないルインからすれば豪勢に見えるのかしらね」

 サーリャが作ったのは野菜をふんだんに使った煮込み料理で、美味しそうな匂いが漂ってくる。煮込み料理以外にもハムを使ったサラダも置かれており、色とりどりで鮮やかだ。

 「ほら、冷めないうちに食べましょ。温かいうちに食べるのが一番美味しいんだから」

 サーリャに促される形で食事が始まり、早速ルインが煮込み料理に手を出すのをサーリャは自分も食べながらさりげなく見ている。

「これはうまいな。久しぶりにこんなうまい料理を食べた気がするな」

「ふふ。そうでしょ。やっぱり食事は美味しいものを楽しみながら食べるのが一番なのよ」

 ルインからの高評価にサーリャは内心でガッツポーズをしながら嬉しさで笑顔になる。誰かに料理を振舞うこと自体これまで経験が無かったため、若干緊張していたのだが、どうやらルインのお気に召したようだ。

 「あれだけの食材があるのにどうしてこれまで使ってこなかったのよ」

「それは俺がそこまで料理ができないからだな。俺が使ってもまともな料理ができるとは思えないし、かといって受け取らないわけにもいかん。一応保存食という形にしておけば最悪その食材を使ってしばらくは食い繋ぐことはできるからな」

「食糧庫の中にある食材って本当にこれまでずっと使っていなかったものなの。つい最近買って来たとかじゃなくて?」

 「食糧庫の中にあるものはほとんどが数年前のものだが何か気になったのか?」

 ルインは煮込み料理のスープを飲みながら聞いてくる。

 「私が見た限りだとどれも鮮度は良かったわよ。さすがに採れたてって程ではないにしても、このトマトなんてずっと食糧庫の中にあったとは思えないほど瑞々しいわ。買ってきたわけじゃないなら一体どうやって保存しているのよ」

 サーリャは自分の皿にあるトマトを口に運びながら尋ねた。他の野菜もそうだったが、どれも鮮度が良すぎたのだ。ある程度傷んでいると思っていたがそんな野菜は一つも無く、日が経ち過ぎて萎びている野菜もどれ一つとして無い。

 「あぁ、そのことか。それは食糧庫内全てに状態保存魔法が常時展開しているからだろうな」

 「んぐっ⁉ちょっ、まっ……!」

 呑み込もうとしたところでルインから爆弾が投下され思わずサーリャはむせてしまった。言いたいことはあるが激しく咳き込んでしまってそれどころではない。何度も咳き込むサーリャにルインはグラスに水を注いで渡してくる。

 「大丈夫か?」

 「だ、誰のせいだと思っているのよ。それよりどういうことよ⁉状態魔法の常時展開って、そんなのできるわけないでしょう!」

 グラスを受け取り水を飲みほしたところでようやくサーリャは言いたかったことを口にする。ルインの発言は一応魔法を扱う一人として到底信じられる内容ではない。

 「状態保存魔法なんて空間と時間の干渉を同時に行使することになるのよ。そんな高レベルな魔法を扱える騎士なんて見たことが無いし、何より常時展開するだけの膨大な魔力をどうやって賄っているのよ!」

 状態保存魔法とはその名の通り対象の時間を止めて直前までの状態をそのまま維持し続ける魔法である。しかし、通常の魔法とは違い時間と空間に干渉するような魔法は難易度が桁違いだ。不変であり絶対的な規律である時間を止めるなど無謀にも等しい。

 何より、それだけの大魔法を一つの対象にかけ続けるならともかく、食糧庫内全体にかけているとならば消費魔力は想像もつかないほどの量だ。とても個人で賄えるものではない。

 「まぁ、そう思うのも無理はないな。だが俺は〝少し〟他とは違う平民だから問題は無い。それよりも食べ終わったら風呂に入ってこい。広めに作ってあるからゆっくりできると思うぞ」

 「はぁ……」

 サーリャの疑問はルインの魔法の言葉で片付けられてしまい、サーリャはもはや溜息しか出なかった。



 後片付けはやっておくとルインから言われ、半ばキッチンから追い出されてしまったサーリャは入浴のため脱衣所にいた。

 いつの間に用意したのか足元にはカゴが置かれており、中には新品のタオルや着替え代わりとしてルインの服が入っている。さすがに下着の類は今着けているものをもう一度使うしかない。

 身に着けていた服を脱ぎ下着姿となったサーリャは脱衣所に備え付けられている鏡に目を向けた。鏡には下着しか身に着けていない自分自身が映っている。

 (私ってそんなに魅力が無いのかな?)

 自分の姿を上から下までじっくりと見ながらサーリャはそんなことを考えていた。これでも自分の体型には気を使っている。生傷の絶えない訓練の中であっても毎日の肌の手入れは欠かさないし、スタイルが崩れないように食事にも気を使っている。そんな毎日の努力のおかげで今日まで綺麗なボディラインを維持することができており、胸も大きい方だ。鎧越しでなければ少しは男性の視線を集めることができるのではないかとサーリャは思っている。

 そう思っていたが、今回ルインの反応を見てその自信が揺らいでしまった。

 はなはだ不本意だが、ルインはサーリャの服の上からではなく下着姿という肌を大きく晒した姿を見られている。少しはサーリャの身体を見てドギマギしたり胸に視線が向くかと思っていたが、ルインの目は特にそんな動きは無かった。

 あくまでも一個人であるサーリャとして接してきた。

 (私の肌を見たのだから少しはドキドキしなさいよ!これじゃあ私だけが変に意識しているみたいじゃない)

 欲情して手を出されてほしかった——そこまではさすがに思っていないが、女性として少しは反応が欲しい所ではあり、何も変化が無いとそれはそれでサーリャに女としての魅力が無いのではと思ってしまう。

 いや。やっぱりそんな欲望丸出しの目で見られたくもないのは事実で……。

 結局サーリャはルインにどうして欲しかったのかわからず、しばらく下着姿のまま一人悶々としていた。

 答えの出ないままだったがとりあえずこのまま下着姿のままでいるわけにもいかないのでサーリャは残す下着も取って浴室の扉を開けて中に入った。

 「へえ~。思っていたよりも広いのね」

 浴室内はサーリャが思っていたよりも広く、一人で使うには十分すぎるほどの広さがある。浴槽に関しては一人で使うにしては少し大きすぎるのではと感じてしまうほどで、腕を広げても大丈夫——とまではいかないが少なくともただ体を温めるために使うのならば浴槽の壁に手足がぶつかることは無い。

 洗い場で体を綺麗にし、ちゃぷっと小さく水音を立てながらサーリャはゆっくりと浴槽の中に入り首まで湯の中に身を沈める。

 「は~。思いっきり足を伸ばせるのはいいわね」

 ルイリアス王国のすべての宿に浴槽があるわけではない。安い宿は当然風呂などあるわけないし、部屋で濡れたタオルを使って体を拭うことしかできない。

 風呂付きとなると手が出せないほどではないが、そこそこの値段になるのであまり普段から使うことはできないし、何よりここまで大きな浴槽を置いているところも少ないだろう。サーリャも泊ったことはあるが、どうしても足を少し曲げなければならず窮屈さがあったのは覚えている。

 快適な入浴を楽しんでいたサーリャはふとあるものを見つけた。

 「ん?これは何かしら?」

 右側の浴槽の縁。腕を伸ばせば届く場所に不自然な出っ張りがある。角は丸められているが形は四角く大きく飛び出ているわけではないが、明らかに不自然だ。

 「これって魔力受信装置?なんでこんなところに……」

 身体を起こし間近で見ると表面は星の形に彫り込まれており、そこに水晶が嵌め込まれている。そんなものが浴槽に付けられており、しかも魔力を与えれば何かが作動する。

 未知の仕組みに興味を持ったサーリャはゆっくりと縁に手を伸ばしていく。もしかしたら浴槽に面白い機能が備わっているのかもしれない。手をかざしたサーリャはちょっとだけと思いながら受信装置に魔力を流した。

 変化はすぐに現れ、嵌め込まれた水晶が淡く光りだした。何が起こるのか光り続ける水晶を見ていたサーリャの目の前で——浴室内全ての照明が落ちた。

 「えっ⁉ちょ、ちょっと待って!」

 まさか浴室の明かりがすべて消えるとは思わずサーリャは焦りだす。すでに水晶も光を失っており周囲は真っ暗で何も見えない。まさかあの受信装置が照明の操作をするためのものだと誰が思うだろう。

 もう一度水晶に魔力を流さなければと慌てて手探りで縁を触っていたサーリャの頭上から柔らかな光が降ってきた。手を止め頭上を見上げたサーリャは目に飛び込んできた光景に目を奪われた。

 「ふわぁ」

 見上げた先に広がっていたのは視界いっぱいに広がる満天の星空だった。天井だった場所がすべて星空へと変わり、月明かりが浴室内に降り注いでいる。

 「綺麗……」

 星空を見上げながらサーリャはそれだけしか呟くことしかできない。これまで何度も夜の空を見上げたことはあるが、ここまで綺麗な星空を見たのは初めてだ。街の明かりなどは入り込まず、澄み渡った星と月が輝いている。

 身を起こしていたサーリャはゆっくりと浴槽の端にもたれかかり、縁に頭を乗せる。何も言うことなくサーリャはただ目の前に広がる星空をただ眺めていた。


 サーリャが星空を見ながら入浴を楽しんでいる頃、ルインはキッチンで黙々と皿洗いをしていた。最後の皿を洗い終え、立てかけたところでルインはちらりと脱衣所の方へ目を向けた。

 「結局何も仕掛けて来なかったな」

 ルインはポツリと呟いた。自分が助けた騎士見習い——サーリャはルインが見ている限りでは特におかしな動きを見せてはいない。こちらを油断させてから何か仕掛けてくるのではないかと今まで警戒していたが、結局何も起こらず今は暢気に風呂に入っている。

 (本当にただ特別課題とやらを果たすためにここまで来たのか?しかし、俺が森に出かけている時にわざわざ俺に見つかるような行動をしているから家に入り込むことが目的とも考えられる)

 ここがただの人里離れた辺境の地で起こったことならばそんなこともあると思ったかもしれない。しかしここは普通ならば足を踏み入れることを避けているほどの危険な地だ。そこに王国の人間がやってくることなど滅多に無い。

 ルインにとって王国の人間——しかも見習いとは言え騎士を目指している者は十分に警戒するべき対象になりえる。もしも何かしらの悪意を持ってきたのならばすぐさま実力行使をするつもりだったが、サーリャは策を巡らせているようには見えない。

 (俺を探しに来るという線は薄いと思うが、その情報を信じずどこかの貴族が秘密裏に探りを入れているのか?)

 あるいはサーリャには本当の目的を伝えていないのかもしれない。ルインは王国の人間にとって邪魔な存在だ。杞憂に終わればそれでいいが、万が一の場合はこの家を手放す選択もしなければならない。

 (結局はあいつの行動次第か)

 そう思っていたところで脱衣所から物音が聞こえてきた。どうやら入浴を終えたようだ。


 脱衣所から出てきたサーリャはタオルで髪を拭きながらリビングまで戻ってきた。大きめのシャツにゆったりとしたズボン姿のサーリャは入浴後ということもあり頬を上気させ、ほうっと漏れる吐息からは色気が漂っている。

 「お風呂ありがとうね。とても気持ちよかったわ」

 「それは良かった。ずいぶんと長く入っていたみたいだが、もしかしてアレを見ていたのか?」

 「ええ、そうよ。あんな素晴らしい星空を見ながらお風呂に入れるなんて夢にも思わなかったわ!いったいどんな仕掛けなのよ?」

 「簡単だ。天井全てに透過の術式を組み込んである。透過とは言ったが双方の透過にはせずにあくまでも片側からしか見ることができないようにしてあるから、外からはこちらを覗けないようにしてある。研究が行き詰った時はアレを見て気分転換するようにしているな」

 「ルインが羨ましいわ。あんな景色を独り占めなんて」

 なんて素晴らしい機能なんだろうとサーリャは思う。お風呂に入りながら星空をいつでも眺めることができるなんて。サーリャならば毎日見ていても飽きないかもしれない。

 ちなみに、あまりにも星空を眺めることに夢中になりすぎて、のぼせかけたというのはサーリャの中では秘密にしてある。

 「それで、サーリャは明日からどうするつもりだ?」

 興奮も冷めきらぬ状態のサーリャにルインは話題を切り替えるように静かに聞いてくる。

 「……王都に帰るわ」

 「ほう」

 サーリャの返答にルインは少し驚いた表情になった。

 「意外って言いたそうね」

 「そうだな。俺はてっきりここに残るとごねてくるかと思っていたからな。少し意外に思っただけだ。帰った後はどうするつもりなんだ?」

 「特に決めてないわ。荷物をまとめて実家に帰ってから考えるしかないわ」

 サーリャは肩をすくめながら正直に話す。昨日まで騎士を目指して頑張ってきたのだ。それが果たされなくなった時のことなど考えてもいなかったのでこれから先のことは一切わからない。

 「それじゃあ私はもう部屋に戻るわ。明日は預けてある荷物も取りに行かないといけないから王都じゃなくて近くの町まで送ってくれれば助かるわ」

 おやすみなさいと言ってサーリャはそのまま部屋に向かってそそくさと歩き出した。だからこそサーリャは気づくことができなかった。

 サーリャを見送るルインの目がその言葉の真偽を図るかのように細められていたことに。



 翌朝の早朝。まだ日が昇りきっておらず辺りが薄暗い中、ルインの家の敷地であるひらけた土地をゆっくりと横切る影があった。

 影は真っ直ぐとルインの家から離れていき森へと進んでいく。あともう少しで森に入ると言ったところで影が移動を止め、くるりと方向を変える。その動きにつられて薄暗い闇の中で銀色の髪が流れるように動く。

 「助けてくれてありがとうございます。そして、ごめんなさい」

 サーリャはルインの家に向かって深く頭を下げ、感謝と謝罪を口にする。本当に彼には感謝している。危険な場所からサーリャを救い出してくれただけでなく、そのあとの手当てや寝床を提供してくれた。ルインがいなければこうして頭を下げることすらできなかっただろう。

 そんな彼の優しさをサーリャは裏切ろうとしている。これ以上に不誠実なことは無いだろう。恩知らずだと彼から蔑まれることになる。

 それでもサーリャはこの道を歩むと決めたのだ。サーリャにとって夢である騎士を諦めるということは考えられないことだ。ルインの前ではあっさりと諦めるような演技をしたが、内心では叫びたい気持ちを必死で隠していた。


 ——諦められるわけがない!

 ——私は騎士になるんだ!


 ルインはまだ眠っているだろう。サーリャが使っていたベッドの上に借りていた服を綺麗に畳んでおいて謝罪のメモを残してある。彼がメモを見つけるころにはサーリャはすでに森の中。探すこともできないだろう。

 長く、本当に長く頭を下げていたサーリャだったがようやく頭を上げる。そろそろ出発しなければ。

 気持ちを切り替えて再び大森林に挑もうとしたところで背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

 「こんな朝早くから散歩とはずいぶんと早起きなんだな。サーリャ・ブロリアス」

 「なっ⁉」

 聞こえるはずの無い声を聞いてしまいサーリャは慌てて背後を振り返る。振り返った先にはいつの間にいたのかルインが近くの木にもたれかかり、腕を組んでこちらを見ている。

 「どうしてここに……」

 「俺を甘く見るな。昨日話していた時、お前が嘘を吐いていたのは分かりきっていた。わざわざ特別課題をクリアするためにここまで来るような奴が簡単に騎士を諦めるとは到底信じられん。お前の性格からしてこっそり抜け出すかもしれないと思っていたが、まさか本当に行動に出るとはな」

 見破られていた!サーリャの嘘を見破ったうえでルインは何も言わずに放置していたのだ。杞憂で終わってほしいと思いながらこの場所にいたのだろう。それをサーリャは裏切ってしまった。

 「それで?」

 ルインが気から身を離しサーリャの方に向かって一歩踏み出してくる。申し訳なさと後ろめたさから思わずサーリャは一歩後ろに下がってしまう。

 「俺は言ったはずだよな?自殺志願者を放置するつもりはないと。一度出直して来いと。その忠告を無視してお前は何をするつもりだったんだ?」

 これは質問ではない。ただの確認だ。親に叱られている子供のような気持ちになりながらもサーリャはルインの視線を正面から受け止める。

 「もう一度大森林に挑みます」

 「言ったはずだぞ。お前は実力不足だと。このまま森に入っても前回の二の舞だ。今度も俺が助けてくれると思っているなら勘違いだぞ。あの時はたまたま見つけただけにすぎないしそこまで面倒を見る義理は無い。今度こそこの森で死ぬことになるぞ」

 ルインの言っていることは事実なのだろう。このまま挑んでも勝てる見込みは無い。それでも——。

 「それでも私は諦めたくないの‼」

 サーリャの悲痛な叫びが辺りに響き渡る。

 「これまでずっと騎士になるために頑張ってきたの!どれだけバカにされても騎士になれれば見返せるって。騎士になれればこれから多くの人を救うことができるって。だからこれまで頑張ってこれたの!その夢を簡単に諦め切れるわけないでしょう‼」

 一度言い出してしまうと止まらなかった。そして怒りがサーリャの中で渦巻いている。簡単に夢を諦めろと言ってくるルインに。そしてそんなことを言われてしまう自分自身の不甲斐なさに。

 これだけ必死なのにどうして結果が出ないのだろう。どうして自分は落ちこぼれのままなのだろうか。諦めなければいつかきっと実を結ぶ。しかしサーリャにはその努力が実を結ぶ兆候さえ見られない。なんて不公平なのだろうか。

 これまで我慢していた思いを出し切ったサーリャをルインは黙って聞いており、何かを言うわけでもなくじっとサーリャだけを見ている。そんな彼をサーリャは若干目に涙を浮かべながら睨みつける。

 「騎士はサーリャが思っているような綺麗事だけで成り立っているわけではないぞ。時には必要悪としてその手を汚すこともある。その重圧に押し潰されて剣を手放すやつを俺はこれまで何人も見てきた。命令されることに慣れ過ぎてそれが正しいことなのか疑問に思うことなくただ行動していく。そんな人形のような生き方を目指すと?」

 「そんなことあるわけない。騎士は常に正義を掲げて人々のために動くのよ。間違いなんて起きるはずないじゃないの」

 「正義か……。その言葉を信じた結果がコレなのか」

 「えっ?」

 ぽつりと呟いたルインの最後の言葉はサーリャに向けられたものではなかった。寂しげな言葉とともにルインの表情に陰が差す。しかし、それも一瞬のことで、すぐさま何事もなかったかのようにいつものルインに戻ってしまった。

 「目標が高いのは結構だが今のままでは結果は変わらないぞ。どうするつもりなんだ」

 「——さい」

 「なに?」

 「だったらルインが私を強くしてくれたらいいじゃない!あなたならそれくらいできるでしょう!」

 大森林で不自由なく生活できているのだ。生活力は壊滅的だが少なくとも周囲の魔獣を単独で対処できるほどの実力を持ち合わせているということになる。ならば彼からサーリャに足りないものを学べばいい。

 「断る」

 「何でよ!」

 すぐさま却下してきたことに嚙みつくサーリャ。この男には人の心が無いのだろうか。

 「そもそもそこまでしてやらなければならない理由が無いだろう。理由もなく誰かの面倒を見るなんて御免だ。お前の面倒を見ることで俺にどんなメリットがあるんだ?」

 「メリット……」

 サーリャは必死で思考を巡らす。ルインがサーリャを必要とするような何かを提示しなければ!

 しかしこれまで一人で問題無く生活してきたのだ。今更何をこの男は欲しがるのだろう。欲しいものはすべて独力で解決してしまえるならばサーリャにできることは何も無い。

 なかなか案が出て来ず焦り始めていたサーリャだったが——。

 「あっ」

 一つ思いついた。ルインが持っておらずサーリャが代わりに提示できることを。しかしこれはあまりにも……。

 (あまりにも単純すぎる……)

 サーリャが思いついたことはあまりにも対価として安すぎる内容で、思いついておきながら口に出すのを躊躇ってしまう。それでもこれ以外に良い案は思いつかないことに変わりはない。自分の進退を決めるかもしれない大事な局面で思いついたことを口にした。

 「……作ってあげる」

 「何を?」

 「ルインが私の面倒を見てもらっている間、食事は私が作ってあげるわ」

 「……」

 あまりの内容に呆気に囚われているのか口を開けてルインが固まっている。

 「ほ、ほら。ずっとパスタだと食事のバランスが悪いと思うの。本を読みながらずっと何か悩んでいるみたいだから、美味しいものを食べれば何か閃くかもしれないでしょ。私はルインから戦い方を教えてもらって、ルインは毎日の食事が豪華になる。どちらにもメリットがあると思わない?」

 ここまで来るともはや勢いで押し通すしかない。捲し立てるように言いたいことを喋ったサーリャはルインの反応を窺った。あとは彼の返答だけだ。

 顎に手を当てしばらく考え込んでいたルインだったが、考えが纏まったのかサーリャに何も言うことなく家に向かって歩き始めた。

 (あっ)

 見放された。当然だ。見放されるようなことをサーリャはしたばかりで、対価として提示したのがあまりにも安っぽい内容だ。一応は検討してくれたと思うが結果は変わらなかったのだろう。そう思うと全身から力が抜けてしゃがみ込みたくなるが、それだけはすまいと必死に足に力を込めて立ち続ける。

 こちらに近づいてくるルインは何も言わずサーリャの横を通り過ぎていく。視界がぼやけてきて声が震えそうになる。

 「ついてこい」

 「えっ?」

 背後からおもむろに声をかけられゆっくりとサーリャは振り返る。ルインは数歩進んだところで立ち止まってこちらを見ている。

 「お前の覚悟とやらを見せてもらう。そこでお前をどうするか判断させてもらう」



 再びルインの家まで戻ってきたサーリャは一人広い庭の真ん中に立っている。ルインは少し準備をすると言って家の中に戻ったきり出てこない。

 ルインはサーリャの覚悟を見せてもらうと言っていたが、実際何をすればいいのかサーリャには全く見当がつかない。

 しばらく何もすることなくただ突っ立っているだけの時間が過ぎていき、ようやくルインが家から出てきた。準備をすると言って戻ったはずなのだが、ルインにそこまで大きな変化はない。動きやすい服に着替えて、その手には鞘に収められた一本の剣が握られているくらいだ。

 「それじゃあ内容を説明するぞ」

 サーリャに緊張が走り、自然と背筋が伸びる。

 「内容は簡単だ。サーリャは俺と模擬戦をしてもらう。相手を殺すことは禁止でそれ以外の縛りは一切ない。魔法、剣術・体術など使えるものはすべて使った限りなく実戦に近い内容でやらせてもらう」

 「覚悟を見せろって、やることは模擬戦なの」

 「そうだ。だが模擬戦だからといって甘く見ないことだ。俺は殺すつもりで行動させてもらう。だからサーリャも俺を殺すつもりでかかってこい」

 殺す。その言葉を口にした瞬間ルインの纏う雰囲気が変わった。これまでののんびりとした表情は消え、命を奪う者が見せる冷酷な雰囲気が代わりに現れる。サーリャを見る目も人としてではなく殺す対象になり、鋭い視線が突き刺さってくる。

 「で、でも殺すなんて」

 サーリャは腰に下げた剣に思わず目を向ける。この剣は人を守るために振るう為のもので、決して人を傷つけるために使うものではない。

 「騎士の仕事が魔獣退治だけだと本気で思っているのか?剣を持つ以上、相手の命を奪う行為から避けられると思うな。命を奪う相手が人か魔獣かの違いだけだ。その覚悟が無いなら模擬戦を始める前から不合格だ」

 容赦のないルインの言葉はサーリャの心に深く突き刺さる。知らなかったわけではない。王都にいた時も盗賊や犯罪者集団が各地で被害をもたらし、何度も討伐されたという情報は聞いたことがある。その情報を得るたびに騎士とは魔獣だけでなく人も斬らなければならないのだと嫌でも気づかされてしまった。

 それでも知っているというだけで終わってしまっていたのはサーリャが無意識に避けていた結果だからだ。覚悟なんてできていなかったのだ。それが今ルインから改めて突き出されただけ。

 「ごめんなさい覚悟が足りなかったわ。でもここで逃げるわけにはいかないわ。模擬戦をやらせてちょうだい」

 「ならば準備ができたら言え。開始の合図をする」

 鞘から剣を抜き正面で構えるとルインも遅れる形で鞘から剣を抜く。しかしルインは構えることなく剣をだらりと下げたままだ。

 「ルイン。一つだけお願いがあるのだけどいいかしら?」

 サーリャは準備が整ったと言おうとしたところで一旦言葉を切り、待ったをかけた。

 「なんだ?腹が減っているのなら我慢しろ。食後だと体が思ったように動かなくなるぞ」

 「誰がそんなことを言うと思っているの!そんなことじゃなくて、始める前に剣に魔力を先に纏わせてもいいか聞こうと思ったの」

 「本気で言っているのか?片方が有利な条件で始める模擬戦がどこにある。今の王国はそんな模擬戦が当たり前になっているのか?」

 「えっと。そんなことは決してないのだけど……」

 これはさすがに責められても仕方がない。そんな模擬戦など王国でやろうものなら絶対に問題になる。だからといってなぜ始める前に魔力を纏わせたいのか正直に理由を話すほどサーリャもバカではない。言えばどのような反応が返ってくるのかは明らかだ。

 「まぁいい。それくらいなら別に構わないぞ。それと模擬戦は一回限りだ。全力を出し切れてもそうでなかったとしても再挑戦はできないからな」

 「わかっているわよ。何回もチャンスをもらえるなんて、そんな甘い考えを持つつもりはないわ」

 剣に魔力を纏わせ、今度こそ準備が終わったサーリャはルインから離れて合図するように頷く。その合図を見たルインはポケットから一枚のコインを取り出した。

 「このコインが地面に落ちたら模擬戦開始だ。……いくぞ」

 キンッと指で弾き上げられたコインが回転しながら宙を舞う。コインが地面に落ち甲高い金属音が鳴り響いた瞬間、サーリャは弾かれたようにルインに向かって駆け出した。



 急速に距離を詰めるサーリャ。おそらくルインはサーリャが近づいてくる前に魔法を撃ち込んでくるだろう。詠唱をしてから魔法が飛んでくるまで僅かな時間がある。詠唱している間に距離を詰めなければ。

 そんなサーリャの眼前に魔力弾が至近距離まで迫っていた。間一髪のところでサーリャは頭を動かし迫りくる魔力弾を躱した。

 (いつの間に詠唱をしていたの⁉事前に準備をしていた?いえ。そんな素振りは無かった)

 予想もしていなかった速さの攻撃にサーリャの速度が少し落ちる。そんな隙をルインが見逃すわけもなかった。おもむろにルインが左腕を正面で横に振るうといくつもの魔方陣が現れ、サーリャに狙いをつける。

 「ちょっと⁉これって!」

 距離を詰めるのを一旦中断しサーリャは慌てて横に回避運動に入る。次の瞬間、ルインの前に展開された魔方陣から無数の魔力弾がサーリャめがけて襲い掛かる。

 必死に走り続けるサーリャの動きを追いかけるように続々と撃ち出される魔力弾はサーリャの背後を絶えず通り過ぎていく。

 ルインを中心として円を描くように走り続けながらも、サーリャは常に視界の中にルインを捉え続けている。常に見る位置を変えていたおかげなのか、ルインの周囲に展開されている魔方陣の変化にいち早く気が付くことができた。明らかにこれまでと種類の違う魔方陣が二つ、いくつもの魔方陣の中に紛れている。

 二つの内の一つから魔力弾が発射された。しかしサーリャに向かって放たれてはいない。狙いはサーリャではなくその先。サーリャが足を踏み出そうとした場所に着弾し、大きな爆発が起きて足が止まる。……これはおそらく牽制。ならば次に狙ってくるのは——

 (私だ‼)

 残っている魔方陣からサーリャに向かって魔力弾が撃ち出された。飛んでくる魔力弾はこれまでのものより弾速が早くサイズが小さい。直前の爆発で足を止めてしまっているので今から避けるには遅すぎる。サーリャの中心に穴を開けようとするが、このまま何もせずやられるわけにはいかない。

 「ハァッ‼」

 迫りくる魔力弾をサーリャは正面から斬り捨てる。真っ二つにされた魔力弾がサーリャの両側を通り過ぎていき、やがて霞のように消える。

 「ほぉ。思っていたよりもやるじゃないか」

 「当たり前でしょ。これでも棋士を目指しているのだからこの程度はできないとね。それより、さっきの間違っていたら私死んでいたかもしれないじゃない!」

 「当たり前だろう。言ったはずだぞ殺すつもりでいくと。それよりも随分と余裕そうだからこれからはもう少し激しめにいくぞ」

 さっきまでとは比べ物にならないほどの魔方陣がルインの周囲に現れ、サーリャに狙いをつける。まだまだ模擬戦は始まったばかりだ。



 ルインの目の前では他の者が見れば地獄のような有様が広がっている。綺麗にならされていた地面はありこちに大穴が開き無事な所が少ないほどだ。そんな場所をサーリャが必死に逃げまどっている。絶えず魔力弾がサーリャを撃ち抜こうと発射し続け、彼女の頭上からはつい先ほどから追加した爆撃魔法が降り注いでいる。

 彼女は必死に避けてはいるがすべての攻撃を避けられるわけもなく、時には鎧に直撃して地面を転がり、時には足元で炸裂した爆風で宙を舞いその姿は凄惨たるものだ。しかしどれだけ吹き飛ばされ、無様に転がろうとも彼女の心は折れておらず目には強い意志が宿っている。

 それでもルインは攻撃の手を一切緩めることなく冷静にサーリャの能力を観察していた。

 (剣の腕は悪くない。周りをよく見ているし危機察知も反応も良い方だな)

 サーリャは魔力弾を的確に躱し、避けきれないものは目標が小さいにもかかわらず正確に斬り捨てている。高速で飛んでくる魔力弾を何度も斬ることは容易なことではない。

 そんな一方的な状況の中、ルインはこの状況を腑に落ちないでいた。有利な状況に変わりはない。しかし気になっているのはサーリャの行動だ。

 初めは気づかなかったが、長く戦闘が続いていると嫌でも気づいてしまう。

 (どうしてあいつは一度も魔法を使ってこない?)

 サーリャはこれまで剣の腕を存分に披露しているが、模擬戦が始まってから一度として魔法を使っていない。攻撃にも防御にもだ。魔法を使えないのではと考えもしたが、サーリャが剣に魔力を纏わせているのをルインは見ているし、今もサーリャの剣には魔力が纏っている。ならば魔法を使えないという線は無いだろう。

 (自分の手札を隠しているのか?それともカウンターを狙うためにタイミングを見極めているのか?なんにせよあいつの意図が分からんな)

 このまま圧倒的な火力で押し切ってもいいのだが、それではサーリャは何もしないまま不合格となってしまうのでさすがにそれは酷というものだろう。あくまでもルインの目的はサーリャの実力を測ることだ。

 (確かめてみるか)



 一方、サーリャの方は全く余裕が無かった。走り続けていたせいで呼吸が苦しくなってきており、身体中はボロボロで所々に血が滲んでしまっている。ルインから放たれていた魔法が飛んでこなくなった隙にできる限り呼吸を整える。

 (やっぱり間違いない)

 これまで逃げ回ってばかりだったが、それでも分かったことがある。しかしそれはサーリャにとってはあまり嬉しくない情報だ。

 (魔法の完全無詠唱。しかも制限無しであの威力なんて反則もいい所でしょう)

 頬を伝う汗を左手で拭いながらサーリャは悪態をついた。

 無詠唱で魔法を使う者などサーリャはこれまで見たことが無い。魔法とは詠唱を行うことで発動するもののはず。それなのにルインは全く詠唱を行わず好き放題に発動させている。それに明らかに一つ一つの魔法の威力がおかしい。あんな威力の魔法を無詠唱でポンポン撃たれてしまっては一方的な戦闘になるのは当たり前だ。

 あの威力はいったい何のか。どうして詠唱もせずに魔法を使うことができるのか。まったく理解することができない現実に、サーリャは離れ場所で立ち続けているルインをなぜだか恐ろしく感じた。——彼は本当に人間なのだろうか。

 なんとか距離を詰めなくてはならないのだが、あまりの猛攻に近寄ることができない。どうするべきか悩んでいるサーリャだったが、ルインに変化があった。いくつかの魔方陣だけ残して他はすべて消え去り、これまで下げたままだった剣をゆっくりと目の前で構えた。

 次の瞬間、爆発的な加速とともにルインがサーリャ目がけて突っ込んできた。ルインの左右にぴったりと付いてきていた魔方陣から魔力弾が放たれ、サーリャの両側に飛んでくる。

 退路を塞がれたサーリャの目の前に遅れて放たれた魔力弾が着弾し、盛大に土埃が舞い上がり視界が遮られてルインの姿が掻き消える。

 (まずい!ここから離れないと!)

 この視界状況ではどこから攻撃が飛んでくるかわからない。すぐさま離れようと動き出そうとしたところで——


 ゾクッ


 サーリャの中で危険信号が盛大に鳴り響く。この感覚は知っている。つい数日前にも感じたことのあるものだ。

 土埃の中でかすかに動くものがサーリャの視界に映りこんだ。ルインが姿勢を低くしながらサーリャの目前にまで迫っている。剣を両手で持ち、いつでも振るえる態勢になっている。

 「このっ!」


 ギィン‼


 背筋に寒いものを感じながらも咄嗟にルインのいる場所に剣を振るうと、ほぼ同じタイミングでルインから鋭い横薙ぎの一閃が放たれる。大きな金属音を響かせながらサーリャとルインの持つ剣がぶつかる。さすがに両腕で振るわれた剣の威力は重く、若干サーリャが打ち負けてしまい後ろに下がってしまう。

 体勢を立て直そうと後ろに下がろうとすると、まるでサーリャの行動を読んでいたかのようにルインは大きく踏み込んできてサーリャとの距離をさらに詰めてくる。

 横薙ぎから刃を返し、再びルインが剣を振るってくるが今度は真正面から受け止めずサーリャは受け流すことで対処する。

 ルインはそのまま縦、横と息をつかせぬ間隔で次々と斬りかかってくるが、サーリャはそのすべてを受け流していく。

 受け流すばかりでなくサーリャも負けじとルインに斬りかかるが、ルインはすぐさま剣を引き戻してサーリャの斬撃を難なく受け止め、時にはぎりぎりのところで避けられてしまう。

 ルインが振り下ろす剣をサーリャは逆に下から切り上げて迎え撃つ。またしても激しい金属音を響かせながら互いの剣がぶつかり合い、今度はルインの方が押し負けて剣を握る右手が跳ね上がった。今のルインは守るものが無く無防備だ。

 (チャンスだ‼)

 サーリャは追い打ちをかけるためにルインに向かって大きく踏み込む。どれだけ実力があろうとも今から腕を戻しても間に合わない。ルインが右腕を戻すよりもサーリャが剣を振りきる方が早い。

 ようやく見出した勝機を前に興奮が高まってくる。切り上げた剣を返しそのまま袈裟懸けに振り下ろそうとしたところで何かが引っ掛かった。何か、何か見落としているような気がする……。

 ルインの右腕が未だ跳ね上がったままで何もおかしなところは無い。しかし何かしっくりこないのも事実だ。思い過ごしだと流そうとしたところでサーリャは全身に冷水を浴びせられたかのように怖気立った。

 (左腕は!左腕はどうしたの⁉)

 ルインが剣を振るう際、両手で振り下ろしていた。しかし、今回跳ね上がったのは右腕だけだ。左腕は跳ね上がっていない‼

 咄嗟にルインの左腕を見れば、手に魔力が収束してすでに撃てる状態だ。

 嵌められた。ルインはおそらくこれを狙っていたのだ。本来力勝負ならルインの方が優位なはずなのにわざと剣を弾かせて無防備な姿を晒し、サーリャが反撃してくるのを。そしてサーリャはルインの思惑通り動いてしまった。

 (急いで離れないと。駄目、間に合わない!)

 すでにサーリャは前に踏み出してしまっており、その勢いはもう止めることはできない。今のサーリャにできることといえば、これから起こるであろう結末を見ることしかできない。

 何の感情もこもっていない冷たい目でサーリャを見ているルインは、とどめの一言を口にした。

 「吹き飛べ」

 ルインの左手がサーリャの腹に叩き込まれた瞬間、まるでハンマーの直撃を受けたかのような衝撃がサーリャを襲った。

 「ガフッ!」

 フォレストボアの突進と引けを取らない威力をまともに受けてしまい、サーリャは身体をくの字に曲げて後ろに大きく吹き飛ばされる。まともに受け身も取れず、地面に落下したサーリャは仰向けになる。幸いにも意識を失うことは無く痛みに耐えながらゆっくりと起き上がろうとしたサーリャだったが、すぐさま喉元に剣が突きつけられた。

 見上げればいつの間に接近してきたのかルインが見下ろしている。

 「……私の負けよ」

 サーリャは血が滲みそうになるくらい強く拳を握り締めて絞り出すように自らの敗北を認めた。ある程度予想していたことだが、やはり勝てなかった。そもそも始終サーリャはルインの行動に振り回され続けており、一度もサーリャが優位となれる状況を作ることができなかった。勝負にすらなっていなかったのだろう。

 「模擬戦が始まってからずっとサーリャの動きを観察していたんだが、どうしても気になったことがあるんだがいいか?」

 「何よ?」

 「どうして模擬戦が始まってから一度も魔法を使わなかったんだ?」

 「っ!」

 やはりバレてしまった。当然と言えば当然の疑問だろう。この模擬戦では特に使用制限を設けていなかったにもかかわらず、一度も使ってこないのであればサーリャが逆の立場であってもそこを指摘するだろう。

 「最初の魔法による飽和攻撃は防御魔法の展開速度とその魔力強度を測る意味合いがあった。しかし一度も使ってこなかったことから何かカウンター系統、もしくは極端に射程の短い魔法を準備していてそれを使って逆転の一手とするのかと思ったが、サーリャは最後まで剣で戦うことに固執していた。模擬戦を始める前に魔力を纏わせることはできていたから使えないということは無いんだろう。……なぜ使わなかった?」

 どう答えたものか視線をさまよわせていたサーリャだったが、下手な嘘は許さないと言わんばかりの圧力がルインから発せられているので観念するしかない。

 「私、魔法が使えないのよ」

 「使えない?しかし実際使えていただろう」

 「それは模擬戦が始まる前だったからよ。戦いの最中だとこれまでまともに発動したことは無いわ」

 何故使えないのか更に話そうとしたサーリャだったが、その前にルインが手で制した。

 「どうやら話が長くなりそうだな。その前に朝食にするぞ。サーリャはその前に風呂で綺麗にしてこい」

 そう言ってルインはサーリャに手を差し出すのだった。



 汚れた身体を綺麗にし、朝食を軽めに済ませた二人はソファーに向かい合って座っていた。家の中に入る際にルインから渡されたポーションを飲んだことでサーリャの怪我は治っている。

 あれだけ強烈な魔法を叩きこまれたのだから腹部は青くなっているのだろうと思っていたが、脱衣所で服を捲ってみれば綺麗な肌がそこにあった時は驚いたものだ。

 今は食糧庫の中にあった茶葉をサーリャが持ち出してきて食後のティータイムとなっている。

 「さて、そろそろ話を聞かないとな。魔法を使えるにも拘らず実戦で使えないというよくわからない状態らしいな。どうしてそんなことになっているんだ?」

 「えっと、どうしても詠唱を最後まで言い終えることができないの。もちろん詠唱内容は完璧に覚えているわ。でも相手の攻撃を避けながらだとどうしてもそっちに意識が向いちゃって、途中で中断しちゃったり間違えたりするの」

 「毎回中断しているわけじゃないんだろう?詠唱が止まらなかった場合はどうなるんだ?」

 「その時はだいたい不発に終わるわ。一度ボルクを撃とうとした時には魔法が完成する前に弾けてしまったわ」

 ボルクは低レベルの火炎魔法で作り出した炎弾を相手に向かって撃ち出す比較的扱いやすい攻撃魔法だ。本来ならば術者の目の前に炎弾が作られるのだが、サーリャの場合はしばらくすると形が歪みだし、破裂音とともに消失してしまうのだ。

 「それは単純にサーリャの魔法に対するイメージが定まっていないからだろう。定まっていないから魔法は役割を見失って不発に終わるんだ」

 「イメージってそんなことが大事なの?てっきり魔力操作が下手だからうまくいかないと思っていたのだけど」

 「あのな、魔法は指示しなくても勝手に動いてくれる使用人とは違うんだぞ。術者が今から何をしたいのか、どんな結果を生み出したいのか明確にしなければ発動するわけないだろう。魔力操作なんてそのあとだ。……そんな認識でよくこれまでやってこれたな」

 どうやらサーリャの認識が前提から間違っていたらしく、呆れて溜息を吐くルインに乾いた笑みを浮かべることしかできない。

 「それで私はどうなるの?やっぱり不合格なのかしら?」

 恐る恐るサーリャはルインの反応を窺う。

 「……まぁここまで悲惨なら普通は放り出すところだが、今回はそれが幸いしたな。余計な知識がない分その知識に引っ張られることもないだろう」

 「それじゃあ!」

 嬉しさのあまりサーリャの声のトーンが上がる。

 「ああ。しばらくの間面倒を見てやろう。ただし、サーリャにはどちらの道を進むか選んでもらう」

 「どういうこと?」

 言っていることが理解できず首を傾げるサーリャにルインは指を二本立てて説明する。

 「一つは詠唱を使った戦闘を想定して、立ち回りと魔法の発動を確実にしていく。時間はかかるかもしれないが周りの騎士見習いと同レベルくらいにはなれるだろう。もう一つが俺と同じ無詠唱で魔法を使えるようにすることだ。無詠唱で魔法が使えるようになれば周りの騎士など簡単に追い抜くことができる。無詠唱というアドバンテージがサーリャにとって大きな強みになるだろう」

 「そんなの絶対に無詠唱に——」

 「ただし!無詠唱を使える者は周りから見れば異質な存在だ。サーリャが俺に恐怖を感じたように、周りもサーリャを同じような捉え方をするだろう。孤立するだけでは済まなくなるかもしれない。それを承知の上で無詠唱を学ぶのかどうかよく考えるといい」

 ルインの言葉にサーリャは一旦言葉を引っ込めどちらの道を選ぶべきなのか改めて考える。

 詠唱を用いた戦闘訓練は騎士学校で何度も経験している。相手との間合いや戦闘時に使用する詠唱の種類や威力など魔法がうまく使えないサーリャでもその立ち回りはしっかりと覚えている。あとは魔法が使えればみんなと同じ場所に立つことができるのだ。無詠唱ならばこれまでサーリャが学んできたことが役に立たなくなるかもしれない。ならば無詠唱は避けた方がいいのだろう。

 そうなのだが……。


 (本当にそれだけでいいの?)


 魔法が使えてもそれはあくまで他の皆と同じ場所に追いついただけにすぎない。サーリャはこれまで追いつくために頑張ってきたわけではない。

 同じ立場になるだけでは何も変わらない。周りを突き放すような大きな差が無ければ自分自身の成長には繋がらないだろう。これまで落ちこぼれで周りから孤立していたのだ。今更それを恐れる理由などどこにも無い。

 ならばサーリャの選ぶ道は決まったようなものだ。

 「私も無詠唱魔法を使えるようになりたいわ」

 「……いいのか?」

 「ええ。みんなと同じことをしていただけじゃ自分の為にならないもの」

 サーリャの迷いが無くなった表情にルインも何かを感じたのかそれ以上サーリャの意思を確認するようなことはしてこない。

 「サーリャがその選択をするなら俺からはこれ以上何も言うことは無いな。特訓をするにしても騎士学校に戻るにはどれくらいの日数がいるんだ?」

 「そうね……。王都から近くの町まで馬車で半日だったから、一日もらえれば問題無いと思うわ」

 「ならギリギリまで時間は使えそうだな。とりあえず特別課題に三日確保するつもりだがもう少し必要か?」

 サーリャは首を横に振る。

 「いえ。それだけあれば十分じゃないかしら。珍しい個体じゃないから見つかると思うわ」

 実際、サーリャが逃げ回っていた時には複数のハイロウウルフに追われていた。ならば探せば一体ぐらいは見つかるだろう。

 特別課題よりもサーリャが今心配しなくてはならないのは、これから覚える無詠唱魔法をちゃんと使えるようになるかということだ。まずはそこができていなければ特別課題に挑戦することはできない。

 「それでいつ始めるの?今からでも大丈夫よ!」

 「焦るな。さっきまでボロボロになっていたんだぞ。ポーションで回復していても完全とはいかないんだ。昼から本格的に始めるぞ」

 これから新しい道を自分の意思で歩き始めるのだ。期待を膨らませながらサーリャは大きく頷いた。



 その日の夕方、サーリャはルインとともに敷地の範囲ギリギリのところに立っていた。あと少し進めばルクドの大森林の中に戻れる距離だ。

 ルインの指導を受けるにしても、サーリャの荷物は宿に残したままである。サーリャは渋っていたが、ルインの言葉で宿に帰されることになった。

 「それでどうするつもりなのよ。まさかとは思うけどこのまま森を突破するとか言わないわよね?」

 「そんなわけないだろう。これを渡しておくから持っていろ」

 そう言ってルインは懐から何かを取り出しサーリャに手渡した。掌の上には一枚の青いプレートがある。

 「……これって魔核?」

 片手に収まるほどの大きさで滑らかな手触りに加工されているが、プレートからは僅かに魔力が感じられる。

 「よく分かったな。確かにそれはこの森で狩った魔獣の魔核を使っている。俺の魔力を記憶させてあるからそれが通行証代わりになる。わかっていると思うが別の奴に渡したりするなよ?」

 「それくらいは分かっているわよ。それにしても色がずっと変化しているなんて不思議なプレートね」

 サーリャはいろんな角度からプレートを観察する。青いプレートなのだが、単色というわけではなく濃淡があり、まるで水の中に落とされたインクのようにゆっくりと動いている。試しにプレートを振ってみるが色の動きはゆっくりなままだ。

 色は綺麗なのだが、片手に収まる程度の大きさなのでこのままではうっかり落としてしまいかねない。

 「これって失くさない様に少し穴を開けてもいいかしら?」

 「それぐらいなら構わないぞ。使い方と言えるほどのものじゃないが、こっちに来る方法を説明しておく。特にそれを使って何かをする必要は無い。これから町の近くに転移させるから、こっちに来たい時は転移させた同じ場所に行けばいい」

 「なるほどね。ここから転移するのね。……ちょっと待って‼転移って——」

 「それじゃあ、いくぞ」

 また聞捨てならない言葉を聞いた気がしてルインに問い詰めようとするが、すでにルインは魔法を発動させている。最後まで言い切る前にサーリャの足元に転移陣が現れ周囲の景色がぼやけ始め、数秒後には周りの景色は完全に変わっていた。

 「本当に転移しちゃったわね」

 周囲を確認しながらサーリャは今の魔法が現実だったと実感する。

 サーリャの背後には遠くからでも目立つほどの大木が立っており、少し離れた場所にはサーリャが宿を取っている町が見える。町までは一本道になっており、道を外れることは無いだろう。

 大森林から生きて帰ることができた。改めて今の状況は奇跡のようで夢のように感じてしまう。

 しかしこれは夢ではなく現実。サーリャは握っていた左手を開いてみるとそこには一枚のプレートがある。ルインの言葉が本当ならここに戻ってくればまたあの家に戻ることができるのだろう。

 夕焼けに染まる中、サーリャは宿に向かって歩き出した。


 「お嬢ちゃん!無事だったのかい⁉」

 随分と久しぶりに帰ってきたような感覚を持ちながら宿の扉をくぐると、厨房から顔を出した女将がすぐさま反応した。エプロンを付けたままサーリャに駆け寄り、怪我をしていないか心配そうに全身をくまなく見てくる。

 「出て行ったきり全然戻ってこなかったから心配していたんだよ。もしかしたら魔獣に襲われたんじゃないかと気が気でなかったよ」

 「あはは。心配かけてすみません。実は動けなくなっていたところを親切な方に助けてもらって、ずっとその人の家にご厄介になっていました」

 こんな優しい人を心配させてしまったことを申し訳なく感じながらも、サーリャは女将に無事だということを伝える。

 「それは命拾いをしたねぇ。でもこの辺りにそんな女性はいたかねぇ?」

 「いえ。女性ではなく男性で——」

 「男ぉ⁉」

 「ひゃっ!」

 男とサーリャが口にした瞬間、女将は信じられないといったように目を見開きながら大声を出し、サーリャの肩をガシッと掴んできた。あまりにも突然のこと過ぎてサーリャも思わず声を上げてしまった。

 「男の家に厄介になっていたって、お嬢ちゃんは何もされなかったのかい⁉」

 「え、ええ。特に何もされていませんよ」

  確かにルインはサーリャの身体に手を出してはいない。出してはいないのだが……。

  (意識を失っている間に服を脱がされて肌を見られたなんて流石に言えないわね)

 そんなことをうっかり口に出せば女将がどんな反応をするのかこの短時間のやり取りで簡単に想像することができる。

 「いいかい?男は獣なんだ。あんたみたいな美人が警戒もしないでいたらすぐに食べられてしまうのだから簡単に気を許しちゃだめだよ」

 「女将~それはあんまりだぜ」

 「そうそう。俺たちは誰にでも優しい無害な人間だぞ」

 「うるさいね。そんなことを自分から言うやつは信用できるわけないだろ!」

 二人の話を遠巻きに聞いていた周りの客が茶化しながら話に入ってくるが、女将はすぐさま言い返し騒がしくなる。まぁ、確かに自分から無害を主張してくる人を簡単に信じられない女将の主張にはサーリャも同意する。

 「あの、私の荷物ってどうなっていますか?」

 「おっと、すまないね。お嬢ちゃんの部屋はまだそのままにしてあるよ。もう少しで夕食ができるからこんなうるさい場所じゃなくて部屋で休んでいな」

 「ええ。そうさせてもらいます」

 明日からは毎日特訓の日々が始まるのだから少しでも疲れは取っておきたい。サーリャは客と女将の騒がしいやり取りをそのままにして部屋に向かった。



 翌朝。開けた場所の一角が輝き、光の中からサーリャが出てきた。光はすぐに消え去り、その場に残っているのはサーリャだけだ。視線の先には見覚えのある家がぽつんと建っている。

 「本当に何もしなくても跳べたわね」

 サーリャは魔方陣が輝いていた足元を見た。何もしなくても戻ってこられると言われた時は半信半疑だったが、確かにルインの言った通り渡されたプレートを持った状態で転移させられた大木に向かうと確かに勝手に転移魔法が発動した。ルインから渡されたプレートは紐を通して今は首から下げている。発動しなかった場合はどうしようかと心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。

 「ルイン~。私よ、サーリャ」

 中にいる家主に聞こえるように大声で呼びかけながらドアをノックする。寝ているのか何の音も聞こえてこなかったのだが、しばらくすると物音が聞こえ始めゆっくりと扉が開きルインが顔を見せた。髪はボサボサでいかにも寝起きだとわかる状態だ。

 「おはよう。ずいぶんと早いんだな」

 「おはよう。時間に限りがあるんだから少しでも早く始めたいじゃない。迷惑だった?」

 「いや。そんなことは無いぞ。好きな時に来ればいいと言うつもりだったからな。それと、何だ?その荷物は?」

 ルインの視線がサーリャの持ち物に移動する。やっぱり気になってしまったか。

 サーリャの姿ほとんど昨日と変わっておらず動きやすい鎧姿だ。ただし、その背には昨日にはなかった大きな麻袋が背負われている。

 「いろいろと必要なものはあると思うがどれだけ持ってきたんだ?」

 「全部よ」

 「……は?」

 寝起きで頭が回らないのかそれとも純粋に理解が及ばないのか、気の抜けた声を出すルインを見てサーリャはしてやったりという表情になる。

 「だから、私が宿に預けていた荷物をすべて持ってきたわ!」

 ドーンと高らかに言い切ったサーリャは実に満足気だ。一方でルインの方は朝から顔が引き攣っている。

 「……荷物を持ってくるのは構わないが、どこに泊まるつもりなんだ」

 「そんなの決まっているじゃない。今日からルインの家に泊まるわ」

 「ふざけるな!なんでそんなことになる!」

「だって毎日ルインの家と町を行き来するなんて面倒じゃない。移動にも時間がかかっちゃうし、だったら初めからルインの家で寝起きした方が時間を無駄にしなくていいでしょう?」

 実際にこれは昨日宿に帰った時からサーリャが考えていたことだ。いくら転移という〝個人〟では使用できないはずの魔法が使えると言っても、無駄にしている時間が発生しているのは事実だ。

 いくら町に近い場所に転移できると言っても安全のためには日が落ちる前には帰らなければならないし、何よりルインに食事を作るという対価を払わなければならないのだ。そうなると早いうちから訓練を止めなければならない。

 一方、ルインの家で寝泊まりするのならばその問題は解消される。日が落ちるまで訓練を続けることができ、その後から夕食を作ることもできる。お互いにメリットがあるのだ。我ながら素晴らしい名案だ。

 「寝床まで提供した覚えはないぞ。これまで通り宿に泊まっていろ!」

 「もう泊まっていた部屋は引き払ったから、まだ部屋が空いているかはわからないわ。空いていなかったら私は野宿することになってしまうわね。町だと不埒な奴に襲われるかもしれないし、荷物を取られるかもしれないから野宿するならルインの敷地になるけどルインは女性を家の前で野宿させるのかしら?」

 「ぐっ……」

 さすがに彼の中の良心が痛むのかルインが言葉に詰まっている。……あともう少しかな?

 「あ~心配だな~。入ってこないと思うけど魔獣がうろつく中で野宿をするなんて。硬い地面の上に寝袋を敷いて恐怖に怯えながら眠るなんて私にできるのかしら。あまりの怖さに眠れないかもしれないわ。目の前の空いている部屋が羨ましいわ~」

 「ああ、もうわかった!使って構わんからその良心を抉るようなことを言うのは止めろ!」

 「やった‼」

 頭をガシガシと掻くとルインは疲れたように許可を出し、サーリャはその言葉を聞いた瞬間嬉しさのあまりその場で小さくジャンプする。先程までの不安げな表情が嘘のような切り替えの速さに流石のルインも思わずジト目だ。しかしそんなことはもう関係ない。すでに言質は取ったのだから。

 「それにしても度胸があるな。出会ったばかりの奴の家で寝泊まりしようなどと普通は考えんぞ。俺も男なんだから何かの拍子に襲うかもしれないぞ?」

 「私の服を脱がして下着姿を見ていながら手を出してこなかったんだから、そんなことをするつもりはないんでしょう?私はルインを信じているわ」

 今更なルインの指摘にサーリャは何を言っているんだと言わんばかりに肩を竦めた。言葉や態度は冷たいように見えるが、なんだかんだ言いながらもサーリャの面倒を見てくれているし、必要以上に距離を詰めてくることもない。サーリャの身体が目当てならば昨日の内に襲われているはずだ。

 サーリャの言葉にルインは僅かに目を細めたが、特に何も言わずに後ろに下がって途中まで開いていたドアを開けた。

 「とりあえず荷物を置いてこい。準備ができたら始めるぞ」

 「ええ。すぐに準備するわ」



 「それじゃあ昨日の続きだ。的に向かってウォースを撃ってみろ。今は速度を気にせずまずは発動させることを最優先しろ」

 「はい!」

 開けた庭の真ん中でサーリャはルインが用意した的に向かって腕を突き出す。

 ウォースは初歩の水魔法で、水の弾丸を相手に向かって撃ち出すものだ。この魔法が選ばれたのは昨日の特訓で一番マシな結果だったからにすぎないが、他とあまり大差はない。

 ちなみに発動経験のあるボルクにしてはどうかと提案したことはあるが、即座に却下された。


 「まともに制御できないやつが火を扱いたいとか何を言っているんだ?山火事を起こす気か?」


 ……まったくもってその通りだ。

 そんな経緯があったサーリャは現在ウォースを発動させようと集中し続けている。手の先に魔力が集まり、集めた魔力がゆっくりと水に変換されていく。

 しかし、時間が経つにつれて水の生成される速度が遅くなり始めサーリャの表情が僅かに歪む。

 「目の前のことに集中しろ。このままだと昨日と変わらないぞ。残りの魔力を水に変えることを最初の目標にしておいて、その後の工程は一旦忘れろ」

 「わかってはいるけどっ!」

 思わずサーリャはルインに言い返す。分かってはいるがなかなかうまくいかないのが現状だ。無から何かを生み出すのがこれほど難しいとは思っていなかった。詠唱で生成していた時は何も問題なかったはずなのに。

 (確か詠唱していた時は……)

 頭の中で詠唱内容を起こしていたサーリャだったが、この行動がかろうじて維持していたバランスを崩してしまった。時間をかけて生み出した水に変化が起こり始める。変換が進んだわけではなく、サーリャの意思とは関係なく水が震え始めたのだ。

 (まずい!)

 気を散らしてしまっていたサーリャは慌てて制御に意識を戻したが、震えは止まることなく逆に大きくなっていく。

 しばらく大きく震え続けていた水だったが、突如一カ所に集まり始め収束していく。そして圧縮されたようにサイズが小さくなったと思いきや——大きく弾け、周囲に向かって精製した水が飛び散った。

 「きゃっ!」

 もちろん一番近くにいたサーリャの被害は大きい。飛んできた水を避けることができず真正面から受けてしまったことで全身がびしょ濡れだ。濡れた前髪からはぽたぽたと水滴が落ちる。

 「やらかしたな。何を考えたんだ?」

 この結果を予想していたのだろう。ルインから差し出されたタオルを受け取ったサーリャは浴びた水気を拭いていく。

 「ありがとう。なかなか進まないから詠唱していた時はどんなことをイメージしていたのかなと思って頭の中で詠唱内容を思い出していたの」

 「それだと無詠唱にならないだろう。その辺りの過程を省くからメリットがあるんだ」

 「でもずっと魔法のことばかり考え続けるのは難しいわよ。短時間ならともかく、時間をかけるとどうしても他のことを考えてしまうわ」

 サーリャは難しい顔で問題点を指摘するとルインは顎に手を当てて思案顔になる。

 「確かにそうだな。発動速度は一旦度外視していたが逆にそれが足を引っ張るか。……ちなみにどんなウォースを作るつもりだったんだ?」

 「えっ?どんなってウォースはウォースでしょ?」

 何を当たり前のことを言っているのだろう。首を傾げるサーリャとは裏腹にルインは落胆の表情を浮かべている。

 「……俺が言ったことを覚えているか?無詠唱は明確なイメージが重要だと。ウォースの大きさは?形は丸いのか尖っているのか決まっているのか?他にもまだまだ聞きたいことはあるが、すべて答えることができるのか?」

 「え~っと。それは……」

 サーリャは口籠りながら視線を彷徨わせる。そんなサーリャの様子を見ていたルインは大きくため息を吐いた。

 「どうやら基本的な所ができていなかったようだな。それだと魔法がうまく発動しないのは当然だ。いいか、一口にウォースと言ってもその形・効果は術者によってある程度違いが出てくる。……見ておけ」

 そう言ってルインはサーリャの目の前にいくつものウォースを作り出した。サーリャは珍しそうにルインの作り出したウォースを眺める。

 「どれもバラバラね。これが全部ウォースなの?」

 形が丸いものもあれば槍のように尖ったウォースもあり、拳大の大きさから人の頭ぐらいの大きさのものがあったりなど同じものが一つも無い。

 「そうだ。しかしこれだけの種類をすべて使いこなす必要は無い。あくまでも術者のスタイルに合うものだけを使うだけで構わないし、他は状況次第で使う程度でいい。どんなウォースを使いたいのかよく考えながらもう一度やってみろ」

 「わかったわ」

 サーリャはルインにタオルを渡してもう一度魔力を集めていく。イメージを固めるためにサーリャは目を閉じる。


 私が求めているウォースとは何だろう


 ウォースはサーリャの中では牽制用という認識だ。しかし牽制用であっても中途半端な威力は求めていない。たとえ見掛け倒しでも相手がそれを見た時、脅威に感じなければならない。

 目を閉じ何も見えない中、サーリャのイメージするウォースが目の前に浮かび上がってくる。

 「そうだ。そのまま集中を切らさずイメージを固めていけ。自分のタイミングでそのイメージに撃ち出す姿を付け加えてみろ」

 まるでサーリャの視覚を共有しているかのようにベストなタイミングでルインから追加の指示が入り、サーリャは頷くことで反応する。

 今、暗闇の中にはサーリャのイメージするウォースがはっきりと見えている。サーリャは目を開けて正面に見えている的を見据える。

 「行けっ‼」

 次の瞬間、眩い光とともに魔方陣が現れウォースが的に向かって発射された。


 ドオオォォン‼


 大きな爆発音と共に的のあった場所が大きく吹き飛び、土煙が舞った。しばらくして土煙が晴れるとそこには真ん中に大穴が穿たれた的があり、その背後には着弾の衝撃で掘り返された地面がある。

 「……やった。やったわ!無詠唱で魔法が撃てたわ‼」

 あまりの嬉しさにその場で飛び跳ねてしまい程興奮するサーリャ。魔法はこれまで使ったことがあるのに、まるで今日初めて使えたかのような喜びがサーリャの中を満たしていく。

 「なんとか使えたな。途中で弾けることもなくしっかりと発動していたな。やればできるじゃないか」

 「あ、ありがとぅ」

 感心しながら褒められたサーリャは僅かに身じろぎする。初めて褒められてなんだかむず痒く言葉の最後は尻すぼみになってしまう。

 「ねぇ、これって——っ。わわっ⁉」

 「おっと」

 ルインに先程の魔法について尋ねようとしたサーリャだったが、不意に全身から力が抜けてしまい膝から崩れ落ちそうになる。硬い地面に倒れそうになったサーリャだったが、その前にルインが咄嗟にサーリャを抱きとめ支える。サーリャはルインの腕の中にすっぽりと収まっており、まるでサーリャがルインに抱きついているような状態だ。

 「……えっ?えっ⁉なんで⁉」

 これまでサーリャは異性に抱きついたことは無いし、抱きしめられたことも無い。サーリャはルインにしがみついたまま動くことができずパニック状態だ。

 「落ち着け。魔力を大量に消費したことによる魔力欠乏症でふらついているだけだ。しばらく安静にしていれば症状は治まる」

 「魔力を大量にって、まだ一回しか使っていないわよ?無詠唱ってそんなに燃費が悪いの⁉」

 見上げればすぐ傍にルインの顔があり、思わずドキッとするが必死に表情に出ないように努める。

 そんなサーリャの心境に気が付くことなくルインは静かに首を横に振る。

 「そうじゃない。サーリャは目を閉じていたから知らないと思うが、魔法を撃ち出すまでの間サーリャのウォースは常に変化していたんだ。形や大きさだけでなく込められる魔力もだ。常に魔力を放出している状態だから一発撃つだけでそこまで消耗してしまったんだ。とりあえず一人で立てるようになったらポーションを飲んでおけ」

 「う、うん」

 他にどうすることもできなかったサーリャは回復するまでの間、ルインの腕の中で大人しくするのだった。



 それからというものサーリャは連日ひたすら無詠唱で魔法を作り出しては撃ち出すという作業を繰り返し、周囲に爆発音が響き渡る。

 「魔力を込め過ぎだ。それだと戦闘ですぐにバテるぞ。一発一発にムラがありすぎるから常に同じウォースを撃てるように心がけろ。撃ち出すまでの時間も長くなっている」

 「わかったわ!」

 ルインの指摘を受けながらサーリャは手に持っていた小瓶に口をつけ中身を一気に飲み干す。空になった小瓶を傍に用意されたテーブルの上に置くが、すでにテーブルの上には同じように空になった小瓶がいくつも転がっている。

 まだまだ燃費の悪すぎるサーリャでは数発撃つだけですぐさま魔力が枯渇してしまう。自然回復を待っている時間が勿体ないということで、どこから持ってきたのかルインが山ほどの魔力回復ポーションを用意したのだ。あまりのポーションの量に初めは顔を引き攣らせていたサーリャだったが、そのポーションのおかげで今は魔力残量を気にせずに無詠唱の練習ができている。

 魔法を数発撃ってはポーションを飲み、ルインからアドバイスを受ける。それをただ繰り返していく。

 何発目になるのか数えることすらしなくなったころ、再び魔法を撃ち出そうとしたサーリャは自身の違和感に気が付いた。

 「ん?」

 体調面は問題ない。魔力もポーションで回復したばかりなので不足はしていない。何もおかしなところは無いのだが……。

 (どうして魔法がイメージできないの?)

 魔法の発動方法を忘れたわけではない。これまでの経験を忘れたわけでもない。にもかかわらずサーリャは魔法を発動するためのイメージを長時間維持することができなくなっていた。目の前にイメージは浮かぶのだが、しばらくすると霞のように消えてしまう。

 「どうした?」

 「なぜだかわからないのだけど、魔法をイメージしようとしても長続きしないのよ。魔力は回復してあるはずなのに何故かしら?」

 これまでの練習ではこんなことにはならなかった。初めてのことにサーリャは戸惑いを隠せない。しかしルインは今のサーリャの様子に心当たりがあるのか、おもむろにポケットから懐中時計を取り出して時間を確認する。

 「……あぁ。もうこんな時間か。今日はここまでだな」

 「ど、どうしてよ。私はまだやれるわ!」

 練習を打ち切ろうとするルインにサーリャは慌てた。まだ辺りは明るいので十分練習を続けることはできる。どうして打ち切ろうとするのだろう。

 「これまでその症状が出てこなかったから俺もその可能性を失念していた。気づいているか?もう五時間以上続けているんだ」

 「ご、五時間⁉」

 サーリャは信じられずルインの懐中時計に駆け寄った。時計を見れば確かにそれだけの時間が経過していた。サーリャの中ではまだ二時間程度しか過ぎていないと思っていた。よくよく辺りを見渡せば少し空が夕焼けに染まり始めている。

 「長時間の魔法行使で精神の方が疲弊しているんだろう。魔法が発動しにくくなったのはそれが原因だな。まぁ無詠唱じゃなくても五時間ぶっ通しで魔法を使う場面なんか早々起こることが無いのだからある意味当然と言えば当然か」

 「へぇ~。無詠唱でもそんな弱点があるのね」

 サーリャは感心したように思ったことを口にする。ちなみにどうしてこれまで同じような症状が出なかったのか聞いてみると、これまではルインの説明が途中で挟んでいたのでその説明の間にある程度気持ちがリフレッシュしていたのではないかということだ。今日に関してはサーリャが魔法を使用している途中に短い指示が入るだけで、サーリャの練習が中断することは無かった。

 「そういうことだ。残りのポーションを片付けておけ。ポーションの空き瓶は再利用するから間違っても捨てるなよ」

 「うぇ……」

 一足先に家に向かって歩き出してしまったルインを横目に取り残されたサーリャはちらりとテーブルに目を向けた。そこには五時間の練習の結果であるからの小瓶が山のように転がっている。小瓶自体は小さいが、数は膨大なものになっている。

 「……とりあえず袋がいるわね」



 サーリャが猛練習をしている中、騎士学校の食堂は夕食の時間帯ということもあって賑やかになっていた。そんな中キリアンは上機嫌で夕食を摂っていた。

 「キリアン様。今日は何か嬉しいことでもあったのですか?」

 そんなキリアンの表情を見て同じテーブルで夕食を摂っている取り巻きの一人が声をかけてきた。キリアンはフォークに刺さった料理を口に運ぼうとしていた動きを止め、一旦皿の上に戻す。

 「それほどまでに分かりやすかったか?」

 「ええ。今日は普段よりも楽しそうに過ごされていましたし、何より夕食でここまで豪華な食事をするのを見たことありませんでしたから」

 取り巻きに釣られるようにキリアンは今食べようとしていた料理に目を落とした。キリアンが食べようとしていたのは一目で高級だとわかるほどのステーキだった。分厚い肉にはシェフのオリジナルソースがかけられ、漂ってくる匂いで口の中に唾液が溢れてきそうだ。

 次期当主であり騎士を目指しているキリアンは普段からこのような豪勢な食事をしているわけではない。食事制限を自らに課し、騎士として理想的な生活を心がけている。食欲に負けて騎士になれなかったのでは本末転倒もいい所だ。

 何よりキリアン自身が自分だけ贅沢な暮らしをすることを良しとしていない。

 キリアンはサーリャへの対応は褒められたものではないが、それを覗けば普段の行いに問題は無い。騎士という名がキリアンの中で崇拝するほどに大きくなっているが故の暴走とも言える。

 そんな自分への戒めを緩めるほどに今日のキリアンは機嫌がいい。一日くらいこんな日があってもいいだろう。

 「あぁ。もう少しで俺の望みが叶うのだからな。今日はその嬉しさに少しでも浸かっていたいのだよ」

 「望みってあの女のことですか?」

 別の取り巻きからの言葉にキリアンは頷いた。

 「あの女は叶いもしない夢を追いかけ続けて貴重な生徒の枠を一つ潰しているんだ。そんな奴があと半月でいなくなるとわかると興奮が抑えきれなくてな」

 ようやく、ようやくこの状況まで動くことができた。サーリャの魔法が実戦で役に立たないことは早い段階からわかっていた。別にキリアンが自分から調べたわけではないのだが、魔法がうまく使えない者が騎士を目指しているという情報は騎士学校という箱庭の中では目立つので、自然とキリアンの耳にも入ってくる。

 サーリャという存在を知ったキリアンが最初に抱いた感情は嫌悪と憤りだった。キリアンからすれば騎士とは選ばれた者がなれる存在であり、民から尊敬と感謝を集めるものだと思っている。それは今日この日も、そしてこれからも変わることの無い不変の事実だ。

 しかし、サーリャの存在はその前提を崩しかねない危険な存在だ。役立たずの騎士が生まれたとなればそれは騎士という名前に消すことのできない大きな汚点を残すことになる。だからこそ早い段階から退学させようと裏で動いてきたが、状況はなかなか動くことは無かった。

 まずサーリャは魔法を一切使えないわけではない。落ち着いた状況ならば発動することはできるので、これからの頑張り次第で改善する可能性があったこと。

 そして剣術に関して一部の教師から一定の評価を受けていたために退学処分への動きを妨げていた。

 そして何より一番の原因だったのが騎士学校のメンツの問題だった。

 入学した生徒が短期間で退学となるのは外聞的にもまずい。このままだと騎士学校の教師は人を見る目が無いという評価を受けかねないという理由だった。退学させるにしても一定期間は在籍させていた方がまだダメージは少ないだろうとの判断でこれまでキリアンの主張を退けてきた。

 毎日不満を抱えながら過ごしてきたが、それももう少し我慢すれば解放される時が来る。半月後に目の前で悔しそうに学校を去る姿が目に浮かぶ。

 密かに家の者に調べさせた情報によればサーリャは大森林に一番近い町に到着して数日後には宿を引き払い、森に入ったきり一度も戻ってきていないらしい。命を落としたのか別の活動拠点を見つけたのかわからないが、そんなことは些細なことだ。

 (退学した後あの女はどうするつもりなんだろうな。奴が懇願するなら家の護衛として雇ってやってもいいかもしれないな。あぁ、そうだ。我ながら素晴らしい考えじゃないか!)

 騎士としては不適格な存在だが、これまで剣の腕だけで騎士学校に在籍していたのだ。実力という面では十分護衛として使えるだろう。キリアンの口元がいびつに歪む。

 (くくく。散々見下されてきた奴からこき使われていくようになると知ったらどんな顔をするだろうか。早くこの目で見たいものだ)

 「早くあの女の悔しがる顔が見たいですねキリアン様」

 「あぁ。実戦でまともに詠唱ができない存在などこの学校には必要ない。半月後が楽しみだよまったく」

 キリアンは笑みを浮かべたままフォークに突き刺さったままだった肉を口に運んだ。今日の食事は普段よりも美味しく感じられたのはきっと気のせいではないだろう。



 「そもそも詠唱など本来は必要ないものだ」

 「えっ、そうなの⁉」

 サーリャは今日も広い庭で魔法の練習をしており、両腕を突き出した姿勢になっている。無詠唱なら本来腕を突き出さなくてもいいのだが、魔法を発動させる際の座標指定がまだ甘いので補助として使っている。

 それでも半月の猛練習のおかげで始めた時と比べたらスムーズに魔法は発動できるようになっている。そんな中、ルインの発言は聞き流せない内容で思わずサーリャは練習を中断した。

 ルインは屋外に運び出した揺り椅子に座りながら手元にある分厚い本を読んでいる。椅子の足が半円になっており、ゆっくりと前後に揺れている。

 「魔法の発動は詠唱があってこそよね。どうして必要ないの?」

 サーリャは当たり前のことを不思議そうに尋ねた。魔法は詠唱して初めて発動するものだ。詠唱が必要ないのならばなぜこれまで詠唱が必要だという認識で人々に広まっているのだろう。

 「詠唱が必要ならばどうして俺は魔法を自由に発動できる?」

 「それはルインだけが持っている特別な力があるとかではないの?」

 「違う。そうならばサーリャも無詠唱で魔法が使えるようになっているのは何故だ?」

 確かにルインの言った通りだ。自分で言っておいてなんだが、もし無詠唱がルインだけが持つ特別な力だったのならばサーリャが無詠唱で魔法が使えるようになったことの説明がつかない。

 「前にも言ったことだが魔法はそもそも術者の思い描いた現象を具現化することを目的としている。そこには当然魔法を発動した際に〝何をしたいのか〟〟どのような結果を出したいのか〟という明確なイメージが無ければ発動することは無い。しかし戦闘中という極限状態の中で想像を膨らませるということは誰にでもできることじゃない」

 ルインの説明にサーリャは同意するように頷く。戦闘状態ということは言い換えれば命のやり取りをしているということ。少しの油断が取り返しのつかない結果を生み出すかもしれないし、下手をすれば自身の命を失いかねないのだ。そんな中で想像を膨らませるというのは困難だろう。そんなことよりも目の前の脅威に意識を割くことを優先せざるを得ない。

 「そんな不安定な魔法など戦闘での有効性は皆無だ。それを打開するために作りだされたのが詠唱という補助システムだ。詠唱によってどのような効果・結果が生まれるのか予め知っていれば発動しやすくなるというわけだ。詠唱している間にイメージが固まり、終わると同時に魔法が発動する。これが騎士学校で学ばされている魔法の仕組みだ」

 「誰にでも魔法が使えるようにしたのが今の魔法システムなのね。でもそれなら無詠唱でも魔法が使えるって皆に広めていけば全員が無詠唱で魔法が使えるんじゃないの?」

 「そんな簡単な話ではない。これまで信じてきたものがすべて不要だと言われるんだ。理屈ではわかっていてもその事実を納得できるかどうかは別の話だ。少しでも不信感があれば魔法は発動しないから逆に命取りになりかねない」

 どうやらサーリャが思っていたよりも詠唱というシステムは人々の意識に深く根付いてしまっているようだ。これはそう簡単に意識改革などできないだろう。たとえ王の命令であっても馴染むまでには年単位で時間がかかるかもしれない。

 「でもルイン。確かに無詠唱は便利だけど、使える回数は詠唱していた時と変わりはないわ。発動面ではメリットがあるけど、他はこれまでとほとんど変わりはないわ」

 いくら発動スピードが速くなってもサーリャの保有魔力には上限がある。スピードを活かして何度も魔法を撃ち出していてはあっという間に魔力切れを起こしてしまう。

 サーリャの疑問に対してもルインは涼しい顔だ。

 「それはサーリャが自分の魔力だけしか使っていないからだろう」

 「……魔力って自分のを使うしかないでしょう?」

 ルインの言っていることが理解できずサーリャは首を傾げる。自分の魔力を使わないのならどこから魔力を調達するというのだろう。

 「それを教える前に一つおさらいだ。魔力とは人間の体内のみにしか存在しないのか?」

 「それは違うわ。それはあくまでも人間が持っている魔力。魔力は生物だけじゃなく空気中にも漂っていて——あっ!」

 サーリャはルインが何を言いたいのかようやく気付いた。まさか調達先というのは——。

 「理解したようだな。魔力が必要なら周りから貰えばいい。別に誰かが所有権を主張しているわけではないんだから使ったところで誰かから責められることは無い。これからサーリャは無詠唱と同時に周囲から必要魔力を集めるという魔力操作も同時に進行してもらう。初めは半々ぐらいでも構わないが、最終的に魔法を使用する際は自分の魔力を一割程度に抑えるようになってもらう」

 「一割って……」

 あまりにもハードルの高すぎる要求にサーリャは思わず言葉に詰まってしまう。確かに自身の使用魔力を一割程度に抑えることができれば魔法の使用回数も格段に増えてこれまで以上に魔法を使用することができる。しかしサーリャはすでに無詠唱魔法を制御するために意識の大半をそっちに割いている。そこへさらに魔力制御も追加となればより緻密な制御が要求される。

 「周囲から魔力を集めるやり方は知っているな?一度魔法がうまく発動できなくても構わないからやってみろ」

 しかしルインはそんなサーリャの心配など一切気にせずすぐさま実践するように言ってくる。なんとスパルタな教育だろうか。仕方なくサーリャは周囲から魔力を集めようと意識を切り替える。たとえ文句を言ったとしても聞いてもらえないのはこれまでの経験で分かっている。

 (まずは周囲の魔力を知覚。知覚した魔力を引き寄せるように集めていく)

 周囲を漂っている魔力は勝手に集まってきてはくれない。必要ならばこちらから引き寄せなければならない。だからこそサーリャは必要最低限の魔力を集めようとしたのだが、すぐさま問題が発生した。

 「どうしてこんなにも魔力を集めるのが〝重い〟のよ⁉」

 サーリャは思ったことを口にせずにはいられなかった。必死に魔力を引き寄せようとしているにもかかわらず思ったよりも集まりが悪い。まるで魔力が引き寄せられることに対して抵抗しているかのように、なかなかその場から動こうとしない。

 「ちょっと!練習だからってこっそり妨害しているんじゃないの?」

 あまりにも思い通りに集まらないことに業を煮やしたサーリャはルインに疑いの目を向けた。ルインならばこっそり妨害していても不思議ではない。

 「そんなことを俺がするわけないだろう。それよりも魔力を集め過ぎだ。もう少し集める魔力を減らせ」

 「どうして?ウォースを使うならこれくらいは必要でしょ?」

 「普通ならな。まぁ言っても理解しにくいと思うから、サーリャが必要だと思う量を集めてみろ」

 なんだか引っかかる物言いだが、とりあえずサーリャは普段使用する分だけの魔力を集めておく。ルインの言った通り魔力を減らすべきなのかもしれないが、ここは一度自分が必要だと思う量を集めてみるべきだろう。

 「よし!それじゃあウォースを使うわよ」

 「ああ。まぁ、いい経験になるだろう」

 「……ちょっと。どうして私から離れるのよ」

 時間をかけてようやく必要量が集まったサーリャは魔法を発動させようとするのだが、なぜかルインはサーリャから離れ、遠くから見守っている。明らかにこれから何かが起こると言わんばかりの離れ方だ。

 「気にしなくていいぞ。ほら、早く使ってみろ」

 ルインから促されるが正直不安しかない。あのルインが離れるほどなのだ。不安になりながらも言われるがままにウォースを作り始めるが、すぐさま異常に気が付いた。明らかにこれまで慣れ親しんだウォースよりもサイズが大きくなっている。

 (これってまずいわよね)

 サーリャのこめかみに一筋の汗が流れていく。必死に元の大きさまで戻そうとするが、圧縮できる量には限界がある。圧縮しきれない分は当然魔法が大きくなることに繋がる。

 魔法を中断しようにもそれは目の前にある高圧縮された水の塊の制御を手放すことになる。手放せばどんな結果になるかなんてすでに想像できる。もっと早くに決断していればとサーリャは後悔するが、もはや今更である。

 助けてほしいと縋るような目でルインを見るが、ルインは黙って首を横に振る。……どうやら助けてはくれないようだ。

 サーリャは深く深呼吸をして覚悟を決める。そして目の前に浮かぶ水の塊の制御を手放した。糸が切れたように魔力の繋がりが切れたのが伝わってくると、次の瞬間圧縮された水が周囲に向かって放たれた。

 当然サーリャはまともに水を全身に浴び、あまりの勢いに後ろへ吹き飛ばされた。以前にも水を浴びた経験はあるが、今回はサーリャ自身が吹き飛ばされるほどの威力だ。

 吹き飛ばされたサーリャは大の字で仰向けのまま地面に転がっている。視界には雲一つない綺麗な青空が広がっているが、サーリャの周りはまるで土砂降りにでもあったかのような状態だ。

 青い空しか見えていなかった視界に人影が映りこんだ。視線だけを向けるとルインが黙ってサーリャを覗き込んでいる。

 「何か言いたいことはあるか?」

 「そうね……」

 いろいろと言いたいこともあるし聞きたいことも沢山あるが、今言いたいことは一つだけだ。

 「とりあえずタオルを貸してくれないかしら?」



 「納得できないわ」

 その日の夜、食事をしながらサーリャは日中に起こったことを振り返っていた。

 「納得できるできないかの問題じゃないぞ。起こったことが事実なんだからそれを受け止めるしかない」

 ルインはフォークに刺さった料理を口に運び食事の手を止めない。ちなみに今日の夕食はクリームソースのかかった魚のソテーだ。

 「だって何でただのウォースがあんな規模にまで大きくなるのよ。何故か魔力も重くて集めにくかったし、私が魔法を使おうとしたときルインが離れたのはあんなことになるって知っていたからでしょう」

 そう言いながらもパクリと自分もソテーを口に運ぶサーリャ。

 「もちろんわかっていたぞ。だが初めから俺が最後まで説明しても実感がわかないだろう?だから最終的な判断はサーリャに任せることにしたんだ。その方が手っ取り早いから、俺の優しさに感謝するべきだな」

 「その優しさで私は吹き飛ばされた挙句びしょ濡れになったのだけど?」

 サーリャはジト目でルインを見るが、当の本人は知らん顔だ。

 「失敗した原因だが、大きく分けると二つある。一つはその土地の特性に対応しきれていなかったことと、もう一つは魔力濃度だ」

 「特性と魔力濃度?」

 「そうだ。魔力を集めるという行為は簡単そうに見えて実は難易度の高い技術だ。たかが魔力と言っても毎回同じやり方で同じ結果に繋がるとは限らない。その土地の魔力特性に合わせて引き寄せる力加減を調節する必要がある。この場所では他よりも魔力が集めにくいという特性があるな」

 「だからあんなにも重かったのね」

 理由が分かりサーリャは納得した表情になる。

 「魔力濃度に関しては言葉のままだ。この土地では他よりも魔力が濃くなっていて、本来なら必要魔力量に達していなくても少量の魔力で発動させることができる。普段の威力や効果が一とするならば、ここだと二や三になるということだ」

 サーリャはあまりの効果に驚きを隠せなかった。確かにそれだけの差があるならば日中の結果も納得ができる。魔力効果が二倍にも三倍にもなるのならば確かにあの時のサーリャは魔力を集め過ぎだ。あのまま完成した魔法を放てばとんでもないことになっていただろう。

 料理に置き換えればわかりやすい。調味料を魔力、料理を完成した魔法とするならば、サーリャは普段使っているのよりも圧倒的に濃い調味料を、普段と同じだけの量使用していたということになる。そんなものを口にすればどうなるかなんて食べなくてもわかる。

 「もしかしてこの家の魔道具って……」

 「もちろんこの森から魔力を集めて使うようにしている。いくら俺でも家丸ごとの魔力を賄えるほど保有魔力は多くないぞ」

 ようやくサーリャはこの家の秘密の知れたような気がする。部屋一つ分に掛けられた状態保存魔法や転移魔法。どれも個人では扱えないはずの魔法をルインが苦も無く使用できていたのは周囲の魔力を使っていたからだったのだ。消費魔力も普段より抑えられているこの森ならば、どんな魔法でも個人で扱えることだろう。

 そこまで聞いたサーリャは生徒のようにゆっくりと手を挙げる。

 「質問なのだけど、今日私が集めた魔力で魔法を発動させたら相手はどうなっていたの?」

 深い考えなどない本当に軽い気持ちでの質問だった。ただの興味本位と言っていい。しかしサーリャはこの後物凄く後悔する事になる。

 ルインはしばらく思案顔になった後嘘偽りなく答えてくれた。

 「そうだな。直撃しなくても至近距離で受ければ爆風と破片で木っ端微塵になっていただろうな」

 「そ、そうなの……」

 ルインは特に気にしていないようだが、サーリャは血の気が引き真っ青になった。これは真剣に魔力制御を覚えなくてはならない。威嚇程度の攻撃のつもりが相手を爆殺させてしまいましたなんて全く笑えない。

 気を紛らわせるようにサーリャは皿に残っていたクリームソースを口に運んだ。口の中に広がるクリームソースは濃過ぎもしなければ薄過ぎもしない絶妙なバランスで美味しかった。



 残りの半月は瞬く間に過ぎ去っていった。毎日学ぶべきことがあり、気が付けば日が落ち始めていたなんてことは何度もあった。

 そしてとうとうその日がやって来た。課題挑戦期間として設定した初日の早朝、ひと月前と同じようにサーリャは部屋で装備の最終確認を終えて静かに深呼吸を繰り返した。

 (とうとうこの日が来たわ)

 前回挑んだ時のことが今でも鮮明に思い出せる。前回は不安で押しつぶされそうになっていたが、今回はなぜか心が落ち着いている。

 この一か月やるべきことはすべてやって来た。完全とはいかなくても無詠唱魔法もある程度は使えるようになっているので相手にダメージを与えることができる。もう逃げ回るだけのサーリャではない。気合を入れるように両手で頬を叩く。

 「よしっ!」

 部屋を出て玄関に向かうと驚いたことにルインが待っていた。

 「驚いたわね。まさか見送りでもしてくれるのかしら?」

 「まぁそんなところだな。あとは最後に言っておくことがあったから、それを伝えようと思っただけだ」

 ルインの目が少しだけ鋭くなり、自然とサーリャも背筋を正す。

 「これから先、俺は一切の干渉をしない。サーリャが課題を達成してもしなくても対応は変わることは無い。森で死にかけていたとしても何もしないから甘い考えは一切捨てておくことだ。サーリャがこの家に戻って来た時だけ関わることになる」

 助けは一切無い。改めてルインからその言葉を聞かされたサーリャの脳裏にかつての記憶が浮かんできた。ボロボロになりながら多くの魔獣に追いかけられ、最後は力尽きようとしていたあの光景。自然と自分の腕を強く握っていたサーリャだったが、これまで厳しい表情だったルインの表情が緩んだ。

 「まぁ今のお前なら適切に対処すれば問題なく終わらせることができるだろう。自分の力を過信せず相手の力を過小評価せずに動くことだな」

 励まされている。普段見せないルインの優しさがサーリャの心の中に広がっていき温かく感じる。

 「何度も言うけど私はお前なんかじゃなくてサーリャよ。出会ったころと比べればマシになったけど、いい加減お前呼びはしなくてもいいんじゃないかしら?」

 悪戯っぽくサーリャが言うとルインもつられるようにニヤリと笑った。

 「直してほしければ無事に課題を達成して戻ってくることだな。そしてそろそろパスタを食べさせろ」

 この一か月サーリャは食事に一切パスタを出していない。乾麺のボトルは食糧庫の奥にしまい込んであり、置いた場所を知っているのはサーリャだけだ。

 「達成したら考えてあげるわ。期待して待っていなさい!」

 「あぁ。行ってこい」

 サーリャは玄関の扉に手をかけたところで動きを止めて振り返った。誰かから見送られるなんてこれまで無かったが、今回はルインが見送ってくれる。だからこそサーリャは元気よくこの言葉を伝えた。

 「行ってきます!」



 久しぶりの大森林。一人で森の中を進むサーリャは常に周囲を警戒しながら進む。ルインの家の正確な位置は分からないが、おそらく大森林の深部に近い場所にあるはずだ。ならば森の奥深くにしか生息していない魔獣にいつ出会ってもおかしくない。

 しばらく森の中を歩き回っていたサーリャだったが、ピタリと歩みを止めた。

 (あまりにも静かすぎる)

 先程まで聞こえていた鳥の声や虫の音がピタリと止んだのだ。普段とは違う状態になったからには確実に何かが起こる。剣を握る力が自然と強くなり、僅かな異常も見逃すまいと全方位に注意を払う。


 ——パキリ


 小枝が折れる音がすぐ近くから聞こえ、すぐさまサーリャは音のした方向に向き直る。木々の陰からゆっくりとその存在が現れ、サーリャの前にその姿を見せる。相手の正体を見た瞬間、サーリャはまるでデジャブを見ているかのような感覚になった。

 「まさかこんなにも早くもう一度会えるとは思ってもみなかったわ」

 鋭い爪や牙。そして体全体から漏れ出して揺らめいている魔力。サーリャの命をあともう少しで奪い取れた存在。——ハイロウウルフの変異種が再びサーリャの前に現れたのだった。


 変異種の背後から遅れるように三体の通常個体も姿を現した。唸り声を上げながらサーリャに飛び掛かろうとゆっくりと近づいてくる。

 変異種は前回と同じで全く動こうとはしない。おそらく配下に再び狩らせるつもりなのだろう。かつてのサーリャを知っているからこその余裕。しかし、

 (以前の私と思っていたら大間違いよ!)

 ほぼ同時に通常個体の三体が動き始めた。正面から一体がサーリャを食い殺そうと飛び掛かってくる。サーリャは最小限の動きで横に躱し、無防備になっているハイロウウルフが目の前を通り過ぎる前に行動を起こす。

 ブンッと一瞬で剣に魔力を纏わせ、ハイロウウルフの首元に剣を思いっきり振り下ろし致命傷を負わせる。


 グルルルアアァ‼


 わずかな時間差でサーリャの左側から一体、回り込んだもう一体がサーリャの背後から迫ってくる。振り下ろした勢いのまま体を回転させたサーリャはそのまま横薙ぎの一閃に繋げ左の一体を切り捨てるが、背後への一閃は間に合わない。

 間に合わないと判断した後のサーリャの行動は早かった。すぐさま左手を剣の柄から離して迫ってくる一体に向ける。

 風の刃が放たれ、飛び掛かった勢いのまま空中でハイロウウルフは真っ二つになった。

 瞬く間に三体もやられたことでサーリャへの認識が変わったのだろう。これまで見守るだけだった変異種が警戒しながら戦闘態勢に入った。

 サーリャはこれまで以上に緊張感を高める。先の三体はあくまでも通常個体。ここからが本番なのだ。

 先に動いたのは変異種の方だった。爆発的な加速とともに一気に距離を詰めてくる。鋭い爪がサーリャを切り裂こうと迫ってくる。

 さすがにサーリャでも真正面から攻撃を受けてしまうと吹き飛ばされてしまう。後ろに跳んだサーリャは距離を開けるとすぐさま魔力弾を放つ。しかし変異種の方も魔法が飛んでくることを予想していたのだろう。自身の攻撃が躱されるとわかった途端すぐさまその場から離れ、サーリャの放った魔力弾はほとんど当たらなかった。

 (やっぱり殺傷能力が低いと魔力も簡単には引き剥がせないわね)

 攻撃が躱されてもサーリャは冷静に状況を分析する。ほとんどの魔力弾は変異種に当たることは無かったのだが、一発だけ変異種に当たったのは見えていた。魔法が命中した部分の禍々しい魔力は吹き飛ばすことはできたのだが、本体にダメージは入っておらず吹き飛ばした部分もすぐさま周囲の魔力が覆ってしまった。

 やはり剣で致命傷を与えるか威力の高い魔法を撃ち込む必要がある。

 そう考えているサーリャの目の前で変異種の頭上に魔力が集まり始め、徐々に形が形成され始める。これはすでに見たことがある。すぐさまサーリャは変異種へ向かって駆け出す。発射まで多少時間はある。

 距離を詰める間もサーリャは魔法を展開していく。魔力弾が変異種目掛けて——ではなく、その周囲に撃ち込まれる。

 攻撃魔法が完成するまでの間時間を稼ごうとその場から離れようとした変異種だったが、サーリャの魔法でその道を塞がれてしまいその場から動けずにいる。その僅かな時間でサーリャは相手を間合いの中に入れる。

 サーリャが剣を振るう前に相手の攻撃魔法が完成した。魔力の槍がサーリャに向かって飛んでいき、大きな爆発が起こった。

 至近距離からの攻撃。勝利を確信した変異種はほんの僅かに警戒を緩めたが、すぐさま驚愕に目を見開いた。爆炎の中からサーリャが躍り出てくる。その体には攻撃による負傷は無い。

 驚愕に目を見開いている変異種を見ながらサーリャは内心笑みをこぼす。

 (どうやらうまくいったわね)

 サーリャの目の前には淡い虹色に輝く壁が出現している。

 魔力障壁。相手の攻撃を防ぐことができ、込める魔力量と展開範囲で強度が変化する防御魔法だ。サーリャの上半身ぐらいの大きさの魔力障壁は役目を終えて消え去っていく。

 すぐさま変異種がサーリャの間合いから離れようとするが、もう遅い。サーリャは全力で剣を振るい、相手の魔力を切り裂きながらその奥にある本体へと深く傷をつけた。しかし致命傷にはならず相手が離れてしまう。

 「チッ!」

 思わずサーリャは舌打ちした。相手に剣が届く瞬間、変異種が身を捩ったことで狙いがズレてしまい致命傷にはならなかったのだ。

 しかし十分な傷をつけることはできた。決して少なくは無い血が辺りに飛び散っている。貴重な好機を逃してしまったことを悔やむサーリャだったが、どうやらまだ挽回できるチャンスはあるようだ。

 サーリャから離れた変異種は傷つきながらも逃げずにその場に留まっている。強者としてのプライドなのか、それとも弱者だと思っていたサーリャに背を向けることが嫌なのか何にせよ好都合だ。

 近づくのを恐れているのか変異種は木々の陰から絶え間なく魔力の槍をサーリャに放ってくる。サーリャも魔力弾を撃ち反撃するが、相手の移動速度が速く周りの木々が邪魔をしてうまく当たらない。前回はサーリャを守ってくれた木々は今回相手を守る役割を果たしてしまっている。

 「だったら!」

 相手からの攻撃を防ぎながらサーリャはこれまで以上に魔力を集める。左手に魔力が収束していくにつれて風が生まれ、サーリャの髪を揺らしていく。

 何かを感じ取ったのか変異種が木々の陰から姿を現したがもう関係ない。準備は整った。

 「いっけええぇ‼」

 サーリャは変異種がいる方向に向かって左腕を大きく横に振るった。次の瞬間、振るった先にある木々が広範囲で切り飛ばされた。

 風の上位魔法「エアリアルサイズ」範囲上にある対象を風の刃で狩り飛ばす範囲攻撃魔法だ。切り飛ばされた木々はすべて轟音を立てながら落下し、見晴らしが良くなった。狙い通り変異種が開けた場所にいたが、残念なことにエアリアルサイズは躱されてしまったようで傷は無い。

 再び木々の中に姿を隠そうと動くがサーリャはそれを許さない。もう一度範囲魔法を放ち一帯を更地にする。

 これ以上は無駄だと悟ったのだろう。変異種は隠れようとはせずに迎え撃つ構えだ。

 タイミングを合わせたわけではないが、ほぼ同時にお互いが動き出す。サーリャは真っ直ぐ変異種のもとへ駆け出し、変異種はサーリャの魔法を警戒してジグザグに動きながらサーリャへと迫ってくる。

 ジグザグに動きながら魔力弾を放ってくるが、サーリャはそれを最小限の動きで時には躱し、時には魔力弾を当てて相殺する。互いの距離が近づくにつれて攻撃の間隔が短くなっていき激しくなる。

 変異種はサーリャに食らいつこうと飛び掛かってくるが、正面からで単調過ぎる。

 「そんな攻撃で!」

 このまま横に避けて無防備な側面からとどめを刺す。そう考えて位置をずらしたサーリャだったが、驚愕に目を見開いた。

 変異種は飛び掛かっている最中で方向転換ができない。しかし、体から溢れ出している魔力の一部が突如槍の形になり地面に突き刺さった。槍の端と変異種は魔力で繋がったままであり、槍がスパイクの役割を果たして、変異種が弧を描いてものすごい勢いでサーリャに迫ってくる。

 「なっ⁉」

 予想もしていなかった方向転換に驚いたサーリャは慌てて魔力障壁を展開するが、突然過ぎたこともあって展開が不十分だ。

 魔力障壁に変異種が思いっきりぶつかると、未完成だったためすぐさま障壁にヒビが入り、甲高い音とともに砕け散ってしまった。障壁にぶつかったことで多少勢いは殺されているが、それでも巨体の突進を受けたサーリャは吹き飛ばされてしまう。

 「あうっ!」

 背中を地面に打ち付けたサーリャは慌てて起き上がろうとしたが、その前に接近してきた変異種の前脚がサーリャの左肩を押さえる。これでは起き上がることができない。

 すぐさま剣で振り払おうと右腕を動かそうとするが、こちらも動かす前に変異種の前脚がサーリャの右肩に叩きつけられる。叩きつけられた際に変異種の鋭利な爪がサーリャの右肩に深々と突き刺さった。

 「ああああああああぁぁぁ‼」

 あまりの痛みにサーリャは絶叫する。針で刺されたわけではない。短刀と同じぐらいの大きさの爪が刺さったのだ。その痛みは想像を絶する。

 あまりの痛みに悶えようとするが両肩を押さえられて身動きができず、唯一動く足で地面を掻くしかできない。身動きができず剣は爪が刺さった際に痛みで思わず手放してしまった——絶体絶命だ。

 「グルルル」

 「ひっ!」

 間近で聞こえる唸り声にサーリャの表情は恐怖で引き攣り、ビクッと身を竦ませる。これまで経験したことも無いくらい魔獣が近くにいる。鋭い牙の間からは唾液が零れ落ちている。

 ゆっくりに感じられる時間の中両者は数秒見つめ合い、そしてサーリャにとどめを刺すべく変異種が大きく口を開いて迫り——両者の間に大量の鮮血が舞った。


 静寂が訪れサーリャはピクリとも動かない。頬には大量の鮮血が付着し、見開いた目はただ一点だけを見つめている。

 視線の先には変異種が大きく口を開けている。——喉元に大きな風穴を開けた状態で。

 変異種がサーリャを食い殺そうとした瞬間、咄嗟にサーリャはありったけの魔力を集めて風属性の魔法を放ったのだ。本来なら相手を吹き飛ばすだけのつもりだったのだが、大量に魔力を集めてしまったので威力が桁違いになってしまって貫通してしまった。

 何が起こったのかわからないと言ったような表情をしながら変異種は力尽きたようにサーリャの上に倒れた。爪がサーリャの肩から抜ける際の痛みに小さくサーリャは声を漏らす。変異種はしばらく手足が痙攣したように震えていたが、その動きもしばらくすると止まる。

 下敷きになったサーリャはピクリとも動かなかったが、しばらくするともぞもぞと動き始めて変異種の下から這い出てくる。死んだ変異種の隣で座り込んだサーリャは茫然としたまま辺りを見渡す。周囲にはサーリャが倒した通常個体が転がっており、血の匂いが辺りに漂っている。

 最期にサーリャはすぐ傍にある存在に目を向ける。そこには変わらず息絶えた変異種が倒れている。

 「倒したんだ……私一人で」

 ポツリと出た言葉は自分で言っておきながら実感がわかない。まるで現実ではなく夢を見ているような気分だ。しかし焼けつくような右肩の痛みが夢ではないとサーリャに伝えてくる。服の下を血が流れている感覚もはっきりと伝わっている。

 「ここから離れないと……」

 心が麻痺してしまっているのか感情のこもらない言葉しか出てこない。他の魔獣がいつやって来るかもわからないので長居は無用だ。サーリャはもたつきながらも左手だけで最低限の応急処置を済ませ、周囲に転がっているハイロウウルフ達から魔核を回収する。そしてサーリャはふらつきながらもその場を後にした。


 無事にルインの家まで戻ってきたサーリャは扉の前で一息ついた。麻痺していた感情も回復しており、今は嬉しさが心を満たしている。ルインに朗報を伝えられるのが嬉しくてたまらない。

 サーリャは玄関の扉を勢いよく開けると、出て行った時と同じようにルインがいた。

 「ただいま!」

 「おう。その様子だといい結果だったようだな」

 笑顔のサーリャにつられるようにルインの表情も優しげだ。

 「そうよ‼私一人でハイロウウルフを倒すことができたわ。しかも一体じゃないのよ。通常個体が三体に変異種が一体よ!信じられる?」

 「……」

 「無詠唱って本当に凄いわ!詠唱だと不可能な連射もできて相手を翻弄することができたわ。他にもね——」

 「待て待て。その前に治療が先だ。見たところ傷は深そうだから部屋で処置する。手を貸してやるから行くぞ」

 興奮してさらに言葉を続けようとしたサーリャだったが、その前にルインに止められてしまった。報告することに夢中ですっかり忘れていた。

 「ちょっと待ってね。靴を脱ぐから」

 靴を脱ごうと下を向いたサーリャは気づくことができなかった。何かを探るような目でルインがサーリャを見ていたことに。


 ルインに支えられながらサーリャは部屋に入ると、テーブルの上には治療道具一式が並べられていた。おそらくルインが用意してくれていたのだろう。

 治療のために再び上半身下着姿になったサーリャは恥ずかしさで頬を赤くするが、前回のように身悶えたりせずに大人しく手当てを受けている。せめて少しだけでもと脱いだ服で胸元を隠している。

 「無詠唱魔法ってイメージが固まっていれば発動できるのよね。だったら新しく思いついた魔法も使えるってことなのかしら?」

 「使えることは使えると思うぞ。ただし魔力量や効果などの設定を細かく決めていかなければならないからそう簡単に使えるわけではないがな」

 「へぇ~。それでも新しく作るってなんだか楽しそうね」

 てきぱきとルインが処置をしていく間もサーリャは思いついたことを喋り続け、ルインが短く答えていく。

 「よし、とりあえずこんなもんだな。念のため今日は様子を見て、問題が無かったら明日にポーションで傷を治せば問題なく腕を動かすことはできるだろう」

 ルインが包帯を巻き終えるとサーリャはシャツをすぐさま身に着ける。

 「ありがとう。それよりもルイン!私と相性のいい魔法って何だと思う?やっぱり初めて使えるようになった水かしら?」

 「……」

 ルインからの返事が返ってこないことに気づかずサーリャは話し続ける。

 「でも最初に使えるようになったのは火炎系なのよね。ここだと無理だけどやっぱり火炎系も——」

 「サーリャ」

 顎に手を当てて話し続けていたサーリャだったが、不意に言葉を遮られたので一言文句を言おうとルインを見た瞬間言葉に詰まってしまった。なぜかルインはサーリャを労わるような目で見ている。なぜそのような表情を向けられるのかサーリャにはわからない。

 「もういいんだ。終わったんだからこれ以上我慢するな」

 「な、なにも我慢していないわよ。何を言っているの?」

 戸惑いながらもサーリャはルインに言葉を返す。何を我慢しているというのだ。

 「サーリャがそう思っているのなら俺はそれを違うと否定することもしないし、これ以上言うつもりはない。それでも気づいているか?帰ってきてからサーリャは課題のことを話しはするが、一度も自身が危なくなった時のことを話そうとしていないのを」

 「っ!」

 ルインからの指摘にサーリャは衝撃を受けた。全く気が付かなかった。サーリャ自身は普段と同じように話していたつもりだったが、どうやら違ったらしい。

 衝撃を受けるサーリャに構わずルインは話し続ける。

 「確かに見た目は普段通りのサーリャだと思う。それでも俺からすれば必死に感情を押し殺して無理をしているようにしか見えない。そんな状態を俺は放っておくことも見なかったことにすることもできない」

 真っ直ぐ正面からサーリャを見るルインの表情は真剣そのものだ。その視線を受け止めきれずにサーリャは俯いた。

 しばらくサーリャは黙って俯き続けるが、ルインは何も言ってこずサーリャが話すのを待っている。静かな時間が過ぎていく中、ようやくサーリャは俯いたまま口を開いた。

 「……私ね。変異種に押し倒されたの」

 「そうか」

 ルインは相槌を返すだけで静かにサーリャの話に耳を傾けてくれる。

 「押し倒された時にね、爪が肩に刺さったの。逃げようとしても肩を押さえられているし痛みで大声をあげてしまったわ」

 「そうか」

 次第にサーリャの声が震え始めてくる。声だけでなく体もサーリャの意思と関係なく震え始めてきた。

 「その時ね。私怖かったの。これから殺されるんじゃないかと思って思わず悲鳴が出てしまったわ」

 そう。たしかにあの時サーリャは死を覚悟した。あまりの恐怖で泣き叫びたい気持ちにもなったがぐっと我慢して最後まで生きるのを諦めなかった。だからこそサーリャはこうして生きている。

 それでも恐怖が消えるわけではない。乗り越えたと思っていた恐怖が再びサーリャに襲い掛かってきて押し潰されそうになる。そんなサーリャの頭にポンッと優しく何かが置かれた。

 思わず顔を上げるとルインがサーリャの頭に手を置いていた。

 「恐怖を感じるのは誰にでもあることだ。それを恥ずかしがることもないし我慢する必要もないんだ。サーリャは周りの奴らができないことを見事やり遂げたんだ。たとえ周りから何と言われようと、俺はサーリャの努力を認める」

 「あっ……」

 ルインの言葉が凍っていたサーリャの心を溶かしていく。その優しさがサーリャには何よりの救いだった。目の端から涙が溢れてくる。

 「よく頑張ったな」

 その言葉がとどめだった。これまで誰かから応援されることは無かった。いつもサーリャに浴びせられるのは役立たずとか無能だとかの批判的な声ばかりで味方は誰もいなかった。

 それでもルインは違う。いつもサーリャのことを気にかけてくれてサーリャの為に多くのサポートもしてくれた。そしてルインはこんなサーリャの頑張りを褒めてくれた。誰かから褒められるなんてこれまで無かった。

 喜び・恐怖その他にもいろいろと我慢していた感情が込み上げてくる。

 「うわあああぁぁぁ!」

 サーリャは痛みのことなど忘れてルインの胸に縋りついてありったけの大声で泣いた。泣いている間もルインは優しくサーリャの頭を撫でてくれて、さらに感情に歯止めが利かなくなる。これまで我慢していたものをすべて吐き出すようにしばらくの間、サーリャはルインに抱きしめられながら泣き続けた。



 静かに扉を開け、ルインはそっと部屋から出て行こうとして背後を振り返った。ベッドでは泣き疲れたサーリャが眠っており、目元には涙が残っている。

 起こさないように扉を閉めたルインは何をすることも無くソファーに座りながら物思いに耽っていた。

 「らしくないことをしたな」

 ルインは元々そこまでお節介を焼くつもりは無かった。それでもサーリャが帰って来た際の違和感は無視できないもので、つい深く踏み込んでしまった。

 サーリャはおそらく騎士学校で孤独なのだろう。誰からも評価されずに常に一人で訓練を続けていたのだ。だからこそ弱音を吐くことは許されない。助けてくれる者がいないのならば一人で解決しなくてはならない。

 他人を頼らない生き方は本人の努力次第で可能だ。しかし騎士という立場を目指す過程でその生き方はあまりにもリスクが高すぎる。感情を押し殺し、恐怖を感じなくなるなどもはやそれは人とは呼べない。ただ魔獣を狩るだけの人形となり果ててしまっている。

 あのままサーリャが騎士になれたとしても長生きできないだろう。生存本能を無視して前に進み続けるなら最後に待つのは死だ。せめてそれだけは避けたいと行動した結果まさか泣かれるとは思わなかったが……。

 (今更俺が誰かに優しくするなんて)

 誰かを信じることはもう止めた。信じればその果てに何があるかはすでに経験したことだ。化け物と蔑まれる周りからの視線。向けられる剣や撃ち込まれる数々の魔法。そして信じていた者から向けられる殺意……。


 ——この反逆者がっ!


 そこまで考えたところでハッと我に返ったルインはこれまでのことを振り払うかのように頭を振る。知らない内に嫌な記憶の海に沈んでしまっていたようだ。

 ここからは彼女の行動次第だろう。これからもひたすら前に進み続けるのか、それとも退くことも覚えるのか。彼女の性格から考えれば予想はつくが。

 「どうなるんだろうな」

 再びルインは呟くがそれに応えてくれる者は誰もおらず、呟きは静寂の中に消えていった。



 「お世話になりました」

 翌日。サーリャとルインは王都——から少し離れた平地に立っていた。昨日サーリャは目覚めるとすぐさま学校に課題達成の報告を魔法による通信で出してある。腕の傷も完治しており、問題なく動かすことができる。

 ちなみに目覚めた瞬間ルインの胸の中で泣いたことを思い出してしまい、奇声を上げながらベッドの上で激しく転げまわったのはサーリャだけの秘密だ。

 「別にたいしたことはしていないぞ。それよりも俺の言ったことは守ってしまうぞ」

 「わかっているわよ。そのための交換条件だもの。ルインのことは誰にも話さないわ」

 王都に戻る際にサーリャとルインはある交換条件を出している。無詠唱魔法が使えるようになったと言っても、まだまだ未熟だと言わざるを得ない。サーリャはこれからもルインから手ほどきを受けたいと思っているが、王都から大森林までは距離があるためそう簡単に行けるものではない。

 そのためにサーリャは転移の魔方陣を王都から近い場所に設置して欲しいとルインに願い出たのだ。初めは渋っていたルインだったが、サーリャの根気強い説得にとうとう折れてくれて設置してもらえるようになった。

 その代わりにルインは自分の素性を誰かに話さないことと関係ない人物を連れてこないことを条件に出したのだった。サーリャはあくまでも現地で知り合った人から手ほどきを受けたということになり、ルインという人物をサーリャは知らない。

 ちなみに手ほどきを受ける際の対価はそのまま継続されることになるので料理は作り続けることになる。

 「それを覚えているならいい。それじゃあ俺はもう帰らせてもらうからな」

 そう言ったルインはすぐさま転移でいなくなってしまった。よっぽど人と関わるのが嫌なのだろう。

 「それじゃあ行くとしますか」

 サーリャは荷物を背負い直して王都に向かって歩き始めた。



 一か月ぶりの王都だが、まるでもっと長く離れていたかのような懐かしさがある。そんな王都内をサーリャは進んでいく。目指していた騎士学校が見えてくると自然と歩みが早くなったサーリャだったが、入り口に誰かが立っていることに気が付いた。その人物が誰なのか分かったサーリャは嫌そうな表情になる。まさかアイツがいるなんて……。

 「久しぶりだなサーリャ・ブロリアス。俺はこの日が来るのを楽しみにしていたぞ」

 「久しぶりねキリアン。私は最初に会ったのがあなただなんて残念で仕方ないわ」

 教師の誰かから聞いたのだろうが、まさか入り口で待っていると思っていなかったのでサーリャの言葉にも自然と棘が混じる。

 「聞けばできもしないくせに課題達成の報告をしたそうじゃないか。そんな嘘で教師たちの貴重な時間を取らせるのは失礼だと思わないのか?」

 どうやらサーリャが虚偽の報告をしていると思っているらしい。この場でわざわざ説明するのも面倒なので、サーリャはさっさとキリアンの横を通り過ぎる。背後からキリアンがずっと何か言ってくるがすべて無視しながら目的の部屋まで歩いて行った。


「久しぶりですねブロリアス嬢。手紙では課題を達成したということですが本当ですか?」

 「はい。課題として出されていましたハイロウウルフの単独討伐ができましたので、報告しに来ました」

 課題を出した本人であるヘルトはサーリャの言葉を聞きながらも疑いの目をサーリャに向けており、なぜか部屋の中までついて来たキリアンも鼻で笑っている。やはりサーリャの報告を誰も信じていないようだ。

 「あのですねブロリアス嬢。あなたの騎士になりたいという気持ちの強さは理解していますが、嘘を吐いてまで達成したとするのは褒められることではありませんし、そんなことで騎士の資格を与えることはできませんよ」

 「そうだ!証拠も無しにそんな言葉を信じられるわけないだろう!」

 「ならば証拠をお見せします」

 「「えっ?」」

 二人が呆気にとられる中サーリャは背負っていた荷物の中から小さな袋を取り出し、テーブルの上にあった書類トレーの中に中身をすべて出す。ゴロゴロとトレーの上にサーリャの戦果である魔核が次々と転がっていく。驚愕に目を見開きながら固まる二人にサーリャは堂々と言い放った。

 「これで文句ありませんよね?」


 トレーの上に出された魔核の一つをヘルトは震える手で手に取った。

 「まさか……本当に?いや、確かにこの魔核は……」

 ヘルトはぶつぶつ言いながら魔核をじっくりと確認している。一つ一つ確認していたヘルトだったが、最後の一つ——中でもひときわ大きい魔核を手に取ったヘルトは目玉が飛び出るのではないかと思うほどに目を見開いた。

 「そんな⁉信じられない!」

 「ヘルト教授!その魔核がどうしたのですか!」

 「これはただのハイロウウルフの魔核ではない。ハイロウウルフの中でもひときわ強力な個体である変異種の魔核だ。この個体を相手にする際は騎士団を派遣しなければ討伐は不可能なはず」

 「「えーー⁉」」

 ヘルトの言葉にキリアンだけでなく討伐したサーリャも驚きの声を上げた。確かにこれまで相手してきた魔獣の中ではトップクラスの強さだったが、まさかそこまでの強さだとは知らなかった。

 (よく私生き残れたわね……)

 「嘘だ‼彼女にそんな実力などあるはずがない!いったいこの一か月何をしていたんだ」

 目の前の事実が信じられないのかキリアンが喚いており、ヘルトも同じ意見なのだろう。説明を求めるかのように疑惑の視線をサーリャに向けている。

 だからサーリャはこの一か月現地で知り合った人の特訓を受けていたことを二人に説明した。

 「説明したとおり私は現地で特訓を受けた後に課題に挑戦しました。当然ですがハイロウウルフ討伐の際には同行者はおらず私一人で、手助けなどを受けておりません。必要ならば魔法による審問も受けるつもりです。それでどうなのですか?私は課題達成なのでしょうか?」

 「あ、あぁ。結論から言うと文句なしに合格だ。それどころかこのまま騎士団入隊への推薦もできるほどだ」

 食い気味にヘルトに詰め寄ると圧されながらもサーリャが聞きたかった答えを聞くことができてホッと胸を撫で下ろした。これで問題なく騎士になることができる。

 用が済んだので退室しようとしたサーリャの隣からすぐさま反論の声が上がった。

 「そんなことがあってたまるか!教授、サーリャ・ブロリアスは虚偽の報告をしています。彼女をこのまま騎士にさせるのは反対です」

 「しかしキリアン・オルランド。彼女はこうして魔核を持ち帰っている。しかも四つの内一つは変異種の魔核だ。これだけの成果を出していながら彼女を不合格にすれば、この先ほとんどの者が不合格扱いになってしまう。それに魔法による審問も受けると言っているのだから、ここで虚偽の報告をしていてもすぐにバレるのは明白だ」

 魔法を用いた審問では決して嘘を吐くことができない。魔法に対する抵抗を一切無くし、半ば催眠に近い状態で行われる為いかに実力がある者でもその状態で虚偽報告をすることなどできない。

 不正防止のために審問の際は複数人の立ち合いが必要となり、許可なく審問を行使すれば残りの人生を牢獄で過ごすことになるほど厳しく管理されている。これは騎士学校に通う者なら必ず学んでいる内容である。もちろんキリアンも例外ではない。

 「それは……そうなのですが。いや、ですが……」

 自分が理屈の通らないことを言っているのだと自覚があるのだろう。それでも何か言わずにはいられないのか視線を彷徨わせながら口をパクパクと動かしている。

 これ以上この場にいる必要は無いだろう。「失礼します」とサーリャはヘルトに一礼して退室しようと扉に向かって歩き始める。この後は特に予定は無いので何をしようかと考えていたサーリャの耳にそれは聞こえてきた。

 「やっぱり信じられない。きっと審問を潜り抜ける技でも教えてもらったんだろう。その人物はとんだペテン師だ」

 サーリャの中で時間が止まったように感じた。ドアノブに手をかけようとした姿勢のまま凍り付いたようにピタリと動きが止まる。たった今、サーリャにとって聞き逃すことのできない言葉が聞こえた気がする。

 「……ちょっと待ちなさい」

 姿勢はそのままで振り返ることなくサーリャは口を開く。自分の口からこれまで出したことも無いゾッとするような低い声が出てくる。

 「今、なんと言いました?」

 サーリャの雰囲気が劇的に変化したことに真っ先に気づいたヘルトは慌ててキリアンを止めようと口を開こうとするが、「教授は黙っていてください」とその言葉を封じる。

 キリアンはと言えば自分の発言が火薬庫に炎弾を撃ち込むほどの暴挙だと気がつかずさらに言葉を重ねる。

 「図星だったかな?君を指導した奴はペテン師だと——」

 「撤回しなさい」

 「なに?」

 「私のことを何と言おうと構いません。それでもあの人のことを侮辱するのは私が許しません!今すぐ撤回しなさい‼」

 怒りの感情に染まったサーリャは鋭い目つきでキリアンを睨みつける。あまりにも感情が高ぶりすぎて魔力が漏れ出し、サーリャの周囲の空間が悲鳴を上げるように軋む。

 サーリャはこれまで感じたことの無いほどの怒りで理性を失いそうになっていた。ルインがペテン師?その発言は決してサーリャの中で許されるものではない。ルインは落ちこぼれ同然のサーリャに対して見下すような態度をとらず、正面からサーリャと向き合ってくれた。ルインには感謝してもしきれない。

 これ以上侮辱されたなら思わず剣を抜いてしまいそうだ。

 「な、ならこの私と一騎打ちをしろ。魔核をそれだけ回収できたのならそれだけの実力があるのだろう?」

 初めて見るサーリャの激情に圧されたキリアンは掠れる声で挑発をしてきた。キリアンからの提案に対する答えはすでに決まっている。

 「受けて立ちます」



 騎士学校内にある訓練場。訓練場となってはいるが模擬戦も行われることもあるので周囲を囲むように観覧席が設置されている。その観覧席は満席状態となっており、今から始まる戦いを見ようと多くの生徒で賑わっていた。

 「それではこれよりキリアン・オルランドとサーリャ・ブロリアスの模擬戦を執り行う。この模擬戦の審判は私、ヘルト・オズモンドが務める」

 ヘルトが落ち着いた声で説明を続ける。

 「攻撃手段の制限は無し。武器と魔法の両方を使用してもらって構わない。相手を殺傷させるような行為は厳禁で相手を降参、もしくは私が決着したと判断すればそこで模擬戦は終了とする。二人とも異論は無いな?」

 サーリャとキリアンは同意するように頷く。同意が得られたことでお互いがそれぞれ所定の位置へ移動する。

 会場が静まり返り、これから始まる戦い開始の合図を待つ。サーリャは鞘から剣を抜き、いつでも動ける状態のまま合図を待つ。

 それほど待たずにヘルトから訓練場全体に聞こえるような大きな声で宣言が発せられた。

 「それでは、始め‼」


 「先手は貰ったぞ!」

 合図が出されると同時にキリアンはすぐさま魔法を発動させようと動いた。素早く詠唱を済ませサーリャに向かって風魔法のエアカッターを放つ。風の刃がサーリャを切り裂こうと飛んでいく。

 サーリャは迎撃するつもりなのか腕を突き出して魔力が集まっていくのをキリアンは感じた。しかし、途中でなぜかハッとした表情になり腕を引っ込めた。制御も手放したのか集まっていた魔力も行き場を失って小さな破裂音とともに魔力が弾けた——明らかに不発だ。

 迎撃に失敗したサーリャは慌ててその場から身を投げ出すように離れこちらの魔法を避ける。

 (なんだあの姿は。偉そうに大口を叩いておきながら、結局は魔法を使えていないではないか)

無様に転がったサーリャを見たキリアンは自分の主張が正しかったのだと確信した。今更彼女が言い訳をしてきてももう遅い。二度と生意気な口をきけないように多少痛めつける必要がある。

 「ほらほら!休んでいる暇は無いぞ!」

 接近されなければ恐れる必要は無い。キリアンは一方的な戦況にするべく追加の詠唱を始めた。


 サーリャとキリアンの模擬戦が行われる中、観覧席のあちこちでは笑いが起こっていた。

 「おい、なんだよあれ」

 「必死に逃げ回っていて情けな~い」

 「アレでよく模擬戦を受けるって決めたな」

 見下ろす先で必死に逃げ回るサーリャの姿に誰もが見下すような視線と言葉を投げかけている。誰もがこの模擬戦の結果がどうなるのか予想できてしまっている。

 そんな中、目の前の先頭にまったく別の感想を持つ者がいた。ある程度の実力を持ち、噂や評判に左右されず冷静に、そして客観的に状況を見極めることができる者だ。

 「おい……どうなってるんだよ」

 一人の生徒が困惑しながらぽつりと呟いた。しかしその言葉に反応する者は誰もいない。周りでその言葉を聞いていた生徒も同じ意見で、誰もその問いに対する答えを持っていないからだ。

 だからこそ彼らからすると目の前の光景は違和感だらけで、疑問しか浮かんでこない。

 「どうして彼女は詠唱していないのに魔法が発動しそうになっているんだよ」


 (信じられない)

 キリアンの魔法を避けるために走り回っているサーリャは自分の魔法を振り返っていた。実際に経験していながら何かの間違いだったのではと思ってしまう。

 (まさかここまで魔力を集めるのが〝簡単〟過ぎるなんて)

 そう。あまりにもこの場に満ちている魔力が軽すぎるのだ。緊張から魔力を集める際に少し気合が入りすぎていたにしても、明らかに集め過ぎだった。あれでは——

 (あのまま撃って爆殺させないで本当に良かったわ)

 サーリャは冷や汗をかきながら内心ホッとした。ルクドの大森林と言う特殊な環境に慣れ過ぎたせいで、同じ感覚で使おうとしていた。大森林を出てから一度も魔法を使っていなかったせいで本来の魔力の重さをすっかり忘れていた。

 開始早々へまをやらかしたサーリャだがもう問題ない。逃げ回っている間に魔力の重さは再確認できた。

 「行くわよ‼」

 攻めに転じるため、サーリャは走るのを止めてその場でキリアンに向き直る。遠くでキリアンが立ち止まったサーリャを見て笑い声をあげる。

 「とうとう諦めたか。ならばこれで終わらせてやるぞ!」

 勝利を確信したキリアンから先程よりも大きな風の刃が放たれてこちらに迫ってくるが、サーリャはその場から動かない。静かに腕を上げたサーリャは即座にキリアンと同じ風魔法を展開して迎撃する。互いの攻撃魔法が正面からぶつかり、相殺される。

 「……はっ?」

 何が起こったのかわからずキリアンが間抜けな声を上げる中、サーリャの周囲にはいくつもの魔方陣が展開される。

 「詠唱で防げるのならば防いでみなさい。それができないなら——」

 魔方陣が一層輝きを増す。

 「必死に逃げ回りなさい」

 いくつもの攻撃魔法がキリアンに向かって殺到した。


 訓練場はまさに戦場と化した。爆発音が絶え間なく周囲に響き渡り、何度も地面が吹き飛び大穴を開けていく。

 そんな中サーリャは容赦なく魔法を叩きこんでいく。中途半端に手を抜くようなことはせず反撃の隙など一切与えない。サーリャが放っているのは火炎魔法のボルクだ。直撃すればもちろんただでは済まない。

 「ひいいい!」

 絶えず放たれ続ける魔法をキリアンは情けない声をあげながら必死に逃げ回っている。サーリャは時にキリアンを追い立て、時に進路を妨害するように魔法を撃ち込む。ルール違反で負けたくないので威力は抑えているが、それでも脅威だ。逃げ回るキリアンの顔は恐怖で引き攣っている。

 「もう終わらせましょうか」

 サーリャは淡々とした表情で目の前の光景を見ていた。長々と相手をいたぶる趣味は無い。これまでの魔法による一方的な展開はこれまでの扱いに対するサーリャなりの仕返しだ。ここからは自分らしい戦いで勝負を決める。

 展開していた魔法を解除し、サーリャは剣を握りしめてキリアンに向かって駆け出す。撃ち込まれる魔法が無くなったことでキリアンから反撃の魔法が飛んでくるが、サーリャは最小限の動きで避けていき、邪魔になる魔法のいくつかは剣で切り払い決して速度を緩めない。

 「来るな!来るなぁ!」

 キリアンは相変わらず魔法に固執してサーリャの動きを止めようとしてくるが、ここまで接近しているならば剣で対処する方が早い。

 肉薄したサーリャの斬撃をキリアンは間一髪で受け止める。互いの剣がぶつかり合い金属音が響き渡る。そのまま連続でサーリャはキリアンに斬りかかるが流石成績上位者。かろうじてサーリャの決定打を捌いている。

 「何故だ!お前は何もできない不適格な存在だろう。そんな奴になぜ俺が!」

 剣を互いに打ち合わせた状態のままキリアンが喚く。

 「確かに私は落ちこぼれだったわ。魔法をまともに使えなくて、誇れるのは剣の腕だけ。あの時のままなら私は騎士になることなんてできなかったでしょうね」

 「だったら——」

 「それでも私は諦めなかった!」

 「っ!」

 サーリャの言葉にキリアンは何も言えなくなる。

 「あなた達から馬鹿にされて味方が誰一人いなくても、諦めず努力を重ね続けたの。その結果、彼と出会うことができた」

 もしもサーリャが早々に騎士を目指すのを諦めていればルインと出会うことは無かっただろう。藁にも縋る想いで彼に助力を乞い、無詠唱という新しい力を奇跡的に得ることができた。

 「あの人がいたから私は騎士になることができるの。私にとっては感謝してもしきれないほどの恩人よ。そんな人を悪く言う権利はあなたには——無い‼」

 サーリャは感情を乗せるように思いっきり剣を振り抜いた。


 ギィン


 キリアンの剣が弾き飛ばされ、回転しながら少し離れた地面に突き刺さる。思わず後ろによろめくキリアンの喉元にサーシャは剣を突きつけた。

 「そこまで!勝者、サーリャ・ブロリアス」

 ヘルトから模擬戦終了の合図が出たことで、サーリャはゆっくりと剣を下ろし鞘に戻した。歓声は一切無い。模擬戦開始前とは真逆の静寂が訓練場を満たしている。観覧席に目を向ければ多くの目がサーリャに向けられている。その目に宿るのは戸惑いや恐怖など理解できないものを見るかのような感情で、決してサーリャに対して好意的なものではない。

 (これが今までルインに向けられていたものなのね)

 ルインも同じような経験をしたのだろう。今度はサーリャにその番が回ってきたのだ。気分のいいものではないが、それでも後悔など無い。それも併せて受け入れると決めたのはサーリャ自身だ。

 サーリャは何も言わずに黙って訓練場を後にした。


 サーリャが去った後の訓練場。先程までの静寂はすぐさま破られ、観覧席では模擬戦を見届けていた生徒が周囲の者達に思っていたことを口にしていた。

「おい、本当にあいつが勝ってしまったぞ」

「魔法が使えないんじゃなかったのかよ」

「詠唱なしでどうやって魔法が使えるんだ?」

「それよりもあれだけの魔法を撃てるって、彼女はどれだけ保有魔力があるんだ」

 話題に上がるのは知らない技術を使用したサーリャのことばかりで、キリアンに対する感想はほとんど出てこない。そんな中、訓練場に残されたキリアンは俯きながら突っ立っていることしかできなかった。



 ルイリアス王国の王城。王都の中心に位置し、これまであらゆる敵の侵入を許したことの無いその堅牢さは内外に広く知れ渡っており、王国民の誇れることの一つだ。

 そんな王城内は他国からの要人を招くこともあることから手入れが隅々まで行き届いており、高名な画家が描いた絵や一級品の工芸品などには埃一つ無い。そんな王城内の通路を一人の女性が歩いていた。

 キリっとした顔立ちで騎士団の制服に身を包んでいる彼女が歩くたびに後ろで一つにまとめたオフゴールドの髪が揺れる。コツコツと靴音が歩くたびに広い廊下に響き渡るだけで彼女以外周囲には誰もいない。時折すれ違う王城勤めの人間は彼女を見ると誰もが道を開け、敬意を示すように頭を下げる。

 一般人では早々に立ち入れるはずのない王城内を女性は迷いなく歩いていく。やがて扉の前に衛兵が控えている一際厳重そうな部屋の前にやって来ると、衛兵が静かに扉を開けて入室を許可する。

 中は部屋というよりホールと言って差し支えないほどの広さを有しており、女性は入室すると部屋の真ん中あたりまで進み膝をついて頭を垂れた。

 「陛下。ミラン・リルコット、ただ今帰還しました」

 「うむ。よく戻ってくれた。面を上げよ」

 威厳に満ちた声が頭を下げたミランに掛けられ、その言葉に従いミランは頭を上げた。視線の先には二人の人物がミランを見下ろしていた。一人はこの国の王であるルシャーナ・ヘルオンス。もう一人はその王の右腕で宰相の地位を任されているクレスだ。

 「そなたの活躍は聞き及んでいるぞ。各地で素晴らしい功績を挙げているそうではないか」

 「……そのようなことはございません。私は自分の手の届く範囲でしか人々を守ることができません」

 「それでもその積み重ねで多くの民が救われているのだ。その事実は変わることが無い故、卑下せずに誇っても良い」

 「勿体なき言葉でございます」

 王からの称賛を受け取りながらもミランはこれまでの活動の報告を詳細に報告する。王城から安易に離れることのできない王に変わって王国各地の情報を届けるのもミランの仕事だ。

 黙ってミランの報告を聞いていたルシャーナだが、あらかた報告をし終えたと判断すると満足そうに頷く。

 「報告ご苦労であった。そなたの報告は変に飾ったり、嘘偽り無くありのままを伝えてくれるから実に分かりやすい。さすがは我が国の英雄であるな」

 「お待ちください陛下」

 ルシャーナの言葉を遮るような形でミランは口を開いた。本来なら王の言葉を遮るなど言語道断だが、それでもミランは口を挟まずにはいられなかった。

 「私は英雄などと呼ばれる資格などありません。国の立場上、他の者の目がある場所では仕方ありませんが、この場でその呼び方はおやめください」

 ミランの言葉にルシャーナは気分を害した様子は無く、逆に悲しげに視線を落とした。ミランが何を言っているのか理解したためだ。

 「……やはりおぬしはまだ探しておるのか」

 ミランは黙って静かに頷くことで返事を返す。

 「私は大罪人です。間違った正義を振りかざし、王国のことを真に思っていた者へ剣を向けてしまいました」

 「待て。その件に関してはすでに言ったであろう。手を下したのはおぬしであるが、最終的にその決定を下したのはわしだ。おぬしはただ従っただけで真に責められるのはこのわしだ」

 「しかし……」

 「これ以上の問答は不要だ。この件はここまでとする。良いな?」

 王からそこまで言われてしまえばミランは何も言えない。ある程度の発言は許されているが、これ以上の反発は不敬になる。悔しさを滲ませながらも「わかりました」と引き下がった。

 「おぬしを呼び戻したのはこの話をするためではない……封印が破られる兆候を確認したのだ」

 「っ!その兆候を確認したのはいつなのですか?」

 先程までの暗い雰囲気などすぐさま消え去りミランの表情が引き締まる。話の内容がどれだけ重要なのか理解しているためだ。

 「確認されたのは五日前です。当時監視をしていた者が封印の一部に亀裂が入っているのを確認し、騎士団が緊急招集されました。そのまま破られるのかと思ったのですが、徐々に亀裂は自動修復されていき一旦状況は落ち着いたという状況です」

 クレスからの説明を聞きながらミランは眉を寄せながら考え込んだ。状況を聞く限りではあまり時間が残されていないようで、決して楽観視はできない。

 王国は一度魔獣達によって甚大な被害を出した過去がある。魔獣大量発生の兆候を見逃し放置してしまった影響でそれらが一挙として王都に進行してくるという事態があったのだ。当時動員できる騎士が総員で対応に当たったがそれでも数の暴力に圧し負けてしまい、このままでは王都内に侵入を許してしまうという状況にまでなった際に王であるルシャーナはある決断を下した、


 都市一つを囮とした魔獣の封印


 進行を止めなければならないが戦力が圧倒的に足りていない。今は無理でも戦力が整えばいつか対抗できる。苦渋の決断ではあったが、すでに住民は避難済みで他に案は出なかったことですぐさま採決された。

 封印によって滅亡を免れた王国はそれからというもの戦力増強を図ってきたが、いくら当時と比べて魔法技術が発展した今でも封印の中がどうなっているのか確認できない以上勝てるのかどうかはミランでもわからない。

 「すぐさま動ける騎士全員を集める必要があるかと思います」

 「うむ。わしも同じ結論に至った故にすぐさま命令を出した。数日の内にこの王都に集結するであろうが、最低限の戦力は残さなければならない以上戦力不足なのは否めん。だからこそおぬしを呼び戻した。必要な人材や物資はこちらで用意するので部隊の編成・指揮権の采配はおぬしに任せる」

 「わかりました。すぐさま行動を始めたいと思います」

 ミランは挨拶もそこそこに早足で部屋を後にした。


 国のトップ二人だけとなった玉座の間。ミランが出て行った扉を見ながらルシャーナは隣にいる信頼できる人物に声をかけた。

 「クレス。おぬしは今回の件をどう見る?」

 「……正直に申し上げるなら厳しいと言わざるを得ません。各地の魔獣被害を無視するわけにもいきませんから、今回動員できる戦力は全体の六割程度でしょう」

 「やはりそうか」

 ルシャーナは疲れたように溜息を漏らした。クレスがその結果を導き出したのなら、おそらくミランも同じ考えに行きついているだろう。玉座に座っている自分の身体がなんだか重く感じる。

 「幸いにも数日前に騎士学校を卒業した者が一定数います。その者達も動員すれば少しは戦力になるかと思います。在学中にある程度は魔獣との戦闘も経験していますし、今年の卒業生は例年に比べて実力が高いようです」

 「騎士になったばかりの者達を戦場に送るのか……」

 いくら実力が高くてもそれは騎士学校という枠組みの中での話だ。おそらく実践に出れば少なくない被害が出るだろう。

 彼らも大切な王国民だ。まるで道具のように使い潰すようなことはしたくないが、それでも彼らの力を頼らなければ状況はさらに悪くなる。選択肢が残されていないことにルシャーナは身を切られるかのような思いになり、思わず胸に手を当てる。

 「そう考えると〝英雄〟がどれほど大切な存在だったのか今更ながらに思い知らされますね。今こそその力が必要だと言うのに……」

 「……」

 本人はその意図は無いのだろうが、まるで責められているかのような発言にルシャーナはクレスの言葉に何も言い返すことができない。クレスの言う〝英雄〟が誰を指しているのか理解しているからだ——その者がどうなったのかも。

 「ミランは未だ探しておるのか?」

 「彼女の行動範囲から考えればそうなのでしょう。諦めたくないのでしょうね。死んだと報告していながらもどこかで生きていると信じたい気持ちがあるのでしょう……気持ちはわからなくもありませんがね」

 ミランはかつての魔獣大氾濫で目覚ましい戦果を挙げている。貴族としての立場も与えられ、王都で優雅に過ごすこともできるはずなのに未だ騎士としての立場にとどまっている。

 しかもわざわざ人の少ない辺境の地ばかりを優先的に訪れていることから彼女の目的は明らかだ。そして生きていることを諦め切れない者はミランともう一人いる。

 「娘は今どこにいるのだ」

 「報告では北方の山岳地帯にいるそうです。一応連絡はしておりますが、距離的にこちらに戻ってくるのは不可能かと思います」

 「あやつの事だ。たとえ近くにいたとしてもわしの言葉など聞き入れぬだろうよ」

 ルシャーナは悲しげに眉を落とす。ルシャーナには娘が一人いるが、その関係は修復不可能と言えるまでに冷え切っている。

 娘はかつての英雄から手ほどきを受け、忙しいルシャーナに変わって娘の良き話し相手になってくれていた。王族という立場上年の近い友人が少なかった娘は英雄に懐いていたのだが、その人物を父親が討つように命じ、そして討たれた。

 娘がどのような反応を示すかなど明らかだ。

 娘も相当な実力を持っているのだが、間に合わないのならば仕方ない。

 「今度こそ我らは生き残ることができるのか試されるのであろうな」

 先の見えない不安の中、ルシャーナはそう言うことしかできないのであった。



 その日の夜、ミランは行きつけのバーで突っ伏していた。別に酔いつぶれたわけでは無い。心境的には酔いつぶれたいが、残念ながら酒に強いミランはそんなことにはならない。普段の彼女からは想像できないほどのだらしなさだが、店内には今のところミランしかいない。

 空になったカクテルグラスの縁を指先でなぞりながらミランは物思いに耽る。

 「……何が英雄よ。私にそんな資格なんて無いのに……」

 思わずミランの口から愚痴がこぼれる。

 「ねぇマスター。ちょっと聞きたいことがあるのだけどいいかしら?」

 頭だけを動かしカウンターにいる男性に声をかけた。老齢であるマスターは周囲から英雄ともてはやされているミランであっても客の一人としか見ず、特別扱いしたりしない。

 洗い終えたばかりのカクテルグラスを拭いていたマスターは「なんでしょうか?」と動かしていた手を止めた。

 「自分が正しいと思って行動したことが実は間違っていて、そのせいで取り返しのつかないほど相手を傷つけてしまったとしたらマスターならどうするのかしら?」

 「傷つけた……ですか。相手の方には謝罪はされたのですか?」

 「もうその人には会えないの」

 ミランの言葉から何かを察したのか、「そうですか」と相槌をうった後、顎に手を当ててしばらくマスターは考え込んだ。

 「もしかするとあなたはまた同じように誰かを傷つけるかもしれないと考えているのですか?だからご自分の行動に自信が持てず迷っていると」

 「……驚いたわ。まさかそこまで言い当てられるなんてね」

 悩みを言い当てられたことにミランは自虐的な笑みを浮かべる。

 あの日、間違った正義のもとに親しかった相手を手に掛けたことはミランの中で消えることの無い傷として残っている。

 今でもあの時のことははっきりと覚えている。自分の放った魔法が相手の身体を確実に貫いたことを。怒り・絶望・諦め。いくつもの感情が混ざり合いながら力なく谷底に落ちていくその様子も……

 魔獣を狩るだけなら特に気にするようなことではないが、時には人を相手にすることも少なくは無い。その時自分はいつも通り剣を振るえるのだろうか。もしかしたら間違っているのは自分ではないのか?そう考えるといったい何を信じて自分は戦っていけばいいのだろう。

 「あくまでも私個人としての意見ですが、そんな悩みなど捨ておきなさい」

 しかし目の前の男性はそんなミランの悩みをバッサリと切り捨てた。

 「なっ⁉」

 「誰にだって間違いはあります。一度も間違えることなく生きていくことなどできません。大切なのはその間違いを次に活かせるかどうかでしょう?間違えることに怯え、その経験を活かせないようでは傷つけた相手にも失礼です」

 「それはマスターも経験があるのかしら?」

 「もちろんです。私の未熟さが原因でせっかく来ていただいたお客様を不快にさせてしまったことが何度もあります。その経験を私は決して無駄にせず活かすことで今の私があるのです」

 ミランは自然と突っ伏していた体を起こしてマスターの真剣な言葉に耳を傾けていた。頬を張られたような衝撃がミランの頭に響く。

 騎士は相手と命の奪い合いをする仕事である。そこには相応の覚悟が必要となり、中途半端な気持ちではいられない。これまで自分の事ばかりに意識を向けてしまい大切なことを見失ってしまっていた。

 「少し説教っぽくなってしまいましたね。すみません」

 「いいえ。助言ありがとうございます」

 ミランは心からの感謝をマスターに伝えた。その顔は店に入って来た時の暗さなどすっかり無くなり、吹っ切れたように明るくなっていた。



 ミランがバーで飲んでいる頃、遠く離れた森の中にポツンとある一軒家では騒がしい声が響いていた。

 「ちょっとルイン!なんて格好をしているのよ⁉」

 「着替えを持って行くのを忘れたんだ。仕方ないだろう」

 「だからって裸でうろつかないでよ!」

 入浴を終えたばかりで髪が濡れたままのルインは腰にタオルを巻きつけただけの姿だ。顔を真っ赤にしながら横を向くサーリャだが、目はちらちらとルインの方に向けられその裸体が何度も視界に入る。

 「……俺は気にしないが?」

 「私が気にするの‼いいから早く服を着てよ!」

 「仕方ないな」

 ぶつぶつと文句を言いながらも部屋に向かおうとしていたルインをこっそりと見ていたサーリャはあるものを見つけた。

 「ちょっと待ってルイン。その傷はどうしたの?」

 「傷?」

 「ほら、左肩のところ」

 サーリャは自分の左肩を指さしながらルインに場所を教える。ルインの左肩——少し胸寄りの辺りに火傷の痕があった。火傷の痕と言っても火傷にしては範囲が狭く、サーリャが手を広げれば隠れそうなぐらいだ。場所的にここまで限定的な範囲になるのは珍しい。まるで魔法で撃ち抜かれたかのような傷痕だ。

 「あぁ。これは俺の甘さが招いた結果だな」

 ルインはサーリャが示した火傷をそっと触れる。

 「甘さ?」

 ルインの言っている意味が分からずサーリャは首を傾げる。

 「これは俺が傷つけたくないなどと甘い考えで躊躇った果てに〝敵〟から受けた傷だからな」



 捨てられた都市——ルルミラ。

 多くの魔獣を閉じ込めるこの都市は常に霧に覆われているため、日中であっても不気味なほどに薄暗い。巡回する騎士以外誰も足を踏み入れないルルミラで変化があった。


 ビシッ


都市をすっぽりと覆うドーム状の障壁の一部に亀裂が走った。最初に入った亀裂を中心にして周囲にどんどん広がっていき、やがて障壁をぶち破って何かが内側から飛び出てきた。

 それは人など簡単にへし折れるのではないかと思えるほどの太く巨大な腕だった。太い腕は全体が黒い体毛に覆われており、明らかに獣の特徴を備えている。

 突き破ってきた腕は上下左右でたらめに動かし、開けた穴をどんどん広げていく。徐々に穴が広がっていく中とうとう限界が訪れ、まるでグラスが割れたかのような甲高い音を立てて障壁が割れ、割れた場所から連鎖的に広がって都市を覆う障壁全てが砕け散った。

 割れた障壁は光の粒子へと変わっていきまるで雪のようにゆっくりと落ちてくる中、役目を果たした腕はゆっくりと腕を戻していく。

 腕の主はゆっくりと障壁があった場所に向かって一歩を踏み出した。これまで忌々しい障壁に阻まれて先へと進むことができなかったが、今は違う。周りにいた魔獣達もつられるように一体、また一体と動きだしていく。

 もはや自分たちは自由だ。これからは好きに生きていけるが、やるべきことがある。自分達を長い間この地に縛り付けた存在に復讐をしなければ。

 魔獣達は鋭敏になった感覚で憎むべき存在が多くいるであろう方向に向かって進み始める——その先にあるものをすべて壊すために。

 災厄がとうとう動き始めた。



 「すみません。依頼達成の手続きと回収した魔核の買取もお願いします」

 「わかりました。手続きをしてきますのでしばらくお待ちください」

 依頼書を受付に渡したサーリャは鑑定が終わるまでの間、受付カウンターにもたれかかりながら待っていた。

 騎士になってもうすぐ一か月になろうとしている。サーリャは積極的に依頼をこなし続けていた。報酬額は気にせず解決できそうな依頼であれば小さな村にでも赴く。一つ一つの利益は僅かだ、達成量が多いので生活に困るようなことには今のところなっていない。

 「そういえば今日はルインの家に行く日だったわね」

 特別課題を終えた日からサーリャは月に数回、無詠唱魔法の指導を受けるためにルインのもとを訪れている。壁に掛かっていたカレンダーを見て今日がその日だとすっかり忘れていた。

 (今日の夕食はどうしようかしら。相変わらずルインって一人の時はパスタしか食べないわよね。毎日食べているのによく飽きないわね)

 必要なら何か買っていこうかと考えていたところで背後から声がかかった。

 「お待たせしました。無事に手続きが終わりましたので報酬をお受け取りください。魔核の買取金額も一緒にまとめておきました」

 「ありがとうございます。それじゃあ私はこれで——」

 「ああ、ちょっと待ってください。今日はサーリャさんにお客様がいらしてます。別室に案内しますのでついて来てください」

 「はぁ……いいですよ」

 相手に心当たりがないサーリャは首を傾げながらも相手の待つ部屋まで移動し、扉に手をかけた。



 ルインはいつものようにリビングで魔法研究のため分厚い本を片手に思いついたことを手元の紙に書き込んでいく。他人が見れば落書きにしか見えないこともルインにとっては貴重な情報となっており、どんな理由で書き記したのかもすぐさま思い出すことができる。

 しかし、今日は普段よりも集中できないでいた。体調が悪いわけでは無い。なぜ集中できないのか理由は分かりきっている。ルインはその原因に目を向けた。

 「ルイン、食器って他には無いの?できれば深みのあるお皿がいいのだけど」

 「それなら食糧庫の扉前にある箱を開けてみろ。使っていない予備の皿がいくつかあったはずだ」

 「……ホントだわ。ありがとう。ついでにお鍋もどこにあるか教えて欲しいのだけど」

 こんな調子でサーリャは訪ねて来るなり、いつもの魔法の特訓をするわけでもなくキッチンを占領し、設備をフル稼働させながら忙しそうに料理を作り続けている。いったい何人分作るつもりなのだろうか。

 魔法の特訓をしないのならばルインも好きにさせてもらおうと思っていたが、こう何度も呼ばれては進むものも進まない。

 「ルイン~。ちょっと手伝ってほしいのだけどー!」

 再びサーリャから声がかかり、ルインは自分の作業を進めることを諦め仕方なく本を閉じた。


 夕食の時間。ルインは目の前に並べられた料理に圧倒されていた。

 「今日はいつもにも増して量が多いな」

 「そうかしら?いつもと同じくらいだと思っていたわ」

 「これが普段の食事量ならサーリャの食事量はとんでもないことになるぞ」

 サーリャは特に気にした風でもなく首を傾げる。

 ルインは別に小食ではないと自分では思っている。人並みには食べるし、日によっては普段よりも食事量が多くなることもあるが、あくまでも一人分の枠組みの中で納まっている。

 しかし今目の前には山盛りのサラダやスープ、香りのある薬草と一緒に焼かれた肉料理などがテーブルの上に隙間なく並べられており、明らかに二人で食べきれる量ではない。

 「安心して。食べきれなくても小分けにしておけば明日でも食べられるわ。保存魔法のかかっているあの部屋なら傷む心配もないしね」

 「まぁ、確かにそうだな」

 「ほら、早く食べましょう。是非とも感想を聞かせて欲しいわ」

 どうやら新作を作っていたらしい。妙にうきうきしたサーリャに促される形でルインは席に着くのであった。


 夕食を終えた二人は食後のお茶を堪能していた。もちろん食べきれなかった分は小分けにしたうえで食糧庫にしまってある。

 「それでどうだった?香草焼きって私初めての料理だったのだけど」

 キラキラと期待する眼差しでこちらを見てくるサーリャにルインは少し居心地悪そうに身じろぎする。

 「……そうだな。味付けに関しては何も言うことは無いな。少し香りが強いのが気になったからもう少し量を減らしてもいいかもしれないな。……それでも美味しかったな」

 「ふふっ。良かったわ。あっ!そういえば言い忘れていたけど、私しばらくこっちに来れそうにないからある程度作り置きをしておいたわ」

 ルインからの感想に満足気だったサーリャは突如思い出したかのように目の前でポンッと手を合わせた。ルインは口元に運んでいたカップを一度離す。

 「ほう。騎士の仕事か」

 「そうなの。ちょっと王都から離れた場所に向かうことになるから、またここに来られるのがいつになるのかわからないの。料理は食糧庫に運んであるわ」

 ルインは確認のつもりで食糧庫へと向かう間もサーリャの説明が背後から続く。

 「どうせルインのことだから私がいないとパスタばかりでしょ?だから少しでもバランスのある食事を用意しておいたわ。私の配慮に感謝しなさいよね!」

 「それはそれは。料理人のサーリャ殿には感謝しなければならないな」

 軽口を返しながら扉に手をかけたルインはそのまま中に入ってサーリャの言う料理を確認した。

 「……」

 黙って料理の数々を確認したルインは一通り確認すると再びサーリャのいるリビングに戻ってきた。リビングでお茶を飲みながらサーリャは誇らしそうな表情でルインを見ている。

 「どう?かなり作りすぎちゃったけどバリエーションは豊富でしょ?あれだけあれば毎日飽きずに食べられるでしょ」

 「あぁ。確かにバリエーションは豊かだったな。あれだけの種類があるなら確かに飽きることは無いとわかる」

 ホッとした表情を見せ胸に手を当てるサーリャにルインはさらに言葉をつづけた。

 「ここに戻って来れないこともな」

 不気味なほどの静寂が二人を包み込んだ。サーリャは胸に手を当てたままの状態で固まっている。

 「い、いや~何を言っているのよ。言ったでしょう?しばらく来ることができないから作り置きをしたって」

 「ただの作り置きなら料理を作るだけで済む話だろう。ならば何故すべての料理にレシピが一緒に添えられている?」

 「っ!」

 「そもそも今日のサーリャはどこか違和感があった。家に来るなり特訓そっちのけで料理に没頭していた。普段よりも明るく振舞おうとしていたのもバレバレだ」

 ルインはサーリャの態度の変化には気づいていたが、てっきり無詠唱を使うサーリャへの当たりが強くなった影響程度だと考えていた。しかし、まるで会うのが最後だと言わんばかりの今日の行動は無視するわけにはいかない。

 「いったい何があったんだ?」

 「ははは……ルインに隠し事はすぐにバレちゃうわね」

 乾いた笑い声とともに俯くサーリャにルインは何も言わず、彼女が自ら話し始めるのを待つ。しばらく無言が続いた後ようやくサーリャが口を開いた。

 「ルインってさ……ルルミラって知っているかしら」

 「ああ。たしか、かつてあった魔獣の大氾濫の際に倒しきれなかった魔獣達を封印した都市の名だな」

 「実はね、その封印が破られたらしいの。封印を破った魔獣達は王都を目指していて迎撃のために騎士全員に召集がかかったわ。……もちろん私にも」

 俯いていて表情は見えないが、沈んだ声からサーリャの心境が分かる。

 「無詠唱で魔法が使えるし実戦経験も特別課題の結果で一定の基準を満たしているから最前線とまではいかないけど、それなりの激戦区へ配置されるみたいなの」

 更にサーリャの話を聞いていくと相手の規模が大きく、ほぼ総力戦になるらしい。王都とルルミラとの間に存在する平原を戦場と定め、迎え撃つようだ。

 (それにしてもまさか無詠唱の影響がこんな形で返って来るとはな……)

 ルインはタイミングの悪さに嘆きたい気分になる。無詠唱は周囲から異質な存在として認識されているから下手なちょっかいはされないと思っていた。だからこそこれまでサーリャは自由に動くことができていたのだが、まさか無詠唱が使えることで逆に戦力として数えられるとはルインも想定していなかった。無詠唱が使えなくても戦力として数に入れられることには変わりは無いのかもしれないが。

 「意味の無い質問だとは思うが、逃げるつもりはないんだな?」

 幸いにもルルミラの軍勢が目指しているのは王国だ。他国へ逃げればまだ生き残れるチャンスはあるだろう。ルインの言葉にサーリャは静かに首を横に振る。

 「騎士になったからにはここで逃げるわけにはいかないわ。守れる人になるために私はこれまで頑張ってきたから」

 サーリャは覚悟を決めた表情で真っ直ぐルインを見返す。自分の選んだ道に後悔は無いのだろう。

 「あ、そろそろ帰らないと!それじゃあ今までありがとうね。こんな私を騎士にしてくれたことは決して忘れないわ」

 ルインが何かを言うよりも前にサーリャは早口で言いたいことを言うと、慌ただしく出て行ってしまった。

 「……最後まで騒がしい奴だったな」

 一人になったルインはカップを片付けようとサーリャの席に近づいて——気づいてしまった。

 慌てて立ち上がった際に落ちたのだろう。カップに入っていたものとは別の水滴がいくつもテーブルの上に残されていた。



 封印が破られて一週間。

 遠くまで見渡せることのできる平原には早朝からかつてないほどの人が集まっていた。深い堀や柵などが至る所に設置され、騎士はそれぞれ所定の持ち場で最終確認を済ませていく。そんな中、後方に設置された天幕内では数人の騎士が集まっていた。

 「ミラン様。各部隊、皆所定の位置で準備が完了しています」

 「わかりました。各部隊への連絡状況に不具合は?」

 「今のところ魔力通信に支障はありません。万が一に備え伝令を何人か待機させています」

 「医療体制、および物資の確認も問題ありません!」

 次々と入ってくる報告を聞きながらミランは見落としが無いか入念に確認していく。

 「ならばあとは戦いが始まってからですね」

 ミランは天幕を出てこれから戦場と化す平原を見下ろす。

 「皆さん!」

 ミランの声が魔法の力によって戦場全体に響き渡り、誰もが手を止めミランの言葉に耳を傾ける。

 「これから先、想像もできないほど激しい戦いが待ち受けているでしょう。多くの仲間が傷つき倒れてしまうかもしれません。それでも!私達は決して逃げるわけにはいきません。私たちの後ろには多くの王国民がいるのです。一体でも見逃せば抜けた先で破壊の限りを尽くすでしょう、それでも、そんな結果は起こらないと私は知っています」

 ミランは自分の想いを嘘偽りなく言葉に乗せる。

 「皆さんはこれまで王国を守ってきました。だからこそ今回もその結果は変わりません。全員が力を合わせれば越えられない問題など無いのですから」

 ミランは一旦言葉を区切り一番伝えたいことを——心の底からの願いを口にする。

 「守りましょう私達の国を。そして私達の生活を」

 言い終えると静寂が戦場を満たした。数秒の静寂の後、空気が震えるほどの歓声がミランの耳に届いた。不安だった者達がミランの言葉に奮い立ち、自分達の帰るべき場所を守ろうと気合を入れる。

 「それでは私も持ち場へと向かいます。全体指揮はお任せします」

 「はい。こちらはお任せください」

 英雄と持て囃されるミランでもここまでの大規模な人数の指揮は取ったことが無い。ミランは最前線で動き、指揮は別の者に任せるのが適材適所だろう。

 自分の持ち場である中央まで移動したミランはふと自分の右隣りを見た。ミランの動きについていける者がいないためミランは自分の部隊を持っていない。当然右隣には誰もいない。

 「駄目ね。いつまでもこんな感情を引きずっていちゃ」

 誰もいない場所に寂しげな視線を向けていたミランは気持ちを切り替えようと努める。ここからは余計な感情を持ちながら戦う余裕など無い。それに自分の決意はすでに皆に向かって口にしたのだ——守りきると。

 彼の夢を奪ったのならば自分がその夢を叶えよう。それこそが今の自分に与えられた役割だ。

 ミランの決意が固まるのを待っていたかのように変化が訪れた。変化にいち早く気が付いたミランは勢いよく変化を感じ取った方向に振り返る。

 視線の先にあるのは小高い丘があるだけ。しかし上から徐々にその丘が黒く染まっていく。その様子は離れた位置からでもはっきりと視認することができる。

 「わかってはいたけれど、やっぱり多いわね」

 覚悟していたとはいえ目の前の現実にミランは呻くしかない。種族はバラバラで本来なら共生・共闘などできるはずの無い魔獣達が、周りには目もくれず一直線にこちらへと向かって来ている。まるで黒い波が迫ってきているかのようだ。

 ミランはカイトシールドと剣を魔法で呼び出して装備すると、一呼吸ついたあと鋭い目つきで迫りくる脅威を睨みつけた。

 「ここは絶対に通さない‼」



 そろそろ昼時に差し掛かる時間帯。ルインは自室のベッドの上で何をするわけでもなく寝転がっていた。いつものように研究を続けようと思ったのだが、なぜか気分が乗らなかった為にこうしてゴロゴロと時間を潰している。

 「そろそろ何か食べるか……」

 カチッカチッと時計の音が響く中、空腹を感じたルインは気だるげに起き上がった。食糧庫に入ったルインは手軽に済まそうと作り置きされた料理の一つに手を伸ばす。わざわざ一食分に小分けされた器を持ち上げた際に何かが床に落ち、小さな音を立てる。

 「ん?」

 ルインが床に目を向けるとそこには一冊のノートが落ちていた。ルインが持ち込んだ覚えは無いのでサーリャが持ち込んだのだろう。料理を一旦棚に戻したルインはノートを拾い上げて中身を開いた。

 「本当にアイツは几帳面だな」

 中には手書きで料理のレシピがびっしりと書き込まれていた。わかりにくい所には丁寧にイラストまで添えられている。

 パラパラと流し読みしていくが、手の込んだ料理は少なく手軽に作れるものが多い。わざわざそこまで考えているサーリャの行動に感心するべきなのか呆れるべきなのかわからずルインは小さく笑う。

 最後のページを捲ったところでルインの手が止まった。最後のページはレシピではなくたった一言のメッセージだけが書かれていた。


 「これを見て少しは料理ができるようになりなさい。パスタばかりなんて許さないからね」


 表情を変えず黙って最後のメッセージを見ていたが、気が済むとパタンとノートを閉じ——何事も無かったかのように料理に手を伸ばした。



 戦闘が始まって既に数時間が経過した。頭上の太陽は真上から大きく位置を移動し、少しずつ下がり始めている。その間に状況は大きく変化していた。各地で激戦が絶え間なく続き、その情報が絶えず指揮所にもたらされる。

 「第一部隊被害甚大!戦線が押され始めています!」

 「後方に戻していた第六を向かわせろ。第一は緩やかに後退しながら第六との合流を優先しろ」

 「観測班から報告!敵の左翼が伸び始めています。このままでは第四が囲まれてしまいます!」

 「くっ!ならば後方の部隊を再編成して向かわせろ。囲まれる前に何としても足止めするんだ」

 全体指揮を任されているレジウェルは息をつく暇もなく次々と指示を出していく。数年後には六十歳を迎えようとしているが気迫は全く衰えておらず、鍛え抜かれた肉体は今もなお現役として活躍できる。

 そんなレジウェルからはすでに余裕が無くなっており、続々と寄せられる悪い知らせに表情を険しくしていた。

 状況は時間が進むにつれて悪くなる一方だった。数の力とはやはり驚異的で、騎士団が総力をもってしても抑えきれるものではなかった。三重に設定していた防衛線もすでに第二まで後退を余儀なくされ、その第二もそろそろ維持できなくなり始めている。

 「中央の状況はどうなっているか!」

 「ミラン様の奮闘により辛うじて持ち堪えております。しかし、それでも時間の問題かと……」

 「……仕方ない。ならば各地に向かわせた応援が合流次第緩やかに戦線を下げろ。最終防衛線まで我々は後退する」

 その言葉に周りの者は思わずレジウェルの方に振り返った。皆一様に顔が青ざめている。彼らの気持ちは痛いほどに分かる。ここを抜かれてしまえばもはや魔獣達を止めるものは何も無い。それでも戦線を下げなければ瓦解してしまう。

 「何をしている。早く全部隊に連絡しろ」

 その言葉で我に返った部下たちは慌てて指示を出すために動き始める。そんな彼らを見ながらレジウェルは己の無力さに思わず拳を握りしめた。



 戦場の左端——第四部隊に配属されたサーリャは絶え間なく押し寄せる魔獣達を相手に剣を振り続けていた。今も魔力を足先に集め、鋭い刃に変化した鳥型の魔獣相手に剣を振り切り結ぶ。そんなサーリャの横を魔獣達が通り過ぎていくのを視界の隅で確認すると、すぐさま近くにいた仲間に警告を飛ばした。

 「キリアン!」

 「わかっている!そんなことでわざわざ俺を呼ぶな!」

 近くにいた仲間——キリアンはすぐさま抜けてきた魔獣達とぶつかり、他の騎士も遅れるようにして新たな魔獣との戦闘に入る。

 キリアン達が抜けた魔獣達の対応を始めたのを確認すると、サーリャは意識を目の前の戦闘に戻す。先ほどまで切り結んでいた鳥型の魔獣は仕留められなかったのを悟るとすぐさま飛び上がってしまい、上空からこちらを見下ろしている。

 剣の届かない位置まで離れてしまった相手にすぐさまサーリャはその大きな翼に照準を定めて魔法を発動させる。

 左手からバチバチと雷光が迸り、まるで弾丸のような魔法が一直線に目標へと飛んでいく。雷撃は体を守っているはずの魔力などものともせず、相手の翼に決して小さくはない穴を空けた。

 空に留まることができず墜落するように落下してくる魔獣にサーリャはすぐさま飛び込み、空中で剣を一閃させた。魔獣は空中で真っ二つとなり、滝のように血を撒き散らせながら二つの肉塊となって地面に落ちる。

 「はぁはぁ。次は!」

 「そこの騎士、前に出すぎだ!そのままだと囲まれるぞ。戻ってこい!」

 背後で落下した肉塊に目もくれず次の獲物に向かって駆け出そうとしたサーリャだったが、同じ部隊に配属されたベテラン騎士からの叱責が飛んできたことでサーリャはハッと我に返った。同じ場所で戦っていたはずなのにいつの間にか先陣を切って前に進んでおり、仲間達から大きく離れ孤立しかけている。

 すぐさま仲間の元へ戻ろうとするが、そんなサーリャに新たな魔獣が襲い掛かってきたために中断せざるを得なかった。

 「倒しても倒してもキリがないわね」

 新たな魔獣を相手にしながらサーリャは吐き捨てるように内心の思いを口にする。戦いが始まってから何体の魔獣を屠ってきたかわからない。決して少なくはない数を屠ってきたはずなのだが、こちらに向かってくる相手の数は減ったように思えない。

 何よりも向ってくる敵の強さが尋常ではないのだ。

 身に纏う魔力は堅牢で、攻撃魔法を数発当てなければ引き剝がすことができない。魔獣の肉体自身もあちこちが変質しており、中にはバランスなど度外視したような変異をとげた相手もいた。

 ルクドの大森林——とまではいかないが、それに近い力を一体一体が持っているのだ。いくら練度の高い騎士達でも分が悪すぎる。

 すでに何人もの騎士が負傷し後ろへ下がっているためジリジリと後退を余儀なくされている。それでもサーリャは諦めず剣を振るい続け、魔法を撃ち込み出来る限り戦線を下げないように努める。自身の体は返り血であちこちが染まってしまい、大小いくつもの傷で陶器のように滑らかな肌には血が滲んでいる。

 いったいいつまで戦い続けなければならないのだろうか。そう思っていた矢先、視界の隅にあるものを捉えた。

 「……亀?」

 ひしめく魔獣達の隙間から一体の亀が見えた。亀と言っても全長が三メートル程もある大きな亀だ。体の色が不気味に変色し、魔獣の群れの中にいるところを見るとあれも魔獣の一種なのだろう。

 亀本来の鈍重な動きは魔獣に変化しても変わらず、後続の魔獣にどんどんと追い抜かれている。——あの動きでよくルルミラ内での激しい生存競争を生き残れたものだ。

 そう思っていたサーリャの視線の先でその亀が大きく口を開けた。限界まで開かれた口は何かに食らいつくわけでもなくただ開いたまま。しかしサーリャはその行動の意味が理解できず不気味に感じた。

 目を奪われたかのように遠くにいる存在に注意を向けていたサーリャだったが、自身に落ちてきた影に気が付き慌てて剣を頭上に掲げる。サーリャを押し潰そうとしていた魔獣の攻撃が寸前のところで防がれる。

 (この胸騒ぎはいったい何なの?なぜだかわからないけどアレから目を離しちゃいけない気がする)

 はっきりとしない感覚に焦燥感を持ち始めていたサーリャの表情がすぐさま凍り付いた。

 亀の魔獣が一瞬周囲の魔獣の体に隠れて見えなくなったと思ったら、次に現れた時には口の中に怪しげな光が輝いていた。

 「全員!今すぐ左右に散ってぇ‼」

 悲鳴のようなサーリャの警告はすぐさま轟音にかき消された。亀の口から放たれた光の奔流が進路上にあるものを全て吞み込み、命を刈り取っていく。魔獣も人も関係ない。

 身を投げ出すことで辛うじて回避することができたサーリャだったが、起き上がって目に飛び込んできた惨状に絶句した。

 「こ、こんなの……」

 光が消えた先には何も残っていなかった。先ほどまでひしめき合っていた魔獣も、直前までサーリャと対峙していた魔獣もまるで最初からいなかったかのように消え失せていた。

 広範囲の魔法攻撃。たった一発の魔法でサーリャ達に迫っていた脅威がいとも簡単に消し飛んだのだ。味方だったはずの存在も——いや。初めから仲間意識など無かったのかもしれない。

 そして魔法による被害は魔獣達だけではない。

「おいっ!しっかりしろ!!」

「だ、誰か……たす……け」

「腕が!!俺の腕があぁ‼」

 避けきれなかった仲間があちこちで傷つき倒れ凄惨たる有様だ。キリアンも辛うじて避けることができたのか地面に転がっている。

 「動ける者はすぐさま負傷者を運び出せ!本部から最終防衛線まで後退せよと指示が下った。自力で動ける者は魔法で魔獣達を牽制し続けろ。決して近づけさせるな!」

 呆然と立ち尽くすサーリャから少し離れた所で指揮官らしき人物が声を張り上げて指示を出している。仲間を運び始めている中、サーリャは魔獣達がいる方向に向き直り今の自分が展開できる魔法を最大数で展開させる。魔法陣がまるで味方を守る壁のようにサーリャの左右を埋め尽くす。

 「ここは通さない!」

 攻撃魔法の展開速度が早い自分がするべきことは仲間の救助作業ではない。決意と共に放たれた魔法は黒い波の最前列に殺到する。威力は下がっているが圧倒的密度の攻撃によって削られ続け、あちこちで身を守る魔力という鎧を剝がされた魔獣がズタズタにされていき地面に沈んでいく。

 死を恐れないのかそれとも理解できなくなるまで堕ちてしまったのか、仲間の屍を踏み越えて進み続けてくる。負傷した仲間の何人かもサーリャと同じように魔法を撃ち込んでいくが、無詠唱ではない分連射力に劣り自身の魔力を使うため長くは戦えない。

 両者の間をいくつもの魔法が飛び交う中、必死に流れを押し留めようとしていたサーリャは目にしたものに思わず絶望にも似た声を上げた。

 「そんな!まだ撃てるの⁉」

 亀の魔獣が再び口を開けてこちらに狙いを定めている。

 「いかん!総員退避しろ‼」

 指揮官も相手の変化に気が付きすぐさま警告を発するが、射線上にはまだまだ負傷者が残っている。仲間を見捨てることができずその場に留まる者達に向かって光の奔流が再び襲い掛かる。そのまま全員が跡形もなく光に包まれるかと思われたが、直前で何かにぶつかり周囲に光が散る。

視界が焼かれそうになるほどの白さの中、光の中心に一人の少女が立ち塞がっていた。


 「くううううぅ!」

 吞み込まれれば自身の体など一瞬で消し飛んでしまう攻撃をサーリャは正面から受け止めていた。苦悶の表情を浮かべながら魔力障壁を展開し、破られまいと意識を目の前のただ一つに注ぐ。

 「サーリャ・ブロリアス!」

 「今のうちに避難してください!ここは私が抑えます!」

 「しかし……」

 「早く!これもそんなに長くは保ちません」

 「……すまない」

 指揮官が走り去っていく音を聞きながらもサーリャは決して振り返らない。実際のところかなりギリギリの状態で、現状を維持するのが精一杯だからだ。

 攻撃を受け止め続け、ピシリと僅かなヒビが入ったのを確認したサーリャはすぐさま周囲から魔力を搔き集め、薄くなった障壁に注いで修復する。削れては修復するということを繰り返し、できる限り長く現状を長引かせる。

 しかし相手もなかなか障壁を破れないことに苛立ちを覚えているのか徐々に出力が上がっている。制御量に限界があるサーリャではこのままだと持ち堪えられなくなる。


 バキッ


 そんなサーリャに追い打ちをかけるように再び障壁にヒビが入る。今度は先程とは違い明らかに嫌な音をたてた。

 (まずい‼)

 このままでは障壁を突き破ってくると思われたが、完全に破られる前に障壁が急速に修復され始めヒビの範囲が小さくなる。サーリャはまだ供給量を上げていない。

 「いったい何をしている。この場を任せてくれと言ったのはお前ではなかったのか!」

 「キリアン⁉どうしてあなたが!」

 いつの間にかサーリャの隣に立っていた人物に今気づいたサーリャは驚愕に目を見開く。避難しているはずだと思っていたキリアンがサーリャの障壁に魔力を注いでいた。

 「俺を舐めるなよサーリャ・ブロリアス」

 玉のような汗を浮かべながらも覚悟を決めた表情でキリアンはサーリャを見返す。

 「俺は騎士なんだぞ。騎士は守ることが使命なんだ。目の前で必死に戦っている奴がいる中、無様に戦場から逃げ出すわけにはいかないだろうが‼」

 「キリアン……」

 「お前に頼るのは癪だが、手伝ってやる。悔しいがこの場はお前に任せるのが適任だろうからな」

 これまでの自分に対する彼の態度は決して褒められたものではない。それでも身の危険を顧みずこうして誰かを守るために戦っている。この折れることのない意志の強さはまるでもう一人の自分を見ているかのようだった。

 同じ思いを持つ〝仲間〟に「ありがとう」とそれだけを伝えたサーリャは前を見据える。しかしキリアンが援護に入ってくれたとはいえそれでも目の前の敵は強大過ぎた。

 これまでよりもさらに輝きを増した光が障壁にぶつかる。もはや修復など間に合わなくなり、障壁全体にヒビがどんどんと広がっていく。サーリャは周囲からだけでなく自身の魔力も総動員していくが、焼け石に水だ。

 「こ、これはちょっと……」

 「くっそおおおお!」

 これまで多くの仲間を守ってきた障壁はとうとう限界を迎え、ガラスが割れたような甲高い音を響かせながら粉々に砕け散った。

 「きゃああああぁ‼」

 至近距離で巻き起こった爆発にサーリャは木の葉のように大きく吹き飛ばされる。障壁である程度威力は弱まっていてもその威力は決して小さくは無い。後ろへと吹き飛ばされたサーリャはゆっくりと頭だけを起こす。

 近くにいたキリアンも爆発の衝撃で吹き飛ばされて離れた場所で倒れている。僅かに身じろぎしているので生きてはいるようだ。吹き飛ばされた際に手放してしまったようで、少し離れた場所にサーリャの剣が落ちている。

 「……えっ?」

 腕を伸ばして剣を取ろうとしたサーリャだったがなぜか腕が上がらない。別に腕が吹き飛んだわけでも感覚が無くなっているわけでもない。ただ力が入らないのだ。腕だけでなく全身が鉛のように動かなくなっている。この症状をサーリャは一度経験している。

 「魔力欠乏症⁉」

 先の障壁を維持するために自分の魔力を使った影響なのだろう。仕方なかったとはいえこの状況はまずい。これでは守ることも逃げることもできない。

 視線の先ではサーリャにとどめを刺すべく魔法が収束していく。

「動いて……動いてよ!」

 サーリャは必死にその場から離れようとするが、まるで自分の身体ではないかのようにピクリとも動かない。

 先の二発とは違って、圧縮された魔力弾がとうとうサーリャに向かって放たれる。迫ってくる死にサーリャはとうとう直視できなくなり思わずギュッと目を閉じた。何も見えなくなった暗闇の中、一人の顔が浮かんできた。誰も信じられないと言ったように冷たい表情を向けながらも、時折見せる優しげな表情をする彼は——。

 魔力弾がとうとう着弾し、大きな爆発が巻き起こった。爆風が吹き荒れ近くにある物を遠くへと吹き飛ばす中、サーリャも自身を襲う突風に耐えた。うつ伏せに倒れているが、少しでも気を抜けば再び吹き飛ばされかねないほどの勢いだ。

 (あれっ?なんで私は生きているの?)

 何が起こったのか知るために閉じていた目を開くと、目の前に一枚の魔力障壁がサーリャを守るように展開していた。

 「一体誰が……」

 そう思ったところでサーリャのすぐ隣から土を踏みしめる音が聞こえた。

 「一つ言い忘れていたことがあった」

 「っ!」

 聞き覚えのある声にサーリャは驚きのあまり言葉に詰まる。聞き間違いだと思う一方で、そんなはずはないと即座に否定する自分がいる。もう聞くことは無いだろうと思っていた声を聞くことができて、サーリャの頬を一筋の涙が流れ落ちていく。

 「元々は無詠唱魔法を教える対価として食事をそっちが作るという条件だったはずだ。だがあの日、魔法の指導をすることなく料理を用意しそれどころか普段よりも多くの食事を用意してくれた。一方的に何かを受け取るわけにはいかないから俺は受けた分だけ返さなければならないが、その相手が死にかけている……俺は恩知らずな人間になるつもりは無い」

 少し苛立っているような声が聞こえてくる。

 「その辺りお前はどう思っているんだ?サーリャ・ブロリアス」

 いまだ自由に動かすことのできない身体だが、首だけを動かして傍にいるであろう人物の顔を見る。全身はボロボロで泥だらけ。顔は涙に濡れてみっともない姿だが、それでもサーリャは普段と同じように軽口をたたく。

 「ようやくあなたが困らせることができると思っていたのに残念ね。それと何度も言わせてもらうけど、私の名前はお前じゃなくてサーリャよ——ルイン!」

 傍に立っていたのはサーリャが知る限りで他に比べる者がいないであろう最強の存在だった。


 ルインに起こされ近くの岩にもたれ掛かりながらサーリャはルインの手当てを黙って受け入れていた。手早く作業を進めていく間も目の前に展開された障壁には絶え間なく魔獣達からの攻撃が飛んできている。しかしただの一つも障壁を破ったものは無いことからサーリャの展開する障壁よりも圧倒的に強固だ。

 「つまりその亀の攻撃を受け止める際に自分の魔力を使い、その結果あんな無様に倒れていたのか。魔力の使い過ぎだ。戦場で自身の魔力を使い過ぎて倒れたら意味が無いだろう。どれだけ考えなしなんだ」

 「仕方ないでしょう。あのままだと攻撃を防ぎきれなくなって障壁が壊れそうだったんだもの……結局は破られちゃったけど」

 呆れたようなルインの指摘にサーリャはブスッと頬を膨らませる。確かに動けなくなるまで自身の魔力を使ってしまったのはサーリャのミスだが、あの状況ではそうせざるを得なかった。

 「まぁ、今のサーリャにはルルミラの魔獣は厳しいだろうな。通常個体ならともかく特殊個体は対応が面倒だからな」

 「ルルミラの魔獣とルインは戦ったことがあるの?」

 ルルミラの封印はこれまで破られてこなかったので戦う機会は無かったはず。戦えるとすればかつての大氾濫の時しかないはずで……。


 ドォーーン‼


 そこまで考えたところで一際大きな爆発音が発生したことでサーリャの思考は中断された。魔力が回復したのかサーリャを吹き飛ばした亀の魔獣も攻撃に加わっている。

 「騒がしいな。少し黙らせて来るか」

 「待って!あれだけの数を一人でなんて無茶よ!戦うにしてもせめて後方にいる味方と合流して」

まるで散歩にでも行くような気楽さで立ち上がったルインにサーリャはギョッとした。いくらルインでも一人で対処できる数ではない。ルインは腰に剣すら下げておらずコートを羽織っただけの軽装だ。なんとか引き留めようとしたサーリャにルインはスッと目を細める。

 「俺の周りでウロチョロされては迷惑だ。どうせ無詠唱ができない奴がいても動きについて来れないのは目に見えている。それに俺に味方などいない」

 「ルイン……」

 「大人しくそこで休んでいろ」

 悠然と歩いていくルインの行動に迷いはない。一人で送り出してしまうことに不安はあるが、それでも何とかなってしまうのではと思ってしまうサーリャだった。



 「さて。面倒だがやるか」

 大群が迫ってくる中ルインは特に気負わず一人進んでいく。群れの中にサーリャからの話にあった亀の姿を確認したルインの手に魔力が集まり始めた。集まった魔力は凝縮していき、やがて無駄な装飾が施されていない一本の槍へと姿を変えた。槍と言っても全体が雷で構成されており、常に細く伸びた雷が生き物のように槍の上でうねっている。

 ひしめく魔獣達の先にいる目標に狙いを定め、獲物を狩るかのように目を細めたルインは全力で槍を投擲した。

 一条の光が駆け抜けていき、進路上にあるものをことごとく消し飛ばしていく。ルインの姿が見えていなかった魔獣達は何が起こったのかもわからずに消失しただろう。

 間一髪でルインの攻撃を避けた魔獣にも被害は拡大していく。纏わりつくように蠢いていた細い雷が周囲を容赦なく焼いていき、触れてしまった魔獣は瞬時に炭へと変わる。

 何者にも阻まれることなく真っ直ぐ突き進む槍は狙い通り亀の頭に直撃し、頭だけでなく体全てが跡形も残さず消し飛んだ。残ったのは焼け焦げた地面がある一本の道だ。

 「なるほど。思っていたよりも効果範囲が広いな。貫通力を特化させたつもりだったが、これは思っていたよりも使いやすいかもしれないな」

 目の前の結果を見ながらルインは感心した。本来は強力な個体への対策として編み出した魔法だったが、予想を上回る結果に満足する。かなりの数が今の一撃で消し飛んだとはいえまだまだ敵の数は多い。ルインは新たな獲物に獰猛な笑みを見せる。

 「せっかくだ。俺の魔法の実験に付き合ってもらうぞ」


 サーリャは目の前の光景に呆然としていた。反撃する事さえできず一方的に蹂躙されそうになっていた相手をいともたやすく撃破したことも驚きだが、驚くのはそこではない。

 (ルインがここまで強かったなんて……)

 サーリャ達の部隊を吞み込もうとしていた魔獣の群れをルインはたった一人で相手している。それも防戦一方ではなく逆に攻め込んでいる。

 ルインが腕を横に振るえば放射線上に爆炎が巻き起こり、近づく存在の悉くを爆殺し、縦に振るえばまるで見えない剣を振り下ろしたかのように何体もの魔獣が両断されていく。

 腕を振り身体を回転させる度にコートの裾が円を描くようにひらめく。接近を一切許さず一人華麗に腕を振り続けるその姿はまるでダンスを見ているかのよう。

 「おい、サーリャ・ブロリアス」

 不意にすぐ近くから聞き覚えのある声で名前を呼ばれたサーリャは声のした方に振り返ると、キリアンがいつの間にかすぐ近くまで近寄っていた。大きな傷は無いが剣を杖にしていることから立っているのもやっとなのだろう。

 「あらキリアン。思っていたよりも大丈夫そうで良かったわ」

 「この状態を見ながらよくそんな口が利けるな。そんなことより、アイツはお前の知り合いなのか?」

 「ええそうよ。ルクドの大森林で現地の人から魔法を学んだと言ったでしょう。その現地の人って言うのが彼よ」

 サーリャはまるで自慢するかのようにキリアンにルインのことを話したが、キリアンの反応はサーリャの思っていたものとは違った。

 「……ありえない。個人であれだけの魔法を行使するなんて……あれが人の範疇でできることなのか?そもそもあれは俺達と同じ人なのか?」

 「ちょっとキリアン!いくらなんでもそんな言い方——」

 キリアンの発言はあまりにも目に余る。サーリャは憤りすぐさま声を上げたが最後まで言い切ることはできなかった。

 ルインを見るキリアンには明確な恐怖が宿っており、その視線は明らかに人に向けるものとは違う。まるで化け物を見るかのような——。


 俺に味方などいない


 ルインの言葉がよみがえってくる。味方が〝いらない〟のではなく〝いない〟と言った。その言葉の意味をサーリャはようやく本当の意味で理解したような気がした。



 戦闘はしばらく続いていたが、後続が来なくなったことで唐突に終わりを告げた。残ったのは掘り返され、未だ煙を上げ続ける焼けた地面とおびただしい死体の山だった。

 ルインはするべきことを終わらせてこちらに戻ってくるが、あれだけの軍勢を相手にしたにも拘らず無傷だ。圧倒的な実力を見せつけられ、声をかけることすらできず誰もが固唾を飲んでルインを目で追いかける。

 「ようやく静かになったから話の続きといこうか……どこまで話していた?」

 先程までの緊張など消え去り、思わずサーリャは噴き出した。やはり彼はサーリャのよく知るルインだ。

 「ルルミラの話よ。いくらなんでも忘れるのが早いわよ」

 「あぁ。そういえばそんな話だったな」

 「……失礼します」

 笑うサーリャの耳に男性の声が割り込んでくる。その声にルインは僅かに見せていた笑みを消し、声の主に振り向くのにつられてサーリャも振り返る。視線の先には指揮官の男性が立っていた。

 「お前は?」

 「私はこの場の指揮を任されている一人でレーゼマンと言います。この度はご協力ありがとうございます」

 「勘違いするなよ。俺はお前たちを助けに来たわけじゃない。受けた恩を返すためにここにいるだけだ。用が済めば俺はさっさと帰らせてもらう」

 「ちょっとルイン‼」

 あまりの物言いにサーリャは思わず声を上げる。しかしルインは冷たい視線をレーゼマンに向けたままで態度を変えない。なぜここまで相手を突き放すのかサーリャにはわからない。

 「それで?せっかくここまで出張って来たんだ。サーリャは俺に何をして欲しいんだ?」

 「何をって……」

 「ここで魔法の勉強などできるわけがないだろう。代わりに対価の分だけサーリャの願いを聞いてやろう」

 サーリャはいきなりの問いに戸惑う。願いを言えと突然言われてもすぐに思いつくものではない。周囲の視線が自分に集まっているのを感じながらサーリャは必死に願いを考える。

 しばらく熟考した後、サーリャは一つの願いを口にした。

 「それなら戦線を立て直すだけの時間を作ってちょうだい。時間があれば私達はもう一度戦えるわ」

 「「なっ⁉」」

 サーリャの願いに、ルインを除いたその場全員が驚きの声を上げた。ルインは僅かに目を細めて探るようにサーリャを見返す。知覚にいたキリアンはすぐさまサーリャに食って掛かった。

 「何を言っているんだサーリャ・ブロリアス!時間稼ぎだけでなく最後まで戦ってもらえばいいじゃないか」

 ルインもキリアンの意見に同意する。

 「その男の言う通りだぞ。てっきり魔獣を殲滅しろと言ってくるのかと思っていたが違ったみたいだな。まぁ言われればできるだけのことはしても構わないが、本当にそれでいいのか?」

 「馬鹿にしないで!ルインなら可能なのかもしれないけれど、できるからと言ってそれに甘えて一人に任せるなんてできるわけないでしょう!」

 頼めばルインはおそらくサーリャの願い通り魔獣達を殲滅するだろう。ルインにはそれを可能にするだけの力がある。しかしその選択はサーリャの中で真っ先に排除した。

 「私達皆が騎士なの。皆が誇りと覚悟を持って今も戦っているのに、その全てを一人に背負わせるなんてひどい真似私にはできない!」

 「その選択をすることで周りから恨まれるかもしれないぞ?この戦いで誰かが死ねば残された家族からは一生恨まれることになる。それでも構わないと?」

 「後悔しながら生きていくよりかはマシよ」

 互いの視線がぶつかり、このまま折れることなく硬直状態になると思われていたが、

 「まぁそれがサーリャの選択ならば今日はその選択に従おうか」

 「えっ?」

 あっさりと引き下がったルインに若干肩透かしを食らい戸惑うサーリャをよそにルインはその間も勝手に話を進めていく。

 「戦況を知りたいが指揮所はここから近いのか?」

 「は、はい。少し離れた場所にありますが、後方に簡易指揮所が設置してあります」

 「ならばそこまで案内しろ。あらかた魔獣は掃除しておいたからしばらくは時間があるはずだ」

 「ありがとうございます。それでは案内します」

 「その前に連れていく奴がいる。……おい。そろそろ歩けるか?」

 「ふぇっ!」

 いきなり話を振られたことで変な声が出てしまった。恥ずかしさに顔を赤くしながらもサーリャは慌てて立ち上がる。しかし歩き出そうとしたところでよろめいてしまい、ルインの腕にしがみついた。

 「まだ歩くには無理そうだな」

 「大丈夫よ。ちょっと肩を貸してくれれば歩けるわ」

 「それだと時間がかかるだろう。そのままじっとしていろ」

 何をするのだろうと思っているサーリャの目の前でルインはおもむろに姿勢を低くすると、サーリャの身体が浮き上がった。

 「きゃっ!」

 小さな悲鳴を漏らしながら顔を上げると、すぐ目の前にルインの顔があった。そしてこの時になってようやく自分が抱き上げられたのだと理解した。赤くなっていた顔が更に赤くなる。

 「ちょ、ちょっと自分で歩けるわよ!下ろして」

 「うるさい。サーリャがいないと俺がいる理由が無いだろ。いいから大人しくしていろ」

 そう言われればサーリャも大人しくするしかない。指揮所に着くまでの間、自分に向けられる周囲からの視線に耐えきれずサーリャは何も見たくないと言ったようにルインの胸に顔を埋めていた。その姿がより注目を集めていたことにサーリャは知る由も無かった。


 「失礼します。レーゼマンです」

 指揮所に到着したサーリャ達はレーゼマンに続くように天幕の中に入った。移動中に知ったことだがレーゼマンはこの部隊の総指揮を任されているというわけでは無く、あくまでも副官という立場らしい。

 ルインは一旦天幕の外で待ってもらっている。いかに実力があっても民間人をそう簡単に指揮所となっている天幕に入れるわけにはいかない。

 天幕の中では一人の男が戦場に持ってくるにはいささか豪華すぎる椅子に座りながら、テーブルに置かれた菓子を食べていた。ため込んだ贅肉が服の上からでもわかるほどで、あちこちが窮屈そうだ。確か名前はミジェラだったはず。

 「おおー!よく戻ったな。魔獣どもはどうなった?」

 「はっ!現在確認できる範囲の魔獣は掃討されており、周囲には存在しません。今の内に態勢を立て直し、次の攻勢に備えたいと思います」

 「それはそれはいい報告だな。騎士になったばかりの役立たずしかいない中、よくそこまでの結果を出したな。褒めてやるぞ」

 嬉しそうに腹を叩きながらミジェラが口にした内容にサーリャは僅かに表情を険しくする。これまで必死に戦ってきた者達に対する言葉とは到底思えない。

 (私達が役立たずですって?だったらこんな所で戦いに参加すらせず食べてばかりのあなたはどうなのよ!)

 「それで、隣にいる騎士は誰なのだ?」

 ミジェラの興味がサーリャに向いた。

 「彼女はこの部隊に配属された者です。騎士になってまだ日は浅いですが先の攻勢では目覚ましい戦果を挙げ、多くの者が彼女に助けられました。彼女がいなければ戦線はもっと早くに崩れていたでしょう」

 「初めましてミジェラ様。サーリャ・ブロリアスです」

 レーゼマンからの紹介に続いてサーリャも軽く頭を下げ、騎士の挨拶をする。

 「ほぅ。騎士になったばかりだと言うのにそれだけの戦果を挙げるとは素晴らしい実力の持ち主だな。将来は英雄になるのかもしれないな。どうだ?私の専属騎士になってみないか?子爵たる私の下で働けば不自由のない生活が保障されるぞ」

 身を乗り出しサーリャの身体を舐め回すような視線にサーリャはゾワゾワと寒いものが全身を駆け巡っていくが、表情に出さないよう必死に耐える。

 「ミジェラ様。実は先程の戦闘でブロリアス嬢の知り合いが救援に来てくれました。騎士ではなく民間人で彼女のサポートとして行動するそうですが、実力は確かです」

 「おお!騎士でもないのにそれほどの実力を持つ者がいるのか。この場にすぐ呼んでくれ」

 どう答えたものか言いあぐねていたサーリャだったが絶妙なタイミングでレーゼマンからのフォローが入ってミジェラの興味がサーリャから外れた。天幕の外に向かう際に申し訳なさそうな視線をこちらに送ってくるレーゼマンにサーリャは同情した。おそらくこれが初めてではないのだろう。

 「邪魔するぞ」

 相変わらずの不遜な態度で入ってきたルインにサーリャは注意しようと口を開こうとしたところで、何かが倒れる音が鳴り響き何事かとサーリャは慌てて音の方に振り返った。

 「な……お、お前は」

 「ミジェラ様⁉どうされたのですか!」

 勢いよく立ち上がったのか椅子が横倒しになっており、ミジェラは目を見開き顔を真っ青にしながらルインを見ている。突然の事態にレーゼマンはがたがたと震えるミジェラに問うが、その声も届いていないようだ。

 「全員!今すぐその男を捕らえよ‼」

 「「なっ⁉」」

 突然の捕縛命令にその場にいた誰もが驚愕の声を上げ、戸惑いの表情を見せる。

 「ミジェラ様。なぜ彼を——」

 「その男は悪魔の力を手にし、王国に敵対した大罪人だ。逃亡の際にはいくつもの村の人間を人質にするような卑劣な存在だ」

 サーリャは抗議の声を上げようとしたが、続くミジェラの言葉に頭を殴られたかのような衝撃がサーリャを襲った。

 人質?王国に敵対?サーリャの頭の中でミジェラの言葉が繰り返し響く中、ゆっくりと背後にいる人物へと振り返った。ルインは相変わらず同じ場所に立っている。

 「ルイン……今の話は本当なの?」

 「……」

 「何をしているサーリャ・ブロリアス!今すぐその男を捕らえるのだ」

 ミジェラの怒号が背後から飛んでくる中、サーリャは縋るような目でルインを見ている。誤解だと、何かの間違いだと言って欲しい。いくら命令でも彼に剣を向けるようなことはしたくない。

 「どうした。指揮官殿からのご命令だぞ?王国の人間を守るために犯罪人は捕まえなければならないはずでは?」

 「それは!」

 そう。その目標をこれまで追い続けてサーリャは騎士になったのだ。ならばサーリャが今すべきことはルインを捕らえること。綺麗事だけで誰かを守ることはできない


 みんなの言うこととサーリャが思ったこと、どちらが正しいのかわからない。……そんな時はどうするの?どんな騎士にサーリャはなりたいの


 幼い頃に聞いた母の言葉がよみがえってくる。自分が目指した騎士とは……。

 しばらく葛藤に苦しんだサーリャだが、ついに覚悟を決め決意を胸に——ミジェラに向き直った。

 「何故私を見るのだ。捕らえる相手は後ろだぞ」

 「その命令には従えません」

 「なんだと!」

 「彼が過去に何をしていたのか私は知りません。ミジェラ様が仰るように王国の敵なのかもしれません。ですが、今はこうして私達を助けてくれました。そんな彼への感謝の気持ちを捕らえるという形で返したくありません」

 もしかしたら自分の選択は間違っているのかもしれない。王国に仕える騎士でありながら王国の敵に肩入れするなど騎士失格なのかもしれない。それでも、

 「私は、私の正しいと思う道を進んで皆を守ります」

 サーリャの決意を誰もが黙って聞いていた。もちろんその言葉を受け入れられない者はすぐさま喚きたてた。

 「ふざけたことを。レーゼマン!王国への反逆者がもう一人増えた。二人をすぐさま捕らえよ。抵抗するなら武力で押さえつけろ」

 「……わかりました」

 レーゼマンが天幕の外にいる部下を呼びに行くのをサーリャは黙って見送った。ミジェラの言った通りこれは王国への反逆だ。騎士の資格は剝奪。場合によっては死罪になるかもしれないが後悔は無い。自分に嘘を吐いてまで騎士を続けたいとはサーリャは思っていない。それでも何も思わないわけでは無い。

 (ルインには悪いことをしちゃったわね)

 せっかく一か月もの間サーリャの為に時間を割いてくれたのに、それをすべて無にしてしまった。せめてルインにだけは謝っておこうとしたサーリャだったが、その前にレーゼマンが部下を連れて戻ってきたことでその機会さえ失われた。

 「二人とも反逆者を捕らえろ」

 「「はっ!」」

 二人の騎士がキビキビとした動きで近づいてきてサーリャの横を通り過ぎ、その先にいる人物の前で立ち止まった。二人の騎士の前にいるのは立ち続けているミジェラ。

 「な、何だお前達は」

 「ご命令により反逆者を捕らえさせていただきます」

 「手荒なことはしたくありませんので、抵抗などなされませんように」

 「なっ⁉どういうことだレーゼマン!」

 ミジェラは顔を真っ赤にしてレーゼマンを怒鳴りつけ、サーリャも事態を呑み込めずレーゼマンを見る。

 「どういうことも何も反逆者を捕らえようとしているのですが?」

 「ふざけるな!何故私が反逆者なのだ。血迷ったか⁉」

 「……ふざけているのはどちらですか」

 これまで聞いていたよりも数段階声を落とした低く冷たいレーゼマンの声がサーリャの耳に届く。

 「今は皆が一丸となって魔獣の進行を止めなければならない時。それなのにあなたは余計な諍いを持ち込み、あろうことか二人を捕らえよなどと正気を疑いますよ。……おい。さっさと連れて行け」

 二人に引きずられるように天幕から連れ出される間もミジェラは喚いていたが、最後まで誰も止めようとはしなかった。

 「申し訳ありませんでした。それでは今後の方針について話し合いましょうか」

 何事も無かったかのようにこちらに振り返るレーゼマン。これまでサーリャの傍で沈黙を保ち続けていたルインがようやく口を開いた。

「いいのか?このままだとあんたも反逆者だぞ」

「そうですよ!私達の為にここまでしてくれなくても……」

「それは違います。私は多くの命を守るために最善の選択をしただけです。使えるものは何でも使う。それだけのことです」

 してやったりといったように笑みを浮かべるレーゼマンにサーリャはぽかんと口を開けるしかできなかった。



「やはり全体的に押されているようだな」

「そうですね。ここはルイン殿のおかげで持ち直しておりますが、やはり戦力差が大きいです。どの戦場も奮戦はしているのですが……」

「戦ってみた感想だけど、どの魔獣もかなり手ごわい印象だったわ。一際強い個体が複数いるなら流石に持ち堪えられないわよ」

「前回の氾濫を経験しているならともかく、今回が初めての騎士達には荷が重いだろうな。この戦いで重要になるのは、いかに早く魔獣を倒すことができるかだ」

 新たに指揮官となったレーゼマンの指揮のもと第四騎士団は順調に戦力を再編成し、主要メンバーは指揮所に広げられた地図を見ながら戦況の整理をしていた。

 そんな中、サーリャのすぐ近くからノイズ交じりのざらついた声が聞こえてきた。

 「誰か聞こえていますか?こちらは第七騎士隊。聞こえていれば応答してください」

 見れば小型の通信機から声は発せられていた。突然の通信に一同は通信機に顔を向け、レーゼマンはすぐさま通信機の操作をする。

 「こちらは第四騎士団のレーゼマンだ。聞こえているぞ」

 「あぁよかった。まだ近くに残っているのですね」

 「どういうことだ?」

 「現在我々は中央の戦線から北上した砦跡に避難しています」

「なっ⁉そこはすでに撤退命令が出ていたはずだぞ。なぜそんな場所に残っているんだ」

 サーリャは慌てて地図に目を向け彼らのいる場所を確認する。通信先の相手の言っていることが事実なら、彼らは第一と第二防衛線の間にある砦にいるということになる。すでに最終防衛線まで後退し始めている状況で何故そんな場所にいるのだろう。

 話を聞くと撤退する際に味方に多くの負傷者が出てしまい治療の為に砦に逃げ込んだのはいいが、撤退の機会を失ってしまい動けなくなってしまったらしい。

 「救援は呼べなかったんですか?」

 「すでに撤退がある程度進んでいましたからね、中央の部隊は戦線を押し上げる余力は残っていません」

 「ミラン様が中央にいるじゃないですか。ミラン様なら魔獣の群れなんて突破できるでしょう。今からでも連絡すれば……」

 「やめとけ。英雄は個人ではなく国全体の意思で動く。命令されなければ動かんただの人形だ」

 英雄のミランであれば連絡すれば何らかの対応をしてくれたはずだ。そう思ってすぐさま中央の部隊に連絡を取るよう提案しようとしたサーリャだったが、すぐさまルインがバッサリと切り捨てた。

 ルインは通信機を見下すように冷めた視線を向けている。いや、ルインが見ているのは通信機ではなくその先にいる誰かだ。まるで吐き捨てるかのような態度にサーリャは理由を尋ねようとしたがその前に笑い声が通信機から発せられた。

 「何を言っているのですか。ミラン様は失ってはならない存在です。我々のために危険な場所へ戻って万が一があってはいけません。我々は準備が整い次第こちらから打って出ようと思っています。騎士としての意地を最期にアイツらへ見せつけてやりますよ」

 「くっ」

 明るく話す相手とは裏腹にレーゼマンは悔しそうに表情を歪め、血が出そうなほど拳を握りしめる。

 「申し訳ありませんが家族に伝言を頼めますでしょうか。今、皆を呼んできます」

 「……いつまで耐えれる」

 最期の言葉を託されるという初めての経験に心を痛めていたサーリャだったが、俯いていた顔を上げた。言葉を発したのはルインだ。

 「ルイン、何を言って」

 「あなたは何を……」

「不必要な問答をするつもりは無い。人的被害を極力抑えたうえで、あんた達はどれくらいその場で耐えることができる」

 腕を組みルインは通信機を見つめている。相手はしばらく考え込んでから返答が返ってきた。

 「……おそらく日没までが限界です」

 ルインは視線を通信機から地図に移し、しばらく考え込むように黙り込んだ。

 「ルイン。今からこの距離はちょっと……」

 考え込むルインの機嫌を損ねないようにおずおずとサーリャはルインに声をかける。何とか助けたい気持ちはサーリャもあるが条件が厳しすぎる。

 「日没までは何としてでもその場所で耐えておけ。それまでにはたどり着いてやる」

「なっ⁉誰かは知りませんがそんなことはお止めください。我々は助けに来て欲しくて連絡したわけでは——」

 「いいか?日没までだぞ」

 相手の返事を待たずルインは通信機の電源を勝手に切ってしまった。

 「ちょっとルイン!さっき私が言ったこと聞いてなかったの⁉」

 「そうです。ルイン殿のお力は目にしていますが、さすがに今回は危険過ぎます!」

 戦場の端から中央まで敵地のど真ん中を突っ切る強行軍。しかも日没までもう時間が無い。ルインならたどり着けるかもしれないが敵に囲まれた状況では先の戦闘などとは比べ物にならない激戦が予想されるだろう。

 助力を求めたサーリャでもさすがに心苦しい。心配するサーリャにルインは睨むように鋭い視線を向けられ、その圧に思わず怯む。

 「勝つためなら少数を切り捨てても構わないと?俺は少なくとも見捨てるようなクズに成り下がるつもりは無い。好きにやらせてもらうぞ」

 救援に向かおうと天幕から出て行こうとしたルインだったが、外に出る直前で「そういえば」と何かを思い出したように振り返った。なぜだか無性に嫌な予感がする。

 「いくら俺でも案内が無ければ間に合うものも間に合わないな。誰かひとり案内役が欲しい所だな」

 ルインの視線は真っ直ぐサーリャへと向けられており、周囲を見渡せば全員の視線がサーリャに集中している。

 「わ、私⁉」

「ちょうどいい。サーリャなら新しく開発した魔法の実験にも耐えられるだろう。協力感謝するぞ」

 嬉しそうに近寄ってくるルインとは逆にサーリャは頬を引き攣らせながらじりじりと後退るが、すぐさま襟首を掴まれてしまう。

 「べつに私じゃなくてもいいでしょ!誰か行きたいって思っている人がいるかもしれないじゃない」

 「そうなのか?」

 僅かな希望に縋って周囲を見渡すが、息が合ったように全員が目を逸らした。レーゼマンでさえ目を逸らしてしまっている。

 「いないようだな。とっとと出発するぞ」

 「いやぁぁぁ‼」

 サーリャの絶叫が辺りに響き渡った。



 戦線が大きく後退し周囲に味方がいない中、廃墟となった砦で騎士隊長は一つの決断を下そうとしていた。廃墟と言っても瓦礫の山となっているわけでは無く、ある程度砦としての機能は残している。

 「隊長、そろそろ日没になります。これ以上暗くなると我々の行動にも支障が出ます」

 「……そうだな。やはり間に合わないか」

 ボロボロになった部屋の一室で部下からの報告に耳を傾ける。

 多くの負傷者と隠れるにはうってつけだということでこの砦に咄嗟に逃げ込んだのだが、幸いにも砦の外にいる魔獣達には気づかれていない。しかし、それも時間の問題だろう。

 隊長は部下と共に部屋を出て階段を下りながら砦の入口へと向かう。

「やはりここまで来るのは無理だったみたいですね」

「仕方ないだろう。どれだけの人数で向かって来ているのかわからんが、敵陣の中を突破することなど容易ではない。突破できてもそこで力を出し尽くしてしまえばそこで終わりだ。もしかしたら断念したのかもしれない」

「それでも俺は嬉しかったですよ。たとえ来られなくても助けに行くと言ってくれたことは」

 部下からの言葉には悲しみの感情が一切なく、逆に嬉しそうに話している。

 「そうだな。逃げることすらできず、足を引っ張るしかできなくなった俺達の命を見捨てまいと必死に模索してくれたのだからな」

 砦の入口に到着すると部下達が戦う準備を整えて自分を待っていた。誰もがボロボロの状態で無傷な者は一人もおらず、砦の中にあった廃材から作った杖で辛うじて立っている者すらいるが、誰一人悲壮感を漂わせていない。

 「みんな、こんな役目に付き合わせて悪いな」

 「何言っているんですか。隊長が謝ることなんて無いでしょう」

「そうですよ。上からの命令に振り回されず好きに暴れられるって最高じゃないですか!」

 「お前、命令忘れて突っ走るからいつも隊長に怒られていたからな」

 「ははは。まったくそうだ」

 肩を組みながら笑い合っているいつもと変わらない部下達のやり取り。

 「ありがとう」

 隊長はその一言にすべての思いを込めた。自分は本当にいい仲間達に恵まれた。そんな彼らと最期を共にできる自分は幸せなのだろう。

 扉が開き始め外の景色が見えてくる。砦の外にいた魔獣がこちらに気づいて振り返ったのが見える。

 「行くぞ‼」

 「「おう‼」」

 隊長の一言に全員が応え雄叫びを上げる。動ける者は剣を握って駆け出し、満足に動くことができない者は支援のために詠唱を始める。

 両者の距離がどんどん縮まっていき、あともう少しで接触するというところで——両者の間を一条の光が駆け抜けた。

 「なっ⁉」

 別方向からの新手か!光が飛んできた方向に注意を向けようとしたところで騎士達の近くに何かが着弾した。まるで砲撃でも受けたかのように土煙が辺りに立ち込め、隊長は何が飛んできたのか確認しようと目を細める。隊長だけでなく仲間も警戒心をあらわにする中、土煙の中から声が聞こえてきた。

 「まったく。どうしてお前達は前に進むばかりで立ち止まるということをしないんだ。前に進むばかりが正しいとは限らないんだぞ」

 誰かが土煙の中から歩いてきている。

 「俺は日没まで待てと言ったはずなんだがな。どうしてこうも生き急ぐ奴が多いんだ」

 コートのひらめかせ、ゆっくりと土煙の中から現れた人物は呆れたようにこちらを見返していた。


 「なんとか間に合いはしたな」

 ルインは唖然としている騎士達をぐるりと見渡す。間に合いはしたが本当にギリギリのタイミングで、あと少しでも到着が遅れていたら戦端は開かれていただろう。立っているのもやっとな者までが戦闘に参加しており、玉砕覚悟の行動にルインは少なからず怒りを覚える。

 「あ、あなたは……」

 「言った通り応援に来てやった。そう簡単に命を投げ捨てるな。あんた達はさっさと砦の中に戻ってろ」

 「たった一人であれらをどうにかするつもりなのですか⁉それは無茶です。せめて我々の誰かだけでも——」

 「そんなボロボロの姿で何を言っているんだ。邪魔になるだけだからさっさと仲間と一緒に戻れ。それともあんたは助けられる命を無駄に散らせるつもりか?」

 厳しい言い方だが、この場では騎士のプライドや同情などは何の価値も無い。目の前の隊長もそのことは分かっているようで、しばらく躊躇うような態度を見せたが、最後は頷いた。

 「助力感謝します。それと……一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

 「なんだ?」

 「後ろにいらっしゃる方は大丈夫なのでしょうか?」

 心配そうな表情でルインの背後を見ている隊長の視線につられるようにルインは肩越しに振り返った。そういえば先程から静かだった為すっかり忘れていた。

 「サーリャ、いつまでそうしているつもりだ。さっさとこっちに来い」

 ルインの背後ではサーリャが四つん這いになって蹲っている。その顔は真っ青になっており、普段の元気な姿など微塵も感じない。

 「なんだ、これだけの距離でもうへばったのか?走ったわけでもないのだから疲れる要素など無いだろう」

 「……確かにここまでルインの魔法で移動したから魔力も体力も消耗していないわ。でもね、その移動方法のせいで精神的に大きく消耗したわ」

 「移動方法?」

 サーリャの言葉にルインは首を傾げた。ぶっつけ本番だったことは仕方ないが、それでも致命的な不具合は無かったはず。何か見落としでもあったのだろうか?

 「いくら急いでいてもね、自分自身を砲弾にして撃ち出すって何を考えているのよ‼」

 ガバリと勢いよく顔を上げたサーリャの顔は青いままだが、その目には僅かに涙が浮かんでいる。

 「間に合ったのに何が不満なんだ?」

「全てによ!ここに来るまで生きた心地がしなかったし、おかげで死ぬかと思ったわ‼」

 せっかく間に合わせたのにこの言い草だ。理不尽な非難にルインは納得できず憮然とする。

 何よりも短時間で辿り着かなければならなかったので、移動にはルインが作り出したオリジナル魔法が用いられている。これは高速で長距離を移動することを目的として作られた魔法だ。

 自身を球体の魔法障壁で包み込み、その状態から指向性を持たせた爆破魔法を背後に向かって放つことで砲弾を撃ち出す現象を再現している。魔法で体を浮かしているので地面に落ちることなく、定期的に爆破魔法を放てば速度が落ちることも無い。

 しかしほぼ直線でしか進めない性質上、起伏の少ない平地でしか使うことができず方向の調整も簡単ではないので使用条件が厳しいのが課題となっている。

 「生身のまま飛んだわけでもあるまいし、障壁を張っていたのだから死ぬとは言い過ぎだろう」

 「魔獣にぶつかったり攻撃を受けて障壁にヒビが入ってもなかなか直そうとしなかったら誰でも不安になるわよ‼いつ割れるのか不安で仕方なかったんだからね!」

 「それは——話はあとだ。さっさとそいつらと一緒に砦に戻って守りを固めろ。奴らが来た」

 「っ!わかったわ」

 ふらつきながらも騎士達を砦に押し戻していくサーリャを見送りながら、ルインは迫ってくる集団の中央に目を凝らす。

 「やはり特殊個体は中央にいたか」

 集団の中に一際体が大きい個体が混じっている。見た目は二メートルを超える大型の猿だが猿とは思えないほどの牙が口元から覗いており、体毛に覆われた丸太のような腕の先には長い棒状の得物を持っている。岩を削ったのか先端が剣のように鋭くなっている。

 短いながらも頭に角を生やし、顔の一部には爬虫類が持つような鱗が覆っている。二足歩行で歩くその姿はもはや新たな種族と言っても差し支えない。

 「閉じ込められた空間内での生存競争を勝ち残るとある程度喰らった相手の特性を備えるというのは興味深いな」

 まだまだ興味は尽きないが、戦場にいるのだと自分に言い聞かせて意識を切り替える。

 手始めにルインは圧縮したボルクをするに向かって放つ。圧縮された火炎弾は前にいた何体かの魔獣に大穴を開けた後、目標の猿に直撃し大きな爆発が巻き起こった。

 「……やはりこの程度では抜けないか」

 爆炎の中からゆっくりと猿が姿を現す。直撃したはずなのにその体には焼け焦げた跡は見受けられない。その代わりにゆらゆらと陽炎のように揺らめいている魔力が全身を包んでいる。

 ルインは敵に向かって駆け出す。距離を詰める最中も周囲の雑魚を一掃するのは忘れない。

 左右に大きく腕を広げると、敵集団の両端に巨大な刃が現れる。ルインが広げた腕を目の前でクロスさせると、ルインの動きに合わせるかのように巨大な刃がまるで鋏を閉じるかのように中心に向かって移動する。刃の内側にいる魔獣は悉くその体を真っ二つにさせていき、身体が宙を舞う。

 大量の鮮血が舞う中、猿は左右から迫りくる刃を自身の腕で受け止めた。ルインの作り出した刃は太い腕に纏わりついている魔力によって受け止められている。しかしそれは想定の範囲内だ。

 ルインは走りながらおもむろに右腕を何もない空間に突き出すと、右腕の肘から先が虚空に呑み込まれた。すぐさま引き抜くと右手には先程までは持っていなかった一振りの剣が握られている。

 魔力を帯びたルインの剣と振り下ろしてくる猿の得物が正面からぶつかった。身体強化を施したルインの足元に亀裂が入る。

 両者の力はほぼ互角でぶつかった位置から動かない。目の前で猿の左腕が横薙ぎに振られ向かってくるのをルインは膝を曲げて体勢を低くする。巨腕がルインの頭上を通過し風切り音が間近で聞こえる。姿勢が横に流れた隙を見逃さずルインは相手の腹に至近距離から魔法を叩きこむ。

 さすがの巨体も至近距離で攻撃を受ければ効果はあるようで、爆発の勢いで後ろに数歩下がる。爆炎の向こうで露出した肉体が見えたが、すぐさま周囲の魔力が穴を塞ぐように動き始めてしまい露出部分が無くなってしまった。

 「回復力も底上げされているのか」

 面倒くさそうにルインは頭を掻いた。回復・防御に秀でた個体は処理に時間がかかるので個人的にはあまり相手にしたくない。

 今度は猿の方から左腕を振り上げながら突っ込んでくる。ルインはすぐさま後ろへ飛び下がると、さっきまでルインが立っていた場所に腕が振り下ろされ地面が大きく凹んだ。

 間髪入れずに右手に持っている凶器がルインを真っ二つにするべく迫ってくるが、ルインは逆に相手の懐に潜り込むと正確に右手の指を数本切り飛ばした。得物を握る力が弱まったのは見計らい、蹴り飛ばす。手から離れた得物が後方に向かって飛んでいく。

 そのまま追撃に入ろうとしたところでゾクリと背筋に寒いものが走り、ルインは直感に従ってその場から急いで飛び離れた。何かが勢いよく上空から降ってきて地面が震える。

 「ここまでくると獣と呼んでいいのかわからんな」

 相手の異様な光景を目にしたルインは小さく笑った。

 上から降ってきたものの正体は先程ルインが蹴り飛ばしたはずの得物だった。柄の部分には何もなく猿は握っていない。いくらルインでも自分の真上に敵の武器を蹴り上げるような真似はしない。蹴り飛ばしたのは遥か後ろだったはず。なぜ蹴り飛ばしたものが戻ってきているのか。

 その理由は柄に伸びている細い魔力だった。魔力は猿の右腕から伸びて得物に絡みついており、まるで鞭のようになっている。

魔力で物を操作する技術はまだルインは習得していない。

 (使えるようになればいろいろと便利そうだな)

 術者がその場から動くことなく、欲しいものを手元に引き寄せたり邪魔なものを遠くに投げ飛ばしたりできるとはなんと魅力的な技術なのか。今すぐ帰って練習したいところだ。

 「そのためにもさっさと終わらせないと……な!」

 ルインはおもむろに左へ向かって攻撃魔法を放つ。大きく迂回してルインの横を通り過ぎようとしていた魔獣がその命を散らす。

 そろそろ後続もこの場に到着し始めている。猿は地面に刺さった得物を引き寄せ、自身の周囲にゆらゆらと漂わせる。

 猿が右腕を振るい魔力で繋がっている得物が向かってくるのをルインはしゃがんで躱し前へと踏み込み相手の腹に剣で深く切り込む。魔力を切り裂きその先にある肉体に深々と傷をつける。

 ルインを挟み潰そうと相手の両腕が迫ってくる。ルインは左腕を突き出し再び至近距離から爆破魔法を放ち、爆発の衝撃で後方へと距離を取る。目の前で猿の両手が勢いよく合わさり、大きな音を立てる。ルインは両腕目掛けて魔力弾を高密度で発射させ腕の魔力を散らす。

 回避したルインに追い打ちをかけるように右腕に繋がった得物が斧のように振り下ろされてくる。ルインは即座に障壁を上に展開する。ルインをかち割ろうとしていた得物が障壁にぶつかり、猿へと跳ね返っていく。

 跳ね返った得物が猿の真上に戻った瞬間を狙ってルインは魔法を発動させる。圧縮した空気の塊が得物を上から叩きつけ、真下にある右腕に深々と突き刺さった。猿の絶叫が辺りに響き渡る。

 だらりと下げた右腕からだらだらと血を流しながらも猿は戦意を失うことなくルインを睨みつける。右腕に突き刺さったものを勢いよく引き抜くと勢いよく血が噴き出すが、すぐさま肉が盛り上がってきて傷口が塞がり、その上から魔力が覆い元に戻った。

 傷をつけてもすぐさま元に戻るのではいつまでも硬直状態のままだ。

 「もう少し楽しみたいがそろそろ終わらせてもらうぞ」

 ルインは左腕を突き出して猿に向ける。向けると同時に猿の周囲——前後左右に四つの魔方陣が現れ、猿を中心にして周囲を回り始める。周囲を取り巻く魔方陣を不気味に感じたのか魔方陣の外に出ようとするが、魔方陣も猿の動きに合わせて移動する。

 「貴様がどこまで耐えられるのか確かめてやろう」

 猿の足元に体がすっぽりと入るほどの大きな魔方陣が現れ、赤く輝き始める。理解できない状況に不安を覚えてルインに向かって走ってくるが、もう遅い。穏やかにルインは鍵となる言葉を口にした。

 「インフェルノ」

 次の瞬間、猿の足元から凄まじい威力の炎が吹き上がった。吹き上がった炎は足元の魔方陣の外へ出ることなく真っ直ぐ上へと昇っていき、周囲を回る魔方陣の動きに合わせて渦を巻いて中の魔獣を包み込む。全身を業火で焼かれる中、もだえ苦しみながら抜け出そうとするが魔方陣が移動することでそれを許さない。

 その間もルインの攻撃は止まることは無い。

 渦巻く炎によって身を守る魔力が一気に消し飛んで肉体を焼いていき、何もしなくても呼吸をするたびに炎が喉や肺を焼いていく。炎の中からこれまで聞いたことも無いような絶叫が聞こえてくるが、ルインはただその光景を眺めるだけだ。

 足元の魔方陣が更に輝きを増し、とどめと言わんばかりに倍以上の火力となり猿に襲い掛かった。あまりの火力に猿の肉体はとうとう耐え切れなくなり、瞬く間に炭へと変わり崩れ落ちて炎の中に消えていく。

 呼吸もままならずただ苦しむだけの状況だった猿からすれば〝ようやく〟と思っているかもしれない。ようやくこの苦しみから解放されるのだから。

 炎はそのまま雲を突き抜け天を貫く柱となった。その様子は戦場にいる誰もが目撃することとなり、見た者は様々な感情を作り出した。

 ある者は敵からの新たな攻撃かと警戒を強め、ルインの魔法を知る者は作戦が成功したのだと安堵した。サーリャは砦の中から「綺麗」と感想を零しながら心奪われたかのように炎柱を見上げる。

 そしてもう一人……。

 目を見開き驚愕の思いで炎を見上げる者がいた。戦場にいるにも拘らず腕を下げ無防備な状態で見上げ続けていた。



 サーリャは砦の入口から周囲を窺い、問題無いと判断するとゆっくりと外に出た。辺りには動くものは何もない。あるのは物言わなくなった死体だけだ。

 猿らしき大型の魔獣をルインが討伐してからはもはやただの掃討戦に変わってしまった。周囲の魔獣はルインの圧倒的な力を見せつけられて恐れをなしたのかすぐさま反転して逃げ出そうとしたが、ルインの作り出した氷壁に阻まれ叶わなかった。

 「さて。これだけ暴れればあとは騎士団だけでも対応できるだろう。そろそろ俺は帰って寝たいんだが……」

 「ふふっ。ちゃんと食事くらいはとりなさいよね。言っておくけどパスタで済まそうなんて考えないでね。それでも助かったわ。来てくれてありがとう」

 いつもの気だるげなルインに戻っているのを見てサーリャは自然と笑みがこぼれる。なんだかんだで彼はサーリャ達を助けてくれたのだ。

 騎士団の隊長も遅れてやって来てからは何度もルインに頭を下げて感謝の言葉を伝えている。ルインは迷惑そうに雑な返事をしているが、サーリャからすればただの照れ隠しのようにも見える。

 「救援が来るまでは無茶はするなよ。せっかく助けたのにそのあと無茶をして死んだなんて笑えんからな。……それじゃあな」

 「待って‼」

 帰るためにルインが転移魔法を発動させようとしたところで絶叫にも近い女性の声が突如聞こえてきて、その場にいる誰もが何事かと身構えた。そして声を発した人物を見た誰もが驚愕の表情になった。

 「ミラン様⁉」

 視線の先には誰もが知っている英雄が立っていることにサーリャは目を見開いた。なぜ英雄であるミランがこの場にいるのだろう。ミランの周りに同行者は一人もおらず、単身でここまで来たのだと判断できる。余程急いでいたのか肩で大きく息をしている。

 「ルイン……本当にあなたなのね。生きていてくれたのね」

 「えっルインってミラン様と知り合いなの⁉」

 ルインを見て今にも泣きだしそうなミランの態度も気になるが、ルインがミランと顔見知りだという事実の方がサーリャからすれば衝撃的で思わずサーリャは二人の顔を交互に見る。謎が多いルインには散々驚かされてばかりである程度慣れたと思っていたが、まさか英雄と顔見知りだとは予想していなかった。

 しかしルインの反応は冷たかった。

 「知らんな。別の誰かと間違えているんじゃないか」

 「えっ?でも……」

 名前まで呼ばれておきながら人違いは無いだろう。ルインの明確な拒絶に戸惑いながらミランへと振り返ると、拒絶されたことがショックだったのか大きく傷ついた表情になっている。

 「英雄殿が来たなら俺がいる必要性は無いな。俺は帰らせてもらう」

 「あ、……えっと」

 「ルイン待って」

 嘲笑うかのようなルインの言葉にどう反応すればいいのか迷っていたサーリャだったが、ルインの帰るという単語に大きく反応したミランは必死に呼び止めようとする。

 「あなたにどうしても言いたいことがあるの!だから私と一緒に王宮へ——」

 「黙れ」

 「っ!」

 ミランの呼びかけは途中でルインの低く冷たい一言で断ち切られた。断ち切られただけではない。感情が昂ぶり全身から魔力が漏れるほどの明確な敵意が周囲に向かって放たれる。ルインの感情に魔力が呼応し、サーリャが騎士学校で見せた時とは比べ物にならないほどに空間が歪んでルインを中心に地面に亀裂が広がる。ここまで感情をあらわにしたルインをサーリャは初めて見た。

 「王宮に来いなどとよく言えたもんだな。どうやら貴様は何も変わっていない。貴様の言葉など欠片も信じるに値しないし聞いてやるつもりもない。英雄を演じたければ俺の視界に入らないところで好きに演じていろ」

 それだけ言い残すとルインは転移魔法を発動し姿が消えてしまった。残ったのは大きく傷つきその場で立ち尽くすミランと状況が理解できないサーリャだった。

 (ルイン。あなたは過去に一体何があったの)



 大氾濫から一か月後。

 サーリャは騎士寮にある自室でベッドの上で寝転がりながら一人物思いに耽っていた。

 大氾濫は結果的に人類の勝利で幕を閉じた。ルインが倒した猿の魔獣と同等、あるいはそれ以上の強さを持った強力な魔獣がいなかったことと、その後にルインが相当な数を撃滅したことにより全体数が少なくなっていたことが幸いしていた。それでも騎士側にも相当な被害が出ているので素直には喜べないところでもある。

 上官であるミジェラの命令に従わなかったサーリャや第四騎士団は特に罰を受けていない。噂によればミジェラは降格させられたあと領地に戻されたようだが、サーリャにとってはどうでもいいことだ。

 ……あの日からサーリャはルインと顔を合わせていない。大氾濫の後始末と事情聴取で忙しかったのもあるが、それ以上にサーリャ自身が行くのを躊躇っていたからだった。

 (あの時のルイン、まるで別人みたいだった)

 サーリャの知るルインはのんびりとその日の気分で行動するような人物だが、その認識が簡単に吹き飛びかねないほどの変わりぶりだった。

 敵意と憎悪。負の感情に塗りつぶされたルインは今まで見たことが無い。過去を知りたいと思う気持ちはあるが、簡単に踏み込んではいけない内容だということも理解できる。

 「あ~。どうしたらいいのよ」

 答えの出ない悩みに苦しんでいるサーリャだったが、そんな中コンコンと控えめに扉がノックされたことで中断することになった。サーリャに来客など珍しい。一体誰だろうと思いながら扉を開け、その先に立っていた人物にサーリャは目を見開いた。



 転移魔法が発動し、見慣れた景色に切り替わったのを確認したサーリャは視線の先にある家に向かって歩き出す。すでに太陽は真上に差し掛かろうとしている。

 木々のざわめきしか聞こえない中、サーリャは緊張した面持ちでルインの家に近づいていく。おそらくサーリャが訪ねてきたことにルインは気づいているはずだが、ルインの家は静かなままで何の変化も無い。

 (もしかしてまだ寝ているのかしら?)

 そんなことを考えながらルインの家まで残り半分となった辺り、庭の真ん中に差し掛かった瞬間——


 動くな


 「ひっ!」

 小さな悲鳴とともにサーリャは恐怖で足を止めざるを得なかった。

 何故ならどこから発せられたのかわからないほど反響したルインの声が周囲に響き渡り、一瞬の内に逃げることなど許さないように埋め尽くすほどの攻撃魔法に取り囲まれたからだった。

 「可能性には気づいていた。メリットがあれば当然デメリットも存在する。それでもその可能性は低いだろうと俺は判断して俺は起動キーとなる物をお前に渡した」

 こちらに対して敵意を隠そうとしないルインの声が響く中、サーリャは叱られる子供のように震えながらその場に立ち尽くす。

 「転移魔法を使用する際は起動の核となるプレートを持っていなければならない。他人への貸出や譲渡は一切許可しない。確かにその点に関してはクリアしている。そのうえでお前は抜け道があることに気づいた。〝使用者と一緒にプレートに触れていれば共に転移できるのではないか〟と」

 サーリャの目の前でゆっくりと玄関の扉が開いていき、ルインが姿を現す。服装こそラフな普段着だが、動きに一切の隙が無くこちらの動きを観察しながら臨戦態勢だ。

 「同時に転移できる人数に限りがあるから少数精鋭で来るとは思っていたが、最高戦力を送り込むとはよほど俺の命が欲しいらしいな」

 スッとルインの視線がサーリャの左にズレる。

 「そうだろう?ミラン・リルコット」

 サーリャの隣でミランが息をのんだのが分かった。


 ルインは玄関先で警戒を緩めることなくサーリャを睨みつける。

 「さて、どういうつもりなのか説明してもらおうかサーリャ・ブロリアス」

 「えっと……これは……」

 しどろもどろになりながらサーリャはびっしょりと冷や汗を流していた。

 (ひぃぃ。やっぱりルイン怒ってる)

 当たり前と言えば当たり前なのだが、約束を最初に破ったのはサーリャ自身だ。問い詰められることは分かっていたのだが、改めて本人から追及されると何も言えなくなってしまう。

 サーリャ達を取り囲む攻撃魔法はいつでも発射可能状態になっており、ルインがその気になればいつでもサーリャ達の命を奪える。

 「上官の命令に逆らってでも自分の信じる道を選んだその意気込みに少しは感心したのだが、どうやら俺の思い違いだったようだな。お前も俺の敵になるようだしな」

 「それは——」

 「それは違うわルイン」

 すかさず反論しようとしたサーリャだったが、その前にこれまで一言も話さなかったミランが口を挟んだ。今のミランは騎士の制服を身に着けておらず、私服姿で帯剣もしていない。

 「ここに連れてくるように命令したのは私よ。彼女はそれに従っただけで何の責任も無いわ」

 「ミラン様何を言っているのですか!ルイン、確かにお願いはされたけどここに連れていくと決めたのは私よ。約束を破ったのは私なのだからルインが怒るのも無理はないわ」

 もしも脅迫されていたのならばプレートの存在を教えずに転移すればよかった。それならば転移するのはサーリャだけでミランはその場に取り残されることになる。サーリャはルインに助けを求めればいくらでも対応はできたはずだ。それをしなかったのはサーリャの判断だ。それでもミランは首を横に振り懸命に言いたいことを伝えようとする。

 「あなたが私を信用できないのは理解しているわ。その怒りがどれほどのものなのか私には推し量ることはできない。それでも……それでも今日だけでもいいからあなたと話をさせてちょうだい!そのあとあなたが望むなら私はあなたに八つ裂きにされても構わない」

 ミランの覚悟にギョッとし、慌ててミランの方を振り返ったサーリャは見てしまった。

 普段の凛々しい姿で皆を引っ張り、希望の象徴であるミランが今にも泣きだしそうな表情でルインを見ている。胸元に当てた手はギュッと服を掴んでいて、必死さが伝わってくる。だからこそサーリャもルインを説得するために口を開く。

 「ルイン、私からもお願い。今日だけでもミラン様と話をしてあげてくれないかしら」

 サーリャも頭を下げてルインに頼み込む。ルインの過去に何があったのかはまだわからない。それでもここまでの反応を示すからにはよほどのことがあったのだろう。だからこそこんな人の立ち入らない場所で一人静かに暮らしている。

 それでもサーリャはミランと話をして欲しいと思っている。

 誰とも関わらず、人ではない化け物に囲まれた森の中で一人隠れるような暮らしを続けてほしくない。

 「どいつもこいつも自己犠牲を体現したような奴らばかりだな。お前達はそれが最善だと考えているようだが、俺からすれば自分が背負っている苦しみから早く楽になりたいと思っている自己満足のパフォーマンスにしか見えん。それで相手の気持ちが楽になると自分の行動が正当化できると本気で信じていそうだな」

 頼み込む二人にルインの厳しい言葉が容赦なく浴びせられる。敵意だけでなく嫌悪感までもが追加されてしまい、ルインの反応は最悪とも言っていい。

 このまま追い返されるか殺されるか。覚悟を決めようとしたところでルインが不意に背を向けた。

 「……下手なことはするなよ」

 「えっ?」

 二人を取り囲む魔法がすべて消失し、ルインはサーリャ達をそのままにして家の中に一人で入ってしまった。サーリャとミランの二人だけになった空間でしばらく時間が止まったかのように固まっていたが、しばらくしてサーリャは隣で固まったままのミランにおずおずと声をかけた。

 「えっと……とりあえず中に入りましょうか」


 向かい合う形でソファーに座った三人は言葉を交わすことなく黙ったままで時間だけが過ぎていく。ルインとテーブルを隔てて向かい合う形で座っているミランの隣でサーリャは居心地悪そうにお互いを見ることしかできないでいた。少しでも話しやすいようにとサーリャが淹れた紅茶のカップはそれぞれの前に用意されているが、誰も手を付けない。

 ルインは自分から話すつもりが無いのか腕を組んでおり、隣のミランに関してはどう切り出していいのかわからないのか口をパクパクさせるだけで会話すら始まっていない。

 この状況に流石のサーリャも頬を引き攣らせながら内心呆れていた。

 (なんて面倒くさい二人なの)

 話し合いに来たはずなのに一人は完全に会話をするつもりが無く、もう一人は普段の姿からは想像もできないくらい奥手になって話すことさえ躊躇っている。埒が明かない状況にサーリャは仕方なく助け船を出すことにした。

「あの~。事情を知らないので良ければ二人の関係を改めて教えてくれないでしょうか」

 「あ、ごめんなさいね。サーリャさんからすればそう思っても仕方ないわね。ルインと私はかつて同じ騎士団に所属していたのよ。騎士団と言ってもメンバーは私とルインの二人しかいなかったけどね」

 「サーリャと呼んでくださいミラン様。それで、どうしてミラン様とルインの二人だけしかいないのですか?」

 「純粋に実力の差ね。私とルインの実力に周りが追い付いて来れなかったのよ。私が正面から斬りこんでルインが周りを薙ぎ払っていたから二人でも特に不都合が無かったのよ」

 「あぁ。そうですか」

 サーリャは少し遠い目になりながら納得せざるを得なかった。一対一での戦闘に特化しているミランと広範囲の殲滅に特化したルインが組めば敵なしだ。

 「俺達の馴れ初めを話しに来たわけじゃないだろう。サーリャ、ルルミラを犠牲にした大氾濫についてはどこまで知っている?」

 「当時の騎士団全員で対処したのでしょう?それでも防ぎきれなかったからルルミラに魔獣達を誘い込んでまとめて封印したのよね」

 「サーリャよく考えてみて。あれだけの規模を封印するとなるとルルミラで魔獣達の進行を押し留める必要があるわ。それが可能なのは誰?」

 「それって!」

 ミランからの補足でサーリャはハッとなり目の前に座る人物に目を向けた。そんなことが可能な人物をサーリャは一人しか知らない。

 「それがルインなの?」

 「そうよ。封印の準備が整うまでの時間稼ぎ——遅滞戦闘を担当していたのが彼よ。彼のおかげで作戦は成功したといっても過言ではないわ。英雄と呼ばれるのは本当ならルインのはずだったわ。……けれども、逆に成功してしまったことでルインが狙われるきっかけにもなったわ」

 「成功したから?」

 どういうことだろう。作戦が成功し多くの人を守れたはずなのに何故狙われる必要があるのだ。

 「あなたとルインの使用する魔法技術は私達からすれば理解できる範囲を超えているわ。詠唱を必要とせず瞬時にどんな魔法も展開できるなんて反則もいい所よ。理解できないからこそ人はそれを使う者を恐れるわ。なぜそんな力を使うことができるのか。その力をどうやって手にしたのか。その疑問は陛下も例外ではなかったわ。その結果起こってしまったのが……」


 ルインの捕縛命令


 ミランによればルインの捕縛に関しては多くの人員が投入されたらしい。それこそ一人を捕まえるにしては明らかに多すぎる規模で。ルルミラの件がまだ完全に収束していないのにも拘わらず人員を割くなど通常なら考えられない。

 事前に動きを察知していたルインはすぐさま王都を脱出したらしい。

 「どうしてルインは逃げ出したの?私の時みたいにきちんと説明すればわかってもらえたんじゃ……」

 「簡単なことだ。俺を捕らえるように進言した連中は俺の存在を疎ましく思っていた貴族どもだった。捕縛と言っているが最後は処分するのが目的だとわかりきっていた。それに時間が経つにつれて無詠唱を使う俺への認識が悪くなり、最後は正常な判断ができるやつがいなくなっていた。まともな奴ならあんな命令など素直に従わないぞ」

 「っ!」

 ルインの言葉にミランはびくりと身体を震わせた。膝の上に乗せている手は固く握られ、あまりの力に指先の関節が白くなってしまうほどだ。異常ともいえる反応にサーリャは猛烈に嫌な予感を感じた。

 「その命令って……」

 恐る恐る尋ねたサーリャの言葉にルインはすぐには返さなかった。目の前にあるカップに口を付け、一息つく。

 カップを再びテーブルに置くとルインは淡々とした口調で告げた。

 「俺と俺に協力したであろう者達全員の殺害だ」

 あまりの内容にサーリャは自身の中で何かが崩れるような音がした。



 数年前——

 雨上がりでぬかるんだ地面をものともせず、ルインはスピードを緩めることなく森の中を進んでいく。

 「ちっ!しつこい奴らだ」

 背後をちらりと確認したルインは思わず悪態をつく。追っ手は相変わらずルインの後方から迫ってきている。見えるだけでも四人はいるが、あくまでも見える範囲内だけだ。おそらくさらに後方には倍以上の人数がいるだろう。

 捕縛命令が出て既に半月。その間ルインは休むことなく逃走を続けていた。

 (俺一人の為にこれだけの人数を割くとは暇な奴らだな)

 追っ手は常に交代要員が後方に控えており、長期の追跡任務でも支障はない。しかし追われる側のルインは常に逃げ続けなければならず、休まる時が全くない。精神的にも体力的にもそろそろ限界が来ており、このままではいずれ追い付かれる。

 (一度派手に魔法を撃ち込んで攪乱させておくか?)

 これまで戦闘は何度かあったが、ルインはできる限り殺傷は控えている。追われる身となっても相手はかつての味方だ。仲間を傷つけることには抵抗がある。

 そう考えていたところでルインの死角から何かが高速でルインへと迫ってきた。

 「なっ⁉」

 咄嗟に迫ってくる方向に障壁を展開するが、飛来した何かは易々と障壁をぶち破りルインを勢い良く吹き飛ばす。受け身を取ることすらできずゴロゴロと地面を転がり、慌てて起き上がると視界が開けて明るくなっていた。どうやら森の切れ目に出たようで、ルインのすぐ背後には崖が迫っている。

 「とうとうお前まで参加するようになるとはな。英雄とは随分と暇な役職のようだなミラン・リルコット」

 口の中の血を吐き出しつつ、ルインは正面に立つ相手を睨みつけた。

 ルインの視界の先にはミランが盾を正面に構えたままの状態で立っている。先程障壁を破ったのは彼女のシールドバッシュだろう。

 「ルイン、ここまでよ。大人しく私達と一緒に王宮に戻ってちょうだい」

「残念だが俺はお前達と戻る気は無い。自分から殺されに行くなど馬鹿のやることだろう」

 「どうして⁉審問を受けるだけじゃない。潔白を証明できればあなたはこんなことをしなくて済むのよ!それなのにどうして……」

 どうして理解してくれないのかと悲しげな表情を見せるミランに流石のルインも怒りが湧いた。

 「ふざけるな‼今回審問を担当するのは俺を危険視している貴族どもだろうが!危害を加えようとしてくる奴らに無防備になれと本気で言っているのか!」

 審問では虚偽の報告ができないように魔法に対する一切の抵抗を無くさなければならない。つまり審問と偽って害意を向けられればルインは何の対処もできないことになる。中立で公平な立場の者が担当するならまだいい。しかし今回は明らかにルインに対して良い感情を持っていない者なのだ。警戒するなと言う方が無理である。

 「私が立ち会ってそんなことはさせないと約束するわ。それに陛下の命令よ。少しでも憂いを無くそうとしているのだから仕方ないでしょう」

 「ならばあの命令はどうなんだ!無関係な人を命令だからと言って虐殺することが仕方ないことだと必要なことだと思っているのか‼」

 殺害対象が自分だけではなく協力した者達にまで広がり、それを命令だからと言って従うなど正気とは思えない。

 「報告通りあなたのその力が悪魔に魂を売り渡すような邪悪な手段で手に入れたのだとしたら放置することはできないわ。協力者がいるのならその者達も同罪よ。あらゆる脅威から王国を守るのが私の使命よ」

 「……それがお前の選択なのか」

 ルインの呟きにミランは何も答えず、代わりにこちらを安心させるかのように微笑みを浮かべている。しかしその目は全く笑っておらず、瞳の奥にはどす黒い感情が見え隠れしているのをルインは見逃さなかった。今のミランはルインからすれば優しく手招きしている死神にしか見えない。

 これ以上は何を言っても彼女には届かないだろう。

 「悪いが俺はこのまま行かせてもらう」

 はっきりとルインが告げると微笑みを浮かべていたミランの顔から感情が抜け落ちた。

 「いいわ。あなたの意思が変わらないのなら仕方ないわね。王国を守る騎士としてあなたをここで討つ。——やりなさい」

 ミランの後ろで待機していた騎士が一斉にルイン目掛けて魔法を放つ。射線上にある木々など容赦なく吹き飛ばしながら向かってくる魔法をルインは障壁を展開して受け止める。ルインは決断を迫られていた。ミランが参加している以上手加減ができる状況ではない。ミランも魔法の詠唱を始めている。

 (悪く思うなよ!)

 ルインは一帯を吹き飛ばそうと素早く魔法を構築し腕を振るおうとしてその動きが止まった。視線の先にはかつての仲間達がいる。こちらに殺意を向けてくる仲間達の顔にかつて他愛なく笑い合っていた時の表情が重なる。

 「あっ……」

 僅かな隙をミランは見逃さずミランが剣に雷撃を纏わせて突っ込んでくる。殺意を隠そうとしないミランの鋭い突きが障壁にぶつかりその勢いを止める。目の前のミランの表情に圧されてしまいルインはたじろぐ。

 障壁で止められているミランの剣先に雷撃が集まり、障壁を突き破って雷撃がルインを貫き、そのまま後ろへと倒れる。背後にあるのは崖だ。

 (まさかこんな終わり方とはな)

 落ち行く浮遊感と薄れゆく意識の中、ルインはこれまでのことを振り返っていた。

 ただ守りたかった。少しでもその助けになればとこれまで力を振るい続けてきた。無詠唱という特殊な力も隠すことはしなかった。今は理解されなくてもいつか仲間達は理解してくれるだろうと。——その結果がコレだ。

 行動の見返りとして返って来たのは恐怖・不安・嫉妬などの負の感情だけだった。これまでのすべてを否定されたような気がして閉じた目の端から涙がこぼれる。

 再び目を開ければ崖端からこちらを見下ろす〝敵〟が見えた。誰もが落ち行くルインを見て安堵の表情を浮かべている。

 (本当に……なんのために戦ってきたんだろうな)

 もうすべてがどうでもよくなり、ルインは静かに目を閉じた。



 「これが真実だ。騎士は誇り高い存在だとか弱者を守る存在だとかサーリャは思っているようだが、実際は命じられればどんな内容でも疑問を持たずに遂行する駒にすぎん」

 「そ……んな」

 初めて聞かされる真実にサーリャは掠れた声しか出せない。知らぬ内に全身から力が抜け、ソファーの背もたれに身を預けていた。

 「崖から落ちたルインはどうやって助かったの?」

「それは俺も覚えていない。気が付いた時には川の縁で倒れていたからおそらく川に落ちたんだろうな。もしかしたら無意識に障壁でも張っていたのかもしれない。別にあのまま死んでいても俺は構わなかったんだがな」

 「そんな!」

 自身の命にさえ関心が無いルインの態度に思わずサーリャは声を上げた。

「事実そうだろう。化け物と蔑まれ多くの村の人間を人質にするような犯罪者だぞ?さっさといなくなった方が王国も——」

 「そんなこと言わないで!」

 ミランが悲痛な叫びがルインの言葉を遮る。

 「死んだほうが良かったなんて言わないで。私はあなたが死んだと思っていた時は本当に辛かった。自分のしでかしたことを何度も悔やんでも悔やみきれなかった。僅かな希望に縋ってあちこちあなたのことを探し回ったわ。人質の件も嘘。あなたは周りに迷惑が掛からないようにそう証言するように頼んでいたのでしょう。だからこそ被害を受けた村は一つも無かった」

 ルインはスッと目を細めてミランを見る。

 「……口止めをしていたはずだが?」

 「誰にも悟られないように配慮して、あなたが立ち寄った村をもう一度一人で回ったわ。……時間はかかったけれど皆教えてくれたわ。あんな状況にも拘らずあなたは常に周りの心配をしていた。それに引き換え私は……」

 ミランは声を詰まらせた後その場で立ち上がり、ルインに向かって深く頭を下げた。

 「ごめんなさい!謝って済まされることではないし、私にその資格が無いこともわかっているわ。それでも謝りたかったの。たとえ許されなくても直接その言葉は伝えたかったの」

 ルインは黙って頭を下げるミランを見るだけで何の反応も示さず、サーリャはその様子をはらはらと見届ける。

 「ならばミランには俺が言うことを実行してもらおうか」

 「……何をすればいいの?」

 「ミランの持つ英雄という肩書き・権力・人脈。持ちえる全てを使って助けられる者はすべて救え。貴族からの圧力だの王国としてのメンツなどで止まることは決して許さん」

 (えっ、その程度でいいの?)

 サーリャは予想していなかった命令に首を傾げた。思っていたほど重い内容ではないのだが、ミランは何かに気づいたのか目を見開く。

 一人首を傾げるサーリャにルインが補足するように説明する。

 「簡単なことではないぞ。周りからの干渉を一切受け付けずに人助けをするんだ。都合の悪い貴族からの反感を買うことは免れないし、場合によっては王の意思にも逆らうということだ。下手をすれば俺のように排除の対象になるかもしれない。これまで持っていたものをすべて捨ててしまうかもしれない。——その覚悟はあるのか?」

 試すようなルインの言葉にミランはすぐさま頭を上げた。横顔から覗く表情は先程までの暗さは無く、覚悟を決めた強い意志が宿っている。

 「覚悟はある!ルインが果たせなかったことのすべてを私が引き受けるわ」

 「……そうか。ならば俺からはこれ以上何も言うつもりは無い。ここからは行動で示してもらう」

 「ありがとう」

 (良かった)

 再び頭を下げるミランを見ながらサーリャは隣で安堵の息を吐き出した。そもそも言葉を交わすことすらさせてもらえないのではと危惧していたが、ミランはこうしてルインに謝ることができた。すくなくともミランを連れてきたことは間違いではなかったと思う。

「それにしてもルインのあの傷はミラン様が付けた傷だったのね。私はてっきりこの森でルインが怪我をするくらいの魔獣がいるのかと思ったわ」

「そんな奴がいたら今頃サーリャは生きてはいないぞ。それに人の裸を見て勝手に騒いでいたのはそっちだろう。またお得意の妄想でもしていたのか?」

 「えっ?」

 「そ、そんなこと考えていないわよ!人を変態扱いしないでちょうだい」

 先程とは違って緩くなった空気の中、顔を真っ赤にさせながらサーリャは身を乗り出しながら喚いた。ミランの前でなんてことを言うのだ。そんなサーリャをルインは鼻で笑う。

 「どうだか。下着姿を見たぐらいで顔を真っ赤にさせながら妄想を膨らませるくらいだぞ。普段からいろいろと考えているんじゃないのか?」

 「あ、あなたね~」

 プルプルと体を震わせながらサーリャは呻く。一度ルインとはその辺りについて真剣に話し合った方がよさそうだ。もしくはルインの料理を激辛にでもして苦しませた方がいい。

 「あ、あの……」

 「えっ?」

 そんな中、隣のミランがなぜか躊躇うように声を上げたことでルインとの会話が中断した。ミランはサーリャとルインを交互に見ながらなぜか申し訳なさそうな表情になっている。

 「ごめんなさい。あなた達がそんな関係だったなんて知らなかったわ。サーリャには辛い話だったわね」

 「はい?」

 サーリャの思考がますます混乱する。自分とルインがどうしたというのだ。そしてなぜ謝られなければならないのだ。サーリャは先程までのルインとの会話を振り返り……そして気づいてしまった。

 ルインの裸をサーリャは見ており、ルインもサーリャの下着姿を見ている。それに加えて互いが気軽に話せる間柄。そこまで揃えば周りからどう思われるのかなど明白だ。引き始めていた熱が再び顔に戻ってくるのが嫌でもわかってしまう。

 「ル、ルインとはミラン様が思っているような関係ではありません!」

 「わかっているわ。私の前だからって隠さなくても大丈夫よ。心配しなくても誰かに言うつもりは無いわ」

 「だから違いますってば‼ルインも何か言いなさいよ!」

 なかなか分かってもらえないミランの誤解を解くのにサーリャはさらに労力を使うことになった。



 サーリャが必死に説明したおかげでミランの誤解が解け、和やかな空気になった頃におもむろにルインが切り出した。

 「もう一つ気になっていたんだがサーリャはこれからどうなるんだ?」

 「私?」

 話題が自分のこととなったが、ルインの発言の意味が分からずサーリャは自分を指さしながら首を傾げる。

 「今までの話を聞いていなかったのか?無詠唱という異物が存在したことで今回の騒動が起きたんだぞ。無詠唱が使えるサーリャにも同じことが起きないとは言い切れないだろう」

 「そう言われても私にはどうすることもできないじゃない。そもそもだけど騎士になったばかりの私を危険視するかしら?」

 英雄と呼ばれるに相応しいルインとは違いサーリャは無詠唱を使えるといっても所詮は新米騎士。周囲への影響力など皆無で何かが起こるとは考えにくい。

 しかしルインは静かに首を横に振る。

「甘いな。影響力が無いうちに刈り取っておくのがアイツらのやり方だぞ。この先余計なちょっかいが入るのは間違いないだろう」

 この先の騎士生活に暗雲が立ち込めてきたが、そんなサーリャに思わぬ援護が入った。

 「その点は心配しなくていいわ。サーリャは私の部隊に入ってもらうつもりよ。下手なちょっかいは出さないと思うし、正面から私と敵対するような貴族は少ないでしょう」

 「えーー!私がミラン様の部隊にですか⁉」

 驚きの声を上げるサーリャを見ながらミランはにこりと笑う。

 「安心しなさい。ルインがいた時と同じでメンバーは私しかいないわ。サーリャが入ってくれてもう一度部隊と呼べるようになるから」

 「そういう意味じゃないのですけど⁉」

 確かにミランという後ろ盾はサーリャにはとても心強い。しかしサーリャが気にしているのはそこではない。

 「私、ルインほどの実力はありませんよ」

 戦場でルインの戦いを間近で見ていたサーリャはよく理解している。ミランの隣でルインと同じだけの働きができるかと問われればサーリャは即座に否と答えられる。それだけの差がルインとの間にはある。

 「その点に関しては問題無いわ。私が責任もって鍛えてあげるわ」

 「それは名案だな。ミランは対無詠唱戦闘も心得ているから安心してボコられて来い。ミランは手加減など一切しないからいい経験になるぞ」

 当の本人は置き去りに英雄級の二人だけで勝手に話が進んでいく。二人からの視線を受けたサーリャは反論できず、ガックリと肩を落として小さく「はい」と答えることしかできなかった。


 ルインに会いに来ることができミランの目的も果たせたことで長居する理由が無くなったサーリャ達は王都へ帰るために玄関まで移動した。ミランが先に外へと出て行き玄関先でルインと二人きりになったタイミングでサーリャはルインへと近づいた。

 「ルイン。あなたとミラン様の間に起きたことは二人の問題だから私から口出すべきことではないのは分かっているわ。それでももう少しお互いに歩み寄ってもいいんじゃないかしら」

 外にいるミランには聞こえないようにサーリャは少し声を落とす。

「ルインが受けた仕打ちに対して許せないという気持ちは理解しているつもりよ。だけど、ミラン様もルインを傷つけてしまったことに対して後悔していることも事実よ」

 リビングでサーリャがルインと言い合いをしている時に気づいてしまった。二人を見るミランの表情が寂しげだったのを。かつては今のサーリャとルインのような親しい間柄だったのだろう。

 「それとこれも返しておくわ」

 サーリャは首から下げていたものを外してルインに差し出した。その手にはルインから貰った転移魔法のカギとなる一枚のプレートがある。どのような理由だとしてもルインとの約束を破ったことには変わりはないので返さなければならない。

 しかしルインはプレートを受け取らず、逆にプレートを持つサーリャの手をゆっくりと押し戻す。

「また来る時に必要になるだろうが。俺は毎回迎えに行くような面倒なことをするつもりは無いぞ」

「それって!」

 「……今回は特別に見逃そう。次無断で誰かを連れて来たら今度こそそれまでだ。覚えておくことだな」

 ルインはそれだけ言うと視線をサーリャからその背後にある玄関扉に向ける。数秒黙って扉を見つめていたルインだったが、仕方なさそうに小さく息を吐き、サーリャよりも先に玄関扉を開けた。サーリャもその後をついて行く。

 「おい、ミラン・リルコット」

 家から少し離れ始めていたミランがルインに呼び止められてこちらに振り返る。

 「俺はこれまでのことを許すつもりは無い。英雄ミラン。リルコットは信用することはできない」

 「わかっているわ。今まで言いたかったことがやっと伝えることができたから、もう今後あなたと——」

 「ただし!」

 寂しげなミランの言葉を遮るようにルインは言葉を重ねる。

 「ただのミラン・リルコットならば話し相手ぐらいにはなってやる。俺が言いたいのはそれだけだ」

 それだけ言うとルインはミランからの返事を待たずにさっさと家の中に戻ってしまった。静かに扉が閉められ残ったのはサーリャとミランのみ。

 「本当に面倒くさいわね」

 サーリャはその場で小さく笑うとミランに駆け寄り「行きましょうか」と促し、先に転移魔法人のある場所まで歩き始めた。ミランは何も言わず歩き出したのが気配で分かった。

 速度を落としミランと並んで歩く二人は言葉を交わさず黙って歩き続けていたが、おもむろにサーリャは前を向いたままミランに声をかけた。

 「良かったですね。また来れますよ」

 「……そうね。今度来るときは何かお土産を持ってこないといけないわね」

 「それはいいですね。何か甘いものでも買っていきたいですね」

 サーリャは前を見続け決してミランの方を見ない。今のサーリャにできることは気づかないことだけだ。ミランの声が震えていたことも、視界の隅でミランの頬で何か光るものがあったこともすべて。

 サーリャはふと空を見上げた。見上げた先には気持ちいいほどの青空が広がっている。その光景は今のサーリャの心境を現しているかのようだ。

 明日からまた新たな日常が始まるのだ。不安が無いわけでは無いが今は期待の方が大きい。無詠唱という存在はサーリャの日常を大きく変化させる正に魔法のような存在だ。改めて出会えたこの奇跡に感謝するしかない。明日への期待を膨らませながらサーリャは自然と首から下げた青いプレートに優しく指を触れ、転移魔法でその場を後にするのだった。

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