第四章~⑥

「謎なんてない。私は自由になりたかっただけだ。由子さんが私ではなく、楓に多くのお金を残したことからも分かるだろう」

「それでは何故あなたと籍を入れたのですか。しかも相続でなく遺贈にし、遺産管理者をあなたに指定したのですか。管理者なら当時十三歳だった楓さんに黙って、自由にお金を使えたはずです」

「私を管理者にしたのは、単に健一達を信用していなかったからだ。あの二人に任せたら、それこそ思う存分、浪費していただろう」

「それを回避する為に、由子さんは信頼しているあなたへ託した。それなのに死後離婚までしたのは何故ですか。そこまでしなくても、自由気ままに暮らせたでしょう」

「君達は私が詐欺に遭った件まで調べたんだろう。それなら分かっているんじゃないのかな」

「あなたが勝手に遺産を使えば、管理者として不適格だと指摘する。親権を持っている彼女達と争えば、勝ち目はない」

「そうだ。自由に使えない金を抱えていても、邪魔なだけだ。弁護士に任せてしまえば、楽になる。籍を抜いて姿を消せば、楓の面倒を看る必要もない。成人になるまで、弁護士を通じ監視していれば十分だ。それが済めば、後は関係ない。由子さんの遺言に従いさえすれば、彼女への最後の恩返しが出来ると考えた。それだけだよ」

 楓は動揺した。これが祖父の本音なら、この四年間は全く無駄だったのだ。最も恐れていた事態と言える。しかし大貴が反論した。

「明らかに嘘ですね。だったら何故あなたは、ここに来たのですか」

 今度は祖父が顔を引き吊らせた。それでも彼は言い返してきた。

「田畑さんから、おかしな工事が始まったと知らされたからだ。土地は楓名義だが、建物は私のものだから、その地下を掘り倒壊する恐れがあると聞けば、心配になるのは当然だろう」

「本当にそうでしょうか。出てくるとまずいものがあるから、止めに来たのでしょう」

「馬鹿な事を。万が一家に何かあれば、どう責任を取るつもりだ」

 これには楓が回答した。

「業者さんにはできるだけそうならないよう、細心の注意を払って作業するようお願いした。それでも家が傾いた場合、私が全て賠償金を支払う契約を交わしたの」

 大貴が補足した。

「つまり全責任は、楓さんが負います。だったら文句はないでしょう。ご存知でしょうが、彼女には三十七年前に建てられた家くらい、何十回も強固で豪華に建て直す資産を持っていますからね」

「最初からそのつもりで、工事を始めたのか」

「そのつもりとは、どういう意味ですか。出来る限り家を損傷しないよう、工事を依頼しただけです。そうですよね」

 それまでただぼんやりとやり取りを聞いていた現場監督は、突然話を振られてビクリとしていた。それでもどうにか頷いた。

「はい。いくら依頼主が全額補償してくれるとは言っても、私達としては余計なトラブルを避けたいので、慎重に進めています」

「ほら、言った通りでしょう。ですからご安心ください。楓さんは、自分名義の土地の地下を掘っているだけです。ご存知ですか。民法第二〇七条で土地の所有権は、法令の制限内においてその土地の上下に及ぶ、となっています。ですから違法な工事ではありません」

「違法でなければ、何をやっても良いというのか」

「いいえ。例え法で罰せられなくても、道義的な責任は発生します。またどんなに止むを得ない事情があっても、法に触れれば罰せられなければなりません。例えば正当防衛で人を殺めた場合だって、警察への届け出は必要です。後で無実が証明されるとしても、報告義務は生じます。それなのに死体を埋めて隠せば、死体遺棄の罪に問われるでしょう。それを手伝った人も、共犯として同じ罪になります。それがこの日本という、法治国家での決まりではないですか」

 祖父の顔が青ざめた。楓はその様子を見て、推論が間違っていなかったと感じ、胸を撫で下ろしながらも複雑な感情を抱いた。

 大貴も確信したのだろう。さらに詰め寄った。

「やはり家の下には、三十七年前に失踪した倉田誠さんの遺体が埋められているのですね」

「な、何の証拠があって、そんなことを言うんだ」

「証拠はありません。だから確かめようとしているのです」

「それがこの工事の狙いだったのか」

 二人の会話を聞き慌てたのは、本来の目的を知らない現場監督だ。

「死体を探す為に、こんな大規模な工事を依頼したのですか。私達は、家の下の土壌が汚染されていないかの確認と、地盤強化をする為と伺っていましたが、違うのですか」

「申し訳ありません。もちろん工事は、依頼通りに行って下さい。ただその過程で、何か発見されるのではないかと期待していたことは事実で、それをお伝えしていなかった点はお詫びします」

 楓が頭を下げ謝罪すると、それ以上は何も言わなかった。何も違法な行為を依頼された訳ではないし、工事費の大半は既に前払いしている。よって今更拒否できない、と考えたからだろう。

「お前達は業者を騙していたのか。そんな行為は許されない」

「騙してはいません。定かで無かったから、言わなかっただけです。しかしどうやら、白骨死体が発見される可能性は高そうですね」

 祖父は言葉を詰まらせた。そこで大貴が勝負に出た。

「もう隠し事は止めませんか。そうすれば、これ以上無駄な作業をしなくて済みます。家に入れて頂き、床を剥がして土台の一部を掘り起こすだけではっきりするでしょう。楓さんだって、思い出がたくさん詰まったこの家を、傾かせたくはないのです」

 しかし祖父は俯いて固まったまま、何も言い返してこなかった。その為、もう一度彼は説得した。

「楓さんはあなたが姿を消した謎を、真剣に解き明かしたいと考えています。それはどうしても、かつてのようにあなたと暮らしたい。そう願っているからです。もちろん最悪の事態を覚悟した上での行動だと、今ならお気づきでしょう」

 すると祖父は小声で尋ねて来た。

「楓が私に渡したメモの件を、君達はどこまで調べたんだ」

「倉田家の呪い、と書いた件ですか」

「ああ、そうだ」

「この村では、磯村家の呪いとも言われていたようですね。しかし敢えてそう書きませんでした。あなたをなるべく傷つけたくなかったからです。しかし真相に気付いたのは、あれよりもっと後でした」

 大貴は現場監督を含めた作業員達を、その場から外させた。その後泊という調査員と共に、自分達がこれまで調べてきた調査結果から、一つの推論を立てるまでの経過を説明した。

 かなり長い話になったがその間、祖父は静かに聞いていた。一通り告げ終わったところで、もう一度促した。

「お願いです。あなたの口から、全てを明らかにして頂けませんか。私達の推測で誤っている点があれば、指摘してください」

 するとようやく口を開いた。

「あんな昔の話を、よくそこまで調べたな。しかし君の話だと、何一つ証拠は見つかっていないようだ。違うかい」

「はい。ただ唯一あるとすれば、この家の下に眠っていると思われる白骨死体だけです。それが発見され、DNA鑑定をして失踪したはずの倉田誠さんだと判明すれば、途中の事故は関係ありません。何故ならこの家を建てた時期から考えても、磯村由子さんが彼の死に関わっていることは否定できない。あなたが死後離婚をし、楓さんの前から消えた理由は、この一件だけで説明がつく。違いますか」

 楓は懇願した。

「お願い。本当の事を言って。心の準備は出来ているから。お祖母ちゃんが殺人犯だったとしても、受け止める覚悟は持った。それでも私はお祖父ちゃんとのわだかまりを解消して、昔の様に暮らしたいと思っている。だってお祖父ちゃんは、何も悪くないから」

「由子さんが殺人を犯していたとしても、時効は成立しています。それにあなたのしたことが犯人隠蔽罪に当たると仮定しても、時効は三年ですから罪に問われません」

 大貴がそう補足すると、彼は大声で怒鳴った。

「そういう問題じゃない! 何故分からないんだ。君達が言ったことが本当だとしたら、磯村家の名や由子さんの名がけがされる。孫の楓も、そういう目で世間から見られるだろう。これだけネットが発達した世の中だ。どんな誹謗中傷を受けるか分からない。下手をすれば、今いる会社を辞めなきゃいけなくなるかもしれないんだぞ」

 しかし楓は毅然とした態度で言い返した。

「それでも構わない。覚悟していると言ったでしょ。どんなに周りが非難しようと、味方になってくれる人達がここにいる。そこにお祖父ちゃんが入ってくれれば、それだけでいいの。会社を辞めたって、生活できるだけのものをお祖母ちゃんが残してくれたじゃない」

 強気な口調に戸惑いながらも、祖父は宥めるように言った。

「ずっと無職で居るとでもいうのか。せっかく一生懸命勉強して、優秀な大学を卒業したと言うのに。それだけじゃない。あの梨花という女が何を言ってくるか。私を貶めようと、他人を操って詐欺まで働いたんだったな。それなら今度は楓にどんな仕打ちをしてくるか、考えるだけでも恐ろしい。そうだろ。まだ遅くない。考え直せ」

「その心配はありません。今回の調査で彼女が裏で動いた悪事については、確かな証拠を握っています。もし楓さんに何かしようとすれば、刑務所に送り込めばいい。そう伝えれば、プライドが高く損得勘定に長けている彼女なら、諦めるでしょう。断言できます」

 大貴が楓の主張を後押しすると、祖父は少し考え始めた。その為楓が話を続けた。

「世の中には、表に顔を出さなくても出来る仕事は一杯ある。例えばここにいる大貴さんが勤めているのは、お金持ち専門の資産運用を専門とするコンサルティング会社なの。私の名前が出ないように、彼の伝手でお祖父ちゃんの借金を取りまとめたでしょ。同じ方法で、遺産を有効利用した会社が立ち上げられる。表には別の人を出せば、私やお祖父ちゃんが世間の目に晒されるリスクも減らせるの。そういう会社を作っている人は、世の中に沢山いるんだって」

「楓さんの言う通りです。私の会社では、単なる資産運用だけでなく、表立って顔を出したくない資産家による事業展開のお手伝いもしています。そういう方は少なくありません。もちろん犯罪者だからではなく、あくまで裏方に徹したいと考えている人達です。表立って社会貢献すれば、売名行為だと非難を受ける場合があるでしょう。有名人がそうした、いわれのないバッシングを受けているケースは多々ありますからね」

「そうなの。だから安心して。今はネットが普及しているし、感染症の拡大を経験しているから、都会でなく地方で働く人達も増えているでしょ。それこそこの村のような場所で、ひっそりと暮らしながら仕事をするのも、選択肢の一つになる」

「ここまで彼女が言うのですから、諦めて下さい。全てを打ち明け、楓さんとやり直しましょう。それともまだ彼女を信じられませんか」

 二人で懸命に説得を重ねた結果、大貴の最後の一言が効いたらしい。その場で崩れ膝をついた祖父の眼には涙が浮かんでいた。

「そうじゃない。楓の為を想って、私は由子さんとの約束を果たそうとしただけなんだ」

「それではやはりこの家の下には、倉田誠さんの死体が埋められているのですね。それを手伝ったのが、宗太郎さんではありませんか」

 祖父はようやく頷いた。楓はここでやっと終わる、と息を吐いた。四年という月日は、決して短いものでなかったからだ。途中で何度も挫けそうになり、諦めかけた事もある。それが今から真相を聞けると思うだけで、胸のつかえがとれる気がした。

 しかしまだ全てではない。気を抜かず、緊張した面持ちのまま大貴が質問を続けた。

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