第四章~⑤

 泊がいくつもの伝手を使って交渉した結果、ようやくこちらの条件を飲んで作業してくれる業者が見つかった。そこで早速、大貴の考えた作戦が実行され始めた。

 といっても相当時間がかかる為、それぞれ仕事を抱えている楓達が、付きっ切りにはなれない。土日の休みの際に、都合が付けば現場の状況を確認しに行く程度だ。泊でさえも、週に一、二回訪れられるかどうかだった。

 工事が始まる前、あの家に最も近くで住んでおり、管理のため出入りする可能性があった田畑家だけには、楓から説明をしておいた。万が一作業中に巻き込まれ、怪我をされては困るからだ。

 但し、工事の本当の目的は明かしていない。彼ら以外の人が、あの家の周辺を出入りする可能性はまず無かった。しかし念の為、私有地により立ち入り禁止という柵も作ったのである。

 そうして日々作業が進み三週間目に突入した時、とうとう祖父が現れた。そこで現場を指揮する作業員に向かって怒鳴ったという。

「おい、一体何をしているんだ。ここは俺の家だぞ。勝手に人の家の下に、穴を掘ろうとしているんじゃねぇ。誰もこんな工事の許可はしてないぞ。さっさと止めろ!」

 しかし事前に話を通していた為、現場責任者は楓が指示したように答えたようだ。

「この家が、あなたの所有物だとは伺っています。ただ私達は土地の所有者である山内楓様のご依頼で、この工事を行っているだけですから。あくまで私達が立ち入るのは、彼女の名義になっている範囲だけです。あなたの家には指一本触れませんし、そう事前に注意も受けています。ですからご安心ください」

 楓の名前を聞いて、彼は一瞬怯んだという。そこで連絡を入れた田畑洋三が、彼に話しかけた。

「メールでも書いたけど、一カ月前にここの業者や楓ちゃんからは、地盤の強化だと聞いていたんだ。だからてっきりヨシさんにも、話が通っているものだと思っていたけれど違ったようだね」

「いや田畑さん、よく連絡して頂きました。私は全く聞いていないので、彼らが勝手にやっているだけです」

「それにしても、お会いするのは十年振りだね。これまでは訳あって、メールでしか連絡しないようにと言われていたからそうしていたんだけど。なかなか聞けなかったから今まで黙っていたが、あれかな。由子さんと死後離婚したって噂と、何か関係あるのかね」

「い、いや、まあ、色々あって」

「うちは良いんだよ。前払いで管理費を払って貰っているし、何かあればメールで伝えるだけだからさ。ただ楓ちゃんは、とても心配していたよ。彼女が雇った調査員の人も、この村でいろんな話を聞きまわっていたみたいだね。もう彼女とは会ったかい」

「あ、はい」

「それは良かった。でも変だな。楓ちゃんはヨシさんに黙って、この家の地盤強化の工事を始めたってことだよね」

「そのようです」

「やっぱり。おかしいとは思ったんだ。今更地盤強化って、何をするのかと不思議だったけど、最近になって横から穴を掘っているからさ。万が一崩れるといけないなんて言い出したし。家に入る時は声をかけて下さいとか、注意して欲しいなんて言われたら怖いじゃない。地盤強化するのに、家が倒れるかもしれない工事なんてするかなって、ヨシさんにメールで聞いて良かったよ」

 二人が話をしている間にも、工事は再開された。しかし楓の指示と知り、祖父はどうすれば良いのか分からなくなったようだ。その場に立ち尽くし、しばらく工事の様子を見ていたという。

 田畑夫妻はもう自分達には用が無いとばかりに、その場から離れて行った。その彼らと入れ替わりに訪れたのが、N県にいた絵美だ。

 現場監督には、もし祖父が現れた場合はすぐ彼女に連絡を入れるよう、依頼をしていた。同じN県に住んでいる為、いち早く駆け付けられると踏んでいたからだ。

 しかも仕事の関係上、祖父が現場に姿を現すとすれば土日しかないと予想していた。その為いずれは、楓や大貴ともバッティングする可能性があると考えていた。

 絵美は祖父の姿を確認し、声をかけた。

「ヨシさんですね。初めまして。私はN県庁に勤める、目黒絵美と申します。山内楓さんとは同じ大学の同期で、親友です。今あなたがここへ来ていると先程連絡したので、しばらくすれば来るでしょう。それまでお待ち下さい」

 そう聞いて祖父が逃げ出そうとした為、彼女は大声で言った。

「何故楓がこんな大規模な工事を始めたのか、その理由を知りたくはありませんか。ここで逃げても、解決はしませんよ」

 彼は立ち止まって目を剥き、彼女を睨んで言った。

「あなたは楓から、何を聞いているんだ。この工事が何を意味するのか、知っているというのか」

 余りの形相に慄き思わず後ずさりした絵美だったが、何とか言い返していた。

「もちろんです。大学へ入学して間もない頃、私がN県出身と知った楓と仲良くなりました。彼女は昔、あなたとここに住んでいたとも聞いています。それから色々な悩みを打ち明けられました」

「悩みだって」

「はい。彼女が中学一年の時、自分を大事に育ててくれたお祖母さんが亡くなってすぐ、大好きなお祖父さんまでもが、姿を消していなくなったと悲しんでいました」

 これには彼も黙るしかなかったようだ。しかし絵美は話を続けた。

「それでもう一人の私達の同級生と相談し、あなたを探し始めました。それで見つけたのです。人に騙されておよそ五千万円もの借金も抱え、早朝から夜遅くまで働くあなたを。それは四年前です」

 彼は目を丸くした。そんな以前から見つかっていたと、この時初めて気づいたらしい。しかも借金についてまで知られているとは、思っていなかったようだ。

 驚きの余り言葉を失っていた彼に、彼女は続けた。

「楓があなたを、どれだけ心配していたか分かりますか。大学に合格するまでも、ずっと考えていたようです。でもまだ彼女は子供だったから、無力な自分を責め続けた。それでも諦めず、出来ることをやろうと一生懸命勉強した結果、無事大学へ進学できたのです」

 そこでようやく彼は口を開いた。

「目黒さん。あなたも楓と同じ大学だったと言ったね。あの子は、その、学校ではどうだった」

「私が言うのも何ですけど世間では難関の大学と言われ、周囲は全国から集まったとても優秀な学生が多くいます。そんな大学に彼女は、両親からも距離を置いて一人で勉強に励み合格しました。まずはその事を、褒めてあげてください。無事卒業して有名企業に入った彼女に、ヨシさんは何度も会っていますよね。何故声をかけてあげなかったのですか」

 再び沈黙してしまった彼に、彼女は畳みかけた。

「本当に、本当に彼女はあなたが大好きで、片時も忘れることはなかった。受験勉強を頑張れたのも、いずれ会った時に褒めて貰えるよう恥ずかしくない学歴を付けたかったからだ、と言っていました」

「そう、だったのか。あの子は昔から勉強が好きだった」

「確かにそういう一面があったかもしれません。しかし本心では、褒めて欲しかったからでしょう。あなたやお祖母さんに認められたかったからだと、私は思います。そういうニュアンスの話を、聞いた事がありましたから」

「そうだったのか」

「そうです。それで無事大学に入り、ようやく一段落したからでしょう。また後一年もすれば二十歳になる。そうすれば親に頼る必要もなくなり、自立した一人の人間として、あなたに会えると信じていました。だから私や友人に相談し、探し出したのです」

「一体、どうやって」

「調査会社に依頼しました。まだその当時は、お祖母さんの遺産を受け継いでいませんでしたが、親から仕送りされていた養育費などを彼女は蓄えていたようです。だからそれなりに、支払えるお金を持っていました」

「そういえば田畑さんから、この村で調査員が色々話を聞きまわっていたと言っていたけれど、あれがそうなのか」

「はい。もう四年もの間、ヨシさんの居場所を見つけた後も彼女は調査依頼を続けていたのです。だからこそ、あなたが働く社食がある会社に就職し、社員として顔を会わすまでずっと我慢をしていました。それが何故だか、あなたには分かりますか。どれだけ辛い思いで我慢し、耐えて来たか想像できますか」

 再び彼は沈黙した。けれど絵美は彼とこの時初めて直接会ったにも拘らず、これまで抱えて来た想いを伝えずにはいられなかったのだろう。一方的に喋り続けた。

「心の中では直ぐにでもあなたの胸に飛び込み、抱きしめて欲しかったはずです。しかし楓を捨てたかのように姿を消した理由を突き止めなければ、会ってもまた逃げられてしまう。そう考えた彼女は、自分の気持ちを抑え、ようやく見つけたあなたの前に姿を出さず、謎を解こうとしてきたのです」

 彼は唇を噛んでいた。楓の想いが通じたのか、それとも過去を探っていたからこそ、このような大規模な工事を行う暴挙に出たと理解したのかもしれない。

 そこで楓と大貴は、絵美の後ろから姿を出した。実を言うと少し前に二人は到着していたけれど、彼女の厳しい演説が始まった為に出られなくなっていたのだ。絵美を通じて現場に祖父が現れたと連絡を受けた際、既に二人は東京からN県へ向かう新幹線に乗車し、近くまで来ていたのである。

 そろそろこの土日に来ると予想していた泊が、朝から彼のアパートを張っていたからだ。そこで思惑通り東京駅へ向かい、N県行きの新幹線に乗車したと確認し、楓達へ連絡を入れてくれたのだ。

 また絵美にも伝えられていた為、現場監督から告げられた時には、既に待機していたという。

 しばらく様子を見ていた楓達だったが、これ以上絵美を放って置くとさらにエスカレートしかねないと判断した。そこで大貴と一緒に、祖父の前に姿を見せたのだ。

 楓が現れたからだろう。祖父は驚愕の表情を見せた。絵美が口を噤み、工事も中断されていた為に、場は静まり返っていた。その静寂を大貴が破った。

「私は楓さんとここにいる目黒さんと同じ大学の同級生で、須藤大貴と言います。彼女からあなたについて相談を受け、調査員を雇い探し出すようアドバイスしたのは、私です。親類が優秀なリサーチ会社と伝手があったものですから。そこであなたを見つけただけでなく、身辺を徹底的に調べて貰いました」

「お前か。楓に余計な知恵を付けたのは」

 大貴が絵美とは違い、男だったからだろう。急に祖父は敵意を剥き出し、睨みつけていた。しかし彼の言葉を無視し、話を続けた。

「そこであなたは騙され、元々所持していたお金だけでなく多額の借金まで抱えたと知りました。でもあなたは連城先生の忠告を無視し楓さんの遺産に手を付けず、過酷な労働環境に身を置いた」

「そこまで、調べていたのか」

 絶句する彼だったが、さらに畳みかけた。

「しかしその状況だけは何とかしてあげたいと楓さんは考え、私の親類にお願いしてあなたの借金を一つにまとめました。以前とは異なり相当低い金利に抑えられたのは、裏に彼女がいたからです。それが彼女の出来る、精一杯の行動だった。気付いていましたか」

 意外な事実を知らされ、動揺を隠せなかったようだ。

「そ、そうか。確かに先生から聞いた時、おかしいとは思ったんだ」

「そうでしょうね。月々の返済に対する残額の減り方は、相当変わったはずです。精神的にも負担は少なくなったでしょう。本当は全額返済しても良かった。でもそれだとあなたが彼女の存在に気付き、再び姿を消す恐れがある。だからいつか倒れはしないか心配しつつ心を鬼にして、返済額はこれまでと変わらないようにしたのです」

「そうだったのか。つまり俺は、楓に借金を返し続けていたのか」

 ここでようやく楓は口を開いた。

「だって本当なら、お祖父ちゃんが貰っていた分があるもの。あの程度の借金を肩代わりしたって、たかが知れている。そうでしょ」

「いや、あれはお前のものだ。もし私が受け取っていたら、大変な額を騙し盗られていただろう。あの時受け取らずに済んで良かった。そう本気で思ったんだ。馬鹿だったんだよ、私は。あんな騙され方をして、借金をしたのはお前のせいじゃない」

 ここで再び大貴が口を挟んだ。

「はい。あなたは単なる被害者です。ちなみにあなたを騙した人達の後ろには、梨花さんがいました。あの人達は、根っからの悪人ではありません。だからあなたは、あんな詐欺に引っかかったのでしょう。あの人達が本当に悪い人だったら、騙されなかったはずです」

「何だって。梨花って、健一くんと結婚したあの女か」

「そうです」

 大貴は泊が調べ上げた内容を告げた。ちなみにスーパーでクレームをつけた男も、梨花の仕業だったと付け加えた。すると彼は、怒るよりも胸を撫で下ろすように、安堵した表情をして呟いた。

「そうだったのか。あの人達は元気なのか。それは良かった」

「やはりあなたは、楓さんを育てた方ですね。騙した人を恨むどころか、心配までしている。彼女もまたこの調査結果を聞いて、彼らを警察に突き出さず、そのままにして欲しいと言いました」

「お、お前、そんな事を言ったのか」

 楓が気恥ずかしく黙って頷いた為、大貴が補足した。

「今は悪事をせず真面目に働いているのなら、お祖母さんに貰った遺産はあぶく銭なので、それを使って幸せに暮らしている人がいるのならいい。さらにはお祖父さんと暮らせるようになり落ち着いたら、相談した上で一度その店に顔を出したいとまで言ったのです。あなたはお孫さんを、心優しいお嬢さんに育てられたと思います」

 褒められ照れたのか、複雑な表情をした祖父は大貴に尋ねた。

「君は楓と付き合っているのか。ここまで私達の問題に深く関わっているのなら、単なる同級生では無いのだろう」

 唐突な質問に一瞬戸惑っていたが、苦笑しながら答えていた。

「付き合ってなんかいませんよ。単なる同級生よりは親しい、とても大切な友人であることは間違いありません。ただ楓さんは、私など眼中にありません。会社ではあなたを、愛しのグランパと呼んでいるほどです。もちろんご存知ですよね」

「それは知っているが、もう私は楓のお祖父さんじゃない」

「戸籍上はそうです。しかし彼女はかつてのように、あなたと一緒に暮らすことを夢見ています。それを応援する為に、私や目黒さんは四年もの間、謎を解き明かそうとしてきました」

 いよいよ本題に迫ったからだろう。祖父の表情が一気に変わり、首を振った。

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