第三章~⑧

 しかし一難去ってまた一難。社食で働く祖父との距離が縮まらず謎の調査も難航する中、更なる厄介な人物が東京に現れた。

 札幌で四年余りの勤務を経た父が、七月の異動で東京の大手町支店へ配属が決まり、梨花と共に再び彼らの所有するマンションへ帰って来たのだ。

 楓が大学二年の五月に彼らと決裂して出たマンションは、その後父の勤務する会社に貸し出し、他の社員が住んでいたらしい。だが東京への赴任と同時に、入居していた社員も地方へ異動したという。

 こうした知らせは、突発的な情報を得られた場合を除いて一カ月に一回、定期的に泊からもたらされるメールでの報告書で伝えられた。というのも彼はN県で過去を洗う調査だけでなく、祖父の周辺に何か動きがあれば、原因を辿れるかもしないと考えていたらしい。

 そこで定期的に厳しい労働環境で彼の体調が崩れないかを確認する為にも、様子を探っていたようだ。そこにおかしな動きをする者を発見し元を探った所、梨花の存在が浮かび上がったという。よって彼女がどうして祖父の居場所を突き止め、何を企んでいるのかも調べていたらしい。

 動きがあったのは、楓の課で起こった騒動が一段落し、梨花達が東京へ戻って来て一カ月が過ぎた八月の事だ。六年余りも働き続けて来たスーパーの仕事を、祖父が辞めざるをえなくなったのである。

 それはある一人の若い男がもたらした、一件のクレームから起きた。菓子パン一つとペットボトルのジュース一つを持った男が、楓の祖父がいるレジに並んだという。

 男の順番が来た際に会計をした際、問題は発生した。彼はお金をトレーに置いた途端、その場でパンの袋を開けて食べ始め、更にはジュースまで飲み始めたらしい。

 彼の後ろにはたまたま他の客が並んでいなかった為、幸い邪魔にならなかった。しかしスーパー内にはイートインスペースもなく、飲食が禁止されている。しかも細かく言えば、店内で食べる場合は消費税が変わるのだ。

そこで注意をしたらしい。しかしその男は、逆切れした。

「金を払ったら俺の物だ。それをどうしようが勝手じゃないか」

「申し訳ありません。店内での飲食は禁止となっております。食べられるのなら、外に出られてからにして頂けませんか」

 丁重な姿勢でそう告げたようだが、相手は納得しなかった。

「何言ってんだ。この店では時々、試食なんかをやっているだろう。あれはどうなんだ。店の中で食べさせているじゃないか。なのに店内での飲食は禁止だなんて、よく言えるな」

 感染症予防の影響で一時期なくなったが、確かに最近時々そうしたコーナーは復活し始めていた。そうした理屈を主張されれば、レジ打ち担当のパートに過ぎない祖父の立場では、対処しようがない。

 それでも彼は、敢えて告げたという。

「あれは店として特別に許可しているケースで、通常の飲食は禁止されています。ご理解頂けないでしょうか」

 だが男は、さらに怒りを増した。

「それじゃあ、説明になっていない。お前じゃ話にならない。上を呼べ! ちゃんと納得させてくれ!」

 やむを得ず、その様子を見ていた他の店員が店長を呼び、男を別室に連れて行き対応した。すると男は静かになり、注意を受け入れたという。ただしあのレジ打ち担当の対応は良くない、辞めさせろとクレームをつけた。店長はそれを聞いて、今後指導しますと答えたらしい。

 しかし騒ぎはそれで終わらなかった。その後男は何故か祖父がいる時間を狙って店を訪れ、その度に怒鳴ったようだ。

「まだこの対応の悪い奴を雇ってんのか。辞めさせろ」

 だったら他のレジに並べばいいと思うのだが、彼は意図的に祖父のレジに並び、目の前で罵倒してから去った。そうした行為が毎週のように続き、一ヶ月が過ぎたという。その為さすがに店長や他の店員が間に入り、男を宥(なだ)め大声を出さないよう注意した。すると彼はその時だけ、大人しくなるという。

 けれど次回から声のトーンを押さえつつ、同じ行動を繰り返した。

「完全に目を付けられちゃったね」

 同僚達の多くは同情的だったようだが、一部の店員はシフトを変えるか、辞めてくれればいいのにと言い出したらしい。それを耳にした祖父は、自ら辞表を提出したのである。

 店長は遺留したが、これ以上いれば迷惑をかけると言って聞かなったという。するとクレームをつけていた男は一度来店し、彼が辞めたと聞いて喜んだ後、ぴたりと来なくなったそうだ。

 当初はそこまで詳しい事情を把握しておらず、ただ仕事が出来ないように追いつめられたとだけ聞かされていた楓は、かなり慌てた。

「どうしよう。お祖父ちゃんは悪くないのに」

 絵美と大貴に連絡をし、グループラインで話し合った。

「どうしてそんな状況になったのか、どういう理由か聞いたのか。泊さんには調べて貰っていないのか」

 大貴にそう聞かれ、楓は答えた。

「今、確認をお願いしている。私もあのスーパーは近所だから、時々使っていたのね。だから知っている店員さんにこっそり聞いたら、変な客と揉めたらしいって教えて貰った」

「多少揉めたからって、辞めなくてもいいのに。しかもあそこは、楓のお祖父さんが騙されて借金を抱えてから、ずっと働いて来た所だったでしょ。そうなるとかなり長く勤めていたベテランだから、そう簡単に辞めさせられないと思うけど」

「私が話した店員さんも、絵美と同じように言ってくれたけど、お祖父ちゃん自身が言い出したから、止められなかったみたい」

「情報が不確かな状態で話しても、あまり意味はない。とりあえず楓は落ち着け。泊さんの調査結果を聞いてから考えよう」

 一時期と比べれば、借金は順調に返済されていた。その為一つ働き場所が無くなったからと言って、直ぐに困りはしない。それに実質の債権者は楓だから、いざとなればどうにでもなる。

 そう大貴は慰めてくれたが、楓の不安は解消されなかった。お金の問題よりも、祖父が心理的ダメージを受けている点を心配した。会社の社食でも、余り元気がなかったからだ。

 けれど彼は再度言った。

「まずは見守ろう。それに見方を変えれば、いいことだよ」

 感染症の拡大が落ち着いて再び始めた遅い時間のレジ打ちをしなくて済むのなら、少しは厳しい労働環境から抜け出せる。そう考えれば、決して悪い話では無いからだ。

 確かに以前は何とかしたいと思っていたが、辞めさせようにもできないと悩んでいた。しかしあの頃より借金は減り、といって全額返済までまだかかる為、繋がりが保てる。何故酷い目に遭ったのかの確認は必要だが、労働時間が短くなった分、体は楽になるはずだ。借金を返すペースが落ちる分、調査する時間も稼げる。

「分かった。大貴が言うのも一理あるね。有難う」

 ようやく気を落ち着かせられた楓の様子を確認できたからだろう。三人の会話はそこで終わった。

 だがしばらくして、泊から驚くべき報告を受けたのである。なんと梨花が裏で動き、何者かを使ってスーパーに因縁をつけさせたという。そのあおりを受け、祖父は辞めざるを得なくなったのだ。

 そこでまた楓達は、グループラインを使って相談を始めた。

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