第三章~④

「村だと何か必要な物があれば、車で移動しないと手に入らないだろう。彼女は自分も買い出しに行くので、一緒に行こうとか何とか言って誘っていたらしいね。事故日とは別だけど、誰かと車に乗っていた所を見たって人が何人もいたから、本当だったはずだよ」

「由子お祖母ちゃんではなくて、ですか。それに磯村の家でも、車は持っていたと思いますけど」

「もちろんあったよ。だけどあの家の食事なんかは、真之介さんが作っていたでしょう。だから自分が車を出すし、別々に行くよりは一緒にたくさん買えば分けられるとかなんとか、言っていたみたい」

「あの事故の日も、そうだったのですか」

 楓の問いに、相手は首を傾げた。

「いや、あの日は一人だったと思うよ。だって崖から落ちたのは、あの子だけだったでしょ。多分断られたんじゃないかな。良かったわよ。もし一緒だったら、真之介さんまで亡くなっていたかもしれないものね」

 確か泊の調査だと、圭子の事故時に真之介は光二朗の家で誠達といたはずだ。当時磯村家では、体調が思わしくない八重が療養の為にこの村を訪れており、由子は真由と一緒に看病していたと聞いている。その時光二朗さんが、恐らく見舞いの為にあの家へ訪ねていた。その後家の畑へと戻り、両親と一緒に農作業をしていたという。

 そう考えた時、真之介はどういう事情があって光二朗の家に行ったのか、何故圭子一人が車で買い出しに出かけていたのかが、疑問として浮かぶ。自然な流れとしては、圭子と光二朗の親子が八重の見舞いの為に三人で磯村家を訪れ、その帰りに真之介を乗せて光二朗の家へ四人で戻った場合だ。

 そこで光二朗と真之介は畑で降り、圭子は一人で買い出しに出かけた可能性もある。光二朗が農作業をしている間、子供の世話を誠だけに任せておくのが怖くて、真之介を呼んだのだろうか。

 圭子の子はまだ生まれて間もなかったはずだから、余りあちこちへ連れまわすのは危険だ。それなら磯村家へ訪問した際も、家にいて誠に面倒を看させていた可能性はある。それに父親を信用していない彼女は、買い出しの間だけでも見て貰えるよう、真之介に頼んだのかもしれない。

 そうなると彼女が出産後に磯村家を行き来していた理由は、子供の世話を看て貰っていたからではないか。誠が家にいない時なら、子供を連れ磯村家で預かって貰ったとしてもおかしくはない。

 圭子が事故死した時、母の真由はもう七歳だ。子供と言っても祖母の由子が八重の看病をしながらだって、世話はできただろう。光二朗が圭子の体を気遣い、磯村家を頼っていたのかもしれない。それは妊娠期だって同様だったと思われる。

 夏以外の時期は、光二朗の祖母と二人で何とか世話をしていたはずだ。酒癖が悪く嫌っている誠に任せるはずもない。よって圭子が真之介を狙っていたというのは、誤解ではないだろうか。ただ磯村家を頼りにしていたのは、その後の経緯を考えても間違いないと思われる。

 この点を真之介の同級生である男性二人にあった際、尋ねてみた。すると彼らもまた、圭子が真之介を車に乗せていたという噂は聞いた覚えがある、と答えたのだ。けれど光二朗が一緒だったとの話もあった為、楓は自分の推測が正しいのではないかと考えていた。

 彼らから圭子が事故死した際の話はそれ以上聞けなかったけれど、二人が山で滑落死した件については、興味深い事を口にした。

「光二朗は、磯村家に入った真之介を羨んでいたのは確かだ。由子さんと結婚してから、父親の宗太郎さんがあの家と村を繋ぐ窓口になったおかげで、彼らの家も周囲からの見る目が変わったからな。経済的にも助かっていたはずだよ。だから感謝している部分は大きかっただろうが、それだけ自尊心を傷つけられていたと思うよ」

 その男性達に会った際も、楓の存在が影響したからか質問をすると回答はすぐに返ってきた。磯村家に対する畏敬いけいの念が、昔を知る村人には浸透しているのだろう。

 そこで出た証言に、それまで黙っていた大貴が尋ねた。

「彼らが何かで揉めていた、という話は聞いていますか」

「具体的には知らないが、山の中で二人が言い争っているのを見た奴は、何人かいるらしいよ」

 楓の友人と名乗ったからか、不審がられず受け答えしてくれた為、彼は質問を続けた。

「それは事故があった日ですか」

「いや、それはない。真之介が事故死した日、光二朗は誠さん達と家に居たらしいから」

「その話は、誰から聞かれましたか」

「確か宗太郎さんからじゃないかな。あの日に皆がどこにいたか、確認していたようだから」

「あなたの所にも、確認に来られたのですか」

「真之介と係わり合いのある奴らは、みんな確認されたはずだ」

「でも事故死だったんですよね」

「ああ。だけど念の為に、ってことだったよ」

「では真之介さんが亡くなった日は、誰も近くにいなかった」

「そう聞いている」

 泊の調査でも、当時のアリバイ証言のいくつかは、確認が取れている。事故だと判断されたのに何故なのかと疑問に思っていたが、宗太郎によって聴取されたものだと分かった。  

 ということは、息子の死が事故死でない可能性を疑っていたのだろうか。それとも、単なる確認の為に行っただけなのか。

 大貴はさらに聞いていた。

「二人が山の中で言い争っていたのを、何人か目撃したと言われましたよね。何故そんなところで揉めていたのでしょう」

「恐らく由子さん達や他の人がいる前では、そういう姿を見せたくなかったんだろう。宗太郎さんも含め、あの家は磯村家に頭が上がらない状態だったから。変に揉めて、機嫌を損ねないよう気を使っていたんじゃないかな。特に光二朗はそうだったはずだ」

「なるほど。表面上は、兄弟仲が良いように見せていたのですね」

「だから真之介が亡くなった後、由子さんは光二朗と子供を一緒に東京へ連れて行ったんだろう。上手くやったよ、あいつは」

「それだけ由子さんの信頼を得ていた、ってことですよね」

「ああ。だけど光二朗も、便利に使われたという見方もあったがな」

「どういう意味ですか」

「不動産の仕事は多少手伝っていたかもしれないが、真之介もそうだったように、主な役割は家事と育児だろう。今は男の主夫といっても珍しくないみたいだが、昔はまずなかった」

 実際は真之介と違い、光二朗は不動産業に関わっていない。それは連城が、彼についてほとんど知らなかった事から確認できている。

 しかしその点を否定せず、彼は話を続けていた。

「そうですね。男が働き、女性は家を守るというのが常識だった時代でしょうから」

「そうだ。母親のいない家庭で育った真之介達は、家事が得意だったさ。だからといって、世間体は余りよくないだろう。しかし磯村家は別格だった。それで皆も余り表立って口に出来なかったが、内心では気の毒だと思っていた奴らもいたはずだ」

「あなたもそう思われましたか」

 楓を気にしたのか一瞬間が空いた後、彼は溜息をついて言った。

「今だから言えるが、磯村家のヒモじゃないかと、内輪で話していた覚えがあるよ」

 さすがに表情が硬くなってしまったけれど、楓は黙って聞いていた。その心境を察した上で、大貴は敢えて尋ねてくれた。

「でも真之介さんは、由子さんと結婚されてますよね」

「あいつはまだいい方だ。頭も良かったし、東京へ行っても磯村家の役に立っていたと思う。だが金持ちとはいえ、十歳も年上だ。妬みもあって、そう陰口を叩かれていたよ。俺だけじゃないはずだ」

「では光二朗さんも同じように、そう言われていたのですか」

「あいつの方が酷かった。結婚した訳でもないから、ヒモじゃなく磯村家の召使いだと呼ばれていたよ」

「それは余りにも厳しい見方ですね」

「しょうがないだろう。あいつは真之介のように、出来が良かった訳じゃない。その証拠に、不動産の仕事はほとんどやっていなかったはずだ。それで籍も入っていないのだから、家事や育児を任された家政夫とそう違わない。金で雇われていたようなものだからな」

「しかし光二朗さんも、真之介さんが亡くなった四年後に事故死してしまいました。皆さんはその時、どう思われましたか」

「まさしく呪われていると思ったよ。だけど由子さんの祖父母が続けて病死したのは、たんなる偶然だ。問題なのは誠さんが怪我をして仕事が出来なくなり、その翌年に圭子さんが事故死しただろう。またその次の年に真之介達のお祖父さんが病死したと思ったら、真之介が事故死した。その頃から倉田家の呪いと言われていたからな」

「磯村家の呪い、と言う方もいらっしゃったようですが」

「中にはいたな。だが表立って磯村家の悪口は言いづらいし、最初にケチをつけたのは、倉田家の二人だ。その後光二朗まで事故死して、彼らの祖母が病死した。その後誠さんが失踪しただろう。だから倉田家の呪いという奴の方が、村では多かったと思うよ」

「そうですか。光二朗さんが崖から落ちたのは、真之介さんの事故現場の近くだったそうですね。何か聞いていませんか」

「確かにあの辺りは足場が悪く、斜面が急だった。だから危険な場所には違いない。だけどやはり、呪いとしか言いようがないね。発見した人も、あの辺りは真之介が落ちた場所だと知っていた。通る度に気を付けていて、誰も落ちていないよなと確認したから見つけたと聞いた覚えがある」

 この証言も初めて聞くものだった。大貴は念の為、確認した。

「磯村家が山から水を引く為に、パイプを通している場所でしたね」

「そうだ。あの家に限らず、山を所有しているところは皆、ああいう山水場を設けていたからな。ただで綺麗な水を引ける利点はあるが、その分維持管理が大変なんだ」

「その点検の為に、真之介さん達も山に入っていたらしいですね」

「大雨が降ったりした後、パイプが抜けたり、中継地点のろ過する場所が崩れたりするからな。そうなると流れてこないか、水が濁ってしまう。たまにイノシシとかがぶつかって、壊してしまう場合もある。だから定期的な点検が必要なんだ」

「でも磯村家は、基本的に夏の時期しかいなかったのですよね。それ以外の時は、誰が管理していたのですか」

「今はあの近くの田畑の家がしていると聞いたが、当時は宗太郎さんがしていたんじゃないかな」

「なるほど。そうかもしれませんね。ちなみに当時田畑さんは、あの山に入ってはいなかったのですか」

「あそこの家は、磯村の家に一番近い。真之介の家と関係を持つ前は、管理していたという話も聞いたな。でも警察を退職して体を壊すまでは、宗太郎さんの家で維持管理していたはずだ」

「では田畑家が再び管理するようになったのは、宗太郎さんが高齢になって、出来なくなったからですか」

「そうだと思う。あの家も確か磯村家の了承を得て、水を引いていたようだからな」

「では真之介さんや光二朗さんが事故死した日、田畑家の人が山に入っていた可能性はありませんか」

「それはないな。今管理しているのは、洋三だろう」

「はい。ご存じですか」

「もちろん。俺や真之介より十歳下だが、村の連中の顔はだいたい分かる。あいつは当時まだ学生で、確か圭子が事故死した翌年に、大学へ進学してこの村から出ていたはずだ。あいつの両親も同時に引っ越したから、真之介や光二朗が亡くなった頃はこっちにいない」

 彼の話によると農家だった田畑家は、祖母が真之介と結婚するまで磯村家の保有する家や山の管理をし、生計の足しにしていた。だがその仕事が無くなり、農業だけで食べていくには厳しくなったそうだ。これは田畑家だけでなく、村の多くの家が似た状況だったという。その為、村を出て行く者もいたらしい。

 田畑家では現在磯村の家を管理する洋三が優秀で、大学進学を望んでいた。だから村にいては、生活できないと考えたのだろう。彼が東京へ進学したのを機に村を出て、東京で仕事に就いたようだ。この時、口利きをしたのが東京にいた磯村家だったらしい。

「それならいつ田畑さんは、村に戻って来たのですか」

「宗太郎さんが六十歳の定年を迎えて、五年程経ってからかな。洋三は東京で就職して、道江さんと結婚をしたんだ。その頃あいつの両親が定年を迎えたのを機に、村へ戻ってまた農家を始めようと考えていたらしい。それであいつも会社を辞め、戻って来た」

「どうしてですか」

「東京の生活に疲れたんじゃないかな。あと子供もいたから、田舎で育てたいと思ったのかもしれない」

「でも食べていくのは大変ですよね」

「まあ贅沢しなければ、生きていくくらいはできるからな。それに丁度その頃、宗太郎さんが体調を崩し始めて、磯村家は代わりの管理者を探していたんだ。運が良かったのだろう」

「磯村家の山などの管理料があれば、生活できると考えたのですね」

「そうだと思う。そのおかげであいつらの息子は、大学へ進学して今は大阪で暮らしているらしい。そうした仕送りが出来たのも、磯村家からの収入があったからだろう。だからあの家の人間も、磯村家に背くような真似はしないはずだ」

「でも山については、よくご存知ですよね。こっそりと帰って来ていた可能性は無いですか。洋三さんじゃなくても、その御両親だとかはどうでしょう」

「帰ってきたら、狭い村だからすぐ分かるさ。それに何故こっそり戻って来る必要があるんだ。もしかして真之介達は、事故で死んだんじゃないと、君達は疑っているのか」

 少し気色けしきばんで睨まれた為、大貴は慌てて首を振って否定した。

「いえ、違います。ただ呪いといわれていたので、誰か恨んでいる人が、意図的に仕掛けた可能性はないのかと思っただけです」

「やっぱり疑っているじゃないか。それはないぞ。あの事故は二件とも、宗太郎さんが捜査した上で事故と判断したはずだ。実の息子がもし殺された可能性があると分かれば、そんなおかしな真似はしないだろうよ」

「確かにそうですね。それに念の為とはいえ、村の人達のアリバイも確認されていたようですから」

「洋三達まで確認されていたかは知らないが、いくら何でも自分が管理している山だ。よく知っている田畑の人間とはいえ、足を踏み入れたとしたら、その痕跡くらいは宗太郎さんも見つけられるさ」

 彼の言い分は納得できた。この他にも大貴はいくつか質問をしていたが、目ぼしい発見は無かった。もう一人の真之介の同級生からも、似た話しか聞けなかった。それでも真之介と光二朗と圭子の三人における人間関係が、他人では分からない複雑な事情があったらしい点だけは、新たな情報として頭に入れておくべきだろう。

 そこまでで連休中の調査は終わった。これ以上何があるのか調べるには、引き続き泊の協力が必要となる。そうしてその後は彼に引き継いだ楓達だったが、再び行き詰ったのだ。しかも情報収集を加速させている道程で、様々な問題が起こっていた。

 その一つが、梨花による嫌がらせだった。さらには楓の会社でも全く別のトラブルが発生した為、しばらくはそちらに神経を注がざるを得なくなったのも、調査が長引いた原因でもあった。

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