第三章~③

「あいつは運動が得意だったけど、学校の成績は兄貴に比べると余り芳しくなかったよ」

 それでも宗太郎や祖父母、村の人達から厳しくしつけけられたのだろう。祖父母が農作業で忙しい中で母親もいない環境により、真之介と同じく食事を作ったり掃除洗濯をしたりなど、家事全般は卒なくこなしていたらしい。真之介が由子と結婚して家を出た後は、当時まだ十五歳だった彼が祖母や近所の人達の手も借りながら、祖父や宗太郎達の身の回りの世話をしていたようだ。

 当然畑仕事も手伝っており、いずれは祖父母の後を継いで農業を営むつもりだったと思われる。それは二十二歳の時、三歳年上の倉田圭子と結婚するまで続いた。彼女が嫁に入った為、家事全般は彼女の仕事となったのだ。

 けれどもわずかの間しか、そうした生活は続かなかった。結婚した翌年、彼女が妊娠したからだ。さらには子供を無事出産した後、事故で亡くなった為である。女手を失っただけでなく幼い子供が残った彼の家は、相当困っていたという。農業を営みながら子育てや家事を、誰かがしなければならないからだ。

 祖母や光二朗が再び家事をするようになったけれど、人手が減れば畑仕事は大変になる。当時彼らの祖父母は、共に七十五歳と高齢だった点も影響した。ただでさえ農業による収入は、それほど多くない。家計を主に支えていたのは、宗太郎による公務員の給与だった。当然それだけだと、家族五人を養うには苦しい。

 大人だけならまだしも育児というとても大変な、注意を払わなければいけない仕事がのしかかる。経済的な窮状だけでなく、精神的にもずいぶんな負担になっていたようだ。真之介の生家せいかであり、村とのパイプ役を務める宗太郎の家庭に置けるそうした苦境を見かね、磯村家が経済支援を行ったというのも頷ける。

 それが無ければ、彼らは心身共に疲労しきっていただろう。実際に圭子の事故死の翌年、真之介達の祖父が亡くなっている。祖母はその六年後に八十二歳で病死したが、それまでの数年は寝こむことが多かったようだ。よって畑仕事ができるのは、光二朗しかいなかったのである。

 しかし彼には、子育てという役目がある。その為磯村家からの仕送りで生活し、農作業は余りせず祖母と家事を分担していたという。そうした経緯があり、同じく磯村家の家事を担っていた真之介が事故死した後、光二朗親子を東京に招いたのも必然だった。村には祖母と宗太郎が残されたが、大人二人だったので近所の人達の手を借りつつ、なんとか生活できたようだ。

 そこで光二朗に対する人物評価が、二分された。

「早くに奥さんを亡くして、子供を育てる為に農業の仕事を諦めざるを得なかった、気の毒な奴だったよ」

「あいつは金持の磯村家に上手く取り入ったもんだ。しかも兄貴が死んだ後は、まるでヒモか家政婦に成り下がった奴さ」

 後者は、明らかに嫉妬が含まれていたと思われる。ただそのせいで、真之介が事故死した際に村人達の多くは嘆き悲しんだのと比較して、彼の時は罰が当たったと言う者さえいたという。

 その為彼らの事故死と翌年における祖母の病死、倉田誠の失踪が、磯村家に関わる六人の死亡と同じ呪いと噂されたようだ。それがやがて、倉田家の呪いと呼ばれる要因になったと思われる。つまり光二朗は真之介より、人望が薄かったとの証言が多く集まっていた。

 さらに彼の妻だった圭子についても、余り良い話は聞かなかった。ただ彼女の境遇は、同情する点もある。酒癖の悪い父親の誠に愛想を尽かせた母親は、彼女が十七歳の時に家出してその後離婚した。圭子は母親に捨てられたのも同然だったのだ。

 その後は母親の代わりに家事をこなさなければならず、誠との暮らしは相当苦痛であったに違いない。今でいう虐待があったかもしれない、との噂まで耳にしたという。

 その為、彼女は早く家を出たいと望んでいたようだ。しかし村を出れば自分でお金を稼がなくてはいけない。大学に行ける程、家は裕福でなく学力もそれほどない彼女は、父親の稼ぎにすがるしかなかったのだろう。それでも高校を卒業した後は、父親が働く林業の会社と繋がりのある企業の事務員として採用されたようだ。そこでは真面目に働いていたと聞く。

 けれど家や村から出たいとの願望は、強かったと思われる。一時期は一つ年上の真之介に好意を抱いていたようだが、彼と同じ同級生が高校卒業後に大学へと進学して村を出ると耳にし、その男性に近づき村から連れ出して貰おうと画策したことがあったらしい。

 だが上手くいかず、結局同じ村で働く二つ年下の光二朗と、二十五歳の時に結婚したのだ。村の娘の中で行き遅れと言われる年になったのは、村の外で働く人との暮らしに憧れていたからだと言われていた。それでも村には留まったものの、家を離れることを優先したのかもしれない。ただその翌年に誠が怪我をした為、彼の世話から解放されたのは、妊娠していたほんの一時だけだったという。

 しかもようやく子供を無事出産できたと思ったら、自動車事故で亡くなったのだ。評判はそれほど良くなかったとはいえ、同情する声も比較的多かったのは、そうした経緯があったからだろう。

 ちなみに彼女の事故死は、もしかすると育児ノイローゼと父親の世話に嫌気が差したことによる、突発的な自殺だったのではないかとの噂も出ていたらしい。しかしそれは当時の誠や光二朗に加え、宗太郎や真之介までが否定する証言をした為、直ぐに打ち消されたようだ。

 こうして少しずつだが、村の人達を通じ過去の記憶を辿って頂き、当時の情報を集められるようになった。それでもこれといって、楓の祖父が失踪した原因と直接繋がる話や、呪いについての真相は不明なままだった。その為に楓達は就職した後も、引き続き過去を知る人物や当時の噂話を耳にした人達がいると聞けば、直接訪ねて行ったのである。

 もちろん主に動いていたのは泊だ。しかし絵美がN県の職員としてUターン就職したおかげで、それまでより情報収集網が広がった。けれども個人的な薄い繋がりから辿らなければならない場合もあり、時には調査員ではなく絵美に同行するか、磯村家の血を引く楓自身で聞いて回った。その方が、相手から話をして貰いやすいケースもあったからだ。 

 よって社会人になったばかりの最初の連休でさえ、楓達はN県へわざわざ足を運んでいたのである。その際に訪問したのは、かつて圭子の同級生だった七十一歳の女性と真之介の同級生で、光二朗についても良く知るという、七十二歳の男性二人の家だ。

 彼らは一度村を離れていたり、その後体を壊して市内の大きな病院に入っていたりした方達だった。その後故郷でゆっくり過ごす為に一時帰宅すると聞きつけ、三人で駆け付けたのである。

 何故なら調査員である泊だけでは、親族の許可がなかなか得られなかった。そこで県職員でかつて村の近くに住んでいた絵美と、同じく村にいた楓が直接伺うという条件をつけ、なんとか面談まで漕ぎつけられたのだ。大貴はそれに付随して、聞き漏らしていないかをチエックする係として呼んでいた。また二人のボディーガード役でもある。

 絵美が出してくれた車に乗り、まず訪れたのは圭子の同級生の家だ。これまでもそうだったが、やはり四十年近く前の出来事に加え、相手が高齢者だということもあり、聞き取りはかなり難航した。

「おばあちゃんは、倉田圭子さんの同級生だったんですよね」

 親族の了解を得た絵美が、大きな声で尋ねると彼女は首を捻った。

「誰だって」

「く・ら・た・け・い・こ・さんです」

「ああ、圭子ちゃんか。懐かしいねえ」

「彼女が事故で亡くなった事は覚えていますか」

「そうだった。可哀そうにねえ」

 こうして一言一言、丁寧にゆっくりと尋ね、昔の記憶を蘇らせる作業をしながら、肝心な質問へと辿り着くまで相当な時間を要した。

 それでも楓が自己紹介すると、皆が一応に態度を変えた。

「あんた、磯村さんの家の楓ちゃんかね。大きくなったなあ。よく覚えているよ。どことなく由子さんや真由さんと似ているねえ。別嬪べっぴんさんになって、まあ」

 楓の母親の真由も、幼い頃から夏になるとこの村を訪れていたからだろう。楓も二年間は村で過ごし、それ以前も来ている。また磯村家の子というのは、当時の村人達にとって特別な存在だったらしい。楓の力になりたい、なんとか答えようと皆が真剣になってくれた。泊でなく楓が聞き取りに来たのは、やはり正解だったようだ。

 その中でも、これまで得られなかった気になる新情報があった。それは圭子が光二朗と結婚した後でも、真之介に好意を抱いていたのではないかというものだった。結婚前にそういう話があった事は、泊の聞き込みで知っている。だがその後も、真之介に気があったというのはどういうことだろう。

 そう楓が尋ねてみた所、意外な答えが返って来た。

「あの子は父親が大嫌いで、早く家を出たいとばかり言っていたからね。真之介さんを諦めたのは、彼が高校を卒業した後も村を出ずに、農家を継ぐ予定だったからだよ」

「でもすぐに、由子お祖母ちゃんと結婚しましたよね」

「そうなんだ。それで東京へ行っちゃっただろ。それがうらやましかったんじゃないかな。しかも相手は、かなりのお金持ちだったからね。弟の光二朗さんと結婚したのも、磯村家に近づく為じゃないかって噂もあったから」

「それはさすがに無理がありませんか。ご結婚されて、翌年には妊娠されていますよね」

「あの子は、村と父親と貧乏が大嫌いだった。それで自分を外へ出してくれる王子様を、ずっと探していたんだ。それで行き遅れたの」

「だから止む無く、磯村家に近い光二朗さんと結婚したのですか」

「その証拠に、真之介さん達が夏になって村へ来た時、あの子は必ず磯村の家へ遊びに行ってたからね」

「でもそれは真之介さんが自分の夫のお兄さんだからで、昔から良く知っている人だったからではないですか」

「それだけじゃ、そう頻繁に顔を出す必要はないさ。出産した後も子供を放って置いて、磯村の家に通っていたって話だよ。あの事故の時でさえ、真之介さんを外へ連れ出そうとしていたんじゃないかって話もあったから」

 初めて聞く証言に、楓は身を乗り出して尋ねた。

「そうなんですか。それはどういうことですか」

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