第一章~④

「本当にそう。会社を引退するまで、お祖母ちゃんは仕事でずっと忙しかった。だから私を育ててくれたのは、主にお祖父ちゃんなの」

「母でもあり父でもあった、愛しのグランパってところかな」

 ちなみに大貴が言ったこの一言から、絵美を含めた三人の間では、楓の祖父を時折そう呼ぶようになった。

「それまでの恩に報いる為にも、磯村家の資産を受け取れるよう手続きをし、かつ山内さんだけが相続人にならないよう手を打った。もしかするとその頃から万が一に備えて、山内さんが受け取る分の遺産管理は、お祖父さんに任せるつもりだったのかもしれない。民法の八百三十条を応用したんだろう」

「何それ」

 二人に尋ねられ、大貴は説明した。民法第八百三十条とは、第三者が無償で子に与えた財産管理をうたったものだ。第一項では無償で子に財産を与える第三者が、親権を行う父又は母にこれを管理させない意思を表示した時、その財産は父又は母の管理に属しないものとする、とある。

 要するに、楓が受け取る相続分を父親達に好き勝手させないよう、祖父を管理者として遺言で残す根拠になるものだ。

「なるほど。でもそれと愛しのグランパの失踪が、どう関係するの」

 絵美の問いに、大貴は首を捻った。

「それは分からないな。相続手続きを終えたら死後離婚するよう、祖父母の間で話し合われていた可能性はある。でもお祖父さんが、勝手にそうしただけかもしれない。だから言っただろう。その理由が判明しないと、例え探し出しても一緒に住めない確率が高いって」

「じゃあ、専門家に探して貰っても意味ないわよ。しかもそういうところに払うお金だって、馬鹿にならないでしょう」

「それは違うな、山内さん。確かにお金はかかるけれど、来年になれば自由にできる多額の遺産が手に入るじゃないか。そういえば養育費は、今どうなっているんだ」

「月々十五万貰っている。お祖母ちゃんが、養育費に関して契約書を書かせていたの。私が全寮制の中高一貫校を目指していた事もあり、その後の教育費も馬鹿にならないと考えたからだと思う」

 彼女の説明では当時月十万円だった養育費と別に、中高だけでなくその後大学へ進学した場合の学費の実費全てを払う事と、十五歳以上からの養育費を一万円上乗せするよう取り決めたという。

 二歳から十四歳までで千五百六十万円、そこから成人するまでの五年間で九百万円、他に学費が約千五百万円で合計約四千万円を、指定された口座に振り込むよう指示したそうだ。

 祖母の死後も、楓の遺産を管理する弁護士の監視の下でそれは継続中だという。支払いが滞れば、即座に資産を差し押さえられても異論の申し立てはできない、との条件が付けられているらしい。

「当初はそれくらい支払っても、将来はるかに超える遺産が手に入る。だから言う通りにしておこうと、思ったんじゃないかな。だとすれば遺言書の内容を聞いた時、激怒しただろう」

 楓は大きくため息をついて言った。

「激怒なんてもんじゃなかった。初七日しょなのかが過ぎて、遺言書を預かっていた連城先生が内容を読みあげた時、父だけでなく梨花さんまで、お祖父ちゃんに食ってかかったんだから」

 彼女の表情から、相当の修羅場だったのだろうと想像できた。そこでふと気が付く。

「そういえば、お祖父さんと籍を入れていたって、山内さんの父親達はいつ知らされたんだ」

「その遺言書を読み上げられた時に、初めて知ったの。それまで八年間、ずっと黙っていたから余計に酷かった。私はN県に引っ越しすると決まった十歳の時に、こっそり教えられていたけど」

「その時はどう思った」

「嬉しかった。だって私、本当にお祖父ちゃんが大好きだったから」

 そう口にした彼女の満面の笑みからは、当時の幸せだった頃の想いが伝わってきた。親とは複雑な関係だったにも関わらずそう断言できるのは、祖父母との暮らしに十分満足していた為だろう。

 だからこそ姿を消した祖父を探し出したいとの気持ちが、相当強いのだと想像できた。しかも大学に入るまでの五年余り、その願いを封印してきた分、反動が大きいのかもしれない。

 この時大貴の心の中で、大金を所持する権利を持つ人物への興味に加え、彼女の望みを叶えてあげたいという別の感情が芽生えた。

 そこで話を続けた。

「戸籍を見る機会が無ければ、両親も気づかないだろうから無理はない。もしばれても、山内さんの母親が亡くなった時点で父親は磯村家にとって赤の他人で、再婚相手の梨花さんも同様だ。反対する道理はない。ただ法定相続人となる山内さんの親権者としては、相続分が半分になる。だから心情的には、賛成できるはずがなかった」

 結婚していなければ、遺産は亡くなった真由の娘である彼女が唯一の相続人となり、代襲相続する権利を持つ。 しかし祖父の登場により、配偶者と孫で半分ずつ分けなければならなくなった。けれど遺言の中身は、大半を楓が受け取るよう記載されていた。その点だけを見れば、健一達にとって幸いだったはずだ。

 けれど問題は、遺言により遺産を“相続”でなく、わざわざ“遺贈”と記し、更には楓が成人するまでの期間の管理者として、祖父を指名していたことだ。この違いは、“相続”が相続人のみを対象とするのに対し、“遺贈”は第三者にも譲ることが出来る点である。 また税金も第三者が遺贈される場合、相続よりも高い。

 ただし今回の場合、遺贈されるのが相続人である為、相続税は同じだ。しかもどのような割合で引き継ぐかという包括ほうかつ遺贈ではなく、ある一部を除く全てと書きながらも限定した、特定遺贈らしい。よく考えられた方法だと、大貴は感心した。

「そう。しかも弁護士さんが間に入っていたから、父達も手を出せなくなって、最終的には黙るしかなかったの」

「つまり山内さんは、来年間違いなく入る多額の遺産の他に、学費とは別で月十五万円の仕送りを受け取っているんだよな。だったら少し位、余裕があるだろう。そのお金で調査会社に依頼すればいい。今遺産管理している弁護士の紹介なら、より信頼できると思うけど」

 そこで彼女は、激しく首を振った。

「それは無理。連城先生はこの件について、全く協力的じゃないから。そんな相談をしたら、間違いなく断られる」

「そうか。余程強く、口止めされているんだろうな。だったら俺が紹介してもいいよ。ただ先方が受けてくれるかどうか、いくら要求されるか分からない。だからあくまで、口利きしかできないけど」

「そんな知り合いがいるの」

 それまで黙っていた絵美が、身を乗り出し興味津々で尋ねて来た。

「いや、そうじゃない。俺が大学を卒業したら、入りたいと思っている会社があるんだ。そこに頼めば間違いはないと思う」

 資産運用を専門とするコンサルティング会社だから、顧客のニーズに合わせた情報を集めている。その為弁護士や調査会社と提携していると聞く。とてもしっかりした会社だから安心だと説明した。

「へぇ。須藤さんって入学したばかりで、もう卒業後に入りたい会社を決めているんだ。すごいね。何ていう会社なの」

「株式会社プルーメス。上場企業のように大きな企業じゃないから、余り知られてはいないと思う。だけど富裕層に限定した資産運用専門のコンサルティング会社としては、知る人ぞ知る会社だよ」

 ギリシヤ神話で富と収穫の神であるプルートス、幸運と富を司るヘルメスの名前を併せて、プルーメスという名前になったらしい。

「そんな会社があるんだ。プルーメスは知らないけど、ヘルメスは聞いたことがある。高級ブランドのエルメスとは関係あるの」

「あれは創業者の名だから別だ。でも純金融資産保有額が一億円以上の富裕層しか相手にしない会社だから、信頼は出来る。何せ色んな会社を調べまくった俺が、入りたいと思っている会社だからね」

「そうなんだ。ああそうか。楓だったら顧客対象者になるじゃない」

「そこだよ。今は未成年だから自由にお金は動かせないだろうけど、来年には弁護士から管理権を渡される。つまり未来の顧客予備軍だ。そういう人からの依頼なら、受けて貰えるんじゃないかと思って」

 しかし楓から反論された。

「そんなことをしなくても、登記簿謄本を取り寄せれば所有者の住所くらい分かるから。法務局へ行ってお金を払えば誰だって取得できるし、郵送やインターネットでも取り寄せられるでしょ」

「ほう。だったらやってみればいい。そうやって簡単に探せると思っているのだったら、どうして目黒さんに相談していたんだよ」

 大貴が鼻で笑うと、彼女は顔を赤くして言った。

「それは、私の目的がお祖父ちゃんを見つけるだけじゃなくて、どうしていなくなったのかも確かめたいからよ。そうなると以前住んでいたN県へ行くことになるでしょ。その時は絵美について来て貰った方が、心強いと思ったの」

「目黒さんが、かつて住んでいた家の近くの出身だからか。一人だと心細いだろうし、情報を聞き逃す心配もある。手分けして話を聞くのなら、人手は多い方がいい。だから考えは悪くないと思うけど、それだけなら居場所すら分からないと思うよ」

「どうしてそんな、意地悪を言うのよ」

 さらに顔を紅潮させた楓に落ち着くよう促し、淡々と説明した。

「そうじゃない。歴然れきぜんたる事実だからだよ。確かに登記簿謄本は、簡単に取得できる。実家の住所は分かっているし、その建物の所有権がお祖父さんだ。所有者住所も記載されているはず。そう思っているのなら、考えが甘い。わざわざ姻族終了届けを出して姿を消した人が、居場所を特定できる証拠を残すとは思えない。まず間違いなく、法務局に所有者住所の変更届は出していない、または実際いる場所とは別の住所を届け出しているだろう」

「それだと、建物にかかる固定資産税はどうなるの。お祖父ちゃんが、払っていないとでもいうの。そんな人じゃない。遺言書にだって、それらを支払う等の為に一千万円を渡すと書いてあったんだよ」

「もう一つ忘れている。家の管理費を、三十年分前払いしているって言っていたよね。管理をしているのは、誰か分かるかい」

「近所の田畑たばたさん。私達がいない間ずっと昔から、代々管理してくれていた人なの。あの土地を取得したのは戦前だって聞いているし、私達が東京から引っ越すまでは、夏の間だけの別荘みたいな使い方をしていたから、それ以外の留守中を見ていてくれたみたい」

「俺の予想だと登記簿上の所有者住所は、一旦別の土地に変更していると思う。固定資産税の支払い通知は同じ市町村内への住所変更なら、届け出なしでも自治体が把握して通知書を送る。でもそれ以外の場所へ更に住所変更していたら、それ以上は追いかけられない」

「それって本当なの」

「よく聞くだろう。ボロボロになって今でも崩れそうな空き家を何とかして欲しいけど、所有者不明で苦労しているって話」

「知っている。テレビで時々やっているよね」

 絵美が同意した為、大貴は説明を続けた。

「あれは住所を点々としている内に、登記簿の住所変更手続きをしないで居たらそうなったっていう場合が多いんだよ。税金を払いたくなくて、意図的にする人もいるとは思うけどね。でも口座引き落とし等にしておけば、支払いは出来る。もし俺ならそれ位するし、お祖父さんもそうじゃないかと思う」

「だったら困るよね。私が楓から相談されていたのは、探し出した後の事と、いなくなった原因について調べるのを手伝って欲しいって話だったのに」

 絵美は驚いていたが、楓も同様だったらしく目を丸くしていた。その様子を見て、さらに説明を加えた。

「確実にお祖父さんの居場所を把握しているのは、弁護士の連城先生だろう。あと可能性があるのは、物件管理を任された田畑さんだが、住所は教えられていないかもしれない。電話番号すら知らないこともありえる。後は山内さんとの接触を、禁じられているはずだ」

 すると心当たりがあるらしい楓が、暗い表情をしていった。

「やっぱり、須藤さんもそう思うんだ。実は私から田畑さんに何度か連絡しようとしたけど、以前教えられていた番号にかけても、最近は通じないの。変わっているみたい。あんな田舎で、まずそんな事をする必要なんて無いと思うんだけど」

 彼女の話では、全寮制の学校に入る為に中学一年で家を出た際、それ程広い部屋ではないので、ある程度の私物は実家に置いたままだったらしい。

 しかしその後祖母が亡くなり祖父もいなくなった後は、所有者が異なるという理由で田畑の許可が無ければ家に入れなくなった。欲しい私物がある時は、連絡すれば郵送するとまで言われたようだ。

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