異議あり!

猫川 怜

プロローグ



「異議あり!」

 法廷に少女の声が響きわたる。

 声の主は十代半ば、紺のブレザーに緑色のチェックのプリーツスカート、ブラウスには赤いリボンタイ、長い髪を後ろで一つに束ねている。一見するとどこにもいそうな女子高生だった。ただ一つ大きく違うのは胸に向日葵の中央に天秤をあしらった金色のバッジ、弁護士バッジをつけていること以外は、そして、法廷にいるのが不自然な感じすらした。

「被告人は罪を認め反省しており情状酌量の余地があると思われます」

 そう少女はつづけた。

 裁判官席の後ろに座る六人の裁判員たちはざわめき始めた。裁判員は男性四人女性二人、年齢はまちまちだ。

 裁判官席には三人、中央の裁判長席に少し太った壮年の男性、右陪席には、長い黒髪で眼鏡をかけた三十代半ばくらいの女性、左陪席には、若くて、温厚そうな、青年という言葉のよく似合う男性が座っている。

 裁判長が言った。

「弁護人の主張を認めます。意見をつづけなさい」

 少女は語り始めた。

「被告人はリストラに遭って職場である製紙工場を解雇されたばかりで、経済的にも精神的にも追い詰められた状況であったことをご配慮ねがいます」

「異議あり!」

 少女の反対側に立つ二十代半ばほどの、長髪で銀縁眼鏡をかけた男、検察官が立ち上がり言った。

「精神的に追い詰められたと弁護人はおっしゃるが、被告人の精神鑑定結果は正常であり十分な判断能力があったと検察側は主張する」

 薬指で眼鏡のズレを直した後、長髪の検察官は席に着いた。

 裁判長が裁判員を見渡しながら言った。

「裁判員の皆さん、意見はありませんかな? 特に無いようでしたらこの論点は閉廷後皆さんと審議するということで、次の論点に移りたいと思いますが……」

 しばらくの間、法廷に静寂とした空気が流れた。

「意見も無いようですし次の論点に移りたいと思います。被告人が主犯であるかどうか、検察官、意見を述べてください」

 長髪の検察官は再び立ち上がり資料を見ながら話し始めた。

「本件の主犯は、被告人、本村孝幸であると検察側は主張します。犯行の計画に使われた。犯罪マニュアルはインターネットを介して被告人が購入し、共犯たる西田浩二と共に犯行を計画したと推測出来ます。犯罪マニュアルのデータは、被告人所有のパーソナルコンピュータにあり、被告人が、その代金を支払った事から、本件の主犯は本村孝幸であることは間違えないと検察側は判断します」

「異議あり!」

 制服姿の弁護士が立ち上がった。

「確かに犯罪マニュアルのデータは被告人のコンピュータにあり被告人がインターネットを通じて代金を支払っていますが、実際の犯行を記した。犯行計画書は手書きで書かれており、被告人ではなく西田の筆跡であることから犯行の首謀者は被告人ではなく西田浩二であると弁護側は主張します」

 左陪席の若い裁判官、吉田英一はボーっとして制服姿の弁護士を眺めていた。これが噂の高校生弁護士、大岡明日香かと、そして、初めての刑事裁判の相手があの検察庁の若きエース、深山直樹と言うのは運が悪いとそんな事を考えていた。

 初公判から今日に至るまで膠着状態であった。弁護側も検察側も互いに譲らずに激論をぶつけ合っていた。

 右陪席の裁判官、年齢は三十代半ばほどの長い黒髪の女性、山下恵理は眼鏡ののレンズ越しに見える法廷という小さな世界が苛立たしかった。毎日同じ話を何度も聞いていていっこうに進まない裁判にうんざりしていると同時に「最年少、女子高生弁護士、大岡明日香、なかなかやるじゃない」と内心、感心もしていた。

 裁判長席に座る小太りの初老の男性、宮原和正は机の上で手を組みながら考えていた。「大岡君の娘も立派になったものだな」と、そして、本日最後の難問をぶつけなくてはとなった。

「本件の被害者である牛丼屋チェーン、さがみ屋、アルバイト従業員、畑山隆則を刺したのはどちらであるか?」

 長髪の検察官、深山直樹は、両手で髪をかき上げたあと立ち上がり、

「凶器である刺身包丁は被告人の持ち物であり、被告人も自分が刺したと自供しており、被告人が刺したものと断定します。」

「異議あり!」

 明日香は机に両手をついて立ち上がった。

「凶器からは本村、西田、二人の指紋が検出されており西田も自分がやったと自供しており、被告人が被害者を刺したという決定的証拠はありません!」

 宮原裁判長は、両手を組んでしばらく考え込んだ。

「検察官、被告人が刺したという証拠はありますか?」

「いいえ、ありません」

 宮原裁判長の問いに深山検事が答えた。

 しばらくの間沈黙があった。そして宮原が口を開く、

「では、本日は閉廷します。」

「起立!」

 廷吏が大きな声で号令をかけ、法廷にいるすべての人が立ち上がる。

「礼!」

 法廷にいる二名以外は頭を深く垂れる。残る二名は被告人の後ろに控える二人の刑務官、頭を下げるとと帽子が落ちるため、代わりに敬礼をする。そして、三人の裁判官が頭を上げてから三秒間つづけて、パタっと二人そろって手を下ろした。

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