宣告

 文明の墓標が連なる旧首都に夏虫の歌声が響いている。

 灰色のコンクリートジャングルを侵食する緑の舞台で彼らは高らかに歌う。

 屋根を失ったバス停留所のベンチから眺める深夜の旧首都は、夏虫の楽園であった。


≪市街地に展開した武装勢力の殲滅を確認しました≫

「ご苦労様」


 聴衆の1人であるウィッチナンバー1は携帯端末を耳に当て、月夜を見上げる。

 今宵の争乱は、蜂起した信奉派の全滅という結果で幕を下ろす。

 社会不安を煽り、混乱を撒き散らす日本国の内患は大部分が切除された。


≪ご協力に感謝します≫


 告げられた感謝の言葉に、戦女神は鼻を鳴らす。

 首魁たるインクブスと信奉派の殲滅は、彼女の調整がなければ不可能だっただろう。

 だが、真の功労者はインクブスを事細かに分析し、その手札を悉く捻り潰した者だ。

 碧空を宿す瞳が細められ、月光の白を吸い込んだ黄金の髪が夜風に靡く。


「後始末はお願いするわ」

≪了解しました≫


 黒い携帯端末が沈黙し、夏虫の歌声が周囲に満ちる。

 市民に紛れ込み、広域を汚染するは、既存のインクブスとは比較にならない脅威だった。

 被害が最小限に抑えられた要因は、間違いなくシルバーロータスだ。

 しかし、彼女の献身が人々から評価されることはない。


「はぁ……」


 胸中に滞留する苛立ちを吐き捨て、ベンチの右手へ視線を走らせた。

 評価されない人物は、もう1人いる。


 夜と形容したくなる異形の少女──黒狼だ。


 決して心を許すはずのない相手に肩を預け、寝息を立てている。

 マジックの連続使用に伴う負荷は重く、彼女は気絶するように眠ってしまった。


「んぅ……む…」


 眉間に皺を寄せ、犬歯の覗く口から呻き声を漏らす黒狼。

 インクブスの首魁を地獄へ叩き落とした彼女は、また過去の断片を失った。

 それは人ならざる者へ成り果てるまで続くのだろう。


「…手間のかかる子ねぇ」


 その酷薄な運命を強いるラーズグリーズは口元を歪めた。

 自己嫌悪に満ちた表情を右手で覆い、長い溜息が夜に溶けていく。


 そして、壊れ物を扱うように黒狼へ触れ──ベンチから軽々と抱き上げる。


 漆黒の装いに隠された細い身体は驚くほど軽い。

 ラーズグリーズは静かな足取りで月光の射すバス停留所を後にする。


〈…礼を言う〉

「勘違いしないでちょうだい」


 律儀に感謝を述べる黒狼のパートナーへ返す言葉は冷淡なもの。

 描いたような美しい眉を顰め、不機嫌であると態度で示す。


「ここに長居するわけにはいかないだけよ」


 決して協力者を思い遣っての行動ではない、そう宣うラーズグリーズ。

 その声量は普段より抑えられ、一切の邪気を感じなかった。


〈そうか〉


 しかし、それを追及する野暮なパートナーではない。

 主の安眠を妨げぬよう沈黙を選ぶ。


「そうよ」


 夏虫の歌声が止み、アスファルトを叩く規則的な足音がコンクリートジャングルに響き渡る。

 それは国防軍の指定したランデブーポイントまで続く──


「あら、奇遇ね」


 途絶える足音、再開される合唱。

 歌声を乗せた夜風に流され、空色の戦装束が靡く。


「ナンバー6さん」


 月の支配する夜空を見上げ、ニヒルな笑みを口元に貼り付ける戦女神。

 その碧眼には、長大なライフルに跨るクラシカルな黒魔女が映っていた。


「こんなところで何をしてるのかな」


 夜空より見下ろすは、ウィッチナンバー6を戴くダリアノワール。

 宝石を思わせる琥珀色の瞳には冷淡な光が宿っていた。 


「そうねぇ……お遣いかしら」


 ラーズグリーズは普段通りの、人を小馬鹿にしたような声色で応じる。


「あなたのお遣いは終わったの?」


 睨み合う両者は理解している。

 争乱の中心から離れた旧首都にいる理由が、シルバーロータスからの要請であると。


「まぁね」


 音もなく降り立った黒魔女はライフルの銃口を天へと向け、肩を竦めてみせる。

 ひび割れたアスファルトの地で相対する2人のウィッチ。


 会話が途絶え──夏虫たちの歌声が夜に満ちる。


 幾度と繰り返してきた険悪な空気の醸成。

 敵対しているわけではないが、友好的という関係でもない。


「ラーズグリーズ」


 口火を切るダリアノワール。

 不遜なウィッチナンバー1を映す琥珀色の瞳は、黒狼へと向けられる。


「その子がいる理由は聞かない」


 国防軍が一芝居打ってでも確保した大陸最高戦力について、ラーズグリーズが語ることはないだろう。

 全てを秘密裏に進め、気が付いた時には完遂している。

 ダリアノワールの知るラーズグリーズとは、そういうウィッチだった。


「ただ……」


 続く言葉を紡ぐべきか、ダリアノワールの内に葛藤が生まれる。


「ただ?」


 首を傾げるラーズグリーズは、それ以上追及しない。

 彼女はナンバーズと名乗るウィッチたちを

 だからこそ、ダリアノワールは一歩踏み込まなければならない。

 意を決して口を開く。


「僕たちは……まだ力不足なのかな」


 本心を語らぬウィッチナンバー1に対し、真率な声で問いかける。

 険悪な関係からは想像もつかない問い。


 しばしの沈黙、そして──戦女神は小さく吐息を漏らす。


 微かに身を硬くする黒魔女。

 両者を月光が照らし、明瞭な影をアスファルトに描く。


「…ええ、そうね」


 あくまで普段通りにラーズグリーズは振舞う。


よ、ずっと」


 嘲るように、突き放すように、辛辣な言葉をニヒルな笑みと共に返す。

 これまで日本国の平穏を守ってきたウィッチへ送る言葉ではない。

 ラーズグリーズの悪意ある言葉には、当事者でなくとも嫌悪感を抱くだろう。


「なら、どうして……」


 しかし、今宵のダリアノワールは違った。

 その違和感を一瞬で感じ取り、ラーズグリーズは眉を顰める。


「どうして僕たちを放り出したのさ…!」


 月下に響き渡る悲痛な叫び。

 それは友一人救えなかった無力を呪うが故に零れ出した本音。

 友の前では飄々と振舞うダリアノワールが溜め込んできた感情の片鱗だ。


 ウィッチとは、庇護を必要とする少女──ダリアノワールもまた例外ではない。


 導く者、あるいは拠り所を求めたとして誰が責められるだろう。

 それを理解しているラーズグリーズは偽りの笑みを消す。


「その子と何が──」

「帰りなさい、ダリアノワール」


 有無を言わさぬ語気に、ダリアノワールは次の言葉を紡げなかった。

 ラーズグリーズの言葉からは悪意が削ぎ落とされ、残るは拒絶のみ。

 長大なライフルを握る手が小さく震える。


「私、暇じゃないの」


 琥珀色の瞳は戦女神を捉えたまま。

 しかし、喉を震わすことはできない。

 ダリアノワールは眼前に佇むを否定できずにいる。


 訪れる沈黙──それを汎用ヘリコプターの羽音が切り裂いた。


 黒狼を両手で抱えるラーズグリーズの瞳は、先の見えない闇を見据える。

 後輩が伸ばしかけた手は届かない。


「新しいに助けてもらいなさい」


 立ち竦むダリアノワールに背を向け、ラーズグリーズは音もなく地を蹴った。

 戦女神は全てを置き去りにして闇へ消え、月下に取り残される黒魔女。

 夜明けは、まだ来ない。



 クマゼミの特徴的な鳴き声が止み、カーテンの揺れる音が聞こえる。

 頬を撫でる風は、夏の熱を微かに帯びている気がした。


 重い瞼を開ける──つい最近、見た覚えのある天井が目に入る。


 そして、ちょこちょこと落ち着きなく歩き回るハエトリグモの姿も。

 どうやら私は悪夢から、インクブス真菌の領域から生還できたらしい。

 ファミリアから一斉にテレパシーが届き出し、急速に意識が覚醒する。


〈あ、東さん…!〉


 それに気が付いたパートナーが前脚を一生懸命に振ってくる。

 ひとまず落ち着け。

 口元に指を当て、静かにするよう促す。


「……あぅ…姉ちゃん…」


 視線を下げた先には、すよすよと眠る芙花。

 しっかりと握られた左手から高い体温が伝わってくる。

 既視感のある光景だが、以前より穏やかな表情で少し安心した。


 そして──以前は居なかった人物を見遣る。


 簡素な丸椅子に腰かける今世の父。

 灰色のデジタル迷彩作業服を纏い、座ったまま眠っていた。

 頬に残った傷と壁際に立て掛けられたライフルが、父は軍人なのだと現実を突き立ててくる。


「…父さん」


 夏の風が流れ込む窓は割れ、傍らのベッドにはガラス片の突き刺さった痕がある。

 カーテンの隙間から見える街からは薄く煙が立ち上っていた。


 国防軍は信奉派と一戦交え──鎮圧に成功した。


 街の上空を悠長に飛行している白いヘリコプターはメディアの機体だ。

 銃声も爆発音も聞こえてこない。

 ひとまずは安心していいか──


「おはよう~蓮ちゃん」


 のんびりとした口調で紡がれる挨拶。

 もう一度、彼女の声を聞くことができ、心の底から安堵を覚える。

 少し首を傾け、廊下側に置かれたベッドと向き合う。

 私を見つめる瞳は、いつものように眠たそうで、優しい色が宿っていた。


「…おはよう」


 私の友人、政木律に挨拶を返す。

 わずかに声が掠れ、喉が渇いていることに気が付く。

 だが、そんなことは細事だ。


「無事か」


 政木はインクブス真菌の侵食を受け、一時はウィッチとインクブスの境界線が曖昧となる状態になった。

 容態を確認するまで安心できなかった。


「うん」


 ベッドに横たわる政木は穏やかな表情で頷く。


「蓮ちゃんより元気だよ~」


 政木は患者衣を捲って細い左腕を出し、可愛らしい力こぶを披露する。

 無理をしているようには見えない。

 私より元気そうだ。


「そうか」


 ベッドに体重を預け、全身から力を抜く。

 鉛のように重かった身体が少しだけ軽くなった気がした。


「ふふっ……」


 悪くない脱力感に浸る私を見て、政木は口元を押さえて小さく笑う。


「どうした?」

「蓮ちゃんの寝顔が見れたから」


 笑いたくなるほど変な寝顔をしていたのだろうか。

 思わず右手で顔に触れてみるが、これといって変なところはない。

 それを見た政木は柔和な笑みを浮かべるだけ。


「ちょっと得した気分なんだ」

「そうか」


 少し釈然としないが、得をしたというのなら何も言うまい。


「そうだよ~」


 ふにゃりと笑う政木を見ていると、自然と頬が緩むのを感じた。

 不思議なものだ。


 クマゼミが鳴き出す──少し熱を帯びた風が吹き、ふわりとカーテンが膨らむ。


 ファミリアから受信するテレパシーが途絶える気配はない。

 インクブス真菌を駆逐しただけで、インクブスとの戦いが終わったわけではないのだ。


「…なら、いい」


 分かっている。

 百も承知だ。

 だが、今だけは穏やかに過ぎていく時を噛み締めたい。


「お兄ちゃんみたいだなぁって思ってたけど……」


 不意に呟かれた言葉に首を傾げる。

 政木の視線を追った先には、私の左手を握って眠る芙花。


「お姉ちゃんだったんだね」


 政木は両親と兄を失っている。

 今、見せられている光景は二度と手に入らないもの。

 弛緩していた感情が引き絞られ、口を引き結ぶ。

 私は友人に酷な仕打ちを──


「大切にしてあげてね」


 そんな心配を余所に政木は微笑んだ。

 まるで雲一つない空のように晴れやかなものだった。


 政木が前へ踏み出すことができたのか──それは分からない。


 ただ、床頭台に置かれた腕時計が静かに時を刻んでいる。

 それが答えなのかもしれない。


「ああ」


 芙花の頭を撫で、そっと長い黒髪を梳く。

 私が護ってきたもの、かけがえのないものだ。

 以前のように手が震えることはなかった。


「う…うん? 蓮花?」


 椅子に腰かけていた父が目を覚まし、視線を彷徨わせる。

 寝起きの良い父が珍しく無防備な姿を見せている。

 私と芙花を守るため、一晩中起きていたのだろう。

 小さく手を振る政木に頷きを返し、軽く上体を起こす。


「おはよう、父さん」


 私の声が病室に響き、父は目を見開く。

 そして、ゆっくりと私の顔を見つめる。


「蓮花…!」


 逞しい腕で強く抱き締められた。

 よく知る父の優しい匂い、そして汗と硝煙の臭いに包まれる。


「無事でよかった……」


 父の声が耳元で聞こえる。

 手間をかけないよう振舞ってきたが、結局は心配をかけてしまっている。


 胸の奥に湧き出る罪悪感──同時に、安堵を覚える私がいた。


 どうしようもないな、本当に。


「痛いよ、父さん」


 その感情を誤魔化すため、父の肩を軽く叩いて離れるよう呼びかける。


「ああ、ごめんね!」


 慌てて離れる父を見て、自然と笑みが零れる。

 インクブス真菌の領域に飲み込まれた時、もう二度と触れられない温もりだと思っていた。

 こんなに尊いものを簡単に諦めようとしていた。


「うゅ…姉ちゃん?」


 寝惚け眼を擦りながら、顔を上げる芙花。

 私を見つめ、何度も目を瞬かせ、じわりと涙が溢れる。

 また心配させてしまった。


「おはよう、芙──」

「姉ちゃん!」

 

 飛び込んできた芙花を受け止め損ない、頭突きを薄い胸に受ける。

 この痛みは芙花たちを心配させた罰だ。

 甘んじて受けよう。


 犠牲は決して少なくない──だが、インクブスの策謀は水泡に帰した。


 私たちの勝利と言っていいだろう。

 あとは連中にを送り付けてやるだけだ。

 気に入ってくれるといいが。



 一面の闇より浮かぶ白磁の円卓へ集う大小様々な影。

 形態すら異なる魑魅魍魎インクブスたちは、皆一様に険しい表情を浮かべていた。

 長と呼ぶべき者は少なく、席の多くは代理の者が座している。


 その原因は、ただ一つ──災厄による侵攻だ。


 これまでの比ではない大規模な群体が、未確認の個体を多数伴って襲来。

 防衛線の崩壊を食い止めるため、多くの戦士が奔走していた。


《……芳しくないな》


 各地より上がってきた報告を聞き終え、ようやく言葉を発する影。

 そこには隠し切れない落胆の色があった。 

 防衛線の置かれた状況は絶望的であり、ファミリアの軍勢は着実に領域を拡大している。

 そして、災厄の障壁を崩すため遣わせたピスキーの長も斃れた。


《しかし、収穫はありました》


 ゴブリンを束ねる長、グレゴリーは苦々しい表情のまま言葉を絞り出す。

 同胞たちの犠牲が無駄でなかったと言い聞かせるように。


《うむ》


 高濃度のエナによって歪んだ輪郭が微かに揺れる。


 そして、ヒトの交信手段を模倣した道具──ラタトスクが生み出したを卓上に置く。


 この困難な戦局に直面して、ついにインクブスは災厄の名を知った。

 あらゆる情報が秘密のヴェールに包まれていたウィッチの影を踏んだのだ。


ルナティック狂奔より先んじてシルバーロータスを討つ》


 円卓の間に集ったインクブスは重々しく頷いた。

 もはや戦力の集結を待つ猶予はない。


《パックルの犠牲、無駄にはせんぞ》


 ピスキーの長が命と引き換えに打ち込んだ種は、災厄も知らぬ急所。

 手籠めにしようなどと思う愚者は総じて肉片となるか、異形の苗床となった。

 インクブスの総意は、シルバーロータスの確実な抹殺だ──  


《失礼します!》


 大扉が押し開かれ、光と共に薄茶色の影が円卓の間に飛び込む。

 膝を突く者は、薄茶色の毛並みをもつライカンスロープの伝令だ。

 幾度と伝令を通してきたオークの戦士は、情報の伝達が遅れぬよう左右に控える。


《何事か》


 円卓に集った者を代表し、グレゴリーが問う。

 これまで伝令の報告は決まって円卓の間を震撼させてきた。


《ご報告します!》


 皆一様に口を引き結び、報告に耳を傾ける。


《パックル殿率いる一団が帰還されました!》


 ラタトスクより為された報告と相反する現実に、長たちは硬直した。

 隣り合う者と視線を交え、報告に誤りがなかったか確認する。


《帰還だと?》

《ラタトスクめ……確認を怠ったのか…!》

《彼奴が見誤るとは思えんぞ》


 死者が蘇ることは決してない。

 それはインクブスとて逃れられない理だ。


《静まれ》


 影が手を上げ、円卓の間に静寂を取り戻す。

 それを待ってからグレゴリーは改めて伝令へ問うた。


《間違いないか?》

《はい、報告では──》


 報告を続けようとする伝令の背後に細長い影が立つ。

 樹皮を思わせる外皮が軋み、耳障りな音が円卓の間に反響する。

 居合わせた誰もが目を見開く。


 その者は異端、忌み嫌われしインクブス──ピスキーだ。


 彼らを象徴する翅は輝きを失い、頭部の感覚器は欠損している。

 一目での敗北が事実であると皆が悟った。

 そして、生還できるはずがないとも。


《パックル殿!?》


 オークの戦士が慌てて得物を下げ、伝令のライカンスロープも長の進む道を開ける。

 それを意にも介さず、パックルと思しき個体は円卓の間へ無造作に踏み込む。

 嘲笑の一つもなかった。


《──待て》


 円卓より立ち上がった影の厳かな声は、全てのインクブスを制止する。

 しかし、足音だけが止まらない。


《貴様、パックルではないな》


 各々が得物を構え、一瞬で臨戦態勢へ移行する。

 この円卓の間に集ったインクブスは代理も含めて皆、歴戦の古強者だ。


《何者だ!》


 影より誰何され、ようやく枯れ枝のような足は止まる。

 剣呑な輝きを放つ刃を向けられ、円卓の間には濃厚な殺意が満ちている。

 しかし、身体の随所が白化したピスキーの長は微塵も動じない。 


〈大いなる母の宣告、しかと聞け〉


 パックルの残骸は一方的に告げる。

 常に他者を嘲笑う悪辣なピスキーとは思えぬ無機質な声だった。

 円卓の間に重苦しい沈黙が訪れる。


〈これは戦争ではない〉


 居並ぶ長たちは耳を疑った。

 インクブスは幾重にも防衛線を築き、死闘の末にファミリアの侵攻を食い止めている。

 これは種の存亡をかけた絶滅戦争だと認識していた。

 しかし、眼前の傀儡は、それを無慈悲に否定する。


〈駆除である〉


 無機質な声に雑音が混じり、沈黙が揺らぐ。


 災厄はインクブスをと認めていない──下等な存在と侮っているわけでもない。


 傀儡の発する言葉には、インクブスという種を根絶する冷徹な意志だけが宿っていた。

 雑音が存在感を増し、次第に円卓の空気を震わせる。


〈心せヨ〉


 羽音であり、大顎を打ち鳴らす音であり、外骨格の擦れる音。

 やがて雑音は収束し、異種の言語を形成する。

 それは傀儡を操る怪物が母を模倣して紡ぎ出す死の宣告だ。


〈ツギはオ前だ〉


 円卓の間に居並ぶ長たちを指差し、歪む凶相。

 菌糸体に侵された外皮が膨れ上がり、体内より噴き出す災厄の気配。


 影は理解する──それはパックルが好んで用いた攻撃のであると。


 外皮が裂ける寸前まで膨張したピスキーの長は、水風船のように爆ぜた。


《離れろ!》


 雪片を思わせる粒子が吹き荒れ、円卓の間から闇を奪い去る。

 その銀世界に魑魅魍魎の居場所はない。


 71体のピスキーが日本国から異界へ返還された──新種の菌類を拡散するために。


 彼らは示し合わせたように破裂し、静謐の死を撒き散らす。

 インセクト・ファミリアの非常食にして生物兵器がインクブスの牙城を襲う。

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