[改訂版]なりきり平安貴族!

夏目海

第0巻 序章

 いつの時代のことだったでしょうか。


 過度な技術革新と都会の喧騒に疲れた人類は、これまで発展してきた全てを捨てて時代を逆行した生活を過ごしていました。平安装束を着て、文明の利器はなく、移動も車でなく牛車を使っていたのです。


 不思議なことで、平安時代のように暮らすと、人々は現代の文明や自由平等の記憶など忘れしまいました。身分制度はもちろんのこと、所作や言葉、興味関心まで、平安時代に戻ってしまったのです。そのため人々は、月見や花見、和歌などを楽しみ日々を暮らされておりました。


 無くならなかったのは勉学です。人々は試験によって、住む場所と身分が決められていました。試験は16歳になると行われます。男性で1番の人は帝に、女性で1番の人は帝の中宮になります。もちろん、帝や中宮に仕えるにも成績上位でなくてはなりません。住む場所を決める試験は3年に1度、地位を決める試験は1年に1度行われています。そしてこの3年間が過ぎると、次の若い者たちに住む場所を明け渡さなければなりませんでした。


 首都は名古屋にありました。そしてその中でも、東野と呼ばれる宮中に帝が住んでおられました。東野に住む者しか帝や殿上人になることはできず、また男性のみしか住めない決まりとなっておりました。


 また、西丘と呼ばれる館がそこから牛車で1時間ほどのところにありました。西丘は十二単を着た地位の高い女性たちが一同に介す館です。中宮や、女官となれるのは西丘の女性だけでした。そのため西丘に住むことを夢見る適齢期の女性は多くいましたが、難易度は相当なもので、ほんの一握りの人しかなれませんでした。

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 西丘への居住を許されても、そこからの争いも熾烈です。上位30名は、御髪下ろし《みかみおろし》様と言われ、その名前の通り、まるで平安貴族の女性のような美しく長い黒髪を下ろすことを許されておりました。御髪下ろし様は、自室を与えられ、自分付きの女官の世話を受けられました。また、帝への謁見や、東野の宮中への参内が許されておりました。


 中でも一位の者は、中宮(中の宮)、つまり帝の正室となりました。一位以外のものは、東野の貴族から求愛を受けることが可能でした。帝は側室を持つことを許されましたが、この30名の中からしか選ぶことはできません。また皆、中宮様に憚って、帝の寵愛を受けようなど大それたことを考える人はおりませんでした。


 上位30名以外の残る170名は、髪結かみゆいと呼ばれ、おすべらかしの髪型をしておりました。髪結方は、女官として、日々の業務を割り当てられておりました。女官は2種類に分かれ、御髪下ろし様付きの女官と、雑務を行う女官がおりました。この雑務を行う女官は総務と呼ばれ、御髪下ろし様方が住まわれる西丘新館の2階に作業用の大部屋が与えられていました。


 西丘の旧館は髪結方の合同の寝間や調理場などがありました。この旧館に御髪下ろし様方が来られることはありません。そのため新館と旧館を結ぶ廊下は、御髪下ろしと髪結を隔てる廊下であり、魔の廊下などと呼ばれていたのです。


 時は金山朝。金山悠生が帝の時代。


 これは、西丘に住む、さほど身分の高いわけではなかった女官、田上葵が、その美貌をもって、帝に寵愛されるお話です。

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