Episode29.上司たるもの、相応のご覚悟を持ってくださいませ



 本日は提出の期限日。

 正午、ローズウェイズ部署長に不備がないか確認してもらうため、ロサミリスは担当した範囲の報告書を持ち寄った。分厚くなった紙の束。汗と涙の結晶と言っても過言ではない。事実、セロースは過労で倒れる寸前まで体を酷使した。他の職員が声をかけてくれなければ、セロースは休むことも出来ず倒れていただろう。


 ロサミリスとセロースが持ち寄った報告書に対し、余裕綽々といった表情のエルダの報告書は非常に薄っぺらく見えた。半分ずつ分担したはずだから、エルダもそれなりに厚みがあるはずだ。


「あらあら、リサさんにセロースも随分とお疲れじゃないの。まぁ二人にしては頑張ったんじゃない?」


 連日の徹夜で疲労困憊の二人に、エルダは扇を口もとに当てながら笑んでみせる。

 これは勝負ではないとロサミリスは言ってやりたいところだったが、ぐっと我慢する。どうも寝不足だと感情がささくれるらしい。良い勉強になった。

 

「まずはリサ君、セロース君。二人は本当によく頑張った」


 双方の報告書を確認し終えたローズウェイズ部署長は、無精髭を撫でながら優しく笑った。


「素晴らしくよく書けている。あの短時間で纏め直すのは骨が折れただろう。わずかな時間だけお手伝いさせてもらったが、二人の頑張りがなければとても全量を終わらせることなんて出来なかった」


 ロサミリスとセロースは互いに笑い合った後、仲良く頭を下げた。

 

「「ありがとうございます」」

「は? ちょ、ちょっと待ってくださいよ部署長。手伝ったですって? 私にはそんな素振りを見せなかったのに、あの小娘二人の仕事は手伝ったというのですかッ? それにいま、聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしましたわ」


 膨らんだ怒気を隠そうともせず、年齢も立場も上であるはずのローズウェイズ部署長をエルダは睨んだ。相当怒りが強かったのだろう、音が鳴るほどに勢いよく扇を閉じた。かつかつとヒールを鳴らしてローズウェイズ部署長に近づき、真正面から彼を見下ろす。


「全量、と仰いまして? おかしいですね、私は、リサさんとセロースさんで分担作業をしているつもりだったのですが、私の勘違いですの?」

「いいや、エルダ君の認識は間違っていない」

「どういう事!?」

「エルダ君の仕上げた報告書モノは上に提出できないからだ」


 ローズウェイズ部署長がエルダを睨んだ。

彼は気弱で大人しい人物だったはずだ。職場にいる誰もがそう思い、エルダとてそう考えていた。しかし、今はどうだ。格下だと舐めていた冴えない五十代の男に睨まれ、エルダは「ヒィ」と情けない悲鳴をあげている。


「ど、どうして!? 私は完璧に仕上げたわ。あの小娘二人がかりで仕上げたものを、私は二日で仕上げたのよ! どちらが有能かは一目瞭然じゃないッ!!」

「求められているのは速さじゃない、中身だ。エルダ君、君はこの分厚い束がどういう意図で作成されるものか理解できているのかい」


 ローズウェイズ部署長が分厚い報告書を指し示すと、エルダはたじろいた。


「い、一年間どんな魔獣が発生したか纏めて、それぞれの魔獣について上層部が確認するものでしょう? そんなの子どもでも分かるわ!」

「それ以外は?」

「そんなの知らないわよ。事務部は纏めるのが仕事よ! 私よりも立場が上の人間がこれをどう読むかなんて関係ないわ!!」


 だんだん感情が高ぶっていることに、残念ながらエルダは気付いていなかった。

 反対に、ローズウェイズ部署長の声が冷めたものに変化する。失望の色が混じった言葉は、ひどく淡々としていた。


「事務部とは、魔獣討伐の精鋭部隊である『第七師団』や帝国中を巡回する騎士たちが、どんな魔獣がどこに出現しているのか、魔獣の特性や弱点は何なのかを体系的に分かりやすく知識を得るための仕事だ。事務部がなければ、初めて遭う魔獣に戸惑ったり混乱する。この分厚い報告書一枚一枚には、そういう騎士たちの命を守る術が記されているんだ。その騎士たちに情報を共有する最初の窓口が、今回私達が提出する騎士団の上層部の方々だ」


 目には熱い感情が籠っている。ローズウェイズ部署長だけでなく、他の職員だって同じ思いだ。職員は部署長の言葉に深く頷き、エルダを睨んでいた。

 

「エルダ君、君の仕事は部署長補佐として相応しくない。今回君が纏めてくれた報告書を読んでよく分かったよ。今まではみんな、君が優秀っていう言葉を信じて従っていたが、これではっきりした。もう、君には従わない」

「な……んですって。わた、私だけじゃないはずよ! 他の奴だって、自分の仕事を他人に押し付けてるわ!! なぜ私だけが一人さらし者になるのよ!!」

「確かにそうかもしれない。後で私から注意しておくよ。でも、その中で一番酷いのはエルダ君だったんだ。仕事をほとんどセロース君に押し付けていたらしいじゃないか」


 小さくなったエルダの瞳孔が、恨みがましくセロースを見る。

 

「生意気な事をしてくれたわね。金輪際、あんたの弟の援助なんかしないわ!!」

「その事ですけれど」


 沈黙を破ったのはロサミリスだった。

 部外者が出張るな。そう言いたげなエルダを無視して、ロサミリスは続ける。

 

「セロース先輩の弟さん……つまりルークスさんの治療費の事ですが、わたくしが援助を引き継がせていただきます」

「はっ? ……なに、あんたの家はお金持ちだと言いたいの? 無名のくせに」

「今まで騙していてごめんなさいエルダ先輩。実はエルダ先輩対策で、わたくしは一つ嘘をついておりました」

「は?」


 あんぐりと口を開けるエルダに、ロサミリスは静かに右足を後ろに引いた。ドレスではないが、ズボンの端をつまんでゆっくり腰を落とす。その完璧なお辞儀カーテシーに「おお」とどよめきが走っていた。


「ロードステア・ファルベ・ラティアーノ伯爵が長女、リサ・アースヴァイン改めロサミリス・ファルベ・ラティアーノと申します」


 視界の端に映ったセロースの顔は、驚きに満ちていた。


(こうなったのは仕方ないわ)


 本当は最後まで隠しているつもりだった。

 オルフェンの言う通り、エルダのねちっこい性格を考えると、証拠の残らないやり方で嫌がらせをされる可能性もある。


(セロース先輩とセロース先輩の弟君を助けるには、もうこれしかない)


 彼女のことが好きだった。

 助けたかった。

 エルダにはすっぱり援助を切ってもらって、代わりにロサミリスが援助をすれば、彼女を助けられると思った。


「はく、伯爵家ですって……!?」

「はい」

「じゃ、じゃあ……あんた、本当にあの時にピアノを弾いていた令嬢だったの!? 黒蝶の姫君ってぼんきゅぼんの黒髪美女って聞いていたけれど、あんたのこと!?」


 こちらを指さしながら口をパクパクさせるエルダに、ロサミリスは微妙な感情を覚える。セロース曰く、エルダはあの日すぐ外に出ていたはず。『黒蝶の姫君』という異名が独り歩きしている気がした。


(しかもなによ、ぼんっきゅっぼんって…………)


 どうやら、舞踏会に出席していたのはエルダだけではないらしい。

 追随するように貴族出身の職員達が囁き始めた。


「黒髪に黒いドレスを着ていた黒蝶の姫君だ……」

「ドレスじゃなかったから全然気付かなかった」

「美女って聞いていたけど……」

「いいや、天使様のようじゃないか…………」

「黒蝶として下界に降りてこられた天使様……」


(みなさん、ちょっと妄想を膨らまし過ぎじゃないかしら???)


 ロサミリスが出勤時に着用していたツナギ姿が地味すぎて、伯爵家の娘だと思われなかったのだろう。ここは想定通りだったが、正体を明かした後の展開が斜め上過ぎてついていけない。


(あと、どうせ見るなら金糸雀カナリアの君と称されるジーク様にするべきだわ!!)


 完璧な美貌を持ち、褒め称えられるべきなのは金糸雀の君ジークだ。

 間違っても貧相な黒髪伯爵令嬢ロサミリスではない。

 

「申し上げます」


 後で布教しておこうという決意を胸に抱きつつ、ロサミリスは一歩前に進み出る。

 エルダは後ろに後ずさった。


「己の犯した罪を認め、セロース先輩に誠心誠意謝罪し、これからは真面目に働くというならば、オルフェン様にこれ以上告げ口をするのを止めましょう。聞いた話によれば、昔はそれなりに仕事が早かったと言う話ですし」

「な、にを…………このっ!」


 カッとなったエルダがロサミリスに掴みかかろうと迫って来た。

 ロサミリスはさっと半身をずらして直撃を避け、エルダの腕を掴み、思い切り引き倒した。


「い…………ったぁ!」

「あらごめんあそばせ。サヌーンお兄様に、変質者に胸倉を掴まれそうになったら引き倒せと言いつけられてますの」


 ニコリと笑顔を見せる。


「──ところで、悔い改めますの、改めませんの?」

「ヒ、ヒィィイイイイ…………!!」


 脅迫にも近い二択を迫られたエルダは「あ、改めます……」と、引きつった顔でそう言う。

 周りから、健闘を称えるような盛大な拍手が湧き起こった。

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