Episode12.舞踏会の始まりですわ③



 

 向こうで、あの女の娘が婚約者と楽しそうにダンスを踊っている。

 漆器のような黒髪は艶やかで、青玉石サファイアの瞳は不幸を知らなさそうに輝いて、なんと憎らしいことか。吐き気がするほど彼女の母リーシェンに似ていて、抑え込んできた嫉妬心が暴走しそうになる。


 昔のシャルローンは、それなりに折り合えていた。

 寄宿学校時代、学業優秀で淑女のかがみと呼ばれたリーシェン。そのルームメイトにして、美女と言わせしめたシャルローン。性格は正反対で、学校一不仲そうに見える仲良し二人組と言われていた。


 でも、それは昔の話──


 寄宿学校を卒業し、シャルローンが夫である現子爵家当主と結婚してリーシェンとの格差は広がった。リーシェンはあんなに楽しそうに家庭を築いているのに、シャルローンの夫は優しい見た目とは裏腹に女癖が悪く浮気性。気が強く自尊心の高いシャルローンが、そんな夫に寄り添えるわけもなく、口喧嘩は絶えずストレスは増していった。


(今日でそれもおしまい。あの女の娘を公爵家の目の前で恥をかかせてやる。最終的には婚約解消までもつれこさせ、その婚約者の位置に可愛い娘のビアンカを据え置く。……心がズタボロになっていく娘を見れば、あの女だって少しは顔を歪めるでしょう)


 ジークフォルテン卿が思いのほかロサミリスにぞっこんで、片時もロサミリスから離れようとしないのは計算外だった。計画の第一弾が失敗したいま、ジークフォルテン卿の存在は邪魔でしかない。


さらにいえば、会場にいるはずの娘ビアンカの姿も見当たらなかった。


なぜ? 今日の主役はあの娘ではなく可愛い娘のビアンカなのに!


 なにもかも上手くいかない。ずっとイライラが止まらない。


 しばらくしてようやく、シャルローンが待ち望んだ声が聞こえた。


「ロサミリス様、ジークフォルテン卿、ご機嫌麗しゅう」


 一人の令嬢が恭しく首を垂れる。

 あの娘もシャルローンが金を握らせた便利な駒だ。

 貴族のなかには、よほど貴族とは呼ばないような貧相な暮らしをしている者もいる。子爵という地位をちらつかせ、金を握らせさえすれば簡単に動いてくれる。


 シャルローンは扇の下でほくそ笑み、あの娘が恥をかいて婚約者から冷たい目で睨まれる瞬間を待ちわびた。


「さきほどのダンス、とてもお見事でした」

「ありがとう」

「ああ」

「ところで、私はロサミリス様がとてもピアノがお上手だとお聞きし、是非ここでお聞かせ願えないでしょうか?」

「え?」


 困惑するロサミリスに、ジークフォルテンは眉根をひそめてロサミリスを背に隠す。


「本日はプロ管弦楽団オーケストラの皆様がいらっしゃる。俺はロサミリス嬢がピアノが上手だと聞いたことはないが、例え上手に弾けたとして、彼らの前でするのは失礼にあたるだろう」

「いいえ嘘ではありません! ロサミリス様が自ら仰ったのです、私はそこいらの管弦楽団オーケストラの者よりも上手にピアノが弾けると……!」


 令嬢があまりにも大きな声で言うものだから、周りの人々もなんだなんだと注目し始めた。


「……ロサ、彼女はこう言っているが本当なのか?」

「いいえジーク様、そんな恐れ多いこと申し上げません。ピアノは嗜む程度、とてもプロの皆様の前でお聞かせするようなものでは……っ!」

「ワタシもロサミリス嬢の噂を聞いたことがありますぞ」

「バファノア様!」


 いきなり現れたのは、お髭がもじゃもじゃの脂ぎった男。

 稀代の伴奏者と言われる男だが、今日は一度もピアノを弾いていない。「ワタシの心が高ぶっている時にしかピアノは弾かないのだよ」というのが彼の口癖。今の今まで自室で瞑想という名の居眠りを決め込んでおり、ロサミリスとジークフォルテンのダンスが終わった直後、やってきた。


 ニヤニヤと笑いながらバファノアはロサミリス達の目の前に立つ。


「是非ワタシからもお願いしよう。ジークフォルテン卿も、黒蝶の姫君と囁かれるロサミリス嬢の華麗な音楽を聴きたいとは思わんかね?」

「俺達の今日の目的はダンスを踊ることであり、ピアノの調べを奏でることではありませんので」


 深緑の瞳に剣呑さが宿り、令嬢とバファノアが揃って「ヒッ!」と情けない声をあげる。

 しかしここで負けないのがバファノアの意地汚いところだ。


「調子に乗りおって若造が」

「何か仰いましたか?」

「いいえとんでもない。いやぁ、しかし残念だ。この舞踏会を主催したかつての巨匠、リヴァイロス様が悲しまれるに違いない。音楽とはみなに感動を与えるものだ。ワタシとしては、ロサミリス嬢が隠し持っている才能を皆に見せたいのだ。ねえ、ここにいる皆様もそう思いませんかね?」


 バファノアが周りの観客に合いの手を求めると、すかさずシャルローンが金を握らせた役者サクラたちが「聞いてみたいわ!」と声をあげる。一人二人が手を伸ばせばその波は会場中に広がり、とてもジークフォルテン一人ではこの場を収められない規模になった。


(無様ね、伯爵令嬢ともあろう方が。できもしないピアノをみんなから期待されて、さぞ震えているんでしょう)


 シャルローンは扇の下で笑う。

 すべてはシャルローンが仕組んだこと。

 シャルローンの位置からロサミリスの顔ははっきり見えなかったが、きっと恐怖で震えているに違いない。なぜならロサミリスがピアノなんて弾けるわけないのだ。いや、本人から直接聞いたわけではないのだが、プロの音楽人と耳の肥えた観客を満足されられるような演奏が出来る訳がない。


 選択肢は二つに一つ。


 ピアノなんか弾けませんと言い張ること。そうすればバファノアは嘘の噂を信じていた事になり、恥をかかされる。リヴァイロスのヴァイオリンを所有しており、音楽人との親交も厚い公爵家がこの状況を見過ごすわけがない。


 もう一つは──


「分かりました。とても人様にお聞かせできるようなものではありませんので、もし下手だとお思いになられたら笑ってくださいませ皆様」


 諦めてピアノを弾いてしまう事。

 こうなればシャルローンの勝利は確定だ。


「下手だなんてご謙遜を。これはとても楽しみですなぁ」


 バファノアがさらに下品な笑みを浮かべて、ピアノがある場所まで早く移動しろと促す。

 シャルローンは前のめりになった。

 人が無様に笑われる瞬間──


「では、失礼して」


 ロサミリスが鍵盤に手を置いた。

 一拍の間のあと、それは起こった。


(え、どういうことなの……っ!?)


 ピアノから音が出ている。

 いや、それは分かるのだ。

 ただシャルローンが予想していたのは、幼稚で素人染みてガサツなもの。到底音色メロディとは呼べない演奏だ。こんな風に滑らかで美しく、上品な旋律を期待していたわけではない。


「そんな…………バカな……!?」


 それはバファノアも同じだった。

 ありえないと言葉にならない声が出る。

 素人が遊び半分でできる技術ではない。十年、いや二十年はピアノと向かい合わなければこの領域には到達しないだろう。


「イ、インチキだ……!」


 そういうバファノアの声も、うっとりした表情で聞く観客たちには届かない。


「素敵……」

「ああ。ピアノが弾けると聞いた時は大したことないだろうと思っていたが」

「ロサミリス嬢は美しいだけでなくピアノも上手に弾けるのか」

「私、ロサミリス様のファンになっちゃいましたっ!」

「私も私も!!」


 ロサミリスが驚くような演奏が出来る理由。

 それは、本当に二十年以上ピアノを弾いた経験があるからだ。

 一度目から四度目の王族時代の人生では、王女の嗜みとしてピアノの演奏は必須項目だったから。もちろん、その気になればヴァイオリンもフルートも出来る。なにせ嫌というほどあの夜に思い出してしまったのだから。

 結局は呪いで死んでしまった人生だったけれど、七度目の人生では活きている。


「お見苦しい演奏をお聞かせしてしまい申し訳ございません。みなさま、これにてわたくしの演奏は終了でございます」


 ロサミリスの演奏が終了すると、会場は割れんばかりの拍手で満たされた。

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