第38話 段末波

 戦場の空を竜巻に巻き上がられたかのように兵士達が舞う。

その中心には、悍馬にまたがり、上半身は裸で、ただ一槍のみを携えた若者がいる。

脈動する筋肉には精気がみなぎり、槍の一振りごとに敵兵を薙ぎ倒す。

首が舞い、血飛沫が大地を染め、その只中を若武者が突き進む。


「俺は鮮卑の段末波だんまっはだ!石勒せきろくの首を貰いうける。出てきやがれ」


空気が痺れるばかりの大音声である。

支雄しゆう夔安きあんは顔を見合わせる。


「これは、我々二人でかかっても倒せる相手ではないぞ」


その日、石勒軍は段疾陸眷だんしつりくけん、なかんずくその先鋒として派遣された段末波だんまっはに敗北を喫し、襄国じょうこくの城内へと後退することとなった。


 「さて、鮮卑段部をどうするか。命令無視しまくったから外の助けも期待できないし、内の食糧もない。もう、野戦で決戦する?決戦しちゃう?」


朗らかに問う石勒に、夔安や支雄といった諸将は首をふる。


「あの化け物がいるかぎり、野戦はありえません。まだ、籠城戦のほうがマシかと」


「そんなに強いのか、段末波は。では、右侯うこう、君の計略を聞こう」


石勒が張賓ちょうひんの方を見やる。

張賓の傍らには孔豚こうとんがいる。

細部の作戦まで既に相談している節がある。


「草の者から得た話ですが、段部は攻城戦の準備を整え、来月上旬に期日を定めて北の城壁に死を送りつけようとしているとか。敵の大軍は遠方から長駆して連日戦っております。勢いのままに攻めてこず、来月まで準備しようというのは、もう息切れしたとみてよいでしょう。攻め手の中では、段末波がもっとも剽悍で、精鋭も彼の元に集っています。そこで、攻城戦の準備に移って油断しているときを狙い、彼の天幕を奇襲して捕らえるのです。急な雷は耳をふさごうとしても間にあわない、と申します。最強の段末波を捕らえれば、段部は戦意を失います。そして、段部を倒せば、その裏で糸を引いている王浚も容易く倒すことができるでしょう」


「こっちが囲まれてるのに、敵の天幕を奇襲?そんなことが出来るのか、右侯」


「細部は孔豚殿に託しておりますが、必ずや」


孔豚はどんと胸を叩く。


「工兵のことごとくをお授けください。段末波、この孔豚が必ず捕らえて見せましょう」


 「くそっ、兄上たちはうすのろだ。この末波に任せてくれれば、攻城兵器などなくとも城門を打ち破って見せるのに」


深夜ながら段末波は目が冴えて眠れない。

その時、周囲の天幕から物音がした。


「なんだ?」


槍を取ろうと暗闇の中で手を伸ばすと、そこにない。


「ぎゃはは。残念だったな」


近くで少年の笑う声が聞こえる。

段末波が唸り声をあげて天幕を飛び出すと、そこにはあり得ない光景が広がっていた。

陣地の中に大量の石勒軍が出現し、既に周囲の天幕にいた鮮卑のほとんどの戦士が捕らえられたり殺されたりしている。

段末波から奪った槍を持ってぴょんぴょんと跳ねる少年の姿が見える。


「もぐら作戦、大成功〜!」


石虎せっこ殿、石虎殿の立てた作戦じゃないでしょ」


「細かいこと言うなよ麻秋ましゅう、見ろよ、あの段末波のアホ面。ぎゃははは」


おどける石虎の背後には、土まみれの壮士たちに囲まれた名将、孔豚こうとんの姿があった。

張賓から授けられた策は、城内から突門トンネルを掘り段末波の天幕へ直接繋げて奇襲するというものだった。

城外から突門を掘って城内へと侵入する作戦は多いが、その逆をやる作戦は極めて稀である。


段末波だんまっはだな。大人しく縛につけ」


段末波は咆哮して孔豚に飛びかかろうとしたが、四方八方から縄がかけられ、すぐにぐるぐる巻きにされてしまった。


 「殺しやがれッ。さっさと、殺しやがれってんだよ」


叫ぶ段末波を前に石勒は笑みを浮かべる。


「何故だ」


「俺は敵で、お前に負けて捕まった。生かしておく道理があるか」


石勒はぐいと盃の酒を飲み干す。


「敵?見解の相違というやつだな。俺とお前の間に何か怨恨があったか」


「それは……」


まったくない、というのは事実でもある。

段末波は兄たちに言われるがままに攻め寄せてきたが、石勒が何をやって敵対関係になったのかは知らなかった。


王浚おうしゅんに唆されて、わけもわからず攻めてきたんだろう。王浚のやつ、自分ところの兵は一兵も出さずに、お前ら段部をこきつかって。汚ねぇやつだよ。あいつは」


段末波は、さのみ強そうにも見えないのに偉そうに兄たちに命令してくる王浚へ常々反感を抱いていたので、石勒の言うことに共感するところがあった。


「お前を解放する」


「何故だ?!」


「お前のような勇者を、こんなくだらない行き違いで殺してしまっては、この石勒の男がすたる」


左右の者に縄をほどかせる。


「こ、後悔するぞ」


段末波の声には動揺の色があった。


「さあ、どうかな」


石勒は段末波に飯を振る舞い、傷の手当てをして、送り出した。

遠ざかっていく段末波を城壁の上から石勒は眺めていた。

傍の張賓が言う。


「名演技でした。素朴な若者はああいうのに弱い。このことは段部へのくさびとして活きてくるでしょう」


「あれは演技じゃないんだけどなぁ」


小さくなった段末波が、城壁の方を振り返り、馬を降りて深く一礼するのが見えた。


鮮卑段部は、月を跨がずして撤退していった。

段末波が兄たちを説得し、引かせたのである。

王浚が頼みとしていた鮮卑段部は対石勒に機能しなくなってしまった。

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