第18話 猿の魔王
金毛猿を中心とした音波のリングが、空間を伝播していく。正面に立つクロ。金毛猿の画像がブレて見えた。
――副脳に構築しておいた安全装置が働いた?――
魔界に身を置く際、クロを動かすエネルギーの何割かは、潤沢に溢れる魔素を使用している。
魔素から放射されるエネルギーが停止した。
この緊急事態に、エネルギー調整を担当する副脳は、瞬時に空いた穴を本来使用しているエネルギーで埋めた。その切り替わりの負荷が視覚に影響し、金毛猿の姿をブレて見させたのだ。
金毛猿は、クロが繰り出した斧の一撃を横に飛ぶことでかわした。
鉞は、勢いを失い落下している。クロが呼びかけるも反応しない。
遠隔感知を司る副脳が報告を上げた。電位的に静止していたはずの魔素が拡散していると。
つまり、魔素からエネルギーをくみ出すことができなくなった。だから、魔素を元とした式神である鉞は、その動きを停止したのだ。
クロが直接魔素をチャージするまで、ただの鉞のままだろう。
「これは、魔素を力の源とする生物にとって致命傷の一撃か?」
逆袈裟に斧を振り上げ、金毛猿の突撃を牽制した隙に、距離をとるクロ。
猿相手に無双を誇ってきた必勝パターンが崩れた。
金毛猿は、丸太のように長くて太くて重い腕を一流拳闘士のように振り回す。4連打!
それをクロは半身ずらし、しゃがみ、横っ飛び、斧で受け、紙一重で受け流している。金毛猿の攻撃を一方的に受けている状態だ。
嘗めていた。
実のところ、クロが使う戦斧の刃は、これまでの戦いでギタギタになっていた。切れ味を求めるのは酷という状況。
「安物だったしね」
金毛猿の左のフェイントから繰り出した腰の入った右ストレートを斧の刃で受けスリップさせる。
腰を落とし、伸びきった金毛猿の膝に斧の柄を差し込んだ。クロの位置から、猿の膝がクロスして見えたのだ。
足をもつれさせた猿は、仰向けに倒れた。クロは斧を振り下ろすに優勢な位置をとる。
ここまで、金毛猿の猛攻が続いたが、クロに一発も入れていない。クロは金毛猿の動きを上回る速さで動いていたからだ。
「せーの!」
流れるような斧の取り回しで、猿の顔面を狙って……ゴルフクラブ=スゥイング!
金毛猿は倒れたばかりで体が安定していない。逃げられない。腕で顔面をカバーした。
ザッコン!
いかにも筋組織と骨を損傷させた音をたて、金毛猿の左腕がくの字に曲がった。体全体も1メートルばかりスライドした。
「GyHyoHoHooーIi!」
魂消る悲鳴を上げる金毛猿。クロの姿を見ず、反対方向とおぼしき方角へ転がる。
「せーのー!」
その先にクロがいた。すでに斧を振りかぶり終え、初速が付いていた。
バッカン!
金毛猿の、その無防備な口に両刃の戦斧が、加速をつけて振り下ろされた。
飛び散る前歯。
金毛猿は2秒だけ意識を失っていた。クロ相手に秒単位で意識を無くすことは死を意味する。
「せぇーの!」
鉛筆を振り回す軽さで戦斧を振り上げ、振り下ろす。刃が死んだ斧に切断効果を期待してはいけない。望む効果は打撃力。
振り下ろされた重量級の戦斧は、金毛猿の眼窩と鼻を潰し、脳に至った。
金毛猿は全身を一回だけ振るわせ、重量級の四肢をだらしなく床に伸ばした。
「ぐっ!」
魔王の部屋から濃厚な魔素が大量に吹き出した。この感覚だけは慣れない。まだ二回目だが。
クロは、あらゆるエネルギーを髪や皮膚から直接取り込み、その体内で使用可能なエネルギーへ変換する。
故に、魔素から発する良質なエネルギーを無意識に摂取してしまう。過剰摂取してしまうのだ。
エネルギーを制御する副脳が自動的に過剰エネルギーの流れを変えて逸らしてくれる。この機能がなければ、超常的宇宙生物であるクロといえど、ただでは済まなかっただろう。
「チョコ! 終わったよ! ダンジョンコアを取り出すの手伝ってくれ!」
「チョコに任せて! チョコのナイフでコアをとるから!」
チョコが小走りに魔王の間へ飛び込んできた。手には新調されたお気に入りのナイフ。
クロが魔王の間へ飛び込んでから、チョコが魔王の間へ飛び込むまで、5分とかかっていない。
済んでしまえばあっという間の攻略であった。
ナイフを器用に使うチョコ。「自分のナイフ」が嬉しいのだろう。絵面は惨劇であるが、獣耳幼女がピクニック気分で剥いでいる。この世界、幼女といえど、血なまぐさいことに目をそらして生きていくことはできないのだ。
そして――、
「とったよー! おっきいよー!」
それは獣人の村のダンジョンコアより大きかった。ソフトボール大だ。
色は無色透明。魔獣の種類によって色が変わるのかも?
法則性は不明。クロが知らないだけかもしれない。
チョコがダンジョンコアを取り出すと、魔界から感じるプレッシャーのような圧が一気に減った。
これより、この魔界は死へと向かって枯れていくのだ。
「ミッションコンプリート!」
「こんぷりゅと! こんぷると!」
元気だ。ピョンピョン跳ねている。充電したばかりの電池は電圧が高い。
「攻略成功のご褒美にブラッシングしてあげようか?」
「ブラッシング! ブラッシング!」
「はいはい、脱いで脱いで」
ちょうど冬毛から夏毛へと生え替わる時期。一櫛ごとに毛がドバッと抜ける。
髪の毛から始め、首筋におろして、腕、背中まで回った頃にチョコは良い感じになっていた。
眠ってしまってもクロはブラシの手を止めない。お腹、おしり、足、尻尾。全部終わると、抜けた毛はチョコ一人分の体積を持っていた。
地上なら、毛の処分に困るところだがここは魔界。魔獣が蠢く忌所。
クロは、毛の固まりを魔王の間に放り込んでから出発した。
後から潜り込んだ調査員が「なんだこれ?」と一騒ぎあったが、それはまた別のお話。
「お姉ちゃんが途中まで肩車してやろう!」
「いいの? わーい」
前にも増してピョンピョン跳びはねる。
「その前に後片付けをしなきゃね」
「チョコ、がんばる!」
「はっはっはっ、まだまだ子供」
チョコを肩車にして歩いたり、喜ぶからと走ったりした。
魔界の門より、攻略者が出てきた。
「ふー、生きて帰れた!」
レニーが所属するチームが、重い足取りで魔界の門より出てくる。
レニーは血の滲んだ包帯を額に巻いていた。
全員、どこかしら怪我を負っている。防具武器を破損した者もいた。
「お帰り。ま、普通は……、こんなもんだ」
ザラスが迎えにきていた。レニーはその特別な待遇に喜んだ。
「魔界の半分まで攻めました。次は魔王の間直前まで迫ります! あわよくば攻略します!」
「だな。うん、そうだな! 普通はそうだ、それでいい。おまえは、人並みによくやったさ」
ザラスは気抱えるようにして、パンパンとレニーの肩を叩いた。
なんだか、ザラスが冷めている。レニー達を見る目に熱というものがない。
「こ、これ、獲物です! 爪とか、魔性石とか入ってます! 後ろのヤツは毛皮も持ってます!」
レニーはことさら成果を強調した。取り出した革袋はパンパンだ。
うんうんと頷いているザラスだが、どこか上の空だ。
「治療師は必要か?」
「いいえ! 大丈夫です!」
親切な割に上の空だ。ザラスの口だけがしゃべってるような? 後で聞いたら全部忘れていそうな予感がする。
レニーは思い切って聞いてみた。
「クロは出てきましたか?」
「ああ、それな……」
ザラスの歯切れが悪い。
「1時間ほど前に出てきたよ」
「くそっ! 俺の方が遅かった! で、あいつ、どこまで進めました?」
ザラスはレニーの問いに答えず、肩越しにとある魔界の門を指し示した。クロが潜ったγのウシの1の3番魔界だ。明かりが消えて真っ暗だ。
門を指し示されても何を意味しているのかレニーには分からなかった。
たぶんそうだろうなと、ザラスはため息混じりに答えてやった。
「一時間前に出たにしては暗くなるのが早すぎると思わねぇか?」
「……え?」
「憶えておけ。魔界の魔力が少なくなってるって事だ。この魔界はクロの手によって攻略された」
言葉は耳に入っている、でも脳か常識のどちらかが理解を拒んだ。
「クロがたった1日で落とした。攻略したんだ! 今頃あいつはギルドで魔王の魔性石をホクホク顔で換金しているだろうさ」
「魔……攻略……え?」
「信じられねぇだろうがね。若いもんに丸っと1日、レニーとクロの魔界に張り付かせていたんだ。今朝早くに魔界が落ちた。クロが潜って24時間経ってねぇ。魔界は……魔王が攻略されると、明かりが一段暗くなるんだ。若いやつは初めての経験でずいぶん興奮してたっけ。いや、かくいう俺も魔界が落ちる瞬間は見たことがねぇ。あの若いの、見張りを忘れて、俺んとこへすっ飛んできやがった。で、俺がこうしてクロ、……お前らを待ってたって寸法だ」
ザラスはレニーではなくクロを待っていた。
「ははは、あいつ無茶しやがって……」
レニーは乾いた笑い声を上げた。
「獣人の子は? クロの怪我は?」
「獣人の子はスキップして出てきた。無傷だ。クロも無傷。服に汚れすら付いてない」
「は……」
レニーの顔が笑いの形で固定された。いや、笑い顔という薄紙を貼り付けた顔をしている。
「あの女は化け物だ」
レニーはクロに完敗した。
レニーのチームの戦力は、クロ1人に及ばない。
レニーはがっくりと肩を落とした。
「そう気を落とさなくていい。打ちのめされたのは俺も同じだ」
ザラスはレニーの肩を今度は力強くバンバン叩いた。
「初級クラスの魔界といえど、一日で攻略なんざ俺だって無理だ。気を落とすなレニー! お前の強さは分かった。普通の攻略者より頭一つは抜けている。自信を持て! うちに来い! 歓迎するぜ!」
レニーに耳にザラスの声は入ってこない。
しかし――レニーの目は燃えていた。
して――攻略者ギルドにて、
「え? γのウシの1の3番魔界を攻略した? 確か……潜ったのは昨日? 何かの間違いでは?」
受付担当者がカウンターの内側でうろたえていた。
カウンターの向こうに立っているのは黒ずくめの女。それと鼻から上だけ出して覗き込んでる獣人の幼子。
「チョコ、あれ出して」
「はーい! これ」
チョコが両手で持ち上げたのはソフトボール大の魔性石。つま先立ちしてダンクシュートよろしくカウンターにごろりと転がした。
受付に並んでいた攻略者を中心に、ざわめきがギルド中に広がっていく。
「確かに魔王の魔性石!」
素人でも見れば分かる。その威圧感、その魔素量に!
「で、では、攻略成功手続きをッ!」
いっぱいいっぱいになった受付担当者が、書類を巻き散らかしながら手続きを進めていった。
クロ達が魔界より持ち帰った戦利品は魔性石だけ。魔獣の爪や牙、毛皮などは荷物になるから持ち帰る予定に無かった。
ゴリラ級魔猿の魔性石をいくつかと、門番級白ゴリラの魔性石をいくつか。あとは魔王の魔性石だけ。
魔界から上がった魔性石を買い取れる資格と権利を持つのは攻略者ギルドだけ。違法団体を除く。
獣人の村の魔宮を攻略した際の報奨金には及ばなかったが、大金を手に入れた。
普通、利益は複数人で分けるから一人頭の手取りは少ない。さらに、治療や装備の補填、宿泊費に金がかかる。これが馬鹿にならない。
期日内に攻略できて初めて、そこそこの生活が可能な金額が手元に残るのだ。
これが普通。その金を一晩で使い尽くして後悔するのも日常茶飯事。
それだけ、魔界から得られる命の危機と、引き替えにした大金は攻略者のタガを外すだけの魅力がある。
中には、生きている実感を得られるという麻薬にも似た日常を得る為だけに潜ってる連中もいるのだ。
話戻して――
クロは、現実上、一人での攻略だったから、利益は丸取りだ。おまけに怪我どころか、装備の破損もない。
戦斧を研ぎに出さなければならないが、それは必要経費として最初から組み込まれている。あと、チョコのおやつ代しか出て行かない。
「じゃあ、チョコはおやつを買ったから、わたしは戦斧の修理にお金を使うね」
「うん、いいよー!」
口の中の水分をごっそり持って行かれるクッキーをほおばるチョコ。幸せそうだ。
「でもお姉ちゃん手! 手つないで!」
「はっはっはっ! チョコは甘えんぼさんだね」
知らない人が見たら、夕食を外で食べて帰り道を行く仲の良い姉妹だ。……まさか魔界帰りだとは、道行く人で気づいた者はいない。
クロは思考に耽っていた。魔界の成長についてだ。
魔界よりの帰り道。中間地点と入り口付近に設置した木片を調査した。
それぞれ、3㎜と0.5㎜以下で観測不能の伸び率であった。
「うーん、入り口付近の四方への伸びは無視して良いほどだね。まん中は年で1㎝。これは誤差範囲だね。するってぇと、入り口付近は枯れているか? あるいは成長に限りがあるのか? うーん、難問だ」
「お姉ちゃん、うれしそうだね?」
「問題が難しければ難しいほど、深く考えられる。そして解いたときの喜びは大きい。さて、部屋は空いてるかな?」
例の婆さんが営む客のいない安宿である。クロの遠隔感知能力が部屋の空き状況を伝えてきた。部屋は選り取り見取りの模様。
チョコが走っていった。
「おばちゃーん! おへやあいてますかー?」
「おや、あんたら生きてたのかい!? へぇ、残念だね!」
小難しい顔をして、帳簿を眺めていた婆様が、チョコとクロの顔を見るなりパッと明るくなり、すぐに顰めっ面をした。
「2、3日休んだら、また潜るよ。前の部屋、空いてるだろう?」
「空いてて悪うござんしたね! ……ま、ゆっくり休んで怪我とか治してから潜り直しなよ」
「そうさせてもらうよ」
「いいかい? 魔界は1回で攻略できる代物じゃないんだよ。何日かかったって、恥じゃないからね!」
「うん、そうらしいね。世間では」
「なに生意気言って! うちの宿はこう見えてね、昔しゃぁ攻略者の溜まり場だったんだ。ベテラン攻略者から色んな話を聞いたもんさ。だもんで、あたしゃ素人じゃないからね! 年寄りのいう事は素直に聞くもんさね!」
「わかった! わかりました! さっそく明日、武器を整備に出すよ。刃がガタガタなんだ」
「初心者に限って、空振りして壁とか床を叩くもんさ。刃こぼれは強くなるための階段だよ! なんら引け目を感じるこたぁーないよ! もっとシャキっとしてなさい!」
なんか、攻略失敗前提で慰められている。
「お年寄りには敵わないね。チョコちゃん、部屋に入ったらご飯にしよう。屋台で買ったよく解らない肉と薄味のスープがある」
「お肉お肉-!」
トントンと階段を駆け上がっていくチョコとクロ。
「野菜もとらないと駄目だよ-!」
年寄りのアドバイスが追いかけてきた。
「部屋を毛だらけにしちゃ怒るよ-!」
「冬毛は全部魔界に捨ててきた」
「厚かましいんだかなんだか分かんない子だねー!」
眉を吊り上げ、額に皺を寄せていた婆さんだが、クロとチョコが部屋に入って見えなくなると、途端に表情が柔和になった。
「魔界の攻略は何週間もかかるんだ。怪我せず帰ってきたあんたらにゃ攻略の才能がある、と、あたしゃ踏んだね。せいぜい頑張んな!」
お婆さんは帳簿に目を落とし、久しぶりにキセルに火を入れた。
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