第41話 - 最果の戦場 星を崩す

 アルスの大剣が幾度となく光芒を放つ。

 放たれた光は鮮やかな流線型を描き、レウに衝突する。

 しかし、その魔力の一撃は、魔崩剣の一刀に断たれる。

 巨大な光の斬撃が途中で千切れる。その勢いのまま、レウは真っすぐアルスに突撃する。

 

 瞳孔の開いた目のまま走り来る狂気の剣士に対し、アルスは再び剣を掲げ、魔力を回す。そして、風船が膨らむようにして光が刀身の周囲にため込まれ、レウがアルスを斬ろうと近寄った瞬間に爆発させた。


 魔力爆発の範囲攻撃。魔崩剣とはいえ、これを全て斬り落とすことはできない。

 この爆炎では近付くことはできないだろう。

 だが、その予想も裏切られた。煙が晴れかけた合間。遥か低い位置から見上げるように、鋭く光る二つの眼光がギラリとアルスを貫いていた。

 そして間髪入れず、鉄の刃が迅雷のように切り上げられる。切っ先はアルスの胸を斬りつけた。ざりん、と、何かが削られるような音がする。


 アルスは気圧されるように、一歩後ろへ下がった。

 彼の目の前には、爆風で傷だらけになった、一人の獣がいる。

 その獣は、肩で息をしながら、しかし、満足そうな表情で、敵を見つめている。


「狂っている」


 思わず、アルスはそう呟いた。


「こんなことを、何度続けるつもりだ? 一つずつ、妖精文字を削ったところで、何も変わらない。魚の鱗を一枚ずつ剥がしているような、気の遠くなるような作業だ。その度に君は、比べ物にならないダメージを負っている。なのに、どうしてそんな、嬉しそうな顔ができる。理解ができない」

「何も変わらないことは無い。あんたの攻撃力、防御力は、少しずつ落ちてる。切り傷程度なら、なんとか頑張ればつけられるかもだ」

「意味不明だ。だから、なんだというのだ」


 アルスは、レウを強く睨みつけながら【星剣】に少しずつ魔力を流し込んでいく。

 そう。彼が言う通り、無謀としか思えない特攻を何度も繰り返し、その対価として少しずつ妖精文字を剥がすことには成功していた。

 しかし、それは対価として数えるにはあまりに小さな成果であった。


「何故だ。お前は、全てが無価値だと思っている。だから己の命を投げ捨てるように扱える。それはいい。だが、今命を賭けている理由はそれじゃない。あの女のためにお前は戦っている。何故、そこだけ特別を作るのだ。水平ではない。矛盾している。その在り方が、ボクにはどうしようもなく悍ましく見える」

「……《星崩し》ってのは、こんなに細かい野郎だったんだな。僕ァ、吃驚だ」

「お前自身も説明ができない歪みだ。自覚をしているはずなのに、何故そんなに晴れやかに戦える。お前は、狂っている。依るべき信念を見失って、白痴のように彷徨っているだけだ。そんな悍ましき愚者に、少なからず傷をつけられるボク自身にも腹が立つ」


 そしてアルスは、更なる過大な魔力を剣に回した。

【星剣】から天を衝くような光が伸びる。これまでにない、強烈な魔力光だ。

 あまりの熱量に、光自体が赤く輝いているほどだ。それを見て尚、レウは笑う。

 アルスは怒りを爆発させたまま、言葉をぶつける。


「ボクは、妖精に対抗できる数少ない人間だ。妖精とギルドを対等にすることが、僕の使命だ。レウ、お前のような空っぽの男に負けるわけがないんだよ」

「勘違いすんなよ、《星崩し》。比べてんのは、信念の凄さじゃない。どっちの剣が強いか、だ」


 光の柱のような【星剣】に対し、レウは剣を水平に構える。

 本来敵うはずもない剣の対決は、呪いにより獲得した絶技で、奇跡的に成り立っている。

 だが、相手は星と同化している相手である。本来は敵うはずもない、圧倒的な実力差なのだ。


 光の柱には、まだ足りないというように、次々と魔力が送られる。

 それでもアルスの魔力が尽きる気配は無い。何故ならこの星が保有する膨大な資源がバックアップとして接続されているからだ。

 剣の光は凄まじく、火山が噴火しているかのようにも見える。星の怒りそのものだ。

 

 アルスは剣を高く掲げている。剣から激しく放出されている光芒は、この辺り一帯を覆い尽くすほどの質量だ。辺りが赤黒く、禍々しく照らし出される。


 それを見上げて、レウは思った。

 ――これ、斬れないな。

 あまりに、大きすぎる。魔力が膨大すぎる。この細い剣で斬り裂ける程度では済まなくなっている。


「あと、ちょっとなんだけど……」


 レウの独白は、魔力が爆ぜる激しい音に掻き消される。

 天に向かって逆さに落ちる滝のような激しい【星剣】の輝きが極限まで赤く光り、それがレウに振り下ろされようとしている。

 彼ができることは、それが届く前に、斬ることだけだ。

 レウは駆け出した。これまでよりも早く、とにかく地面を踏みしめ、少しでも速く、速く。

 だが、それよりも絶対に、アルスが【星剣】を振り下すほうが早い。

 金髪の下に隠れた目が、火に飛び込む哀れな虫けらを看取るように、猛全と駆ける剣士を見た。


「終結だ。無駄な足掻きを、もうする必要はない」


 そして彼は、星の鉄槌を下そうと腕をふりかぶる。


 レウが駆ける。その遥か後方から。

 赤い流星が奔った。

 加速度的に速度を増し、その流星は真っすぐ、アルスに吸い込まれるようにして迫る。

 それは、槍であった。妖精の力を分け与えられた、無限に速度を増す魔法の紅き槍。

 それが何処かから放たれ、【星剣】を振りかぶるアルスに向かっている。


 アルスはそれを視認した。

 仮に直撃したとしても、致命傷には至らないだろう。

 だが、あの速度は厄介だ。星すら深く貫くであろう速度となっている。死にはしなくとも、深い傷は負ってしまうかもしれない。レウによって、ほんの少し防御力を下げられた今であれば尚更だ。

 であるならば、目の前で駆けてくる剣士は後回し。誰が何処から放ったか知らないが、あの紅い槍を消すのが先決である。

 機械のような合理的な判断を瞬時に下し、彼は剣を振り薙ぎ、豪速の紅い槍を光の斬撃で包み込んだ。

 その瞬間、槍は瞬時に蒸発し、跡形も無く消え去る。


 その一手の間に、レウは間に合った。

 アルスの目の前にまで接近した彼は、剣を振り上げている。


 ――だから、なんだというのだ。


 いいだろう。そのまま、思うがまま斬らせてやろう。

 それと引き換えに【星剣】をぶち当ててやるのだ。

 元から対価の釣り合わない攻防だ。これは決まり切っていた結末なのだ。

 アルスはそう考えながら、実につまらなさそうに、レウの剣をじっと見つめていた。


 その細い剣が閃く先は。首でもなく、胸でもなく、脚でもなく。

 アルスが剣を握る、右手首に走った。


 レウの剣は、少しずつ、アルスに刻まれた妖精文字を削っていた。

 彼に言わせれば、魚の鱗を剥ぐような、無駄な作業である、とのことだが。

 実際に、ほんの少しずつ、成果は見せていた。

 当初は皮膚すら斬りつけることができなかったが、今は、切っ先がほんの少し皮膚を裂き、少しの筋肉を傷付けるに至っていた。

 彼の剣は的確に、アルスの右手首の腱を斬った。

 その瞬間【星剣】を握る手の力が、失われれる。

 高く振りかぶっていたその伝説の剣は、暴れるような魔力の力を押さえつけられず、空中に投げ出される。


 レウはこれを予期していたかのように飛んだ。

 そして、彼は右手を掲げる。

 その瞬間、腕の中に格納されていた【破神の籠手】が展開され、右手に装着された。

 比類なき怪力を齎す籠手が、空中の【星剣】を握る。

【星剣】は赤熱した魔力の奔流を立ち昇らせている。

 それを、安全装置の壊れた【破神の籠手】を装着したレウが、手にしている。


 彼は、眼下のアルスを見下ろしていた。


 星を崩せるのは、同じ星のみ。

 この伝説の剣には今。星の力そのものが、溢れている。


「うおおおおおおおおおおおおお!」


 レウは叫んだ。その勢いのまま、赤く輝く光の斬撃を、アルスに振り払った。




 星の悲鳴のような、エネルギーの爆発が、耳を劈く。

 真っ白な光に包まれ、何も見えず、何も聞こえない、漂白されたかのような世界が広がる。

 やがて、その静寂は耳鳴りに変わっていき、白い世界も、暗い夜の帳へと戻っていく。


 視界と聴覚が戻ってきたレウの目の前にはアルスが立っていて。

 彼の胸には、見るも無残な、大きな傷跡が焼け付いていた。


「……無念だ。ああ。くそ。これが、狙いだったのか」


 ――あいつに傷をつけるには、あいつが持ってる【星剣】が手っ取り早い。剣に魔力が十分回った状態で、奪い、籠手の力で振るえ。


 ハーヴィスが説く勝ち筋はこれのみであった。どうやって奪うか、というのは、終ぞ答えが出なかったが。

 決死の覚悟と、ほんの少しの手助けが、これを成し遂げた。


 アルスは目を閉じ、地面に倒れる。


 最果の戦場に立つのは一人だ。

 全身に酷い傷を負い、過剰な力で右腕の全てが壊れてしまったが、魔力を放出し終えた【星剣】を、しっかりと握っているレウだけが、立っている。

 彼は振り返り、彼を救った紅い流星が放たれたであろう方向を見つめた。


 あまりに無謀な戦いであった。一人であれば、きっと、負けていたはずの戦いだった。

 故に、この勝利は、二人で取ったものである。


 レウの地点から、遥か遠く。人影なんて点でしか見えない、小高い山の上で。


「……レウの、ばか」


 左手に【破神の籠手】を装着し、激痛に耐えながら、少年を罵倒する、白い少女の姿があった。

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