第19話 - 労働街エナハ 英雄散開

「レウ、見て、船が――無くなった」


 砲撃による混乱。直後の斬撃による混迷により、レウたちに気を配る者は一時的にいなくなった。その間に、二人は全力を尽くして、飯場までの道を疾走した。

 そして、なんとか飯場までの山道にまでたどり着いた二人は、後ろを振り返ると、空に浮かんでいた船の偉容が、文字通り粉々になっていることに気付いた。


「なにが、どうなってんだぁ、ありゃ。お船の見る影もない」

「……間違ってなければ、最初の斬撃は、おそらく《星崩し》。そして、街を走っていたときに聞こえた声を信じると、それを砕いたのは《黄金騎士》」

「はぁ? 《星崩し》に《黄金騎士》ぃ? おいおい、シャロ、いくらなんでも――」

「そして、あの浮いている木片たち。あれはきっと――《魔法卿》」


 流石のレウも、言葉を失った。間違いでなければ、その三つの名はSランク級の名であるはずだ。

 だが逆説的に、あのような船を軽々と破壊できるのは、Sランクの実力者でなければ不可能であろう。

 

 ギルドが追っている、とは聞いた。妖精と人間の落とし子、とも聞いた。

 だからと言って、Sランク三人がやって来るほどの案件だとは、思いもよらなかった。

 握った手の先の、白髪の少女を、じっと眺める。

 自身が手を出してしまったのは、果たして想像もつかないような「何か」なのかもしれないと、一瞬考えてしまう、が。


「レウ!」


 そんなシャロの声で、はっと、目が覚めた。そして、彼女が指さす先を見ると、無数の冒険者たちが、こちらに迫っているのが見えた。

 

「うぉぉぉおお! ここまで来たら、あいつらを先に捕らえてやれ!」「《星崩し》の先を行ったパーティーとして、名を刻もうぜ!」「ひゃはははは! 俺らは進むしかねえ! 殺せ、殺せぇええ!」


 まさかの事態が立て続けに起こり、思考回路が一周したのか。冒険者たちが目の色を変えて、レウとシャロを追ってきた。

 どこまで行っても逃げ場がない。あまりのしつこさにレウが辟易としたとき。

 シャロが、ぎゅっと、手を握った。


「ありがとう。レウ。ここまで来たから、魔法を全開にできる。あとはもう、振り返らず、真っすぐ飯場まで走って」


 その言葉の真意はわからない。わけを聞こうと、シャロの顔を覗くが。

 彼女があまりにも、確信に満ちた表情をしていたので。

 レウはそれ以上言葉をかける意味を失った。

 手を握り返し、二人は最後の力を振り絞り、山道を登る。


「追え、追えええええええ!」


 獲物はすぐ目の前だと、鼻息を荒くして山道を行く冒険者たち。

 その横合いの森林の影に。ぎらりと光る、幾つもの双眸があった。

 そして、冒険者たちが道に入った瞬間。

 獣の雄叫びと共に、森林の中から、無数の怪物が飛び出した。

 虎のような、蛇のような、牛のような、鬼のような。肉体を異様に発達させた、魔物たちである。それらが叫びながら、勢いよく躍り出た。

 まさかの事態に混乱を極める冒険者たち。

 無数の怪物――魔物たちは、狂乱状態となって、冒険者たちを襲っていた。


「【劣化模造デッドコピー】――【幻惑する妖香水フレグランス】」


 レウと走るシャロが、呟く。


「魔物が好む匂いを放ち、誘き寄せる魔法。……本来は、嗅いだ相手を意のままに操る、洗脳魔法だったんだけど。私の模造品じゃ、魔物を誘き寄せるのが、関の山。……かつて、お姉ちゃんが、解呪してくれた、魔法」


 そう言って、だが、満足げに、彼女は頷いた。


「街の中でおびき寄せると、住人まで被害が出るから。できればここで発動したかった。これであいつらは、しばらくは私たちに近付けない」


 魔物たちが、冒険者へ苛烈に襲いかかっている。彼らも応戦し、次々と魔物を打ち倒すが、いかんせん数が多い。そうして傷を負う冒険者も増え、混迷を重ねていっている。


「だけど、Sランクのどれかが来たら、お終い。魔物の群れも、一瞬で吹き飛ばしてしまう。レウ、とにかく走って。探鉱まで行けば、そこがゴールだから」


 なぜ飯場がゴールなのか。理由は全くわからない。だが、シャロがそう言っているのだから、それ以上聞く必要はない、とレウは判断し、とにかく黙って走る。

 冒険者と魔物の交響が遠くに消えていくのを感じ――そして、目の前に洞窟の入り口が見えた。

 穴の中に転がり込むようにして入った二人は、床に寝転がり、はぁはぁと、呼吸を荒くした。


 寝転がったレウの横には、同じく寝転がったシャロの顔があった。

 汗だくの彼女であったが――その体には、傷一つない。

 レウは、彼女を、守り切った。

 シャロと目が合い――彼女は、可笑しそうに、にこりと笑った。


「なんでそんな、嬉しそうなの。ほんと、へんな人」


 レウの感情が、これまで感じたことがない、なにかが動いたような気がした。

 それに名前を付けることができず、彼は思わず、彼女から目を逸らす。


 そんな、ことをしていると。

 ぱち、ぱち、ぱち。なんて。

 拍手が聞こえた。


 レウは飛び起き、剣の柄を握る。瞬時に臨戦態勢に入った。

 拍手の音は、ほの暗い奥の暗闇から響いていて。

 その奥から――一人の中年が、降りてきた。


 ゆったりとした服に、煌びやかなアクセサリーを付けていて。

 洒脱な顔立ちの男は、顎髭を撫で、じょり、と音を鳴らした。

 それを見て、シャロが、ゆっくりと、呟く。


「《魔法卿》ハーヴィス」


 レウは衝撃で頭がおかしくなりそうであった。

 ここまでくれば、敵は来ないと。根拠なく信じた結果、ゴールには最強の敵が潜んでいた。

 ギルド大幹部。最も妖精に近い男。Sランク冒険者。ハーヴィスこと《魔法卿》


 その中年はにこにこと微笑んでいる。レウは、全身を緊張させながら、柄に手をかけている。

 ――己の魔崩剣が、この男に通じるか、どうか。

 知らず、レウの顎から汗が垂れた、その時。


 ハーヴィスが、笑いながら、言った。


「久しぶりぃ、シャロ。よくここまで辿り着いた。さあ、とりあえず、ここから逃げようか」


 そして男は、軽く手を翳す。


「【迷宮を統べる大公ダンジョン・メーカー】」


 その魔法を唱えた途端、建物全体が振動した。

 強烈な地震が起こったかのような衝撃がレウとシャロの脳を揺らす。

 がしん、がこん、と、大きな絡繰りが組み変わるような武骨な音が長く響き――そしてそれらがようやく止んだと思えば。


 気が付けばそこは、暗い部屋で。壁や床が剥き出しの岩盤のようになっており、微かに蝋燭の火が灯っているだけであった。


 まるでどこかの、土の下のダンジョンに迷い込んでしまったかのようであった。

 ハーヴィスが、困惑する二人をみて、嬉しそうに笑う。


「こんにちは。お嬢さん、お坊ちゃん」

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