第16話 - 労働街エナハ 英雄惨劇
転がり出るように、手を繋いだ二人が通りに出た。
そこも、地獄のような光景が広がっていた。
辺りに立つものは全て武器を持っている。
建物の屋根や、部屋の窓からも、殺気立った視線を感じる。
食堂にいた冒険者なんて、ほんの一部でしかなかった。
労働街エナハには信じられないほどのパーティー、冒険者が詰めかけており、先ほどまで騒がしかった労働者の姿など見えない。
……冒険者とは。世界の未知に挑み、困難や恐怖を乗り越え、世界の可能性を啓く、英雄のことである。本来で、あれば。
今、冒険者という言葉が指すのは、ギルドに登録された、ギルドを通された仕事のみを請け負う、言わばフリーランスの何でも屋、である。
世界の未知などに興味ある冒険者が、今どれほどいるだろうか。
彼らが望むのは、安定した収入、ランクを上げることで得られる名声、依頼という大義名分によって好き放題暴れることである。
よって、それぞれの利害は異なる。冒険者が一致団結することなど、ないのだが。
ここにいる数多くの冒険者たちは、一斉にレウとシャロに視線を向けている。
それほどまでに魅力的な案件。それほどまでに殺したい人物、なのである。
獣が舌なめずりをするように、各々が色めき立った時――。
レウの後ろから、凄まじい速度で殺意が飛来してくるのを察知した。
反射的に、右手の剣を振り上げる。
強く、鉄の音が響く。
あとほんの数センチでレウの頭に突き刺さるはずだった鉄の矢が、空高く弾き飛ばされた。
矢が飛んできた方向。はるか遠く。
レウたちなど小さな点でしかとらえられないほどの遠くの建物の屋根の上に。
巨大な弓を射ち終えた男が、驚嘆していた。
特殊な眼鏡をかけており、グラスについている目盛りをカリカリと回し、レンズに映る風景が拡大される。そして、レウの無事を再確認した。
「まじか、あれ、防がれるんか! 《鷹の目》の名折れだな、こりゃ」
レウは、その《鷹の目》がいる方向を睨む。そんな人物がいるなぞ知る由もないが、小さな影が動いているのだけは、何とか見えた。
(射線を切らないと……!)
そう思い、歪な建物たちが密集するエリアへ飛び込む。
「逃げたぞ!」「逃がすな! 追え!」「野郎ども、狩りの始まりだぁ!」
そのレウを追うように、足音が幾重も響く。
追いつかれまいと、建物が密集している通りに飛び込んだ、その時。
建物の影の中から。湖から魚が飛び上がるようにして。
ぬるりと、男の姿が浮かび上がった。
「汝罪を、贖え」
男は法衣を身に纏っており、手には美しい彫刻が刻まれた短剣が握られている。
その切っ先がレウの胸元に突き出されている。
理屈はない直感であったが確信した。あの短剣に少しでも触れると、ヤバい。
「こんな不意打ちに、今更やられるか……!」
負けじと、凄まじい反応で、返す刀でレウはその法衣に剣を振るおうとした。
「罪の数だけ、お眠りなさい」
こーん、なんて、鐘の音が聞こえると。
レウの膝が崩れ落ちた。体が、動かなかくなった。
何が起こったかわからず困惑するレウ。
短剣を持つ法衣の男とは別に、背後の建物の上に、また違う法衣の女が立っていた。
彼女が、手に持つ金色の小さな鐘の音が、長く響いている、
それだけで、レウの体から活力が奪われ、立つことすらままならなくなった。
「レ……ウ……! なに、これ……!」
見れば、シャロも座り込んでしまっている。理屈は不明だ。
現象の解明をしている暇がない。一切の防御行動などとれるはずもなく、影から現れた男の短剣が迫り来る――
「【
絞り出すようなシャロの声が、聞こえた。そして、突き出された短剣とレウの間に、小さな黒い靄が壁のように浮かび上がる。
短剣の刃と靄がぶつかり、刃のほうが弾き返された。
そして靄のほうも、そんな攻撃で役目を終え、霧散し、消える。
「この……! 罪人が、裁きを拒むか!」
短剣の法衣が、激昂した。再び短剣を構え、レウに向き直る。
その男の向こうから、さらに新しく――二人の法衣が、つか、つか、と歩き、寄ってくる。
「ふふ、ふふ。あなたの罪を、赦しましょう」
その法衣の女は、手に銀色の天秤を持っている。
「……嗚呼。穢れた罪を、雪ぎましょう」
その法衣の少年は、鈴の鳴る錫杖を携えていた。
その四人の法衣を見た冒険者たちが、驚きの声をあげる、
「う、うわああああ! 《懲罰四罪》だ! こんな奴らまで、参戦してんのか!」「頭のおかしい教会風情だ! お前ら、近寄るな! 因縁付けていい相手じゃねえ!」
レウを囲もうとしていた奴らが、一斉に距離を取った。
レウはそのパーティー名も、この法衣も知らないが、どうやら相当に厄介な敵であるらしいことは感じ取った。
先ほどの鐘の音が小さくなるにつれて、体の自由が戻ってくる。
建物上の鐘の法衣は、鐘が震えているのを静かに見守っていた。
――あの音が聞こえている間、弱体化が働く。音が弱まるにつれ、弱体化も収まる。そして、連発はできず、少なからず音が響いている間は再使用ができない、とかであろうか。
瞬時に、そんな考察をまとめる。とにもかくにも、あの鐘の音をなんとかするのが先決だ。でないと、防御もなにもあったものではない。
しかし、その女の元まで行くには、三人の法衣が立ちはだかる。彼らの能力は全く不明だが、きっと容易くはないだろう。
よほど有効な遠距離攻撃で鐘を攻撃しない限り、この四人には勝てないが、生憎レウは一本の剣しか握っていない。
そうこうしている間に、鐘がまた使われてしまう。
「ごめんよ」
「え、あ、むぎゅ」
とにかく、ここから逃れようと、レウはシャロを左腕で無理やり抱きかかえ、先ほどの通りへ、転がるように戻り去る。
「ふふ。ふふ。無様」
「嗚呼。憐れだ」
「逃げるな罪人がァ! 業を認め、我が裁きを受けるがよい!」
「それで皆々様もう一度。罪の数だけ、お眠り――」
《懲罰四罪》が、逃がすまいと、後を追う。
そして鐘の振動が止んだ。
骨抜きの魔法が、再使用可能となった。
容赦などするはずもなく、女は再び鐘に手を掛ける。が。
レウが先ほどの通りに戻った瞬間。
狙い澄ましたかのように、先ほどの鉄矢の狙撃が再び放たれた。
吸い込まれるように、まっすぐ飛来してくる矢を――しっかり見据えたレウは。
前と同じように、剣で弾いた。
否。先ほどとは少し違う。弾くときに角度を付け、飛んでいく先を調整していた。
鉄矢が弾かれ、飛んで行ったその先には――鐘の法衣が、立っている。
肉の悲鳴が重く響き。
彼女の胸には、一本の鉄の矢が、深々と突き刺さった。
そのまま口から血を吐き出し、鐘を落として、屋根から崩れ落ちる。
法衣三人が、そのまさかの展開に驚愕し、崩れ落ちる女に駆け寄った。
「おい、なんだそれは! 何故矢が刺さっている!? 鐘を持ちながらどうして!」
「おお! 神よ! どうして我々――断罪の使徒に斯様な仕打ちを……!」
残された三人は、取り乱したように嘆く。なにが起きたかすら、認識できていない。
矢が飛んでくることを予期し、それを思い通りの方向に弾く。
絶技なんてものではない。神業。一体どれほどの研鑽を積めばこんな芸当が可能となるのか。
そう。どんな、研鑽を積んだのであろうか。
レウは左腕にシャロを抱え、密着する形になっている。お互いの体温が伝わるほどに。裾からまろびでた白い生脚が、レウの腰に絡められていた。
そして彼は、不気味なほどに、呼吸を荒くしている。
「……ねえ、まさか」
「……シャロ、一応、聞いておきたい」
レウは、呼吸を荒くしたまま、聞いた。
「……その、お前で……いいか?」
「~~~~~~~~~~~~~ッの、こ、のっ……! なん、で、わざわざ、聞く、の……!」
顔を紅潮させる。恥ずかしさでいっぱいである。
だが、そんなことも言っていられない。法衣三人がゆらりと立ち上がり、恨みをこめてこちらに向かってくる様が見える。
このまま通りに突っ立っていれば、どこからともなく矢がまた飛んでくるだろう。さっきの神業が何回も再現できるとは思えない。
しかしここから逃げるには、この三人を突破しなければならない。
だから、シャロは、恥ずかしさで体中をいっぱいにしながら。
「~~~~~~~~~~っ……いい、わよ!」
「ええと。一応、はっきりさせておこうか? いい、っていうのは」
「とぼけんな! その、私で…………いい、って言ってんのよ!」
本人から、使っていいとの許可がでる。
女性の皆様はもしかしたらぴんとこないかもしれないが。
男にとって、それはこの上なく、より質の高い修行ができる、熱い台詞であった。
『わーーーお! レウ、どんどん強くなってる! どへんたいじゃん!』
リーリスの言葉を二人とも無視した。
恥ずかしさや照れは、圧倒的な殺意の前に塗りつぶされる。
三人の法衣が迫り来る。まだどんな能力かもわからぬ強敵が、怒りに満ちてやってくる。
「【
そんな時。空に幾つもの星が煌めいたと思うと。
唸りを上げながら次々と落下してくる。
それは、数多くの剣と槍であった。
凶器が、空から、落ちてくる。
「なんじゃありゃあ!」「逃げろ、逃げろー!」「嗚呼。また一人、罪人が現れたか」「この魔法……くそ、忌々しい」
ここら一体。レウもシャロも冒険者も《懲罰四罪》も巻き込む形で。
各々は慌てた様子で、建物の中に逃れたり、盾で防いだりと対応に追われる。
レウは、シャロを抱きしめながら降り注ぐ刃の雨を剣で弾いていた。
「ざまぁねえなぁ、《懲罰四罪》! お仲間が一人ご臨終ってか! じゃあよ、アタイら《アーセナル》がぶっ殺してやるチャンスってことだよなぁ、おい!」
通りの向こうから、ご機嫌な調子で《懲罰四罪》を挑発しながら、ずんずん歩く背の小さな女がいた。
派手な蛍光色の、今風の服に身を包んでおり、やけに嬉しそうである。
それを受けた《懲罰四罪》の、短剣の男が、ギリ、と歯ぎしりをする。
「《アーセナル》! 罪深き者の中でも、特に罪の色濃き、咎人よ……!」
「はぁん!? まーた勝手なこと言ってら! あたしゃよ、こないだあんたらに横槍入れられて持ってかれたダンジョンの宝のこと、まだ根に持ってるんだよ!」
そんなことを言って、彼女は手を空にかざす。
そして、どこからともなく、蛍光色の服を着た冒険者たちが、そこら中の建物から出てきて、同じように空に手をかざした。
中空には、大きな円形の魔法陣が組み上がっていく。それは、異次元のドアになっているようで、円の表面から、ずるりと、武器の刃が頭を出していた。
「裁く奴ってのは、いつも勝手だよなぁ! 都合のいい罪だけ数えて、手前らの罪は拾わねえ! だからよ、今日はアタイらが裁く番だ! 卑怯者ども、掛かって来いよ。つまんねえ信仰ごと、始末してやらあ」
「……我らが信仰を、穢すか、凡俗。いいだろう。貴様の魂を、地獄に送ってやる」
そして、法衣の三人と、蛍光色の軍団が激突した。雨のように降る刃を抜け、それぞれが乱闘を起こしている。
見ると、状況は混沌としてきている。ここ以外にも、レウたちとは関係のない小競り合いを起こしている奴らがいくつもいる。
レウとシャロは目を合わせ、静かにその場から去った。
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