第14話 - 労働街エナハ シャロの事情

 妖精とは即ち、妖精国に住まう、超常の存在。

 与えるモノ。崇められるモノ。畏れられるモノ。

 人間とは文字通りステージが違う。なので、互いが結ばれることなどあるはずがない。

 なのに、どういうわけだか。妖精の中でも特別な、貴族の血を引く一族――貴種の一種である【純白の翅族】の一人の女が、突如、妖精国から出奔し、人間と結ばれた。そして二人は愛し合い、子を成した。


「ねぇ、おとうさん。おかあさんって、どんな人?」


 幼いシャロは、事あるごとに父にそう尋ねた。父は、困ったように笑い、いつもはぐらかして、詳しいことはなにも語らなかった。


 シャロが物心ついたときから、家族は常に、ひっそりと生きていた。

 何かに怯え、見つからないように生きることが第一だった。

 過去を語らない父であったが、妖精の母は既に亡くなっているらしいことは、明かしていた。

 なのでシャロは、人間の父と、姉と、この一族に付き従う数名の従士と共に、森の奥の小屋で、慎ましやかに暮らしていた。


「おとうさんは、どうしておかあさんと、一緒になったの?」


 素朴で、純真な好奇心の質問に。父は珍しく答える。


「お互いが特別だったからさ。それ以上の理由なんて、ないんだよ」


 父のことを、どこかの国の王子であったとか、ギルドの幹部であるとか、強大な魔力を秘める戦略級の兵士であるとか、そんな風に噂する者もいた。

 だが、シャロから見ても、父はただの父であり、それ以上のなにかなんて、気にすることでもないのだと、思っていた。

 

 そんな、のどかで、退屈で、でも、平和だった毎日は、突然破られた。


 シャロが成長したある日。突然ギルドの兵たちが、森に攻め込んできた。

 名のある妖精一族の末裔であったが、所詮人間と交わったまがい物。強力な魔法が使えるわけでもなく、従士も数名しかいない。戦力差は圧倒的で、ひたすら逃げることしかできなかった。


 このときの混乱を、シャロはよく覚えていない。


 気が付けば、従士は全て斃れ、姉はギルド本部に連れ去られたという。

 そして、父は――命を落としたと、聞いた。


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「……そうか。まぁ、そうだな。残念だが、。それで君はギルドから追われ、逃げ回ってるってことか」

「逃げる? 違うわ。冗談じゃない」


 決然と、レウの推測を、否定するシャロ。彼女の瞳は、覚悟の炎が揺れていた。


「お姉ちゃんを、私が取り戻すの。この手で。逃げ回るだなんて、冗談じゃない」

「……僕が言うのもなんだが、随分、無謀なことを言うんだな。ギルドは、君たちを追っているんだろう? なのにむしろ、そんな組織の本部に突っ込もうというのか? 豚が自らキッチンにやってくるようなもんじゃないか」

「【劣化模造デッドコピー】――【不破魔城の絶壁ダークムーン・スフィア】」


 少女が唐突に、そう唱える。

 すると、彼女の掌の先に、小さな黒い塊が出現した。

 それは、ダイオンが身に纏っていた無敵の魔法と、同じものであった。

 何故、シャロがそれを使えるのか。

 驚きに目を丸くするレウに、シャロは説明を続けた。


「私たちは、腐っても【純白】の末裔。特殊な、魔法の特性を受け継いでいる。それは、保存と記憶。つまり、他者の魔法を覚えることができる。……生きる魔導書、ということね。まぁ、性能そのままで真似ることはできない。かなり劣化した魔法になっちゃうんだけど」


 それが、昨日の爆発を防いだ理由であった。

 ダイオンの防御魔法を展開し、二人を包み込んだのだ。

 だが、彼女の言う通り、手の先に出現している黒い塊は、本物より、ひどく脆く見えた。きっと、レウの魔崩の刃であれば通じてしまうだろう。


「なんでもかんでも覚えられるわけでもない。瀕死の使用者が手放した妖精文字に触れれば、覚えられる、という程度の力。こんな、器用貧乏みたいな力、私たちはなんとも思っていないんだけど」


 そう言ってシャロは、開いていた手のひらを、ぎゅっと握りしめた。


「でも、あいつらが私たちを狙ったのは、これが理由。この力を使って、何かをしようとしている。ただ逃げているばかりじゃ、きっと何かが手遅れになる。そうなる前に、私が、なんとかしないと。そうじゃないと、これまでの犠牲が、無駄になる」


 ――用心棒を雇った、とか言ってたか。そうしてこれまでも、身を守ってきたのか。


 悲壮な決意を理解するレウ。絶望的な窮地ではあるが、前を向こうとすると、巨大な壁が立ちはだかっている。

 彼女はそれに挑もうと言うのだ。並みならぬ覚悟で、口にできることではない。


 経緯と覚悟は、痛いくらいに理解ができた気がする、レウであった。

 シャロは、レウの目をまっすぐ見つめて、手を差し出す。


「勿論、この無敵の魔法だけじゃない。発火、治療、魔獣の引き寄せなんて魔法も覚えてる。私はこんなものだけど、お姉ちゃんはもっと凄い。……あなたの求めている、解呪の魔法を覚えてる」


 事情はわかった。心情も理解できる。悲惨なことがあったのに、折れずに彼女は、前を歩こうとしている。

 全てがわかる、レウだからこそ。相容れない部分も、より鮮明であった。


「シャロ。その決意は、家族の――死んだ父親のために叶えるものか?」

「ええ、当然でしょ。私が背負って、やるべきことだから」

「であるなら、やめたほうがいい。家族って言葉は要するに他人って言葉の言い換えだ。君が背負うことじゃない。誰にでも訪れる、平等で、水平なよくある不幸なんだよ」


 そんなことを、言い放った。驚くシャロに――レウは、皮肉げな顔をしている。


「無謀も嫌いじゃないんだけどね。僕ァ、亡霊に取り憑かれた奴は、嫌いだ。何のためにそこまでするのか。それがはっきりしないままだと、無駄死にするぜ」

『そーだそーだ! レウの言うとーりだ! この女、あたしきらーい! もう出てっちゃおうよ、レウ!』

「な、なによその言い方! 託された想いのために命を賭けることって、そんなにおかしいことなの?」

「死者は何も託さない。終わった結果がそこにあるだけだ。そこに特別な意味を見出し、勝手な荷物を拾っていくのは、バカな生者だけがやることなんだよ」

「勝手な荷物……! 違う、そんなんじゃない。私は、家族と、皆のために……!」

『あんたの負けだよーっ! べーっ! 大人しく荷物まとめてどっか行っちゃえ! ばーかばーか、ぶーす!』

「さっきからうるさいし、あんた!」


 シャロが叫んだ。レウの脳内にだけ存在するはずの、小悪魔を指さして。

 レウは、驚愕し、舌戦が止まった。

 

「シャロ、ええと、これが、見えるのか?」

『これってなんだし! これって! 可愛い可愛いリーリスちゃんでしょ!」

「……? うん、普通に、見える、けど」


 不可思議なことである。これは、レウにのみ憑いた呪いのイメージであるはずだ。

 だから、他人に見えるはずがない。でも、シャロはリーリスの悪口に反応した。

 これは……【純白】の末裔であることが、関係しているのだろうか。


 そう考えを巡らせているとき。


「よう。邪魔するぜ」


 声をかけてくる男がいた。

 そちらを向くと……この食堂にそぐわない、真っ赤な装備に身を包んだ男が、にかりと笑いながら立っていた。

 同じような装備をした仲間が、彼の後ろに二人、控えているのも見える。

 レウは、朝に挨拶を返すように、軽く応じた。


「ええと、なんだ? どこかで会ったことでもあるかな?」

「へっ。いいや。そうじゃねえ。一応聞いとこうと思ってさ」


 快活に、明るい太陽の如くそう話しかける男は、それを口にした。


「昨日、ダイオンを殺したレウとシャロってのは、あんたらで合ってるか?」


 沈黙。

 レウと、快活な男が、視線を交わせる。

 それが、次第に苛烈な熱量が籠りはじめ、ぶつかった視線が火花を散らした。

 そう思えるほどの緊迫が高まった瞬間。


 レウが立ち上がり様に剣を抜き。

 男が腰を落とし、拳に火炎を纏った。


「【火炎の拳撃バーニング・ハンマー】!」

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