隣の地下アイドルは僕の推し

たなか。

第1話 アイドル界隈への没入

 僕がアイドルという世界に出会ったのは、大学一年の春だった。もともとオタク気質だったが、アイドルという界隈にはほとんど興味がなく、未知の世界、そのものだった。そんな界隈に足を踏み入れたのも小さなきっかけだった。


「蒼さ、アイドルとか興味ない?」

大学の学食でいつも通りご飯を食べていると、対面する形で座り、凛斗がそう言ってきた。凛斗もおれと同様にオタクでよく行動を共にすることが多い。


「いつも言ってる天春ゆい?」


「そう!普段は東京でしかライブしないんだけど、来月この辺に来るらしい」


天春ゆいとは、東京を拠点に活動する地下アイドルグループのメンバーだ。凛斗はSNSをきっかけに天春ゆいの存在を知り、それから投稿される写真を見るたびに、1人盛り上がっている。何度も見せられたから顔は覚えていたが、そのグループについては何も知らない。


「アイドルのライブって行ったことがないから、1人で行くにはちょっと勇気出ないんよな」


「んー、僕そのアイドル何も知らないけど大丈夫?」


「おれも天春ゆいしか分からないし、行くまでに予習すればいいいでしょ」


「な、頼むって」

と凛斗は両手を合わす。


 確かに大学に入学したはいいものの、何か生活に変化が起きるといったことはなく、想像していた大学生ライフにはならず何か刺激を求める自分がいた。


「わかった、グループ名なんだっけ?予習するわ」


「まじ?!ありがとう!」


「えっと、桜のあとって名前でよくサクラって呼ばれてる」


 僕は、帰宅するなり早速地下アイドルグループ「サクラ」について調べた。サクラのメンバーは天春ゆい、秋月せな、七海冬紀、夏目兎和の4人で春に結成され、散った後でも咲き誇り続けるということが由来だそうだ。もちろん僕が知っているメンバーは凛斗の推しの天春ユイだけで他の三人は今初めて知った。顔だけで判断するなら個人的には、夏目兎和が可愛いと思う。セミロングの黒髪で明るそうな清楚な様子が写真からは感じられる。他のメンバーもタイプはバラバラばだが、側から見たら目を引くような可愛さがあり、もっと注目されてもおかしくないと思った。

 一通りグループとメンバーについて調べ終わると、僕は曲を聴くことにした。これまでアイドルの楽曲はテレビで流れているのを聴くだけで、自らは進んで聴くことはなかったため新鮮だった。聴いていくうちに何曲か気に入った曲もあり、アイドルという界隈の良さを知り始めている自分がいた。


「蒼、サクラの推し決まった?」

翌日、大学で凛斗に会うと早々聞かれた。凛斗の話によると、グッズ販売の時にチェキ券というものを買うとライブ後に特典会に参加することができ、メンバーとチェキが撮れるらしい。


「んー、夏目兎和かな」

と僕は昨夜直感で可愛いと感じた夏目兎和の名前を出した。


「兎和ちゃん可愛いよなー。おれも昨日色々調べたんけど全員超可愛くてびっくりしたわ」


「おれはやっぱりゆいちゃんだな。まじで天使すぎる。絶対チェキ撮るわ」


 僕も凛斗もアニメとかゲームのオタクだったためか、アイドルという界隈が新鮮で来週のライブに胸を弾ませている。最初は友人としての付き合いとちょっとした好奇心だけだったが、曲を聴いたり、メンバーについて知っていくうちにサクラにハマっていることが自分でもわかる。



 ライブ当日。ライブはキャパ300人ほどのライブハウスで行われ、グッズを買うために僕たちは少し早めにライブ会場に到着したが、そこにはすでに長蛇の列ができていた。年齢層は、僕らと同じくらいの人と30代、40代ぐらいの人たちといった感じだ。


「やばい、まだライブも始まっていないのに特典会で何話そうか考えてると緊張がえぐい」

凛斗は誰とでもフランクに話すことができ、僕と違って友人も多いため、ここまで言うということはよっぽどなのだろう。しかし、僕自身も実際のアイドルと面と向かって話すとなると、緊張で何も話せなくなるのが目に見えている。


「まあ、初めて来ました、とか言うしかないよね」

と僕は昨日ネットで地下アイドルの特典会についてざっくり調べた知識を提供する。


「そうだな、とりあえずはライブ楽しもうぜ」


 グッズ販売の順番が回ってくると、僕らは推しのメンバーカラーのペンライトとタオル、チェキ券を購入した。二人ともアイドルのライブが初めてなため、必要になりそうなものは一式購入することを決めていた。周りはほとんどの人が僕らと同様に推しのペンライトとタオルを手に持ち、ライブ開始時間を待っている。


 そして、会場の照明が暗くなり始めると同時に観客の歓喜の声と無数の拍手が会場全体を包み込んだ。


「みんな、やっほー! サクラのあと、ことサクラです!」


「今日も1日楽しんでいきましょう!」

 サクラのリーダーの七海冬紀の掛け声が響き渡り、早速一曲目が始まった。僕は曲よりもまずメンバーに目が入った。それは、ネット見る写真とリアルの見た目は違うことがあると聞きがちだったが、サクラのメンバーは異なることなく、むしろリアルで見る方が可愛いかったのだ。振り付けはもちろん周囲の見よう見まねでペンライトを振り、徐々に慣れてくると動きが掴めてきた。


「めっちゃ楽しくね?」

と一曲目が終わるとすぐに凛斗がこっちを向いて目を輝かせている。


「うん、めっちゃ楽しいね」

本心だった。正直ライブに来るまでは楽しめるか不安だったが、実際に来てみると行ったことのあるバンドのライブとは全く異なるが、すごく楽しかった。会場がものすごく広いというわけではないため、後方でもメンバーそれぞれの顔がはっきり目視することができ。常に胸が高鳴っている。


「みんな、今日は本当にありがとう!次が最後の曲です!」


 気づけばライブは最後の曲であっという間だった。しかし、ライブ後はメンバーとチェキが撮れる特典会があることを思い出すと、下がったテンションも再び持ち直し、アンコールと共に全力で楽しんだ。


 ライブが終わるとメンバーは裏方へと姿を消し、会場スタッフが何やらパーテーションの設置やカメラの確認をし始め、観客もほとんどがそれぞれのメンバーの名前が書かれた看板に長蛇の列を作り始めた。僕らは右も左も分からないため、二人とも会場の後方に下り、少し様子を見ることにした。


 「それではこれから特典会を始めます。チェキ券をお持ちの方は各メンバーの列にお並びください」

その直後、裏方から再びメンバー四人が姿を現し。列の先頭へと移動してきた。そして並んでいる人から順番にチェキを撮り始め、何やら1、二分ほど会話をしているようだ。


「え、めっちゃ距離近くね?」


「確かに」


メンバーとお客との間にアクリル板が設置されているが、その距離は一メートルもないぐらいだ。


「待って、まじで緊張してきたわ」と凛斗は手で胸を押さえ、心臓が鳴り止まないことをアピールしてくる。確かにあの距離で推しとチェキが撮れて話ができるなんて冷静に考えてやばい。


「はい、次の方どうぞー」とスタッフが声をかけてきた。


 ついに僕の番が回ってきたのだ。


「やっほー!はじめましてだよね?」


「はい、今日初めてきました」となんともありきたりな返事をする僕。

「すごく嬉しい!したいポーズとかある?」


「特には、、」


「じゃあハートで!」と夏目兎和は片手でハートの半分を作り、僕にもそうするように促してくる。


「はい、じゃあ撮りまーす」とスタッフの掛け声と共にシャッターが切られた。誰かとこうやってハートを作るのなんて初めてだし、絶対顔も緊張でガチガチだ。


「ありがとう!今日来てどうだった?」すかさず夏目兎和は会話を始めてくれる。こういうところはやっぱりプロだだなと思う。


「アイドルのライブ自体も初めてだったんですけど、すごく楽しかったです」


「ほんとに?よかったぁ!」


「あ、最後に名前聞いてもいい?」


「え、あ、蒼です」と一瞬偽名を使うべきか悩んだものの瞬時には思い浮かばなかったため、咄嗟に本名を言ってしまった。


「あおくんね!覚えとく!また来てね、今日はありがとう!」

 会話をした体感は一分ぐらいか。なんとも幸せな時間だったとしか言いようがなかった。ネットで見た写真よりも大きな瞳でキラキラしていたし、何よりも可愛かった。アイドルという界隈にハマる自分を今痛感した。


「蒼、どうだった?」と明らかに口角が上がっている凛斗が戻ってきた。


「いや、普通に幸せすぎた」


「だよな。これはハマるのわかるわ」



 ライブ会場を後にした僕らは、その後もお互いの興奮がおさまらず、推しと話したことや良かった曲、感想を言い合い、こうして僕のアイドル界隈への没入が始まったのだ。

 

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