働かない魔法使いと仕事の出来る一般人

水縹

プロローグ シュークリームとドラゴン

「疲れた、、、。」

思わず、口から滑り落ちる言葉。

佐原彩(さい)。大学1年生。

生まれてこの方、人付き合いが苦手である。所謂、コミュ症だ。

リュックを布団に放り捨て、一人反省会が始まる。

もう後期というのに、未だに友達が出来ない。

いや、考えすぎは良くない。

相変わらず、この部屋は薄暗く、辛気臭い。

リュックのチャックをのろのろと開け、手探りでビニール袋を引っ張り出す。

一人暮らしの部屋で、ビニルの擦れる音を響かせながら、シュークリームとミルクティーを出す。

彩はベッドの上で、パカッとシュークリームの封を開ける。中から、黄金色の生地が顔を覗く。今日は奮発して、クッキー生地だ。大きく一口頬張る。

ザクザクとしたシューに、滑らかなカスタードクリーム。

――――美味しい

ミルクティーを手に取り、キャップを開ける。まだ、甘さが残る口の中に、紅茶の華やかな香りのするミルクティーを流し込む。

―――――やはり、甘い。口の中がずっと甘い。

けれど、この甘さが良いのだ。疲れに染みるといったら、社会人に怒られてしまうだろうか。

―――――もう、一口。

刹那、シュークリームを持った手が掴まれた。そのまま引っ張られる。

「えっ。」

「うまっ。」

彩は呆けたまま、声のした方をゆっくりと見た。

「……」

視界に映ったのは、切れ長な目に、鼻筋の通った長身の青年。明るいブルーの瞳がこちらを見つめ、ニヤリと笑った。依然として手は重なったままだ。

―――― 私はついに幻覚を見始めたか。

おい、待て。そんなに寂しい人間ではないぞ。しかも、何だ。この少女漫画の読み過ぎみたいな、展開と人選は。

「唇に、クリームついてる。」

そいつは顔を近づけ、彩の唇に触れようとした。

「痛った。」

彩はその顔を思いっきりビンタした。幻覚の割に皮膚と骨の感触があることに、彩は驚きを隠せない。顔を伏せた青年は、くつくつと笑った。サラサラの黒髪や、首のラインまで綺麗だ。スタイルがいいため、何をしても絵になる。青年は急に顔を上げ、目を細めて彩を見た。

「俺が誰なのか、聞かないの?」

――― これと会話してはならない。

彩は直感的に目を逸す。一回外に出よう。幻覚と会話してしまったら、世も末だ。彩が腰を上げようとすると、右肩をがっちり掴まれた。軽く抑えられているだけなのに、動けない。右側に視線を送ると、やはりそいつはいる。にこやかな笑みを浮かべて彩を見ている。幻覚とはいえ、心臓に悪すぎはしないだろうか。

「ええと、その、、。」

彩がどきまぎしながら呟くと、青年は口を開いた。

「俺はトゥヴァイユ。魔法使いだ。」

「え。」

彩は頭を抱えた。魔法使いに、ブルーの瞳。彩の趣味が滲み出ている。私の妄想に違いない。

―――となると、シュークリームを横取りして食べられるのも、唇のクリームを取ろうとされるのも、私の欲望なんだろうか。

「いや、私、趣味悪っ。気持ち悪っ。」

「どうした、彩。」

怪訝そうにトゥヴァイユに見られた。くそっ。見るんじゃない。トゥヴァイユは彩の頭に、手をポンと乗せた。

「彩にお願いがあって、ここに来たんだけど。」

トゥヴァイユは明るいブルーの瞳を光らせて、彩を正面から見つめる。彩の心臓が跳ねる。

――― 幻覚だとしても、こんなの平常心でいられるか。

「この地域一帯にいる魔物を駆除する手伝いをしてほしいんだ。」

「まもの。」

彩は反芻した。

「特にね、このアパート。魔物の溜まり場何だよね。」

トゥヴァイユは白い顎を撫でながら、言った。

「確かに空き部屋は多いですけど。」

彩はボソボソと呟く。未だに信じられないが、魔物退治という自分の脳から出なそうな発想が、幻覚を現実へと変えていく。一度冷静になると、次々と疑問が湧いてきた。

「あの、私は魔法が使えないのですが、魔物退治のお役に立てるのでしょうか。」

トゥヴァイユは彩をちらりと見た後、口角を上げて、手をひらひら振った。

「うん、大丈夫、大丈夫。」

――― 本当に大丈夫なのか、これ。

彩は胡散臭そうにトゥルヴァイユを見ると、トゥルヴァイユは微笑んだ。全てを許せる笑顔とは、まさにこのことだ。

ガタン。

刹那、となりの部屋から、大きな物音がした。

「隣の部屋は空き部屋なのに、、、。」

彩が呟くと、トゥヴァイユは首元に手を当てた。

「魔物のお出ましかな。」

トゥヴァイユは首にかかった、チェーンを引っ張り出し、呟いた。その瞬間、悪寒が走り、部屋の中央に竜巻が起こった。トゥヴァイユは立ち上がり、チェーンの先についた真鍮の懐中時計を持った。

―――― おおおお。今から魔法使いの魔法が見られる。

彩の心の中は大興奮の嵐だった。竜巻が収まると、銀色の瞳と鋭い牙をギラつかせたドラゴンが、窮屈そうに羽を揺らした。トゥヴァイユは真っ直ぐにドラゴンと対峙した。彩はトゥヴァイユの背中から、その様子を伺う。

トゥヴァイユは懐中時計のネジを巻き、呪文を唱えた。

「ウー・プロポー」

懐中時計が七色の煌めきの筋を放った。

彩はきらきらした瞳をトゥヴァイユの背中に向けた。

その瞬間トゥヴァイユの手から、ちろちろと細い水が発射され、ドラゴンの瞳を洗った。

「えっ。」

――――弱っっっっっっっっ。

ドラゴンは煩わしそうに、大きな羽を曲げ、水を避けた。

バヒューン。

刹那、その風圧でトゥヴァイユと彩は窓に叩きつけられた。

「怪我はないかい、彩。」

トゥヴァイユは天使の笑みを浮かべるが、彩の顔には笑みはない。

「トゥヴァイユ、また攻撃が来るっ。」

トゥヴァイユがドラゴンの方を向くと、ドラゴンは牙を光らせて、口を大きく開けたところだった。

「火を吐くね。」

トゥヴァイユは呑気に言った。

―――― そんな悠長に行ってる場合か。

彩は素早く、トゥヴァイユの頭を下げさせ、自分はドラゴンの方ヘ走った。

「彩!」

トゥヴァイユが叫んだ瞬間、その頭上を火の柱が掠めた。

「彩、彩は無事か。」

彩の姿は見えない。トゥヴァイユの頬を冷や汗が伝った。

刹那、ドラゴンの頭の後ろから、キラリと光るものが見えた。それは、見事にドラゴンの脳天を割いた。

「ヴォオーーーン」

ドラゴンの呻き声は低く轟き、口から火が次々に放たれた。トゥヴァイユはまた頭を下げて、縮こまった。

「トゥヴァイユさん。受け取ってください。」

少し離れたところから、叫び声が聞こえる。トゥヴァイユは目を上げた。

「彩!」

すると、ドラゴンの足の下から、何かが滑り送られて来た。何かを放出し続けている。

――― まさか、彩自身もここを潜り抜けて向こうヘ。

トゥヴァイユは手を伸ばし、ホースを指に掛け、引き寄せた。

「シャワーヘッドか。」

また、彩の声が響いた。

「私がドラゴンをデッキブラシで攻撃しますので、トゥヴァイユさんは炎を抑えて下さい。」

トゥヴァイユはすっくと立ち上がり、ドラゴンにシャワーを向けた。同時に彩も、床を蹴り上げた。腕を振り上げ、力の限り、叩き込む。

デッキブラシはドラゴンの脳に深く食い込んで、抜けなくなった。ドラゴンの体から湯気が立ち昇り、炎に包まれた。トゥヴァイユが慌てて、シャワーを向ける。炎は数十秒で消え、ドラゴンはみるみるうちに小さくなった。加湿器程度の大きさまで、縮んだ所で止まった。風呂場のドアを閉めた彩と、トゥヴァイユは目が合った。トゥヴァイユは微笑みを称え、親指を突き出した。彩の目は笑っていない。

「さて、封印するか。」

トゥヴァイユは彩の視線を無視して、懐中時計を手にとった。

「カシェ・エテルネル」

時計が再び七色に光り、ドラゴンを光の綾で包み込み、吸い込んだ。彩が次に瞬きをした時には、ドラゴンは消え果てていた。

「ということで、彩ちゃんは今日から俺の助手。」

「お断りします。」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

働かない魔法使いと仕事の出来る一般人 水縹 @mizuhanada81

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る