虹瞳の屠竜師
泉田聖
プロローグ 『竜殺しの英雄』
悲鳴と怒号。そして、咆哮。
地上のそこここから上がる声は、雲に覆われた夜闇の中に吸い込まれて、街の外へ届くことはない。
ビルは倒壊し、道路は
抗えない理不尽を直感した。
人間がいかに惨めでちっぽけで。醜く
——ここで殺されるんだ……。
地上を這い回る天災の化身たちは、人間一人一人の生死を確認しながら生きている者の首から上を容赦なく齧り取る。さながら鳥が木の実を啄むように。
——嫌だ。嫌だ……。死にたくない。
「おい」
ふと、声が耳に届いた。
声の主は傍らの青年。瓦礫の影に隠れていた同じ学生服を着た友人——勇気だった。
栗色の短髪は煤を被って黒くなり、戦火を映す深緑の瞳は刻一刻と己に迫る死の気配を感じ取っているようで震えていた。
だが、双眸はやがて真っ直ぐに何かを見つめる。向ける視線の先を、勇気は顎で指した。
「あの瓦礫の下。子供がいる。助けなきゃ」
指したのは、倒壊したビルの瓦礫の山。山積みになった瓦礫の中から、子供の手が助けを乞うように、微かに動いていた。
——何言ってるんだ。
——助けられるはずがない。
言葉にしたはずだったが、喉が音を鳴らすことを許さなかった。醜い自己中心的な生存本能が、声を上げることを許してくれなかった。
だが、勇気は唇の動きだけでこちらの意図を悟ったらしい。わずかに胸中の失望を表情にすると、静かに瓦礫の影から立ち上がった。
「だよな。でもさ、俺があの子を助けなきゃいけないんだ。じゃなきゃ、多分俺は生き残っても一生後悔する。……見て見ぬふりをした自分を、一生許せなくなる」
——なんで……。
——駄目だ。
乾いた喉から言葉は出ない。
その制止も伝わったはずだが、勇気は一直線に瓦礫の山に向かって駆け出した。
あまりに無策。無鉄砲だ。死に急いでいる。
瓦礫の山に辿り着いた勇気は、がむしゃらに重なるコンクリとアスファルトと硝子片がごちゃ混ぜになった瓦礫を掻き分けた。
瓦礫を持ち上げる。投げ捨てる。また手を突っ込み、持ち上げる。
繰り返す度に腕は傷は増えていって、大量の血が腕を赤く濡らして伝う。
——やめろ。……やめてくれ。お前まで死ぬ必要なんてないのに。
ただ、祈るばかり。
どうか死なないでくれ。どうかヤツらに見つからないでくれ。どうか生きてここに戻ってきてくれ。
ただひたすら願うことしか出来なかった。
「大丈夫か! こっちに手を!」
「う、うんっ……!」
勇気が瓦礫の下から子供を救い出すのと同時。
ズドンッ。
戦艦が空から降ってきたかのような衝撃が、辺りのビルを迸った。
砕け散った硝子が地上で揺らめく炎の色を反射し、舞い降りた天災の化身の参上に歓喜し湧き上がる。
全長十メートルは優に超えた
腕はない。代わりにあるのは、巨大な翼。関節部に合金すら断ち切る爪を生やした、こうもりに由来する大翼が大気を叩く。
振り回せば戦車をも薙ぎ払う長い尾の先には、ちょうど斧の形をした奇形の爪が鋭利に光る。
爬虫類を想起させる長い顔面。瞳は蛇のそれで、どす黒い深淵の色を帯びている。後頭部から赤黒い角が、天を射るように真っ直ぐに伸びていた。
吐息は灼熱を纏っていて、体液を内部で高温に熱し、鉄をも融解する高温灼熱の吐息を生み出している。
そこに居るのは、神話や伝説でしか在り得なかったはずの存在。
竜だった。
降り立った竜は、瓦礫の前で子供を抱き抱える勇気を睨みつけていた。
僅かに離れた道路で、辺りを徘徊する竜の隙を突いて脱しようとした男性が、いとも容易く首から上を啄まれる。
他の竜の所業を見習い、使命感のようなものに駆られたのだろうか。
降り立った竜は勇気に向かって、大地を踏み締め迫り始めた。
──やめろ。やめろ。やめろ……ッ!
「やめろッ! こっちだ! こっちを見ろ!!」
知らず、身を隠していた瓦礫の向こう側に飛び出してしまっていて、竜に突っ込みながら叫んでいた。
情けなく声が裏返る。恐怖に足が震えている。
むくり、と。気を取られて竜の首がこちらに向いた。
同時に、竜眼と視線が重なる。
竜の奥底に秘められた魔力に触れてしまって、身体は脳の指令を受け付けなくなる。身動きが取れなくなる——立ち尽くす他なくなる。
「オオオオッ!!」
咆哮と共に竜が、大地が蹴って駆け出した。
耳に届いた竜の足音は、勇気に躙り寄っていた時の数段早い。
アスファルトを踏み砕きながら、竜が大顎を開いて迫る。
「来るな……っ」
殺される。
死を、直感した。
竜の吐息が空気を焼き、竜の足が大地を割って、竜の大翼が車も街路樹も薙ぎ倒す。
竜が眼前に迫った、刹那。
流星の如き一閃が空から落ちた。
視界が漂白される。次いで残響が鼓膜に響く。
落ちた衝撃が、地面を駆け抜けていった。
右の鼓膜は衝撃音のせいで、まるで音を拾えなくなる。目も、弾けた強烈な光を直視したせいでまともに機能しなかった。
束の間、沈黙が降りる。
自分がまだ生きていることを認識し、何かに救われたのだと──目の前に降り立った、人物に救われたのだと確信した。
視界には、大顎を開いたまま首を焼き切られた竜の頭。
そして、それを断ち切った硝子細工の長剣を携える少女。
その身に纏う
彼らは竜を恐れない。彼らは死を恐れない。
彼らは竜を赦さない。彼らは死を赦されない。
何度その身が砕けようとも。何度その身が燃え尽きようとも。
彼らは不死の英雄として竜の血を浴び啜る。血の雨と臓物の海の中で、彼らは竜を狩る為だけにその命を燃やすのだ。
たとえ、その生涯が無意味だろうとも。
たとえ、その殺戮が無駄であろうとも。
彼らは竜を殺し続ける。
それが
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