ネコナデゴエ
島本 葉
ネコナデゴエ
「おいでー、クロちゃん」
お昼時の住宅街、西野はいつもの黒猫を見つけてそっと近づきながら声をかけた。
そういえば「猫なで声」ってどっちの声なんだ? 撫でられるときの、ネコ側の甘えた声なのか、それともネコに媚びるような人間側の声なのか?
そんなふうに考えながらそっと手をのばす西野だったが、クロと呼ばれたネコは甘えた声を出すことはなく、プイと顔をそむけて塀の向こうに消えた。
「あーあ。今日もだめだったか」
西野は残念そうに肩を落として、大学にと続く道へと歩みを戻した。この1ヶ月ほどだろうか。通学の途中にきれいな毛並みの黒猫を見かけるようになった。最初は気にも留めずに歩いていたのだけれど、だんだんと意識するようになった。なかなか近寄らせてくれないが、とてもきれいな瞳をしている。数日前からさっきのように甘えた声で呼んでみるのだが、一向に懐いてくれないのだった。
「首輪をしてないから、家猫じゃないと思うんだよなぁ」
あのつやつやした毛を撫でさせてもらいたい。
講義の時間割のため、西野がこのあたりを通る時間はまちまちで、黒猫には会えたり、会えなかったり。
「明日も会えるといいな」
そんな風につぶやきながら振り返った西野は黒猫の消えた塀をもう一度見つめた。
「アカネさん、こっちおいでよ」
夕食を食べ終えてゆったりしていた西野は、洗い物をしている彼女に呼びかけた。彼が座っているのはベッドの上だった。彼女――アカネは流し台で洗い物をしながら振り返った。後ろで一つに結わえた黒いしっぽのような黒髪が揺れる。
「ちょっとまってよ。これ洗っちゃわないと」
西野は枕元にあったぬいぐるみを手に取ると、ぽふぽふと感触を楽しむ。
「アカネさんって、結構家庭的だよね。料理も上手だし。肉じゃがなんて久しぶりに食べたよ」
洗い物をするアカネの背中に話しかける。
「そうかな? 普通だと思うけど」
「肉じゃがなんて作ったこと無いよ」
「でも、確か調理実習とかの最初の方でやるよ。よしっ」
アカネは洗い物を終えて手早く流し台の水気を拭き取るとテーブルを挟んだ向かい側に座わろうとした。
「なにか飲む?」
そう聞いたアカネに、西野は軽く首を振ってぬいぐるみから手を放すと、代わりにベッドをぽんぽんと叩いた。
「そっちじゃないよ、こっち」
優しい微笑みをたたえている西野に、アカネは「もうっ」と形だけの抗議をして立ち上がる。声は少し照れを含んで気色ばっていた。
西野の隣に座ろうとすると、ぐい、と手首が引かれた。
「きゃっ」
抱き寄せられたアカネは、西野の足の間にぽすんと収まった。いわゆる『らっこ座り』というやつだ。
「だから、こっちだよ」
耳元で囁いて髪を結わえたゴムをそっと外すと、アカネのきれいな黒髪を優しく撫でた。
「んっ……、ちょっ……」
こっちが猫なで声なのかな?
西野はそんなふうに考えながら、彼女を更に抱き寄せた。
翌日。まだベッドで眠るアカネを残して、西野は住宅街を歩いていた。
いつもの場所に、つややかな黒猫を見かけて嬉しくなる。
「クロ。いると思ったよ」
にこやかに微笑みながら、ゆっくりと近づいていく。今日はすぐに逃げない黒猫に更に近づくと、少し緑が入った金色の瞳が美しい。
「おいで」
手を差し伸べると、黒猫は少し身じろぎしたがその場にとどまった。 西野は手のひらを上に向けて黒猫の前にそっと差し出す。
「クロ」
「ニャッ!」
匂いを嗅ぐようにした黒猫は急に警戒心をあらわにして鋭く一声鳴くと、サッと身を翻した。
「残念」
西野は柔らかな微笑みをたたえたまま、彼女を見送った。
完にゃ
ネコナデゴエ 島本 葉 @shimapon
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