溺愛の中で息継ぎ
折原ひつじ
一話 いつもの朝
規則的な電子音がけたたましく耳をつんざく。ねぼけまなこのまま指をシーツに這わせれば、硬い感触が爪先とかち合って乾いた音を立てた。
手繰り寄せた液晶画面を見た瞬間、「あー」と思わず力無い声が漏れる。今日の二限は休講だったのにうっかり目覚ましをかけてしまったのだ。身体を起こしてしまえばきっと目が覚めるのだろうけど起き上がる気力もない。
ぼんやりと表示したままのスマホのニュースに目を通せば、「魔王軍の残党か?」なんて文字が視界に飛び込んできて思わず深いため息が漏れた。
「……何年経ったと思ってるんだ」
今年は西暦362年。つまり魔王が勇者に倒されてから362年が経ったということだ。彼女の配下だった魔物達は皆討伐され、生き残った人間たちを含む他の種族は和平のための条約を交わした。
先人たちの努力の甲斐あって今ではすっかり技術も進歩し、平和ボケした便利な世の中になっているのだった。
エルフならまだしも大体の生き物にとって魔王と勇者の戦いは遠い過去の話だ。
今だって事件がないわけではないが、それも個人間の諍いやらであって決して魔王軍の関わる多種族を巻き込む大規模な戦いではない。
だって、魔王が死んでからもう362年も経ったのだから。
「……オレだったらその間に三回生まれて死んでるな」
なんて呟いたタイミングでコンコンとリズミカルなノック音が部屋に響いた。
「
寝過ごしたんじゃないか、と心配してくれたのだろう。ノックもなしに部屋に入ってきていた頃に比べると随分行儀が良くなったな、と感慨に耽っている内にもう一度ノック音。
「おーい、遅れちゃうよ?」
「わかった。起きる。起きるから……」
ぼんやりとする頭のまま、二度寝するにしてもせめて事情を説明しようとオレはのそのそと起き上がってドアを開いたのだが……
「おはよ!」
「…………はよ、シン」
朝っぱらだと言うのにあまりにも眩しい完璧な笑顔を向けられた結果、バッチリ目が覚めてしまったのだった。
例えるなら妹が昔読んでいた絵本の王子様だろうか。一つにまとめられた金の髪は枝毛一つなく、彼の美貌をより一層引き立てている。
「はは、頭すごいことになってるよ。鳥の巣みたい」
「人が茶髪だからって何回言うんだ、それ」
ルームシェアを始めて二ヶ月。
最初はひたすらに圧倒されていたものの、毎日顔を突き合わせていると人間慣れてしまうもので軽口なんかも叩く仲になっていた。
けれどこうやって改めて見目の良さを再確認してしまうと、安っぽいパーカーを着せているのが申し訳なくなってきてしまうほどだ。
「あのな、今日はいつもより少し大学行くの遅いんだ。だから……」
そのまま「だらだらしよう」と言葉を続けようとして、ふと一つのひらめきが働き始めた脳裏をよぎる。そのままオレは彼の横をするりとすり抜けると冷蔵庫の扉をがぱりと開いたのだった。
うん、まあ、これさえあればどうにかなるだろう。
「尚、朝ごはんどうするんだい? 目玉焼きでも焼く?」
無言で頷くオレの後ろからシンもひょこりと冷蔵庫の中を覗き込んだ。髪の毛が肌をくすぐるこそばゆさで口の端を緩めながらも適当に材料をかき集め、シンクの上へと並べてゆく。
半分のちくわ。シートのチーズが三枚。丸いハムが半切れ。もやしが一袋にピーマンが四分の一。そして最後に、
「いや、今日はこれだ」
ほんのちょびっと残ったピザソースを最後にトンとシンクに置けば、ぱっとシンの表情が華やいだ。
「これ、前に食べたピザトースト用のソースだよね?」
「ああ。今日はシンの好きな具で作っていいぞ」
早い話冷蔵庫の中身を綺麗にするための思いつきなのだが、思いの外彼の食いつきは良かった。
昔は随分贅沢をしていたようだけど、こういうのも嫌いじゃないらしいのはありがたい。フォアグラとか所望されてもとてもうちでは食わせてやれないのだ。
「尚、ピーマンのっける?」
「のっける」
すっかり慣れた手つきで具材を切るシンの横で、オレはハサミで半分にしたボトルの側面をひたすらスプーンでこそいでどうにか食パン二枚分のソースを確保したのだった。
「ほら、こっちお前の分」
「うん、ありがとう」
ソースを塗ったら思い思いの具を乗せて、オーブントースターに並べてタイマーをひねるだけ。今のうちに、とインスタントコーヒーにお湯を注いでいる内にチン!とトースターが高らかに完成を告げた。取り出す前から香る独特の香りに遅れて目覚めた食欲が急に存在を主張する。オレは熱さも構わずひょいひょいとトーストをつかんでシンの構えていた皿の上へと乗っけた。
「コーヒー淹れるからこれ持って先座ってろ」
「はぁい」
コーヒーの注がれたマグに砂糖と牛乳を注げば、あっという間にブラックがカフェオレへと姿を変えてゆく。もう片方のマグには牛乳だけを注いで、朝食はこれで完成。
二つ分のマグカップを持ってテーブルに向かえば、スペースを圧迫しないように大きい体を縮こまらせているシンの姿が目に入る。何度見てもなんだか愉快な気持ちになる光景に「ふは」と息を漏らしながら彼の横のクッションへと腰を下ろした。
「ほら」
「ありがと。じゃ、食べよっか。美味しそうだよ」
当然だろう。なんせチーズのシートをトースト一枚に贅沢に一枚半も乗せたのだ。手で半分に裂けばトーストとトーストの間にチーズの橋がにょんとかかる。欲望のままに齧り付けばじゅわりと熱いソースが舌を濡らして、慌ててぬるいカフェオレで流し込んだ。
「ちくわもピザに合うんだねえ」
「まあ、味薄いからな」
おそらくピザ専門店では味わえないだろうちくわピザトーストを頬張るシンの表情はやわらかい。普段は目玉焼きやシリアルで済ませてしまう日も多いが、休講の今日くらいはゆっくり食べてもバチは当たらないだろう。
「三限まで時間あるから買い物行くぞ。冷蔵庫空っぽだ」
「え、それなら僕フードコート寄りたい」
買い物、とぼかして伝えたはずなのにもうすっかりオレの行動パターンは知られているらしい。水・金曜は卵が安い大型スーパーに行くし、時間があればフードコートで何かしらを買ってもらえる可能性があるということを。
実際行ってからねだられれば「今日は買い物分の金しか持ってない」とつっぱねられるが、事前に言われてしまうとその手も使えない。とは言え普通に「ダメ」と言えばいいだけの話なのだが……
「…………アイスだけな」
「やった!」
許可を出してやればまた無邪気に喜色満面になるのだから、どっちが年上かわかったもんじゃない。実家の妹の姿を思い出してなんとなく郷愁で胸が疼いた。まあおととい連絡したんだが。
「いつもありがと、尚。愛してる!」
「どうした急に」
よほど嬉しかったのか、にまにまと頬を緩めながらシンは残りのトーストを頬張った後にオレへと笑いかける。勢いがよかったせいか真っ赤なペーストが白い口の周りを汚す様はなんだか化粧を思わせた。まあ、そんなに良いものじゃないが。
「急にじゃないよ。尚のお陰で美味しいご飯も食べれるし、毎日楽しく過ごせてるんだから。いくらお礼を言っても足りないくらいさ」
「そうか、それなら……」
突然の好意の発露はおもばゆいが悪いものじゃない。それにシンは元から食べ物にも猫にも犬にも人にも積極的に好き好き言う方で、オレももう何度も同じように愛を示されていて慣れたものだ。だから、
「オレのこと、一番好きになったか?」
オレもいつもと同じように彼の中の愛の順位を確かめるセリフを投げかける。シンは一瞬ぶどう色の瞳を丸くした後、やっぱりおかしげにゆるりと頬を緩めた。
「まさか! もしそうなら、僕は魔王の呪いでとっくのとうに死んでるだろう?」
ほんの少し寂しそうな笑みで当たり前のように告げられた言葉に、オレも「まあそうだよな」とだけ呟いてからカフェオレの残りを煽った。
溶け切らなかった砂糖の塊がざらりと舌の上で崩れてこぼれる感触がした。
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