——THE END——

和響

第1話

「もう別れよ」


 そう切り出した途端に態度を変える馬鹿彼氏、雄大。「別れるなんて嫌だ」なんて、どの口が言う? あり得ないでしょ。なのに、「嫌だ」と言われたその言葉だけでどこかほっとする自分がいる。馬鹿馬鹿しい。このまま関係を続けていても幸せはやってこないのに——。


 雄大と会ったのは近所のカラオケボックスだった。雄大は友達とカラオケボックスに来ていた。顔と頭の偏差値は平均値より少し上。たまに見かける顔だった。


 その日、私はお一人様カラオケを満喫していた。別に誰かを誘っても良かったけれど、でもそれじゃあ気が晴れない。


 もしも誰かとカラオケに行ったなら気を使う自分は容易に想像できた。順番は私だけで埋め尽くす予約リスト。同じ曲を何回歌っても大丈夫。誰にも気兼ねすることなく、思いっきり歌い続け頭の中を空っぽにしたかった。そういう日も、そう言う気分の時もある。誰かに迷惑をかけるわけじゃない。


 二十代後半。仕事もそこそこ手の抜き方を覚えてきて、でもそれでも神経をすり減らす毎日。あの日は特にズタボロだった。


 ——真剣に考えておられるんですか?

 ——将来に責任が持てますか?


 この手のクレームには正直言ってうんざりだ。しらねぇよ。それはそっちでやってくれ。毎日そう思ってる。でもそんなことは言えないから不自然に口角をあげる。上司からの圧力。外部からの圧力。部下はいるようでいない職場。マジ勘弁と思いながらも転職する気は毛頭ない。


 でも、それでも。


「こちとら人間じゃー! なんだと思ってるんだー!」とあの日は心の奥底から叫びたかった。残業するなに仕事を家庭に持ち込むな? ふざけんな。じゃあ職場のタブレットを自宅に持ち帰るなんてさせるなよ! 定例会議で上司の話を聞きながら意識がプツッと切れた気がした。どこまで仕事させんだよ?


 そんな精神状態の私は近所のコンビニでビールを購入。週末のカラオケボックスへと向かったのだ。一人暮らしのアパートから徒歩五分。飲酒しても無問題もうまんたい


 お気に入りのボカロ曲をハイテンションで歌いまくり、そろそろ演歌でも行っとこかーって時に尿意をもよおし部屋を出た。そこでバッタリ会ったのが雄大だった。


「「あ」」と、顔を見るなり声が出て、「えっと——」と、一瞬にして酔いも冷めた。まさかこんな場所で出会うとは。仕事上「見過ごすわけにはいかないね」とは言ったものの、缶ビール三本を空にした私の説得力はないに等しい。


「見なかったことに——」そう言ってトイレに向かう私の背後で「ちょっと」と、声がした。


「あの、一人なんですか?」

「え、う、……ううん、なわけないでしょ?」

「でも、隣の部屋ですよね? さっきからおんなじ人の声しか聞こえてこないし」

「げ……」


 とりあえずその場を難なくこなしその日は終わったはずだった。

 はずだったけどもだ——。


 翌日。私のところへ雄大はやってきた。昨日とは別人の装いでかしこまった顔をして。どうでもいい用事を手に持ってやってきた。


「先生、これ教えて欲しいんですけど」

「木村君。君は私の受け持ちの生徒じゃないよね?」

「でも理科の先生ですよね?」

「そうだけども——」


 そこから始まった禁断の恋。未成年の彼と二十六歳の私。無論、犯罪行為に当たる。でも、なぜ、彼が私に嵌っていったのか、私には理解できる。それはきっと私が初めての人だったからだ。初めての人。実は私も同じだった。なんてことだ。初めての人が十歳も年下な高校生だとは——。


 雄大も私に嵌ったし、私も雄大に嵌ってしまった。心が? いいや違う。身体がに決まってる。初めて付き合った男性がかなり年下の男性で、お互いそういうことは初めてだった。つまり、二十六歳にもなってまだしてないとか、そういうのが恥ずかしいと思う気持ちより、相手も何も知らないのだからという安心感が勝ってしまった自分がいた。


 それに——。


 学校では関係がバレないようにハラハラするのも堪らない。隙をみて理科準備室でレッツらゴー。カーテンの影に隠れ、そっと唇を寄せてからのバックハグ。微かな物音に敏感に反応し、その緊張感がまた興奮を誘う。


「せんせ、い……」

「だ、め。声を出したら——」


 メロドラマさながらなシチュエーション。いや、メロドラマじゃなくてエロビデオか。そんな刺激的な学校ライフを送りながら放課後は私のアパートで肌を重ねる日々。


「卒業したら、俺、先生と結婚する」


 シングルベッドの上で布団に潜りながら彼は言った。さらりとした長めの前髪の奥、彼の瞳に嘘はなかった。私の身体に指を這わせながら、優しくささやく彼が愛しいと思えた。私にまさかこんな日が来るとは。なんて少しジーンとしたけれど……。


「知ってる? 一組の木村、バレー部の森下とやったらしいぜ」


 夏休み明けの渡り廊下。すれ違いざまに聞こえた男子生徒の会話に思わず振り向く。


 ——一組の木村って、雄大じゃ?



 

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