52話 紫姫と秘密の攻防


「ピアノがあれば私もセッションしたかったわ……」


「ぼくもベース、弾きたいです!」


「あたしはドラムかなー」


「うちはギターばい! EDMとかトラックも作れるっちゃ!」


 何気にうちのお嬢様たちは音楽や楽器に造詣ぞうけいが深いようだ。

俺がヴァイオリンを片手に幻想曲を奏でれば、4人はうっとりとしつつも口々に自分たちも加わりたいとこぼす。

 きるるんはリアルお嬢様だからピアノなどの習い事は幼少期からしていたと予想できるが、他の3人は少し意外だった。



「あら? みんなも楽器を弾けるのかしら?」


「僕は地味女子です、地味かっこいいベースはぴったりです。コスプレのために買って、やってみたら面白かったです!」


「あたしは筋トレ用&運動用に! どうせなら楽しくってことで、ドラムセット一式持ってるよ」


「うちはギターかっこよかって、でもあんまり弾けんばい。ばってん、EDMは配信盛り上げるために作っとる。あと、アンチにすぐ言い返せるようラップバトルとかも練習して好きっちゃ」


 推したちはけっこう器用なのかもしれない。

 そんな風に彼女たちを愛でながらヴァイオリンを弾いていると、一際ひときわ強い念のようなものを感じ取る。

 物凄い意思をぶつけられない限り、技術パッシブ【万物の語り手】が自動で発動するのは稀だ。

 んん……【人語ヒトガタり】を発動してみるか……?



『私も、私が、歌いたい! この演奏と一緒に、彼と一緒に歌ってみたい……!』


 熱烈な猛アピールに少し照れくさくなる。

 そっとその意思の方へ目を向けると、紫水晶アメジスト色の姫カット幼女が熱い視線で俺を見つめていた。

 髪色と目がすごく珍しいし、和装姿だから周囲から少し浮いて見える。

 もちろん鮮烈な紫カラーだけでなく、その容姿もドが付くほどに可愛らしい。


 ぷっくりと丸みの帯びた頬は白く透き通っており、ラベンダー色が咲く瞳は静謐さの中にどことなく妖艶さを残している。

 年齢は9歳あたりだろうか?


 んん、でも……。

 なんとなくどこかで見た事があるような顔だ。


「釣れたわね……【紫音しおんウタ】よ……」

「わあ……お人形さんみたいです」

「Vのガワと、やっぱり似てるね。しかもあの年齢……」

「魔法幼女かもしれん」


 魔法幼女。

 彼女たちがその単語を口にすると、全員の表情が複雑なものへと変わる。

 普段のきるるんだったら、一も二もなくターゲットである【紫音しおんウタ】を目にしたなら話しかけに行くはずだ。チャンスに貪欲なきるるんが行かない、となると……次はぎんにゅうだ。


 ぎんにゅうはそのやわらかい印象で、相手の壁をするりと抜けて仲良しになれる。

 だが彼女も動かない。


 となると、一番全体が見えていてバランス力に富んだそらちーだ。

 どうやら話かけようかと悩んだ末に、話しかけない方を選んだらしい。


 そうなれば今回、【紫音ウタ】を探そうと言い出しっぺのヤミヤミだ。

 彼女は最年少だから多少いきすぎ、やりすぎな傾向もあるが……基本的には断罪配信などを行っているので、相手の踏み込んではいけない領域に対する判断能力はピカイチ。つまり、揉めることなく会話を成立させるのが上手なコミュ力お化けである。

 しかしヤミヤミまでも微動だにしなかった。



「……【紫音しおんウタ】については……現状はそっとしておいてあげましょう……」

「声が出せない、魔法幼女です。難しいです」

「いきなり色々詮索するのはまずいだろうね……傷心中だろうしさ」

「しばらくはここさかよって、顔見知りになったら……少しずつ打ち解けりゃあよかばい」



【にじらいぶ】にしては珍しく、今回はガラス細工でも扱うかのように事を慎重に運ぶ方針と相成った。

 お嬢様方がそう判断するなら、俺も執事として従おう。


 この時のそんな決意が、まさかすぐ折れそうになるとは夢にも思っていなかった。





 うちの学校には『芸術祭』という催しがある。

 各文化部が一年間の集大成を披露する場でもあったりする。


 そんな芸術祭が二週間後に迫った頃合いで、生徒には芸術面の選択科目を限定受講するカリキュラムが導入されている。

 要は芸術祭の前に少しだけ芸術がなんたるかと触れ、芸術祭にも興味を抱かせようというムーヴだ。


 そんなわけで俺が選択したのは弦楽器の授業だ。

 音楽関係は吹奏楽もあれば琴や三味線など、ベルコーラスや賛美歌まで様々だ。

 絵画や書道、果ては文学や俳句、いわゆる美術だけの枠に収まらない講義もある。


 つまり、この二週間は移動教室があるので、違う学年や別クラスの生徒と授業を共にする機会がある。

 そんな選択科目で俺は妙な生徒と鉢合わせした。


 その女子は驚くほど綺麗な美人さんで、大和なでしこの言葉がピッタリだった。

 首元のリボンが紺色だったので一つ上の二年生。

 先輩だから顔見知りってわけでもないし、喋ったことすらない。


 それなのに教室で俺を見かけた途端、彼女はこちらを凝視したかと思えば————

 なぜか近づいてきて、なぜか両手を握られ、なぜかものすごく喜ばれた。



『まさか、まさか! 同じ学校だったなんて感激ですわ!』


 技術パッシブ【万物の語り部】を通して彼女の意思が伝わってくる。

 もちろん、口から言葉が発せられることはない。

 これほどの強い意思を、気持ちをぶつけられたのは……【星々が沈まない街ステラ】で出会った幼女こと【紫音しおんウタ】ぶりだ。

 少しだけ混乱しそうになる。

 確か目の前の彼女は……我が校でも有名で恐れられている二姫ニキの1人、くれないと対をなす紫の人だよな……?



『まあ、わたくしったら殿方になんてはしたない真似をっ。失礼いたしましたわ』


 彼女は頬を染めながら、粛々と俺の手を離し一歩引き下がる。

 くっ。

 訳がわからないぞ!?

 しかも周囲が物珍し気に俺と彼女のやり取りを注目しまくっているのも気になる。


『わ、私としたことが、憧れのバイオリニスト様に会えたからって、ついついはしゃいでしまいましたわ……落ち着いて、深呼吸ですの。それから筆談のご準備を————』

 

「はーい。席についてー。今日はバイオリンの基礎から始めるぞー」


 先生の授業開始の合図とともに、俺はなし崩し的に彼女の後ろの席に着席した。

 彼女はチラリとこちらを一瞥した後に、一旦は大人しく授業に取り組み始めたようだった。


 そして変化が起きたのは授業も中盤に差し掛かった頃。



『あぁ、憧れのバイオリニスト様とお話してみたいですわ』


 うーん……俺のことだよな?


『あの御方のなんて凛々しいこと。なんて気高き殿方。きっとあのような人物が歴史に名を残す偉人になるのでしょうね』


 ……うっそ。

 俺の評価高すぎるだろ。

 めっちゃプレッシャーだ。

 とういうか俺はこの先輩とどこで出会ったんだ?

 こんなにリスペクトしてくれてるのに、知りません、なんて言ってショックを受けてほしくはない。


『まさか講義中に筆談の紙なんて忍ばせたら……わたくしを不真面目な子女と断じてしまうかしら? それともはしたないと思われるのでしょうか?』


 うーん……。

 勝手に人の心を読むのはいけないことだから、そろそろ技術パッシブを切るか?

 でも目の前の彼女の正体が気になるんだよなあ……。


『どうしてもお話をしてみたいですわ。どのような気持ちでいつもバイオリンを弾いておられるのか、あの曲にはどんな意味が込められているのか、あぁ、止まりませんわ』


 やっぱり【星々が沈まない街ステラ】で会ってるっぽいんだよなあ。

 俺がバイオリンを弾いたのはあそこの一度きりだし。


『お話してみたい、お話してみたい、お話してみたい……たくさんたくさん、お話してみたいですわ! でもでも、どういたしましょう?』


 おおう。

 ちょっと思いが重いというか、なんかこう微妙に狂気を感じるのは俺だけだろうか?


『そうですわ! 先程からお手洗いに行きたく存じますので、この授業が終わるまで尿意を我慢できましたら、後ろの殿方に筆談用紙をお渡しいたしましょう!』


 ん?

 これはあれか?

 小学生の時によくやった自分ルールってやつかな?


 帰り道に、白線だけをつたって家に帰れたらアイスクリームを食べる! ダメだったらグミにする! 的な雰囲気のアレ?



『我慢、できるのでしょうか。かなり厳しいかもしれませんわ』


 んー……トイレを我慢できたら、筆談するね……。

 そもそもこの授業終わったら筆談できなくないか?


『あぁっ、こみ上げてきますわっ、何か熱い何かがっ、私の中にっ……! ですが紫鳳院しほういん選手~! 寸でのところで耐えましたわよ~!』


 なぜか実況解説風になっている。

 紫鳳院しほういん先輩。トイレの我慢大会を勝手に開くのは良いのですが、漏れた時の惨事は理解していますか?

 こんなアホみたいな脳内大会を、全校生徒に恐れられた二姫ニキが考えているとは……全く以て予想外だ。



『んんー紫鳳院選手、挫けておりません! いつ、いかなるときも、精進して参りました!と、豪語していた紫鳳院選手もここまでしょうか!? しかし彼女は魔法幼女としてモンスターとの戦いも、【紫音しおんウタ】としての活動も! 声を失うまでは、一度も投げ出したりなどいたしておりません! ……だから、今回も……んぅー、あぁっ! キてます! キテますわよ!?』


 キテルのは貴女ですよ、紫鳳院しほういん先輩……あんた、なんて子だよ。

 ここで漏らしたら声を失うどころか、尊厳も失うんじゃないのか?


 というか待てよ?

 紫音しおんウタ? 魔法幼女?

 

 んんー……。

 紫鳳院しほういん先輩が紫音ウタ!?


 まじかー……。

 え、この状況はどうすればいいんだ?

 ここで彼女が尿をもらしたら、俺との筆談は御破算になるってわけだよな? そうなれば【にじらいぶ】の方針は様子見だから、ここで俺が勝手に彼女と関わって……彼女にとっての地雷を踏み抜いて、もめたりした日には目も当てられない?


 なにせ彼女はあの二姫ニキだ。

 何で逆鱗に触れるかわからない。

 


『ふぅーふぅー……あっ、き、てしまう、の……? ラ、ラストスパートですのよ、紫鳳院選手!』


 苦しそうに悶えている先輩だが、悶えているのは貴女だけじゃない!

 どうすればいいんだ俺。


『くぅ……あぅっ』


 ここでそう、目の前で身をよじる先輩の脇腹なんかを————

 後ろからシャーペンでツンと刺激した場合、きっと噴水が大放出になるだろう

 そうなれば彼女は俺との筆談を諦め、俺も【にじらいぶ】の方針に逆らうことなく穏便に済む。

 穏便? なんか違う気がするな、落ち着くんだ俺。


『んぅぅ……ふふぅ……。漏れちゃいますわぁ…………』


 よし。

 攻撃するか。

 鬼畜の所業かもしれないが、俺は安全牌を選択しようと思う。


 うーん。しかし、脇腹への直接攻撃は遺恨を残しかねないしなあ。

 だったら、あれだ。消しゴムを前方に落として拾ってもらうのはどうだろうか?

 彼女が腹部を折ることにより前傾姿勢がもたらす尿道への圧迫攻撃は、効果絶大なのでは?

 そんな風に作戦会議をしながら、先輩がもじもじ身もだえし続ける姿を後ろから眺める。



『はぁぁぁぁぁん……もう、少し、ですわぁぁあ』


 なぜ幸せそうな、恍惚な表情を浮かべていそうな声音なのだろうか?

 彼女のスカートからのぞく太ももが、わずかにこすれ合う。優美な曲線を描く腰をなまめかしくひねらないでほしい。

 

 くっぅぅぅ。なんか応援したくなるというか、目覚めてはいけない世界に目覚めそうだ!


 やっぱりそこはかとなくエロ可愛いよな!?

 攻撃を敢行するどころか、大会選手のバックスポンサーのごとく『我慢するんだ! もう少しだ、がんばれー!』といつの間にか、脳内で声援を送っていた。

 なんだか、大切な何かを自分の中で喪失した気はするが、カワイイものはカワイイのだから仕方がない……。

 そして見事、試合終了まで持ちこたえて見せた先輩は————

 終業チャイムが鳴ると同時に速やかに席を立ち、余裕すら感じさせる笑みのまま教室を出て行った。


 内心は『えぁっ、んっ、ふ、ふぅ、漏れますわ漏れますわっ、んん、ひゃっ、んぅ~』などど子犬が鳴くような愛くるしい悲鳴を上げているのに、外見は何事もないかのように振舞っていられる強靭な精神力を垣間見た。


 さて、とりあえずは筆記用具を片付けて自分の教室に戻るとするか。

【紫音ウタ】がどこの誰だかわかっただけでも、【にじらいぶ】にとっては朗報だろう。


 しかし、この時の俺は一つ見落としていた事実があった。

 一番近くの女子トイレがある方角には、ちょうど俺の教室が近くにある。

 つまりお花摘みをなさり、女子トイレから出てきた何者かに左手を掴まれてもなんら不思議はないということだ。


 俺が何気なく自分の教室に入ろうとした矢先、左手を掴まれる。



「————!」


 かくも可憐な恐怖の対象、無言姫こと紫の二姫ニキに掴まってしまったようだ。


『あ、あのっ、突然こんなことをして申し訳ありませんわ! で、でも、どうしても貴方様とお話がしてみたくて……そ、そのっ、あっ、筆談の準備をいたしますから、少々お待ちくださいませ……!』


「あー先輩。筆談は多分、必要ないです。話してみたいことって、バイオリンで弾いた曲について、ですよね?」


『えっ、どうして? 私の声は失われていて、誰にも届かないはずですのに……私の声、が聞こえておりますの?』


 慌てた様子から喜びに満ちた顔になる先輩。

 意外にも彼女は表情が豊かなようだ。


「率直に言うと、そんな感じです。先輩の声、聞こえます」


『えっ、えっ、奇跡ですわ! う、運命ですわ! 貴方様はきっと……声を失って、絶望の淵に立たされた私に、神様がもたらした王子様ですわ!』


「いや、王子って……まあ確かに俺の名前は桜司おうじですけど……」


『先ほどの声もお聞きになさって? 私ったらお恥ずかしい……ですわ……?』


 両手を自分の頬に当て、もだえる素振りをしていた先輩だが、その動きは途中で硬直する。そして俺は、なぜ彼女がピクリとも動かなくなった理由を知る。



『つまり、その……貴方様は先程までの私の……お花摘みを、切望する声も聞いていらしたの!?』


「いや、いやいやっ! おしっこ我慢選手権とかマジで知らないです! あっ……!」


 先輩はひざから崩れ落ちた。


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