わた

憂杞

わた

 わたしは綿だ。子供達にはくまさんと呼ばれていたけど、今はもう名前通りの姿を残していない。

 子沢山の家にくまさんとして迎えられたわたしは毎日振り回されたり引っ張られたりして、ある時首にあたる縫い目を破いてしまいすぐに捨てられることになった。ところが朝の収集車に放り込まれる間際に、首からはみ出ていたわたし綿は一片だけふわりとゴミ袋の口から逃れていた。

 そこへ割り込んできた風に攫われ、軽くなりすぎた体は舞い上がり、あてどなく虚空を転がり続けた。

 これっぽちの姿で逃げたって仕方がないのに。


 朝日が反対側で燃え盛る頃になって、見知らぬ広い――あまりに広い絨毯に着地した。こそばゆい感触を体の半分に受ける。暗い中だけど絨毯は鮮やかな緑に染まって見えた。

「やあ」

 隣から声をかけられる。その声の主の姿に、わたしは驚いた。薄緑のすっくと立った細い棒きれの天辺に綿を、そう、白い綿のまん丸とした塊を、仄明るい光のように掲げている。

「なぜそんな姿をしているの」

 棘のある訊き方をしてしまった。けど綿はくまさんにとって隠すべきものなのに、それを目立つ場所に晒すなんて。

「種を飛ばすためさ」まん丸の中の誰かが答えた。「中心に集まった粒が見える? この一つ一つが全て、遠くの大地で生かすべき命なんだ」

 そこへ、風が強く吹いた。体が絨毯から引き離される。その刹那に、まん丸から幾つもの白がこそげ取られていくのが見えた。

 宙を舞うわたしの周囲で、一緒に攫われた欠片かけら達も舞う。みんなわたしより遥かに小さく、か細い先端で種を――命を抱えていた。

「こうして風に乗って遠くへ種を運ぶの」さっきとは別の綿が告げた。

「風は思い通りの場所へ吹いてくれるの?」

「わからない。でもこれが私達の役目だから」

 彼らと違って何も持たないわたしに、綿達はやさしく語りかけた。

「ついてきて。君に子供達の咲いた姿を見てほしいから」

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わた 憂杞 @MgAiYK

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