第19話 秘密結社と少年と後宮の魔女達 40

 梅雨入り前に吹き渡る初夏の薫風は、深みを増した空とまみえてもまだまだ爽やかだ。

水分少なめの南風は、やがて来る湿気と熱気の季節を予感させつつも今日はことさらに。

僕の胸の内に澄んで透明な気分をもたらす。

ご機嫌ってことさ。

 その日三島さんに呼び出された僕は、大学通りをゆっくり歩きながらロージナに向かっていた。

国立には少し早目に着いたので散歩と洒落込んだのだよ。

久々のデートだろうと思い・・・なんだ。

僕もいささかウキウキしていた事は認めよう。

 花の季節からは二月ほど経ち、桜並木の緑がだいぶ濃くなっている。

今日は汗ばむほどの陽気ではないけれどな。

夏至を控えて陽射しが強くなってきた時期ではある。

整列した桜の木は行き交う歩行者に涼しげな影を投げかけているよ。

 

 三島さんはロージナの前で待っていた。

レモンイエローのワンピースに半袖のカーディガンをまとっている。

鍔広のサンハットからは艶やかな長い髪が肩に流れ落ちている。

腰のところで小さく手を振る美少女の笑顔は値千金さ。

この眼福を言祝ぐ僕を、誰も責める事なんてできやしないよ?

 

 僕たちは二階の定位置に腰を下ろした。

三島さんがオーダーしたアイスコーヒーとシフォンケーキ。

小腹の空いた僕が頼んだピラフとマンデリン。

それらがテーブルに並んだところで、背後からの聞き慣れた声が耳に入った。

「ごきげんよう」

振り向くとそこには、衣替えをしたのだろうか。

この前会った時より薄手で軽そうな僧衣をまとうシスター藤原が立っていた。

 三島さんがしれっとした顔で向かいから僕の隣に座り直し、シスターには今まで自分が座っていた席を勧める。

「どういうこと?」

「こういうこと」

「こういうことってどういうこと?」

僕が尋ねても三島さんは何も語らず、だんまりを決め込む。

彼女は僕を無視して、シフォンケーキの生クリーム添えを優雅な所作で楽しみ始める。

 さっきうっかりミシマの清楚な美しさに見惚れた自分がとんだ間抜けに思えてきたよ。

僕には『こういうこと』が『どういうこと』なのか皆目見当が付かない。

そこでとりあえずはマンデリンを口にして考える間を取ってみた。

 

 「アッ、わたくしはこのココアをお願いします」

シスターはちらりと三島さんの手元を見やる。

「シフォンケーキもお願いしますね」

喫茶店に入る習慣があまり無いのだろう。

しばらくメニューと睨(にら)めっこしていたシスターだが、結局は三島さんと同じシフォンケーキを選んだ。

シスターは水とおしぼりを持ってきたウエイトレスさんに元気よく注文する。

彼女の良く通る甘やかな美声と僧衣というコスチュームは、一瞬で店内の耳目を引いたようだ。

三島さんに対抗しようってのかシスターの一人称が<わたくし>になってるし。

 

 国立は近隣の立川や国分寺からも学生が流れてくる若造の街だ。

吉祥寺ほどではないが、ヒッピーみたいな恰好をした輩なら御覧じろ。

街のそこここに、それこそ掃いて捨てるほどいる。

そんな街の喫茶店でシスターが衆人の耳目を引いたのは、大きな教会や修道院が近隣にないからだろう。

四谷辺りならシスターも目立たないかもしれない。

だが宗教とは無縁な若造ばかりの土地柄なら、修道服が物珍しいのも無理はない。

 僕たち“あきれたがーるず”の一味がロージナで常連客と認識されているかどうかは微妙なところだ。

だが彼女たちの美貌や華やぎは常に他のお客さんの注目を浴びているはずだ。

それは称賛や憧憬ではあっても、決して好奇の目ではなかったろう。

翻って今日のシスター藤原はどうだ?

ウエイトレスさんにも居合わせた他のお客さんにも明らかな好奇の目、それも好意的な視線を向けられている。

若くて可愛らしくて。

自分をわたくしなんて呼称する修道女は・・・。

もしや万民から愛されるアイコン足りうるものだろうか。


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