第18話 アプレゲールと呼んでくれ 29

 事程左様に佐那子は今回の時間軸に、前回まではなかった強い拘りを持っている。

驚くべきことに今回の時間軸では、今のところ欠けたメンバーがいない。

前回までは登場しなかった晶子と言う全く新しい仲間も増えた。

何よりもかによりも、この時間軸では悲劇の予兆がコントロール可能の範囲内に収まっている。

 今まで一度も経験していない現在の様なラッキーターンは、底意地の悪い神様の気紛れが生んだものかも知れない。

だがそのようなことはどうでも良い。

気の遠くなるほど繰り返した試行の果て。

この時間軸に辿り付けた。

佐那子はそれだけで毎日が心躍るほどに幸せだった。


 この幸せな時間軸に至り、佐那子には決意していることがある。

それは虚しい人生のリプレイをこの時間軸を限りにもうやめようと言う決意だった。

ある意味虚無的といえそうな決意だが、このことは誰にも話していない。

 意識して隠しているつもりはないが、当然雪美とルーシーには知られているだろう。

ふたりはそのことについて何も言わない。

けれども佐那子同様。

ふたりとも、円とこの世界を失ってなお生きようとは更々思っていないことは分かる。

その思いは確かめる必要を感じない位に明らかなことだった。

 佐那子は自分が経験した数多の悲劇的な時間軸をふたりに物語ったことを少し後悔している。

そのことでふたりが思い詰めているとしたら言わずもがなのことだったかもしれない。

人生は長い。

十代で知り合った男に一生を捧げると決めてしまうなんて正気の沙汰とは思えない。

 だがしかし。

ふたりには悪い事をした。

などと佐那子はつゆほども思っていない。

佐那子の後悔はそんな殊勝なものではない。

ふたりが自分と同じ決意に至った。

そうなったのは自分の告白が原因かもしれないだがそれはどうでも良いことだ。

佐那子の後悔は実は身も蓋もない。

『ルーシーと雪美が一緒について来たら、円の取り分が減っちゃう』

などと言うケチな了見から来た後悔だった。

もちろんそんなしょうもない佐那子の後悔も、一緒に大泣きした時にふたりは了解している。

さんにんとも所詮は同じ穴のむじななのだった。

 

 佐那子の決意は明瞭だ。

万が一を考えて円の死ぬ一分前に自ら命を絶つ。

もう違う人生は繰り返さない。

それが佐那子の魂が固めた決意の形だ。

そのために銃刀法を無視して拳銃を用意した。

円の護衛に使うことも兼ねた愛用のベレッタ・ナノは大腿に括り付けたホルスターに収まっている。

決意を固めて以来佐那子はロングスカートしか履かない。

 

 佐那子の魂は数えきれない位の回数、似て非なる世界で悲劇的人生を旅してきた。

彼女はそれらすべてを記憶し、新たな転生後の道標にしてきたのだ。

円の死が引き金となる輪廻は佐那子の魂を老成させ、今や彼女の少女めいた容貌の下には悟りに近い境地が宿っている。

 だからだろう。

佐那子にとって既に自分自身の死は恐怖の対象ではなくなっていた。

だがこの時間軸で過ごすうち、彼女には久しくなかった自分が死ぬことへの恐怖が蘇った。

それはこの時間軸の円が死ぬことのへの恐れ。

仲間を失うことなく快活で健全なままの円を失うことへの恐怖と表裏一体だった。

 恋やら友情やら。

十代のほんの刹那の季節にだけ成立する性愛の色が希薄な青春がある。

これまで佐那子にとって無縁だったそんな幸せな青春がこの時間軸には確かにある。

 佐那子のピュアな青春が年下の連中との関係性で完結していること。

それは、傍から見るといささか滑稽な様相かもしれない。

だが、円を中心として能力と言う相互補完で繋がる佐那子たちの紐帯は、愛情より強靭で執着心よりしなやかだ。

ゴルディアスの結び目より固く結ばれた関係性は、誰にも理解を求めていないし、誰にも理解できることではない。

 現に最初は当事者として、八才以上年下の少年少女にジェネレーションギャップしか感じない佐那子だった。

だが佐那子は何度も何度も文字通り人生を繰り返す物語を、円やルーシー、雪美たちと生きてきたのだ。

その揚げ句の果ての果てに辿り付いたこの時間軸では最早、皆との年齢差など気にもならない。

 辛く悲しい出来事が繰り返され、正気を失ったことさえ数え切れぬくらいあった。

それなのに、今こうして円を中心とした仲良しクラブの中で笑っているとどうだろう。

皆と出会うまでの人生。

忘れてしまうほど遠い昔に感じられる能力以前の人生。

そんなオリジナルの人生が、佐那子にとっては思い出したくもない程につまらなく味気ないものに感じられる。

 佐那子はかつて、父が立ち上げた家業を継ぐ最良の進路と思いつめ、防衛大に進んだ。

任官後にレインジャー記章まで手に入れたかつての自分の意志や想い。

それはどんなものだったのだろう?

円と出会う前の自分を、我がことながら全く理解できない佐那子である。

 

 黒一点の円としては女子の姦しいしゃべくりに毎回辟易している。

箸が転がっても笑いだす佐那子のはしゃぎぶりに「年甲斐もなく・・・」などと言う余計な茶々を入れては血祭りにあげられる。

そうした無様がこのところの円のお約束になっていた。

 円のハラスメントめいた態度や言葉をあげつらっては皆で苛める。

教育的指導という名の円苛めは“あきれたがーるず”のお楽しみにもなっている。

他愛のない非難の応酬は出来レースめいたじゃれあいでもあったろう。

なんといっても、円の内心は雪美を通じて“あきれたがーるず”には筒抜けである。

彼女たちも安心して円を袋叩きにできると言う理屈になる。

そうした景色も、複雑な人生に単純な喜びを求めてやまない佐那子の、手厚い気配りのおかげだったろうか。

 だが好事魔多しではある。

森要相手の時とは打って変わって弛緩した明るくて楽しい日常が、ある日のこと。

突然、瓦解した。


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