第15話 練馬の空はショーシャンクと同じくらい青い 13
「カノー、ひとりでなにたそがれてんだ?」
「んっ?
なんだ、ぶっさんか。
昼休みだよ?
天気も良いしちょっとぼーっとしてた」
「なんだとはご挨拶だな。
娑婆に残してきたバシタのことでも考えてたか?
毛利ルーシーっていや、そりゃいいオンナらしいからな。
一発ヤレルなら特少に入院したっていいってほざく外道を何人も知ってるぜ。
しっかし、オメーも顔に似合わずほんとスケベなヤローだよ」
俗に縁は異なもの粋なものと言う。
だがご縁の相手が男で、あろうことか鑑別所での意外な出会いともなればどうだろう。
円は過日、井の頭公園でひと悶着あったチンピラのひとりと、獄舎で驚きの再会を果たした。
そいつは、円にスカスカのパンチを連発して首を捻っていたあの突っ張りだった。
円は彼が仲間内からぶっさんと呼ばれていたことをかろうじて聞き憶えていた。
「ぶっさんもそろそろ審判の結果が出るんじゃないの」
「おう、今度は特少送りだろうさ。
ったくドジ踏んじまったよ」
ぶっさんは東京まで出張ってきた北関東の暴走族を単騎で襲撃し、結果として強盗傷害の容疑で逮捕され家裁送りに成ったのだ。
「カノーの殺人未遂にはかなわねーけどよ」
ヒヒヒと口を歪め、ぶっさんは嬉しそうに円の二の腕を小突く。
「やめてくれよ、冤罪だよ冤罪」
円は殺風景な畳部屋で同房の少年達に引き合わされた。
その時は、これから始まる色々と厄介な成り行きを想像したものだ。
それこそ胃が痛くなりそうなほど憂鬱な気持ちにもなった。
だが円にとっての好機は目の前まで転がってきた。
円は彼の顔をすっかり忘れていたのだが、審判待ちの少年達の中になんと、ぶっさんがいたのだ。
江戸時代、日本橋は小伝馬町に牢屋敷が在った頃から、獄中にはつつきの順位が厳然と存在している。
それ故、古来入牢する新参者には守るべき作法がある。
牢内ヒエラルキーの頂点に君臨する牢名主様に貢物を捧げて安全を買うのだ。
それが出来なければ、新参者は底辺の弱者として強者の慰み者にされる。
それこそ力石徹なみに腕力に恵まれてペテンもキレると成れば別だろう。
上級職の試験に合格した官僚が超特急で昇進するように、獄中でのスピード出世も夢ではない。
だが生憎と、お世辞にも優男とは言えない円だったのに金も力も無い。
おまけに筋肉だるまや知能犯という括(くく)りに入れる程年季を積んだ非行少年でもなかった。
「おめー、カノーマドカじゃねーか。
たまげたね、こりゃ」
素っ頓狂な声を上げたのは、円が連れてこられた相部屋を脳筋スペックで仕切るぐっさんだった。
多摩地区の一部ボーイズアンダーグランドでのこと。
『もしや僕って有名人に成り掛けてやしない?』
そんな春の終わり頃から抱き続けてきた懸念は、ここに来て真実であることが明らかになった。
ぐっさん以外の面子も何やら訳知り顔で、円を見てニヤニヤしたり鼻を鳴らしたりしている。
皆は円の面相までは知らない。
そうだとしても、どうせロクでもない噂話を耳にして、円の名前くらいには覚えがあったのだろう。
円は思わず脱力して力なく首を振った。
本来なら獄内カーストの最底辺で理不尽に苛められるはずの円だった。
だが上座に座るぶっさんに「まあこっちに来い」と手招きされて、あっという間に彼の舎弟扱いと成った。
みにくいアヒルの子としてさぞや虐められることだろう。
半ばウンザリしていた円にとって、願ってもないぶっさんの好意だった。
だがその代わりにと言ってはなんだが、退屈しのぎの娯楽を求められた。
なんとなれば、こうして円が練鑑に放り込まれるまでの経緯を、根掘り葉掘り問い質される事となったのだ。
ぶっさんは何故か終始上機嫌だった。
円の容疑が殺人未遂だと知った時には、同室の連中と一緒になって、大いに座が盛り上がったものだ。
円がいくら冤罪のだと主張しても馬耳東風暖簾に腕押しだった。
「よりにもよって堅気のメスガキを殺ろうなんてよー。
カノーマドカってやつは、俺たちみたいな札付きのワルでもビビっちまうくらいな正真正銘の鬼畜だぜ。
なあ、みんな!」
人間がどのような理由で他者に好意を持たって自由だ。
そんなことにとやかく意見を物申すつもりなど円には無い。
金輪際無い。
へそ曲がりの円だって人に好かれることは嫌われるよりはずっと嬉しい。
他者から高く評価されれば気分もよくなる。
だが、好意や過大評価のお題目が“札付きのワルでもビビっちまうくらいな正真正銘の鬼畜”との認定であるならばどうだろう。
ぶっさんの悪乗りで、円が手を染めた“鬼畜の所業”はあっという間に鑑別所内に知れ渡った。
元から妙な具合で名が知れていたせいもあるのだろう。
円は一躍練鑑の名士となった。
直情径行の筋肉ダルマとばかり思っていたぶっさんは、お世辞にも善意の人とは言えなかった。
しかし話が通じない森要の様なサイコ野郎と言う訳ではない。
ぶっさんは悪事をなすことを目的に犯罪を犯す極道ではない。
思いついた目的を遂げようとすると、それが結果的に違法行為となり犯罪を構成してしまうタイプのワルだった。
円のような一般人にしてみれば『目的の立て方がそもそもおかしい』のだと、雑談の際にぶっさんに物申してみたこともある。
だがぶっさんは破顔一笑。
「悪気はねーんだよ」
嬉しそうな顔で軽く小突かれて終いだった。
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