第13話 ファム・ファタール 9
連日の夜間飛行で疲労が溜まったせいか三島さんが熱を出した。
航法士としての三島さんの能力は大したものだ。
長野県北佐久郡の地勢については国土地理院発行の1/25000地形図が完全に頭の中に入っている。
満月を挟んだ前後の四五日間、晴天の夜空を選んで飛んだ。
三島さんはコンパスを見ながら流れる車のライトで道筋を確かめ、頭の中にある地図と照合する。
浅間山のシルエットと佐久や高崎の街明かりを目印にするだけでおおよその現在位置だったら把握できちゃう。
飛行中、先輩と三島さんの間には回路が形成されている。
航法上のやり取りは常時並列下で処理され、通常のおしゃべりを除いて僕には高度についての単純な指示が出るだけだ。
何度聞いてもふたりが構成する常時並列の感覚を理解できない。
事実上航法から疎外されている僕にとり、空を飛ぶと言う作業は本当に丸投げ案件と成ってしまった。
サークルを作って回路を組んだ状態でも、先輩と三島さんそれぞれのパーソナリティと個別の会話は可能だ。
それで常時並列という二人のモードは、僕にとってますます訳の分からないものになった。
並列時のあなた=あなた達の切り分けはどうなっているのだろう。
もっともそうして疑問やら好奇心やらが頭の中に湧いてくるたび、僕はちょっとした疎外感を感じてしまう。
爆撃機が搭載する爆弾よろしく僕の腹側に抱かれるふたりが、僕の思考を読み取って内緒話で盛り上がる小娘みたいに身を縮めてくすくす笑いをするのだ。
事程左様に頭を使う作業はふたりにお任せと言う状態だ。
僕は大戦中のロールスロイスかベンツの発動機みたいな気分だ。
余計な事を考えずに夜の静寂(しじま)を楽しみながら、機嫌よくパワーを出して高度を保っていればそれで良い。
月の光りは思いのほか明るい。
光量が多い満月の夜は、黒々とした木々や溶岩の連なりを濡れたように光らせて、それがことのほか美しく感じられる。
ベートーベンよりドビュッシーの方がよりこの光をうまく表現できているなと思う。
「あいも変わらずマドカ君はロマンチッ子ですね」
などと三島さんに褒められて、先輩がむくれると言う一幕があったりもする。
パラシュートが四つあるのは、橘さんも飛ぶ気満々であることを意味していた。
しかしながら四人で飛ぶのはちょっと窮屈で、飛行機的な機動力も落ちる。
僕の両手は先輩と三島さんを抱きかかえる為に常時塞がっているから、橘さんは後ろから僕の首に抱き着く形を取る。
能力を伝え合うためには素肌の接触が必要だが、互いがそうして接続されていれば皆が体感する質量はゼロであるとしか思えない。
加えて身体だけではなく、衣服やパラシュートなど体に密着する装備の分くらいなら質量がキャンセルされるように感じられる。
そのことはどうにも不思議だった。
手に持てないほど大きくて重いものはしっかりその質量を感じられた。
ことによると体の周囲に薄い力場のようなものが形成されて、その内側だけ質量がキャンセルされる仕組みなのかもしれない。
自分たちの身体のことながら謎が多すぎる。
橘さんがどういうつもりだったのか真意は分からない。
初フライトの時は大興奮の上、大騒ぎしながら後ろからほっぺすりすりなどして来るものだから、下にいる先輩と三島さんはずっと怒りっぱなしだった。
僕だって健康な男子だし、綺麗なおねーさんにほっぺすりすりなどされれば、嬉恥ずかしくてちょっとテンションが上がっちゃう。
それは自然なことだし、咎め立てする方が断然理不尽に思えるのだがどうだろう。
きつく叱られた揚げ句、上と下で口喧嘩が始まった時には、温厚な僕をもってしてもさすがに腹に据えかねたよ?
そこで急上昇と急降下をセットでかましてお三方にはお黙りいただいたものさ。
普段は素直で寡黙な発動機だって、時にはグレムリンの力を借りずともやんちゃな自己主張くらいできるってもんだ。
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