第9話 少女と少年とチョコレート 1

 「このココア、とても甘いのに上品なお味。

・・・ところでマドカ君。

ゴディバってご存知?」

雪美が円の瞳を覗き込んだ。

 

 円と雪美は夏目と一緒に下校するルーシーを尾行した後、わざわざ国立のロージナまで足を運んでいる。

「事後対策の相談を兼ねてマドカ君と密談したい」

雪美の熱意に引き摺られたかたちではある。

 鶴の一声。

そう言う感じもする。

ただ話をするだけなら公園でも良い。

喫茶店でコーヒーでも飲みながらと言うのなら、国分寺の駅前にもその手の店ならいくらだってある。

 ところがどっこい。

いつの間にやら、雪美は一筋縄ではいかない“目覚めちゃった少女”に変身していた。

円としては大いに面倒かつ迷惑千万な成り行きではある。

これも小金井案件でヘタを打ったつけだったろうか。

 「ルーさんだけずるい!」

雪美に凄まれ脅されて・・・。

もとい。

可愛く強請(ねだ)られ拗(す)ねられて、わざわざ国立に寄ることになった。

こうなったのはどんな話の流れからだったか。

『雪美との雑談でロージナについて話題にしたのは大失敗だった』

教えるんじゃなかったと円は少しく後悔しているのだが是非もない。

 円にとって国立は帰宅途中に立ち寄れる拠点の一つではある。

今日自宅とは反対方向へ向かう国電に乗って、時間の掛かる寄り道を選んだのは雪美ということになる。

それでもロージナでお茶した後のことを考えると円は気が重い。

「わたくしを家まで送ってくださいましね」

円が誘った訳では無いのにだ。

雪美がそんな無茶振りをしてきそうな心配が、円の脳裏をよぎった。

 このところ日常化しつつある円に対する雪美の仕置きぶりを思えばどうだろう。

『三島さんを家まで送っていきたくなんかない!』

そう主張する彼の不人情は、ご愛敬として許される範疇と言えるのではないか。

 なんとなれば準備室での一件以来、円は雪美の完全な統制下にある。

そうして雪美は折を見て時を選んで、円の心を試すかのような難題を吹っ掛けてくるようになった。

 “甘えや我儘”という探針を打ち込んでは反応を観測する。

結果を精査吟味してから次の探針を打ち込んで来る。

そうやって男心を探る手口は、女性ならではの伝統的な兵法だろう。

 ただ円にとって災難だったのは、雪美が持つ生来の真面目さだった。

彼女の“甘えや我儘”には、少しの遊びも逃げ道も用意されていない。

雪美はスリーパーホールドやコブラツイストレベルで、ガッツリと駄々をこねてくるのだ。

それこそ男女の駆け引きなどというゲーム的要素なぞ微塵もない。

雪美は自分の指一本でお手軽に解決できる課題を、わざわざ“浮気性の男に恋する不安なわたくし”みたいな設定を造り込むことまでして演習化する。

円としては「いい加減にしろ」と喚き散らしたいところだった。

 

 『そもそも三島さんと僕はいつからそういう関係に成ったんだ?』

円がげっそり考えこめば是非もない。

「ルーさんとマドカ君の関係性に追いつくために必要なイベント消過ですよ?

わたくし、マドカ君には責任を果たして頂けるわけですし」

すっと頬に触れた雪美が蕩けるような笑顔を浮かべるのだから始末に負えない。

ルーシーの異変をふたりで心配するのとは別次元で、したたかに状況をコントロールする雪美である。


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