第1話 全て世はことも無し 2

 片岡に露満ちて、

 揚げ雲雀(ひばり)名乗り出で、

 蝸牛(かたつむり)枝に這い、

 

 円と善美はダラダラと歩く他の生徒達をせっせと追い抜いていく。

しばらくするとはけの遊歩道から竹林の間を左に折れる丁字路に至った。

生徒たちは一人の例外も無くここで左折してはけから離れる小道を進む。

すると広々としたキャベツ畑の只中に出るのだった。


 「初春の気持ちの良い朝ってやつだな」

「よっちゃんは本当に昔から、どこぞのやんごとない公達か御曹子みたいにいつだって能天気だよね」

「おぬしも相変わらず失礼な奴だな。

聞いてみろよ。

ひばりだってああして朝っぱらから気持ちよさそうに鳴いてるぜ」

善美は顔を上げて小鳥の姿を捜そうと目を細める。

少し湿度の高そうな水色をした空の中。

今しも垂直上昇中であろう雲雀の姿は見えず声だけが聞こえる。

「つべこべとせわしいばかりなり。

三組は授業が始まってまだ二週間もたっていないのに古典の小テストがあるんだよ」

「んっなもん真面目に授業聞いてりゃなんでもないだろ?」

「極楽とんぼのくせして、よっちゃんは本当に高偏差値なおりこうさんだからいやになるよ」

「円はさあ。

色々と考え過ぎなんだよ。

授業中なんか他の事考えてるんじゃないの。

下手の考え休むに似たりというだろ。

少しは身体を動かして人生の上手に成るがいいぜ」

「勝海舟のまね?

よっちゃんは脳筋じゃなく筋脳の体育会系だよね」

「それじゃ何かい。

おいらは筋脳の志士だってか?」

 それこそ小学校の頃から、円は善美が勉学に励む姿を見たことが無い。

円は自他ともに認める小心者なので、学校の勉強にはそこそこコミットしてきた。

定期試験の度、無頼な友人たちが無勉で特攻などとうそぶく姿を見ては溜息をついて来た。

善美もそうした友人たちと同程度に自宅学習には縁が無い様だった。

だが善美は「俺は無勉じゃないよ。授業をしっかり聞いてるからな」と涼し気な顔をしている。

少しは頑張ったなと思った時でも善美の成績は、似たようなものながら常に円のそれを上回る。

きっと基礎の基礎から頭脳の性能が段違いなのだろう。

 善美のスペックなら、多少なりとも自宅学習に励めば高偏差値の高校に進むことなど造作も無かったろう。

だが「俺は円と同じ学校で良いや」と余裕綽々で宣(のたま)わったものだ。

これが他の人間の言であれば温厚な円でもさすがにムッときたろう。

だがもとより善美には悪意のかけらも無い事は承知している。

ただ善美の言葉に腹を立てるのではなくなんとなく嬉しくなってしまう自分がいるだけだった、

後から思い返してみて、まるで尻尾を振る子犬のようだなと感じてしまった。

円としてはその一点だけが癪に障る。

 二人は軽口を叩き合っている内に辻を何度か曲がり、文房具や菓子を商う角店(かどみせ)の前に出た。

国府高校の生徒はみなその店を角店と呼び、誰も鈴木文具と言う名を知らないか、敢えて使おうとしない。

戦後出来た学校なのでこれと言った伝統など聞いたことも無い。

それでも鈴木文具を角店と呼ぶ習慣は、先輩から後輩へと代々受け継がれてきた習わしであることは確かだ。

鈴木文具もそれを良く承知しているのだろう。

錆で汚れてはいるものの一応看板は掲げている。

だがそれを塗り直したり新調すると言う話は、近隣住民の間でさえ噂にも上らなかった。

 角店の角を左に折れると道は長靴型の袋小路に成っている。

踵に当たるどん突きから更に左に入ると、爪先が学校の裏門という見当である。

 通学に中央線を利用する生徒は裏門を、京王線を利用する者は南側の幹線道路に面した正門を利用している。

それは国府高校の立地が、中央線の国分寺駅と京王線の府中駅を結んだ線のおおよそ真ん中辺りに位置することから生じた現象だった。

面白いことに裏門利用か表門利用かは生徒達の文化圏を二分する目安になる。

ある意味生徒の勢力図を区分する分かり易い色分けでもあった。

 その日ふたりは始業まで十五分の余裕を持って無事登校を果たした。

追い抜かれた148人の同窓生は朝倉少年の企みと喜びを露とも知らない。

加えて、誰も知らないし円すら興味が無いが、その朝の148人抜きは新記録だった。

この記録は後年、朝倉少年と同じようなことを思いつく剽軽者も打ち破ることはできなかった。

それはアダムとイブ以来、無数に存在した無名競技者達の、神のみぞ知る無意味な新記録の一つだった。

 世界に目を向ければ、ベトナムではアメリカの負け戦が佳境に入っている。

科学誌“原子力科学者会報”の表紙を飾る世界終末時計では、人類滅亡までの残り時間が10分を切っている。

世界史的視点から地球文明を俯瞰して見れば、昭和の終わり頃は激動の時代であったろう。

新聞とは言わない。

テレビのニュースを一瞥するだけで、子供にも分かる今そこにある危機が、人々の明日を押しつぶそうとしている。

 だがしかし、そうは言ってもそれはそれ。

武蔵野の長閑(のどか)な春の朝を半眼で眺めればどうだろう。

その景色は国木田独歩が辺りを呑気に徘徊していた頃と大して変わり無かったろう。

通学路の道すがら、朝露を喜ぶでんでんむしこそ見かけなかったがそんなことはどうでも良い。

 極東の平凡な高校生達にとっては、熱かろうが冷たかろうが、戦争なぞ異世界の出来事同然だ。

だからその日もまたいつもと同じように、概ね平穏で退屈と成りそうな一日がゆっくりと始まる。

そのことに、生徒の誰一人、毛一筋程の疑いを抱くことすら無かった。


 蝸牛(かたつむり)枝に這ひ、

 神、そらに知ろしめす。

 すべて世は事も無し。


 ~春の朝 ブラウニング 訳:上田敏

 


 

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