第32話 女流名人戦 第三局

 4月に入り高校3年生になった。3年になるとクラス替えで芝田君と離れてしまい、話すどころか姿を見ることさえ少なくなってしまった。

 2年生の時は芝田君に会えると思って楽しみにして学校に行っていたが、3年になってからは何の楽しみもなくなってしまった。

 別に囲碁のプロとしてやっていくのに高校を出る必要もないので、辞めてしまおうか本気で考えてしまう。


「理央、どうしたの?最近元気ないね。あっ、わかった。芝田君と違うクラスになったからでしょ」


 朝学校に来てからずっと憂鬱そうにしている様子を見て、由香が心配して声をかけてくれた。


「理央、またゴリラのモノマネしてよ。3年になってから見てないから、久しぶりやってよ」


 気乗りはしないが由香にねだられるままにゴリラのモノマネして、クラス中の笑いをとることができた。このネタは、クラスが変わっても鉄板のようだ。


「理央、雄ゴリラが雌ゴリラに振られたぐらいで落ち込むと思う?」


 ゴリラのモノマネが終わった後、由香が唐突に聞いてきた。


「落ち込まないと思う。多分、すぐに別の雌ゴリラのところへ行くと思う」

「そうだよ。理央も芝田君の事ばかり考えないで、他の男子も見なよ。今度、また男子との合コンセッティングしてあげるからさ。ま、とりあえずバナナ食べな」

「ありがとう。でも今週、名人戦があるから、それが終わってからね」


 由香からもらったバナナを食べると、すこし元気がでてきた。学校に行くのを面倒に感じることもあるが、囲碁関係者以外の友達と触れ合うのも楽しい。

 由香の言う通り、男子は芝田君だけじゃない。せっかくかわいい女子高生に生まれ変わったんだから、他の男子との恋愛を楽しむことにしよう。

 でも、その前に女流名人戦、3番勝負の3局目。勝った方が女流名人のタイトル獲得となる大一番が、今週の金曜日に控えていた。


 ◇ ◇ ◇


「理央、おはよ。今日はよろしくね」


 対局日当日、日本棋院7階の特別対局室に入ると理沙の方が先に着ていた。


「おはよ。しばらく連絡なかったけど、元気してた?」


 前回の対局まではしつこいぐらい連絡があったのが、2局目の後ぷっつり連絡が途絶えてしまっていた。


「元気だよ。研究に熱中していたから、連絡できずごめんね。女流名人戦も今日で終わるし、明日カラオケに行こうよ」

「いいね。行こ、行こ」


 理央の方が勝ってしまったので、気を悪くしてしまったのかと心配していた。

 どうやら違ったみたいでそれは一安心だが、前回の対局から2週間こもって研究してきたのは、今日の対局にとってはちょっと不安を感じる。


 第三局はニギリ直しの結果、理沙の先番と決まった。理沙が碁笥に手を入れ黒石を取り出すと、天元へと石音高く打ち込んだ。

 理沙の顔を見ると、不敵な笑みを浮かべていた。二局目に敗れたことへの意趣返しなのは明白で、さすが5冠の女王と言ったところか。

 

 こちらも「初手天元」の展開は、香澄と何局も打って研究済みだ。前回は意表を突いた奇策だったが、今回はお互い研究済みの実力勝負となりそうだ。


 序盤、黒が天元の石を活かして模様を張り、白が実利を稼ぐ展開となった。黒模様が完成する前に、どこかに入って荒らさないといけないが、広い黒模様のどこに打つかが悩ましい。


 考慮時間20分超をつぎ込み悩んだ末、上辺へと打ち込んだ。この石が生きれば勝ち、そうでなければ負けとなる。

 理沙も最強手で取りにかかってきた。白も必ず生きる道はあるはずと信じて、必死で応手を考える。


 混沌とする局面の中で、先に活路を見出したのは白だった。コスミが上手い感じで働いて、中で生きるのと黒模様を破り外と連絡する手を見合いにした。


 理沙が頭を下げ、投了を告げた。その次の瞬間、一斉にカメラのフラッシュがたかれ、関係者が一斉に部屋に入ってきた。


 それから初タイトル獲得の感想を聞かれたり、写真を撮られたりした後、局後の検討も始まった。

 でも、早くタイトルが獲れたことを伝えたい人がいる。

 早く検討を終わらせようと意見は言わずに、立会人の先生が作る変化図にうなずくばかりだった。


 ようやく検討が終わり席を立ち対局室を出ると、廊下ですれ違うひとみんなから「おめでとう」とタイトル獲得を祝福する声をかけてもらう。

 でも、一番伝えたい人の姿が見当たらない。おかしい、棋院には着ているはずなのに。

 検討室も覗いてみたがその姿が見えず、他の棋士に聞いたが終局と同時に帰ったみたいだ。


 ◇ ◇ ◇


 部屋のドアを開けると、いい匂いが漂っていた。


「おかえり。いまビーフシチュー温めているから、着替えておいで」


 女流名人のタイトルを獲ったにも関わらず、何事もなかったかのように、いつもように香澄が迎えてくれた。


「なんで、先に帰っちゃうんだよ。香澄と喜びを分かち合いたかったのに」


 言いながら思わず出てしまった涙を拭いた。


「だって、お腹すいているかなと思って夕飯の準備しないといけないし、それに理央が遠くに行っちゃたみたいで寂しくなって、見てられなかった」


 理央と釣り合わないと言って疎遠になってしまった芝田君と同じようなことを、香澄が言った。


「大丈夫、どこにもいかないから。ずっと香澄のそばにいるから」

「ほんと?」

「理人の時に約束したこと覚えている?」


 タイトル獲ったら付き合ってあげる、理人の時は無理難題と思えた条件も、理央ならクリアできた。

 香澄が返事の代わりに理央の体を抱きしめた。キスはビーフシチューの味がした。

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