雪溶け猫とミカン

碧空

??? レイ

丑三つ時、深々と振り積もる雪の中、サクサクと雪を踏む音がする。あたりにはこの時間特有の不気味さを伴った静げさが漂っており、その足音はひどくはっきりと自分の耳に入って来た。


こんな夜が更けた時刻になぜこのような音がするのだろうか。私は眠気に覆われる目元を軽くこすり、そろりと寝床から抜け出す。

近場の木々の合間へするすると潜り込んでいき、様子を伺い始めた。




サク、サク、サク。

雪を踏む音は、時と場合によってはあまり良い音には聞こえないが、今この場においてはそんな事はない。


サク、サク、サク。

私はこの音が嫌いではない。これぞ冬の音だと、昔からそう感じている。


サク、サク、サク。

ああ、今年も冬がやってきたのだ。

そしていつか雪が溶け花が咲き、また一つ歳を重ねて行くのだ。



サク。

ゆっくりと紡がれていた音はある時点でピタリと止んだ。少し残念だ。


ひと時の静寂が訪れた後、雪が降る闇の中から穏やかで落ち着く、とても静かな、それでいて凛とした声が聞こえてきた。

静粛な夜に浮かぶ、美しい月を思わせる響きだった。


「こんばんは。君も、道に迷っているのかい」


声の方向をよく見ると、手を後ろに組んだ薄着の青年が、参道の中心に立っているようだった。雪に溶け込むように儚げにも見えるが、力強い生命力も感じる。なんだか神秘的にすら見える青年だった。

やや、違和感が残る服装をしていたが。


青年はこの季節に外で着るには全くそぐわないような薄手のTシャツ、そしてスウェットのパンツにつっかけ。

いろいろな意味で明らかにこの場に不釣り合いな服装だが、それを一切気にしている様子はなく、さもそれが当然であるかのように悠然とした態度をとっている。


なぜそんな格好でこんな真冬に外に出ているのかという疑問が浮かぶが、急ぎの用事があって部屋着のままここに来たのではないかという考えにたどり着くまで、大した時間はかからなかった。


まあこの状況から察するに、先程までのサクサク音の出処は、どうもこの青年のようであった。


視界内に写りこんだ鳥居へちらりと視線を見遣ると、笠木の上には雪が少々積まれており、鳥居の朱と雪の白のコントラストがなかなか風情を感じさせる。灯りがあればより見栄えがよかったというのに。実に惜しい。




そんな一方で、青年に声をかけられるまでずっと神社の前で音もなく彷徨いていたらしい、やや挙動不審にすら見えるその者の足元は、今まで散々積もった雪に足元が覆われてしまったせいなのか、あまりよく見えなかった。


というか、どうも体の大きさ的に子供のように見える。本当にこんなところで何をしているというのか。

その者はハッとしたように顔をあげると、青年をくいいるように見つめていた。


「...あ......」


その子供は、"やっと見つけた" そんな思いがが言外に伝わってくるような、心細さから解放された安心感、そしてどうしようもなく埋められない淋しさを含んでいるような、いろいろな感情が入り混じった声をもらした。


こんな時間にこんな所にいるのだ。そりゃあ心細くもなるだろう。なぜこんな時間にこんな所にいるのかはいささか疑問ではあるが。


なんて。どこか的外れの見解をつらつらと述べてはみたが、正直この場所でこんな子供がいるなんて、理由はかなり限られていた。


そう。。鳥居の前で待っていたのだから。




「先に謝っておくよ。ごめんね、一応僕にできる事は君を正しい所に返してあげる事だけなんだ。それが君にとって望む場所かどうかは別で、ね。」


青年はすまなそうな顔をして子供にそう言った。


「...あ...ゔ......」


か細く鳴くようなその者の声は、どう考えても言葉になってるとは言い難く、おそらくは普通の人間の声ではないだろうという事が察せられた。

なんなら人間ではない可能性が高いというか。まあ、もう人間ではないからこそ、ここにいるのだろう。


しかし青年は動揺する様子も見せず、ただ穏やかな表情を浮かべていた。


その子供にとって先程の言葉が自身の思っていた答えとは違っていたのか、はたまた戸惑っているのか、それとも単に理解できていないのか。子供はうつむいて足元の雪の方に顔を向け、そのままじっと動かずにいる。

青年はその様子をただじっと見つめていた。




私が30回ほど呼吸をした頃だろうか、青年は緊張を解くと、ふっと軽くまばたきをしてから


「...うん、そっか。会いたい人がいたんだね。」


と、どこか遠い目でポツリと呟いた。


彼のことだ。おそらくそこにいる子供に関わる何かをのだろう。青年の瞳は少し悲しそうに見える。


「ゔ...ぶ...あ゙......」


なるほど。青年の言葉はズバリ正解だったようで、その者はポロポロと涙らしきものを溢す。ますます声が歪に響いて聞こえた。

どう考えても人の言葉を話していないのに青年は何も問題ないといった平然たる様子で、ただ淡々と会話を続ける。


「そう...最近ちょっと忙しくてね...ここに帰ってこれてなかったから【迷い人】の君をしばらく困らせてしまったようだ、ほんとうにごめんね」


「う…」


もじもじしている子供に対し、青年はふわりと笑う。


「許してくれてありがとう。ああ、大丈夫。どうも君は君が会いたい人に会っても問題なさそうだ。というかそこが君のいるべき所のようだね。」


そう言うとやさしげな表情を浮かべながら子供の頭を撫でるように手を動かす。まあ悪魔で撫でるように、だ。そこにいるように見えるはずの子供の体は、触れられない。


「うん、君はとてもいい子みたいだから、挨拶くらいはできるようにしてあげる。でもちゃんとすぐにあちらに行くんだよ?さようならとこれからも宜しくね、って。」


「ゔ...?」


子供は小首をかしげた。どうやらあまり理解できていないようだ。

青年は子供のその様子に気づいて、言葉を付け足す。


「ああ、そうだよね。迷ってたってことはわかってないよね。うんとね、君はこれからあちらの世界からママの事やその家族を守る存在になるんだよ。本当はすぐに行けたと思うんだけど時々こうやって道に迷っちゃう人がいるんだよ。君もその一人だったってわけだ」


「ゔ…」


「なんとなくわかっていればとりあえず大丈夫。君が近くで見てくれるだけで、ママの助けになることがあるんだ。頑張って君のこと守ろうとしてたママの事、大好きでしょ?じゃあ今度は君が守ってくれないかな、ってこと。」


そして青年はひと呼吸置いて、体を屈めると、子供と同じ目線で、まっすぐと見つめた。


「どうかな、僕を信じてくれるかな?」


「...うあ!」


子供は元気に頷いているよう見えた。


母親は守ろうとしてくれたはずだがこの子供は今この場にいる。なんの理由でそんなことになってしまったのか…まあ考えるだけ野暮だろう。この子ははじめから悪意がある様子はない。ただ迷っていて、自分の家に帰りたいだけなのだ。私達部外者は、それだけわかっていれば良いのだろう。




さて、ここらが潮時だな。私は重い腰を上げ、ひょこりと神社横の森の中から姿を現した。

青年は私がずっと見ていたことをわかっていたのだろう。森の中から突然現れた私に対し、一つも動揺もしているように見えなかった。いつもこんなふうに穏やかで、静かだ。


まったく、ここまで来ると私のほうが驚かされる。いつかこの青年にも年相応の反応を見せてもらいたいものだが。

まあ、昔からの付き合いのある友とならば別だろうが。私の脳内には、やや派手な髪色の快活な少女の顔が浮かんだ。


子供の方はというと、素直に驚いたのだろう。目を丸くしてこちらを見ていた…ような気がした。正直ずっと子供の事はぼやけた姿のように見えているため、はっきりと判断が出来ていないのだ。

まあ、そこはしかたない。別に今からすることに支障はないのだ。この体で無駄に高性能ハイスペックを求めるのは高望みというものだ。性能が良くなるほど青年にとっても負担がでかくなってしまう。私にはこのくらいがちょうどいいだろう。


「うん、紹介するよ。そこにいるのは君の道案内をしてもらうミオ。そっけないように見えるかもしれないけど、君のペースにあわせて君の行く先に連れて行ってくれるから、安心してね。本当は僕も行きたいんだけど、ちょっと体を休めないと……ミオ、今回はよろしくね。」


そう言って青年は私の体を軽くなでた。



そう。この青年は最近行ったによって無理が祟り、身体を休めている最中だったのだ。

こちらが活動的に動くとそれも彼の"力"を消費してしまう為、しばらく会いに行くことすらやめにしていたが、やはり青年はまだ万全とは行かなかったのだろう。


そんな状態だというのになんてことないという顔で、しかも部屋着で、雪が降る夜中に外に出て誰かを助けようとしていたお人好しな青年に対し、ひっそりとため息をついた。

善い事をしているのは間違いないし、言うて夜中に外に出て話をしただけだ。怒るべきなのか悩みどころである。


これだけ過剰に心配するほどに、あの仕事後の彼は酷いものだったのだ。仕事により力を消耗しすぎてひどく憔悴した彼は、なんと半月程全く動けなくなった。1週間前からやっと敷地内ではゆるりとした日常を遅れるようになったのであった。



そんな時でもこの様子。人が善過よすぎるのも困ったことだ。しかし、これで強く芯が通っているためやると決めたらやり抜く意地っ張りである為、仕事の事も今回の事も、止めたとして無駄だっただろう。

その為自分の体に無茶をしながらでも片付けたというわけなのだが…自分の体調管理もできないようでは今後この仕事を続けるのは難しいので、彼にはしっかり反省して限度というものがあるのを学んでほしい。


まあ今回は無理をせず、後始末は自分に任せる選択をとっただけマシと思うことにはするが、とはいえ私を動かす力の源自体は彼のものだし、後で小言の1つ2つは言わせてもらうつもりだ。

この後覚えとけよお前、という意を込めて青年を見上げると、私の考えている事を察したのか、青年は苦笑いしながらスッと目を逸した。



「じゃあ、行ってらっしゃい。気をつけてね。」


「ゔ」


「にゃ〜」


そんなどうしようもなく優しい主人の望むように。私は軽く尻尾を振り、青年の声に肯定の意を表した。




暗闇の中幼子を連れて暗い暗い、明かりも灯らぬ田舎道を進んでいった。

しかし皆には見えずとも、この子にとっての一筋の光るが私には見えている。子供のおぼつかない足取りにあわせて、私はゆっくりと光のしるべを辿っていった。


「へくしっ、はぁ、上着ぐらい着ておくんだった。」


神秘的に見えたはずの青年はそのようにボヤくと、鼻をすすりながら猫と子供が見えなくなるまで鳥居の奥から見守り続けていた。

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