2023年4月 死闘! 麻酔科新人少尉!!

第1話 深夜のひと刺し

 夜22時を過ぎたファミリー向けマンションのリビングで、俺は妻と人肌を触れ合わせていた。


「やっ……まれ君、そんな所に刺したら痛いよぉ……」

「我慢してくれ、このために今日は初人はつひとをお義母さんたちに預けて貰ったんだ。今日は、今日こそは……」

「そんなこと言ったってぇ……この前から何度も、こんなに……」


 今年で27歳になるが浪人生の頃から変わらず美しい美波みなみは俺に左腕を差し出し、繰り返す痛みに身をよじらせている。


「ひゃっ、血が出てる……怖いよぉ……」

「ごめん、今すぐアル綿を出す! えーと、どこにやったかな」

「早くしてくれないと、私、我慢できないよぉ……」

「あったあった、この程度の血はすぐ止まるから大丈夫だ。よし、次はここに……」

「ひぐぅっ!! こっ、これ、本当に大丈夫なの……?」

「心配ない、今度こそ綺麗に……ああ……」


 俺に左腕をなすがままにされていた美波は不器用な俺の手つきに苦しみあえぎ……





「だから痛いって言ってんでしょおぉぉぉ!? 一体何回点滴失敗すれば気が済む訳!? まれ君本当にお医者さんになったの!?」

「悪かった悪かった、お隣さんに迷惑だから叫ばないでくれ。うーん、何回やってみてもやっぱり駄目だな……」


 点滴針を3回も刺しておいて結局静脈路を確保できなかった俺に、美波はとうとう堪忍袋の緒が切れたらしかった。


 この点滴針は教授の許可を得て麻酔科の医局で貰ってきたもので、指導医の峰原先生から物部君はちゃんと練習してきてね! と言われて特別に12本も頂いていた。これは他の研修医の3倍の数である。


「私まれ君が点滴の練習しやすようにってこの1週間ダイエットしてきたのに! 国試受験生の腕をこんなにプスプス刺して落ちたら責任取ってくれるんでしょうね!?」

「別に君は右利きだし左腕ならちょっとぐらいいいじゃないか、この前の模試も学年上位20%に入ってただろ?」

「そういう問題じゃないでしょ! もう知らないから、今日は泊まってくけど罰としてそういうのはお預け! ほらさっさと寝た寝た! 明日も5時半起きなんでしょ!?」

「ごめん……」


 美波は歯学部歯学科の6回生になったからか子育てにも慣れてきたからか最近は昔とは別の意味で感情を露骨に出すようになってきて、その勢いにまだついて行けない面もあるが俺は頼りがいのある美波の姿に好感を覚えてもいた。


 それはそれとして美波が怒りつつも俺の体調を気にかけてくれているのはよく分かって、左腕の刺し傷に3枚も丸い絆創膏ばんそうこうを貼られた美波は俺の背中を押して寝室に行くとスマホで目覚ましをかけてから添い寝してくれた。


 久々に夫婦2人きりで添い寝できたことを嬉しく感じながらも、俺は明日の月曜からまた始まる地獄の日々に憂鬱な気分になっていた。



 時は2023年4月16日、日曜日。


 畿内医科薬科大学病院1年目初期研修医の物部もののべ微人まれひとは、麻酔科の「新人少尉」として働いていた。

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