205 気分は衝撃的

 11月1日金曜日の放課後から始まった生化学教室の発展コース研修はこれといって問題なく進んで、僕は例によって放課後は毎日カナやんと合流して与えられた仕事に取り組んでいた。


 久々にお会いした成宮なるみや教授にオリエンテーションを受け、今月は本来ならば他の教室同様カナやんの研究を手伝う形での研修を実施したいが生化学の研究は放課後のちょっとした時間では十分に体験できないということで、結局は決まったテーマを与えられることになった。


 今月の研修のテーマは「ビッグデータ」で、具体的にはインターネットを通じて世界中の医学研究のデータを一度に取り扱う手法を習得して欲しいとのことだった。


 例えば特定の遺伝子がヒトのどの細胞のどの部分で発現しているかを知りたい時に昔は様々な論文を探してくるしかなかったが、最近では専用のウェブサイトに遺伝子の名前を入力するだけで世界中の論文のデータが自動的に検索され、「ヒトの小脳のプルキンエ細胞に発現しているという論文が何件ある」といった結果を一瞬で表示してくれる。


 このようなビッグデータの活用は今後の医学研究では必須になると考えられており、僕とカナやんは放課後は毎日図書館のコンピュータルームに行って課題をこなしていた。



 お互い薬理学と病理学の実習もあって忙しい中でも研修には真面目に取り組み、大学祭を2日後に控えた11月14日木曜日の今日この日はこれまで集めたデータをWordとExcelでレポートにまとめた。


 僕がExcelで図表を作りカナやんがWordでレポートを作り終えた頃には18時を回っていて、コンピュータルームのプリンターでレポートをA4用紙に印刷すると本日の研修は終了となった。



「お疲れー、もうできたかな……」


 カナやんがレポートを最終確認している間にお手洗いに行き、そろそろ印刷も終わっている頃だろうと思ってコンピュータルームに戻るとカナやんは机に突っ伏して沈黙していた。


「あの、大丈夫……?」

「あー、全然大丈夫。ちょっと疲れ気味なだけやから」


 カナやんは机から起き上がると笑顔で答えたが、その表情には明らかに疲労の影が見えた。



「そういえば最近しんどそうだよね。カナやんにしては珍しいような」


 カナやんとは恋愛がらみで色々あったので今月は二人きりで過ごして大丈夫かと心配していたが、久々に会った彼女はこれまでのことは全く気にしていない様子で僕とはいつも通り友達として過ごしてくれた。


 無事に異性の友達同士という関係に戻れたことはありがたかったが先月の剖良先輩に引き続きカナやんも何か悩みがあるようで、こちらから触れるのは避けていたが友達として気になってはいた。


「悩みがあるなら相談に乗りたいけど、僕が聞いていい話なのかな?」

「せやね……正直うちも誰に聞いていいか分からへんねんけど、白神君なら彼女おるしええかな。ちょっと耳貸してくれる?」


 18時過ぎのコンピュータルームには誰もいないとはいえ一応図書館内だからか、カナやんは僕にこっそり悩みを伝えようとしているようだった。


 頷いて耳を近づけると、カナやんは口元に右手を添えて、



「男の子って、好きな人が密室で2人きりで無防備にしてても襲わへんの?」

「んぐっ!?」


 とんでもない質問を口にして、僕は衝撃のあまりむせそうになった。



「あ、ごめん、驚かせてもうて。全然冗談とかやないで」

「冗談じゃない方が問題だよ! カナやん、いきなりなんて質問を……」


 カナやんはこれまで友達として付き合ってきた限りでは恋愛にはかなり疎そうに見えたので、彼女からこんな発言が飛び出すとは思わなかった。



「えっとな、実は気になる男の子がいるねんけど……」

「えええっ!? 誰、一体誰!? 陸上部員!?」


 僕が聞いていい立場なのかは置いておいてカナやんに新しく好きな人ができたという事実に僕は大変驚いていた。



「白神君、ここ図書館やからとりあえず生化学教室戻ろか」

「そ、そうだね。後で教えて……」


 それから2人で生化学教室の教授室に行って成宮先生にレポートを提出し、僕らは誰もいない会議室に入って2人で話していた。

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